真夏は二度訪れる
第21話 青空なんて嫌い
【七月中旬の日曜日】
げ、と睦千は中華飯店『みんみん』の前で立ち尽くした。油と熱気で汚れた古式ゆかしき『みんみん』は家から一番近い中華屋であり、餃子が妙に絶品で、長々と居座っても文句を言われず、みん姉さんと呼ぶ店員とも仲が良い。青日と離れた方がいい日曜日は必ずここで時間を潰していた。その店が、本日臨時休業となっている。店主、ぎっくり腰のため、睦千の頭の中に、黙々と鉄鍋を振るう親父さんの顔が浮かぶ。ぎっくり腰ならしょうがない、さて、と首を傾げた。どこ行こう、そんな感じだ。
今日は部屋を追い出された。一緒にいたくない、そう言ったもので。サンダルでゆるっと出てきた。何年履いているのだか分からない白いゴム製のつっかけサンダルとスマホと財布と鍵と、それだけ。本くらい持ってくれば喫茶店に入れたが、さてどうしたものか。ペタペタとサンダルの音を立てて、とりあえず歩き出す。散歩でいいか、天気も良いし、近くだからサングラスは持ってこなかったし暑いけど、Tシャツとスウェットとサンダルではさすがに店をちょっと選んだ方がいいし……うだうだ考えて歩き出す。睦千は睦千で気が滅入っていた。
青日誘拐時間から大体一月が経った。梅雨が終わって、青日の誕生日も終わって、七月の真ん中くらい。だいぶ暑くなって、もうほぼ真夏の季節だ。あれから、二人は表面上は何も変わっていない。睦千は次の日に青日を迎えに行ったし、青日もいつも通りで、あれから二人でえっちらおっちら怪を追いかけている。ただ、微妙な遠慮が漂っているし、会話もちょっと続かない。会話が続かなくなった代わりに、誰かに会うと漫才師みたいな挨拶をするようになった。「無能組の青い方、青日と」「白い方の睦千」とか「目玉焼きは醤油派の青日と」「目玉焼きはケチャップの睦千」とか、「好物は先に食べちゃう睦千と」「好物は最後に食べる青日!」とか「きのこ派と睦千と」「たけのこ派なので徹底抗戦の青日でーす」とか。相手と正反対な事を確かめ合って、結果として互いに理解し合っていると証明している。核心に触れたくなくて、のらりくらりと話しながら、噛み合うのを待っているのだ。それ以外の解決の有効打が分からないのだ。何か一言でも余計な事を言って、青日との関係が徹底的に壊れるのは、少なくとも睦千にとっては、かなり辛い事だ。
青日とは、運が良い事に二年も相棒をやってこれた。多分、お互いに程よく興味がなくて、その場その時のニュアンスが揃うから、上っ面だけの理解と解釈で問題なかった。だが、朝野葵の発言で睦千は青日の触れられたくない所を知ってしまって、それは青日も同じだ。睦千も青日も全てを知る事や全てを教える事が、正しい事とも信頼とも思っていない。
じゃあ、二人の正しい事や信頼とは、なんだろう。
ゆっくりと進んでいた睦千の足が止まり、周囲の景色や様子が脳で処理され始める。六花地区へ続く地下道に足を踏み入れていた。日差しを避けて歩いていたせいだろう。このまま地下に進もうと考える。しかし、じり、り、とサンダルの下から熱が這い上がって、肌の表面を汗が滑り落ちる。その汗を誰かが見ていた、確信だ。身体中に穴が空く。身体の全てが重く感じる。自分の意識と身体が切り離されていく。肌が縮んで引っ張られて身体の中身が飛び出す馬鹿な妄想。暑いのに、寒い。不快、全てが不快で、気持ち悪く、そして恐怖だ。自分を品定めする視線だ、どうして、恐れる必要はないのに、どうしてだ、どこでもいい、逃げないと、肌の粟立ち、歯の震え、穴の空いた胸、どっくんどくんと悲鳴をあげる心臓、空回る思考、忘れたい視線、捨て去った十代の自分、「…………ナァ」男の声と湿っぽい風に甘ったるい香水の悪臭、冷たい背筋、全てを暴かれるんじゃないかという絶望、振り払うように振り返って、声の主を見た。落ち窪んだ目が自分を見ていて、手が自分に伸びていた、口から涎が垂れて、染めて傷んだ髪に蝿が止まり、もう一度、なぁ、と声を掛けられる。
「来るなッ!」
男を突き飛ばし、逃げる。足の裏の汗でサンダルが滑る。何度手を振ってもウィッピンが出なくて、なんで、ボクはもう誰にも負けないのに、なんで、出ない、ウィッピン、ボクの奇怪病、
「ウィッピンッ!」
一際大きく手を振って、ようやく弱々しい鞭が手に現れた。それをビルの屋上の柵に引っ掛けて、引き上げるように縮めて、転がり込むように屋上に這い上がって倒れた。
