第25話 オリオンが昇る頃

【八月? 二十日?】

 青日は非常に不貞腐れていた、意外と波多野小羽留と上手くやれているのである。由々しき事態、というやつ。青日は睦千の他の相棒なんぞ欲していないのに、なんだかうまくいっているのは面白くない。だから、青日はせっせと神社に通っていた。最初は見ていただけだったが、最近はなんとなく拝んでいる。祠の前にしゃがんでいると、見にきていた小羽留がへぇ、と感心したように尋ねた。

「神様を信じるようになったの?」

「いいや。信じてないよ。でも、蹴ったのは悪かったかなって」

「改心したのね」

「いない神様にもお願いしたいくらいには参っているよ」

 青日は立ち上がり、ちゃむちゃむと歩き始める。天気は晴れ、綺麗な青空だけど何だか足りない。理由は当然、睦千がいないせいだろう。なんだか息苦しい。指先まで酸素が届いていないようで、細胞がへにょへにょとくたびれている気分。そのせいか、青日の奇怪病も精彩を欠くというやつ。これだという青色が出せなくて、怪への効きも悪く、そんな苛立ちをぶつけるかのように青日は怪を殴って蹴って捕まえていた。

「ねえ、白川睦千ってどんな人?」

 君が好きだった人、とうっかり答えそうになって、青日は慌てて睦千の事を考える。

「……好きな色は白、夏以外は大体白いフライトジャケットみたいなの羽織っているよ。靴が好きで、二日続けて同じ靴は履かない。一番好きな靴は白いヒール、銀色のベルトが付いているやつだと思う。唇が苦手で、他人のも自分のも見たくないって感じ。だから、自分はいつもリップを塗っている。細いのによく食べて、お腹が減ると機嫌が悪くなるし、ちょっとアホになる。顔が笑えるくらい良いからモテる。モテるけど、本人はそういうのが一番ストレス。かっこよく生きる事に全力だけど、おれはどうでもいいと思うな。あと、怪を捕まえる事に熱心で、八龍が大好き」

「詳しいのね」

「でも、おれが知っている睦千なんてほんの一部だよ。知らない事の方が多いし、それで良かったと思ってたんだ」

「今は違うの?」

「睦千を知らない事で、睦千を助けられなくて、離れ離れになるくらいなら、睦千の事をもう少し知って、少し嫌いになったって良いから、少しでも長く一緒にいたいって思う」

「嫌いになるんだったら一緒にいる事は苦痛じゃない?」

「苦痛じゃない。睦千の隣が一番息がしやすいんだ。睦千はおれの奇怪病を振り切れるやつで、おれと一緒で愛ってやつに懐疑的で、ただ隣に居てくれるだけの人を求めていたんだと思う。ただ居てくれって望む感情ってなんて言えばいいのか分からないじゃん。そういう名前のない感情を、自然と共感し合えた。それってさ、凄い事じゃん。そんな出会いができた、それをちょっと嫌いになったくらいで簡単に手放そうとはさ、おれはできないわけ」

「……あなたって、結構、思ったより、強いわね」

「強くないよ、強く見えるのも多分、おれの一部だけって話」

 ツギハギみたいに田園風景からビルが立ち並ぶ街の風景に変わる。そこらへん、宇宙人歩いてねーかなー、そんな気分だ。

「わたしの青日もそう思っていたのかしら?」

「さあね? こっちのおれとこのおれは違うよ」

「そうかしら、結構似ているわよ、物事を簡単に整理して見るあたりとか」

「それ違うよ、何にも考えてないだけ」

 青日はさっきよりは元気に歩く。久々に睦千の話ができて、ちょっと元気になった、うん、睦千はおれがしょげているのが嫌だろうし。

「……わたし、青日と組んでていいのかしらって悩んでいたのよ。甘やかしすぎたかしらって」

「甘やかして大丈夫だよ、おれは甘やかされるの好き」

「そうね、大丈夫なのかもしれない。青日はちゃんと強い」

「そうだよ、こりゃダメだって時は教えてよ、おれ、嫌な気持ちにはならないと思うし」

 ほら、少なくともおれは単純、と笑ってみせる。睦千じゃないと不貞腐れていた青日に優しくしてくれたので、それくらいの恩返しは当然するわけでして、それにこの小羽留じゃないけど、きっと睦千の相棒だった小羽留さんのカケラが入っているだろう。睦千がお世話になりましたってやつだ。

