5月 母の日
白川天加は、驚かれることが多いが、一児の母である。産まれた本人もたまに驚く、ボクってこの人から産まれたの、やば、みたいな。若々しい見た目と六花の支配人という肩書きかそうさせるのか、はたまた、子どものせいか、天加は母親らしくない母親だと自覚していた。
「離れて暮らしていた時間か長かった、と言うのは言い訳よねぇ」
そうぼやくと、そうかな、と目の前に座る人物は言う。
「ボクのせいじゃない? ほら、小さい時からボクって天加って呼んでいたし」
「それ、絶対和彦さんのが移ったのよ」
和彦さんとは天加の夫であり、睦千の父である。天加と結婚し、睦千の睦千イズムのベースを育てあげたとは思えないほど善良な人物である。ちなみに睦千は会うたびに驚いている、ボクがこんな善良な人から産まれるわけなくない? みたいな。
「でも、訂正しない和彦も和彦じゃん」
「睦千の言い方がね、可愛かったのよ、あみゃか、かじゅぴこ、みたいな感じで」
「ボク、それ信じてない。盛っているに違いないよ」
睦千はハーブティーを無意味にティースプーンでかき混ぜながらそっぽを向く。
「あら拗ねちゃって。お菓子でも食べなさいな」
そう言っていつまでも子供らしい我が子にクッキーを差し出す。昔から睦千は食べる事が好きだった。食べても太らないし太ったら考える、と食べ過ぎを心配した和彦は論破されたとかなんとか。有言実行、食べても太らず健やかに成長した睦千は、右手の人差し指と親指で軽くつまんだクッキーを一口で頬張る。幼い時は両手で必死に齧り付いていたのに、と懐かしむのはそろそろこの子も一つ歳を重ねるせいだろうか。
「……そういえば、青日くんは? 今日日曜日だけど」
なんとなく話題を逸らしたくて、いつもセットでやってくる相棒の名前を出す。
「青日は外でぼけっとしているよ。この後、一緒にお散歩の予定」
あら、いいわね、と天加は返す。友人と呼べる友人は少なく、仕事の相棒もころりころりと変わる睦千に友人らしい相棒が隣に居座っているのは心強い。あの子好みのお茶があったはず、包んで持たせようかしら。日頃のお礼ってことで、少し大袈裟かしら、でも、母親としては嬉しい事この上ないもので。
「じゃあ、あんまり青日待たせるのもあれだから」
睦千は立ち上がる。そして、持って来た紙袋をこちらに手渡した。
「あら、何かしら?」
てっきり睦千の買い物だと思っていた。受け取れ、とぐいぐいと差し出される。某不思議な生き物が出てくる名作アニメ映画の、口下手な少年みたいな押し付け方だ。
「なんかあったの?」
「母の日」
「あー……」
「知らなかった?」
「あんまり、こう、意識していなかった、という感じ、かしら?」
もぞもぞと視線を彷徨わせていると、睦千は満足そうに息を吐いた。
「あらそ。ま、適当に使ってよ」
ずしりと重い紙袋に少し驚く。
「え、ちょっと、睦千、これ何?」
「土」
「土ぃ?」
「土と鉢植え。よく分かんなかったから、まあ、うまいことなんかして」
じゃ、とこちらの返事も待たずに睦千はとっとこ部屋を出て行った。残された天加は紙袋の中を覗く。腐葉土とラベルがされたビニール袋と綺麗にラッピングされて鉢が一つ。白に黄色のたんぽぽが可愛らしい鉢だ。そして、あと一つ。ちょっと見慣れない線の細い字で書かれたメッセージカードが一枚。
『またそのうち』
格好つけたがりの照れ屋からのメッセージに天加は、あははははは、と笑った。そして、生きている間に『産んでくれてありがとう、お母さん』くらい言わせたくなった。我が子から名前で呼ばれるのも悪くはないが、一度くらい呼ばれてみたい、どうせすぐに、いつも通りでいいわ、睦千が好きなように呼ぶのか一番、となるだろうけど。でも、血の繋がりだけじゃなくて言葉の繋がりも欲しいじゃない、一度だけでいいのだけど、なんて天加もそれなり欲深い人間であるものでして。
「来年はおねだりしておこうかしら?」
さて、と鉢を取り出し、眺める。何を植えようかしら。やっぱりあの子らしい、ひまわりかしら、なんて考えながら、天加は自然と頬が緩むのを止められなかった。
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