サンダルを落としたらしく、ひりりと熱を持つ両足の裏と、頰と腹に触れる焼けたコンクリートの熱さと、影もない屋上の地面しか見えない視界と、吸い込む空気の土っぽさと喉の痛みで、睦千の頭が少しだけ冷静になる。さすがに、おかしい。異常な恐怖、それもある程度克服したと思っていたトラウマの恐怖、気が滅入っていたとは言え、あの手の視線でこんなに怯える事も、声を掛けられてウィッピンが出せなくなるほど焦燥する事も、ないはずだった。思った以上に、ボクの精神、参っているのかな。
はぁーやだやだ、と睦千はうつ伏せの体勢からごろりと仰向けに転がる。息を呑んだ。息が止まった。
青空を背に、さっきの男が睦千の顔を覗き込んでいた。落ち窪んだ目、濁った白目、真っ黒い目玉、寒気、悪臭、男の口が開く。
「……青空だ、お前も青空だ、だから、嫌いだ」
睦千の身体が何かに包まれる。泥のような、ただの闇のような、生温い感覚が視界、嗅覚、聴覚を奪っていく。そして、ようやく気付く。
「
屋上にサンダルが片方、落ちている。柵の真下に落ちている。正午の太陽が作り出す影はなく、それを隠す雲もなく、真っ青な空が広がるばかりで、屋上にはサンダルが片方、転がるだけであった。
【同日同刻 青日は一人】
青日は部屋を出た。日差しが強く、お気に入りのキャップを深く引き下げて溜息を吐いた。
「あっ……つ……」
今日は外に出る気なんてなかった。いつも通り、日曜日をやり過ごそうとしていたのに。だが、どうしても、今日の青日には目標がある。ずばり、睦千の調査である。本人に訊けばいい、とは思うがどうしたって訊けないので外堀作戦だ。多分、睦千が知ったら怒ると思うけど。
「……まあ、まずはラブだな」
睦千とラブの付き合いは長いし、ラブの次の相棒の事を訊くのだ、あのお節介が何も知らないと言う事はまずないだろう。適当な理由をつけてラブの居場所を聞き出し、とことこと向かう。
ラブは深文化郷地区のオーケストラの練習ホールの前のカフェにいた。確か、ラブの本命恋人さんのヒカリさんとやらは八龍オケのヴァイオリンだかトランペットだったか、練習が終わるのでも待っているのだろう、ラブは青日に気付くとよぉ、と手を挙げた。青日は席に座りながらオレンジジュースを頼む。
「おーなんか美味いクッキー貰ったってどこのやつ?」
くわ、と欠伸混じりに尋ねるラブに、ないけど、と答える。
「おん?」
「ごめん、嘘吐いた」
「クソか」
「だって、本当の事言ったらラブ会ってくれないよ」
「あ?」
「波多野小羽留の事が知りたい」
「睦千に訊け」
ふいっと、ラブは顔を逸らした。ラブにしては珍しい。店員がオレンジジュースを運んできて、テーブルに置き、立ち去り、沈黙が始まる。
「………………何か教えてくれるまで、ここを動かないし、ヒカリさん、だっけ? ヒカリさんとのデートにも着いて行くよ」
ラブは黙ったままで、青日はオレンジジュースのストローを咥え、一口分吸い込む。冷たさの後からオレンジの甘酸っぱさとほろ苦さが口の中に広がる。もう一口、と飲んでいると、ラブの大きな溜息が聞こえた。
「睦千が何も言わないなら俺も何も言わないし、そもそも睦千に訊いていないって言うのなら、論外だな」
今度は青日がグッと口を閉じる。
「お前の方が俺より長く相棒やっているんだ、ちゃんと話せるよ、お前もあいつも」
「おれたち、そーいう、真面目な話ってした事ないんだよ。いつも表面的な、どうでもいい事ばかり。それでいいって思っていんだけど、まあ、ちょっとね」
「この間の事件、まだ引きずっているのか?」
「まあ、そうだけど」
「なら、俺が話す事じゃない。それはお前と睦千の問題だろ」
「ひっどくない?」
「最初に騙してきたのはお前」
「まあ、そうだけど。会えば、何か分かるかなって」
ねえ、と青日はラブに尋ねる。
「ラブから見て、波多野さんってどんな人で、どんな風に睦千と一緒にいたの?」
「だから、答えねーって」
「ラブにとって波多野さんってどんな人って言うのも訊いちゃだめなの?」
ラブは、むー、と唸り、練習ホールの方を見て、誰も出てきていないのを確認してから口を開いた。