「……わたしの青日に会いたくなっちゃった。わたしのかわいー青日」

「おれ、可愛くないの? 睦千には可愛いって言われてんだけど」

「もっと可愛いのよ」

「えー」

 口をとんがらせて歩いていると、目の前に『しねま』の看板……しねま? なくね?

「ねー、ここに映画館ってあった?」

「さあ……?」

「ないと思ったんだよなぁ……ここ……」

 んー、と頭を振る。それから、傾いた看板を見て、よし、と覚悟を決める。

「多分ここから帰れると思う」

「本当に?」

「いや、ここ、絶対に映画館じゃない。この通りでポップコーンの匂い嗅いでない! 多分この中のスクリーンに飛び込めば帰れるんじゃない!?」

「突飛ね」

「そんな映画って星の数ほどあるよ、つまりイケる!」

 青日は覚悟を決めた。まあ、何もなかったらショボショボと出てくるだけである、そんな事を恥ずかしいと思う感覚はあまり持ち合わせていない。

「と、言うわけでおれは行くね」

「思い切りがいいのね、突然で」

「こっちの青日もそうじゃなかった?」

「考えてみればそうだったわ、いつだって飛び込んでみてから考える子なの」

「ほらね」

 はい、と青日は右手を差し出した。

「お世話になりました! こっちのおれと仲良くね。小羽留が頼っても平気だよ、盛堂青日は」

 本当かしら、と小羽留は青日の右手を握り微笑んだ。

「あなたといると寂しくなるわ、それが分かっただけでも十分。青日と一緒にいるために、ちょっと嫌いになる勇気を出せる気がする」

「それは光栄。じゃ、またね!」

 最後にぎゅっと握って、ゆっくりと離す。それから、青日は映画館の中に入った。

 そう、確かに、ドアをくぐった感覚はあった。それが自分の背中を見ているような気がして、あれ奇妙と振り返った。振り返ると、自分がどこか劇場の座席に座っている事に気づく。ぐるりと見渡すと、二つ右隣に睦千が座っていた。

「あ」

「青日」

「……本物?」

 服装は最後に見た時と同じだ、レトロな雰囲気のシャツと麻のスラックスにクリーム色のスニーカーにサングラス、リップの色も確か同じ、睦千の元の唇の色に近いピンクベージュだ。

「無能組の白い方、睦千」

 そして、睦千がポツリと呟いて、青日に続きを言うように促す。

「無能組の青い方、青日……メロンパンはクリーム入りが絶対の青日と」

「メロンパンにクリームは要らない、睦千。あんこはつぶでもこしでもいいよ、睦千と」

「つぶあん一択の青日。基本すっぴんの青日と?」

「実は結構ちゃんとメイクしている睦千。占いは信じない睦千と」

「一位の時だけ信じる青日!」

「よし! 本物!」

 いえーい、と二人はハイタッチを繰り返した、ぺちぺちぺち、と二人だけのスタンディングオベーション。

「そんで、睦千どこ行ってたの」

「ボクもびっくりなんだけど、昔の相棒に会ってた」

「おれ、小羽留さんに会ってた。波多野小羽留って、睦千の相棒だった人だよね?」

 そう告げると、睦千は目を見開く。

「……青日も?」

「睦千も小羽留に会ってたの?」

「うん……いやぁ、びっくりした」

 睦千は通路を歩いてシアターの外へ向かう。青日もその後ろをついていく。だが、内心気が気でない。睦千、小羽留と会ったんだ、どうしよ、おれ要らないかとか言われたら。

 埃っぽいロビーを抜けて、外へ出て、むっと肌を撫でる風に顔を顰めた。周囲に建物はなく、田園風景とその先に悠々と続く山が見える。ミンミンジージーと蝉の声が聞こえ、じわりと夕暮れの低い太陽が二人の影を伸ばしている。

「田舎だ」

「田んぼだ」

 二人は顔を見合わせて、今しがた出てきた映画館を振り返ってみる。

「……ないね」

「うん」

 しかし、そこには畦道が一本伸びるばかりで、映画館の姿形はなかった。映画館のあった場所にはこれまた小さな祠、狐の像があるからお稲荷様だろう。

「とりあえず、進もうか」

 ひとしきり、お稲荷様を確かめた睦千が溜息混じりに言って、青日は先に歩き出す。道はまっすぐ続き、左右には青々とした水田、空は真っ赤なほどの夕暮れ色、カナカナカナ、ケケケケケケとヒグラシが鳴き、土の匂いと青々とした草の匂い、稲荷と書かれたバス停、木の待合室を青日は初めて見た、時折、誰かの冷えた頰くらいの温度の風が吹く。なんとなく、よくある田舎の夏の夕暮れの景色だ。センチメンタル、ノスタルジック、隠していた寂しい気持ちが掘り起こされるような、青日的にはあんまり好きじゃない光景だ。そこをダラダラと、しかし、何か不審なものがないかピンと糸を張って歩く。田んぼ、田んぼ、稲荷バス停、お稲荷様、そして、田んぼ、田んぼ、稲荷バス停、お稲荷様。睦千は現れたお稲荷様を見下ろして呆れたように言う。

「ループだね」

「だよねぇ。同じ名前のバス停が三つも四つも続くわけないしねー」

 青日はポケットを叩いて、ちょうどいいのがあったや、とお稲荷様の祠に青いソーダ味の飴玉を一つ置く。二人、顔を見合わせて、今度は小走りに前へ進む。田んぼの横を走って、バス停を通り過ぎる。そうすると、出てくるんだな、お稲荷様、あらま、ちょこんとソーダ味の飴玉、ぐるぐるとループしている、確定。

「て、ことは、ここから出るには何か条件があるって事だよね」

 青日もお稲荷様を見下ろして睦千に確認する。

「まあ、そうね……でも、条件ねぇ……なんか切れ目みたいなのってあった?」

「なかったと思うなー……てか、宇宙人のせいだと思う?」

「多分。そもそも、宇宙人に誘われて祠の中に入ったのがきっかけだし。というか、青日はなんであそこにいたの?」

「ぶらぶら歩いていたら、怪しい映画館があったから? ドアの開き方にも見覚えがあったし」

「ボクと一緒。それと同じなら、また同じようなドアがあると思うんだけど、どこにあるのやら……」

「ドアが出るのにも条件がある?」

「青日、何してた?」

「小羽留と話してた」

「ボクも。他には」

「えー、変わった事、なかったと思うけどなぁ」

 うーん、と青日は首を捻る。その隣で睦千は特大の溜息を吐いた。

「てか、なんで青日も小羽留と会ってたわけ?」

「さあ……?」

「……小羽留、どうだった?」

「まあ、良い人だなって感じ、睦千が知っている人だったら」

「青日、小羽留と会った事ないよね?」

「ないと思うけど」

「……小羽留とボクの事、調べた?」

 青日は思わず、睦千の方を見た。睦千は暗い緑色の瞳を青日に向けていた。

「…………調べた」

 ぽつりと答える。睦千は、一言、そう、とだけ返す。青日はそれが妙に腹立たしく感じた。ガスコンロに火をつけるみたいに、カチリ、と怒りのチャンネルに切り替わった。

「少しはおれを信じなよ」

「これでも結構信じてる」

 睦千は青日の怒りを感じたのか、狼狽え逆上するように早口で返した。

「なら、ちゃんと教えてよ」

「あのさ、言おうとしたボクを遮ったのは誰? 青日でしょ」

「それは、…………そうだけど」

 何のことか分からなかったけど、ああそういえば言おうとした睦千を遮った、病室だ、と間一髪思い出して、今度は青日が狼狽えた。

「だから、いいよ。ボクだって凄く言いたい事じゃないし」

 ふい、と睦千は顔を逸らした。うんざりするくらい整った顔、そのくせ、この世全ての不幸を背負ったような顔、傷ついているのは自分だけみたいな勝手な顔……!

「……一回、聞いてもらえなかったくらいで、諦めるなよ」

「はぁ?」

「一回ダメだったくらいでへこたれるなって言ってんの! いつも自分勝手なくせにそういうとこ引くなって言ってんの!」

「逆ギレすんの?」

「するよ! だっておれ、ずっと怒っていたから!」

「なんで?」

「分かんない! 全部に怒ってる!」

 青日が叫ぶと、えぇ、と睦千は勢いが削がれたと言わんばかりに張り詰めていた肩から力を抜いた。

「睦千がごちゃごちゃ考えているのも、なんか上手くいってないのも、なんか嫌! 睦千が迷っているのも、ボクが一番不幸ですみたいな顔してんのも、おれとの距離感探っている感じもムカつく!」

 青日は睦千の頰を両手で引き寄せた。二人の顔が近づく。その一瞬、睦千の瞳が怯えたように揺れる。馬鹿か、と青日は自分の額と睦千のそれとを突き合わせた。つるりと夕日に温められた同じくらいの体温の薄い皮膚同士が触れ合う。

「睦千、おれたちもっと話そうよ。今更とか必要ないとか、関係ないよ」

 睦千の目は金色と緑色が混ざり合って、青日の目から逃げるように泳ぎ、青日の手の中で睦千の頬が動いて、隠れるように軽く唇を噛む。

「言いたくない事は言いたくないって言ってよ、適当に誤魔化すんじゃなくて線引きしてよ。おれだって聞かなくたっていいって思う事は聞かないって言うからさ。それでも睦千がおれに伝えたいんだったら、こうやって言い聞かせてよ」

 睦千が確認するように青日の目を見た。

「向き合いたい。睦千とも、自分とも」

「…………勝手なのは、青日じゃん」

 リップが斑らにはげた唇で、睦千は小さく呟いた。

「そうだよ、おれは勝手だよ。だから、勝手な睦千が隣にいたって怒らないじゃん」

「いや、怒っているじゃん」

「睦千がうじうじしているからだよ、それ」

 あは、と睦千は笑った。八重歯が見えて、目元がくにゃりと歪む。その顔を間近で見て、パッと青日は手を離した。

「睦千はさ、心配しなくていいよ。おれは、睦千に絶対恋愛感情は持たないし、睦千をエロいとか思わない」

「……この間、朝野葵に言っていた事なら」

「あれは葵に言った事だよ。今は睦千に言っているの」

 睦千は茶化すような顔をやめて、青日の顔をじっと見た。

「おれは恋愛感情も性的なあれこれの感情も持たないマイノリティだよ。おれは、少なくとも今までそういう感情を持った事ないし、ラブストーリーも恋バナもよく分かんない。目に見えない、化学反応式とか、虚数の計算とか、それとおんなじ。睦千がおれと同じかは知らない。別に同じでも違っても、どっちでもいい。どっちでもいいんだよ。だって、睦千とおれの価値観って最初から似ていたじゃん。でも、睦千はおれの奇怪病に染まらなかったじゃん。だから、睦千と一緒にここにいようって思ったんだよ。睦千は睦千でいてくれればいいんだよ。強い睦千も、弱い睦千も睦千だよ。おれの知らない白川睦千を知ったって、睦千が睦千である限り、おれはそれでいいの! ……睦千、睦千って言いすぎてなんか分かんなくなってきたッ! 睦千でゲシュタルト崩壊するとかばっかみたい! もう信じたでしょ、おれが最高の相棒だって言ってんの信じてよ!」

 ちゃんと向き合っているうちに、なんだか怒りに似た感情がグワっと押し寄せ、頬が熱くなる。それを見た睦千は、ふは、と笑った。

「初めて聞いたよ、最高の相棒って」

「言ってなかったっけ? じゃあ今言った!」

 はぁあ、と睦千は今度はしゃがんだ。ちまり、と頭を下げて丸くなる。白いシャツにうっすらと背骨の影、それがゆっくりと上下した。

「……ボクも悪かった。青日の事、舐めてた」

 睦千は青日の顔が見れなかった。青日も簡単に誰かに変えられるような奴じゃなかった。睦千以上に「おれはおれ!」と言い切る奴だった。睦千のように確固たる意志で簡単に変わってやるか、というより、気楽に当たり前のように変わらないよと笑って通り過ぎていく。睦千は自分の靴の先を見ながら、情けないなぁ、と声にならない声で呟いた。

「一人目の相棒は、ラブだったよ。三ヶ月くらい。調査員としての色々はラブに教えてもらったし、自分の事をちょっとだけ好きになれたのは、ラブのおかげ。だから、ボクに惚れたって言われた後も友だちでやってる」

 よいしょ、と立ち上がる。歩きながらじゃないと話せないと思った。青日も荒げていた息を落ち着かせて、隣をと、と、と、とん、と歩く。

「二人目の相棒は、青日の次に長く続いたよ。波多野小羽留、偽善者ぶっていたけど、本当はただ優しくて正義感があるだけの人だった」

「そうだね、多分そうだった」

 青日も答える。

「ボクが誰かに優しくする事を怖がらなくなったのは小羽留のおかげ……なのに、小羽留は怪になった。ボクはどうにかしたいと思ったけど、内心、小羽留を殺してでも止めなくちゃいけない事は分かっていた。だから、殺した」

「そっか……頑張ったね」

「頑張ってないよ、ボクが自分の意思でやったわけじゃなくて、半ば無意識にウィッピンがやったんだ。でも、ウィッピンはボクの奇怪病だから、ボクが殺した。単純な事実」

「でも、睦千は頑張ったよ。現実から逃げなかった」

「それも違う……青日と組む前に、半年くらいかな、組んでいた子がいる。あの頃、誰とも組む気がなくて、成維とかいづもから、半ば強制的に色んな人と組まされていた。奇怪病のコントロールができない人とか、同時期に何人かと組んでね。ある程度コントロールできるようになったらみんなボクから逃げていって、みたいなのを何度か繰り返していた。犬のトレーナーみたいな感じだよ。そのうちに、しばらく組む事になった子がいたんだ。梶谷三星かじやみつほしっていう女の子。あの時、十四才とかだったかな、参ったよね、思春期の女の子なんてさ。中々コントロールができなくて、しっかり面倒を見ろってなって、相棒ってことになった。三星は、よく学校をサボってボクの後ろを歩いていたよ。あの頃のボクは、そういうのもどうでもよくて、勝手にすればって思っていた。それ以上に、とにかく死ぬ理由が欲しかった。人を殺したんだったら、ボクは死んで当然。でも、ボクは、その一歩が踏み出せなかった。どうしようもなく死にたいのに、首を吊るのも、飛び降りるのも、できなかった……ウィッピンが邪魔をするんだ、小羽留を殺さなくちゃいけないと内心思っていたのと同じように、ボクは死ねなかった。だから、どうしようもない、何か別の力で死ぬしかなかった。だから、男も女も関係なく、意識的に"そう"思わせた。背中から、刺されてやろうと思って」

「最悪だね」

「その後どんな目にあったかは青日が一番知っているでしょ」

「まーね。よかったよね、刺されなくて」

「刺されかけたのは数多だけど……まあ、そんな感じで荒れてたんだけど、まあ、怒られてね」

「……もしかして、十四才に?」

「そう、十四才に。とある怪に襲われた時、ボク、ウィッピンを出さなかった」

 青日がムッとした気配を感じた睦千は、今は違う、と付け加える。

「あの時は、これでいいやって思った。今はそんな事ないけどね? だから、青日の奇怪病を打ち返せた…………話を戻すけど、もういいやーとか思っていたら、三星が間一髪で助けてくれたわけ。そんで、怒った。シンプルだった、勝手に死ぬなんて馬鹿らしい、こんなのを好きになったの馬鹿だ! って。まあ、あの子も惚れたみたいで、ボクはうんざりしたんだけど……なんか、泣き方が、小羽留に似ていたんだ。小羽留に怒られているみたいで、ボクはなんでそんなに怒るのってきいちゃった」

「馬鹿すぎない?」

「あの時、ほんとに馬鹿になってたの。三星は律儀に答えてくれたよ。相棒殺して死にたいんだったら殺される日まで生きていたらいいって……めちゃくちゃだよねぇ、あんな、ストレートな殺意、向けられた事なかったなぁ……でも、なんかすっきり、てか、しっくりきた。ボクが死ねなかった理由を言語化してくれた気がして、今、ボクが死ねないのは死ぬべき理由がなくて、死ぬべき時じゃないから。小羽留を殺してまで生きているんだったら、必ず、ボクが命を差し出す日が来るんだって」

「睦千」

 青日は睦千の胸倉を掴んだ。シャツに深い皺が現れる。

「……青日、これは綺麗事だよ。ボクが、生きていても許される理由を無理矢理見つけ出しただけ。そんな映画みたいな事、ないよ。どれだけ、ボクの顔が整っていて、ちょっと便利な奇怪病を持っていても、ボクはただの一般市民で、特別な誰かじゃない。だから、ドラマチックな死なんてないよ、ほんとうだよ」

「でも、睦千は世界がピンチになったら、黙っていられないじゃん」

「分からないよ。我先に逃げ出すかも。ボクだって、人間だもの。自分の命が惜しいから、なんて土壇場で思うかもよ」

 そう言って、睦千は柔らかく笑った。残照の中、その笑みは夏の虫みたいだった、線香花火みたいだった。睦千の胸倉を握り締める手に更に力が篭る。

 睦千は自己犠牲的だ。それは自分の価値を低く見積もっているせいで、でも同時に自分ならできるという自負の表れだと思っていた。でも、違った。睦千は誰かのために命を差し出す時を探していた。睦千にとって、自分の命は贖罪以上の価値を持たない。それでいて、睦千が簡単に自分の命を諦めないのは、小羽留の命の重さを思っているからだろう。「善良な小羽留を殺した人間にはもったいないほどの、小羽留を殺して生きた価値があると言われるほどの、自分のちっぽけな命と大勢を引き換えにできるほどの状況で、それしか可能性が残されていない」状況を待っているのだ。おれは、三年も一緒にいて気付かなかったのか。いいや、違う。都合よく解釈していた。青色日曜症候群を睦千自身で振り切ったから、簡単に死なない人だと思っていた。そうあってほしいと、おれが願っていた。睦千は、本当は、死ぬべき時を待っていた。おれが睦千を青色で染めた時、それは単にその時じゃなかったから、ウィッピンが出せた。だから、その時だと睦千が納得してしまったら睦千はふらりと死ぬ選択をしてしまうのだろう。

「……青日、冗談だよ、ほんとう……死なない、ボクは死なないから、もう大丈夫だよ、ほんとうだよ」

 おれの顔を見て、おれの手に自分の手を重ねながら、睦千は言い募る。ほんとうだよ、と繰り返す睦千に、青日は密やかな覚悟を決める。睦千が身を投げ出してしまう時、その身体をつかまえる。小羽留が睦千の死ぬ理由なら、おれは生きる理由になってやる。青日ならどうにかしてくれる、そう思わせてやる。だから、強くなりたい。睦千の事、完全に嫌いになる前に、まだ少しだけ嫌いだなって言えるうちに、強くなりたい。いや、その前に一つ確かめたい、ずっと気になってモヤモヤしてきた事。

「一つだけ、聞きたいんだけど、睦千はさ」

「うん」

「おれが葵に捕まった時、あれが日曜日だったから助けに来てくれたの? それとも小羽留の事があったから?」

「…………最後まで、ちゃんと聞いてほしいんだけど」

 睦千は恐る恐る話し始めた。

「最初は、というか、あの時までは、そうだった。日曜日だから、青日が暴走する前に急がなくちゃ、ちゃんと迎えに行かなくちゃって感じ……でも、今は違う。あの日、青日がいなくなって、思った以上に精神的にキツかった。ボクのいつも通りって、青日がいないとできないんだなって、心底思った。それに、迎えに来てもらうのってすごい嬉しかった。青日もそうなら、次は何曜日だって、すぐ、『青日だから』、探しに行くし、一緒に帰りたい」

 こちらを伺い見るように覗く瞳は切実で、時折、言葉を探すように揺らいだ。必死に答える睦千の姿だった。情けないほど弱々しくて、何も隠していないまっさらな睦千だ。だから、青日は嬉しかったから、睦千に怒るのをやめた。

「……おれが相棒だって、忘れないでよ」

「忘れないよ……最高の相棒」

 睦千は大丈夫、と繰り返した。青日はようやく、睦千の胸倉から手を離した。頼れる相棒が、よれた胸元のせいか頼りなく見えた。頼りなくて当然だろう、睦千も青日と同じ二十歳そこそこのクソガキだ。青日は甘えきっていた己を思い返して、首の後ろがカッと熱くなった。

「青日」

 急に静かになった青日に、睦千は怯えた。何て言えばいいんだろうと、指先を擦り合わせる。記憶の中で、言葉を積み重ねなさいと小羽留が笑う。そうだと決まればと、睦千は少しだけ前に一歩進んだ。

「仲直り、しよう。そんで、また喧嘩しよう。何度だって仲直りしよう。ボクも、ちゃんと言葉にするから」

 青日は下から睦千の顔を覗き込んだ。風が吹いて、睦千の前髪がふわりと浮かぶ。なんか知らないけど、晴々とスッキリした顔をしている。二日酔いで一日無駄にした日の次の日の朝みたいな、よし今日から清く正しく生きてやるぞと宣言するみたいな顔だ。青日はその顔を軽く、チペと平手打ちした。なんか、ちょっとムカついたから以上の理由はないし、青日も少しぼけっとしながら反射的にチペとしていた。睦千は、左頬を押さえて小さな声で、親父にもぶたれたことないのに、と言った。茶化したくせに、いつもより躊躇っているのはさすがに空気を読んだ結果なのだろう、らしくない、堂々と茶化してふざけろよ、調子悪いな、睦千もおれも。

「なんか勝手に解決するとこ、おれ、睦千のそーいうとこ嫌い」

「……やっぱ、一緒にいるの、しんどい?」

 今度は大袈裟に、捨てられた子犬みたいな顔になる。

「仲直りしよってこと」

 わかりづら、と睦千は笑った。笑って、その長い脚を振り回して歩いた。青日はパタパタと飛び跳ねるようにその後ろを追いかけ隣に並び、足が長いのもムカつく! と叫んで、映画のワンシーンみたいに睦千のふくらはぎの裏を軽く蹴った。お返し、と睦千もふくらはぎの裏を蹴り上げる。青日も繰り返すと、睦千もやり返した。二人のやいのやいの笑う声が、薄く見え始めた夏の星座へ響いていた。

 






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