「偽善者、かな。でも、睦千には真摯だった。あんまり、話した事はなかったけど、一度だけ話したいからって呼ばれた事があった。六花の喫茶店に呼ばれて、睦千に恋をしたって言われたんだ。あいつらが相棒解消する一月前だったと思う。でも、小羽留ちゃんは、睦千に何も告げるつもりはないって言っていた。好きでいるだけでいい、睦千が一人を選ぶまではそばにいるって。恋をしているだけで充分、だなんて、とんだ強がりで、偽善で、一途なんだと、思ったよ」
ラブはまた窓の外を見る。
「睦千は小羽留ちゃんを信用していたと思う。一年くらいは組んでいたし、俺と組んでいた時ってまだツンツン、って言うか、バリバリに尖っていたし、それが小羽留ちゃんと組んでからは、ちょっと穏やかになったんだ」
「でも、惚れたんでしょ、睦千に」
青日は口を尖らせた。そんな青日を見て、ラブは笑う。あまりにも穏やか笑ったものだから、青日は毒気を抜かれた。
「そうだな。でも、小羽留ちゃんは睦千を苦しめる気はなかったし、睦千もそれなりに迷ったみたいだけど、自分の信念を曲げる事はしなかった」
「……ねぇ、写真ないの?」
「写真?」
「睦千が迷ったって、あいつ、波多野さんの恋人になってもいいって考えたってだよね? それ、おれの中で、本当にありえない事だから」
変わらないのが睦千じゃないのか。自分が変わりたい時に変わるのが睦千じゃないのか。誰かのために自分を曲げる睦千は、青日の知らない睦千で、今の話だけでは到底受け入れられない。
「だから、睦千を変えようとした人がどんな人なのか、見ておきたいじゃん? いわゆるー、面拝ませろ、的な?」
青日が首を傾げながら頼むと、ラブはスマートフォンを取り出し、ツイツイと画面を操作する。
「お前、偶に本当にめんどくさくなるよなぁ……あいつらのツーショ撮った事があったんだよなぁ……追ってた怪横取りされた時……あーあった」
ラブが画面を差し出す。髪が長い睦千と、ロリータ姿の女性、波多野小羽留が真顔のピースポーズで写っている。睦千の手にはウィッピン、波多野小羽留の手には封じ込めの札がある。睦千は長い髪を一つに結えて、薄青のチャイナシャツとミニスカートに白いハイソックスに青いスニーカー、頰は丸く、前髪も眉毛の上で切り揃えていて、今よりもずっと幼く見える。隣に写る波多野小羽留は、黒い瞳と姫カットの黒髪で、フリルたっぷりのサックスブルーのワンピース姿だった。泣き腫らしたかのような赤い目元とロリータ姿が相まって、面倒くさい性格の女性に見えるが、真顔のくせに妙に楽しそうな睦千の表情から、きっと一緒にいて楽しかったんだろうと勝手に推測する。
「へぇ、かわいい写真じゃん」
「性格は全く可愛くねーけどな」
青日は氷で薄まったオレンジジュースを一気に飲む。
「この頃の睦千って楽しそうに見えた?」
「楽しかったと思うぜ」
ならいいや、青日はオレンジジュースを飲み干して立ち上がる。ラブは青日から目を逸らして、またホールの入り口を見ているふりをしている。
「ねぇラブ、最後に聞かせて」
「ん?」
「睦千は本当に波多野さんを殺したの?」
「……俺は、殺したとは思っていない」
ラブが立ち上がった青日を見上げ、目を合わせて答える。
「三年前の八月三日」
詳しくは調べてみろ、とラブは今度こそしっかりと目線を逸らした。不貞腐れたような顔にありがとうと礼を言って席を立ち去る。ラブの分も伝票を持って。
店を出た青日は図書館へ向かう。福薬會の調査員ならば春田にでも訊けばいいのだろうが、教えたがらない睦千の事を考えれば、現実的ではない。ラブが日付を調べろと言ったのならば、それは調べれば簡単に出てくる情報だという事だ。それならば、新聞やネットを見るのが一番早い。調べ物なら、図書館だ。
ラブはあーだこーだ言っていったが、結局、色々と教えてくれた。それは元相棒として、青日に怒っていたからで、同時に睦千を気にかけてだろう。全く、できた先輩だ、後で何か送りつけてやろう、何がいいかな、とぼんやり考えながら歩いていると、見覚えのある顔が辺りをキョロキョロと見渡しながら歩いているのが見えた。
「あれ、睦千パパだ」
「ああ! 青日くん!」
コーヒー多めのカフェオレみたいな色の髪をふわりと揺らし、睦千と同じ色の目を染めながら青日に近寄るナイスミドルという言葉が似合う男、睦千をあんな感じに育てた強者、しかし、睦千にひよこの心臓と言われるほどビビりで、八龍で暮らせない、なのに六花の支配人の心を射止めている男、
「どうしたの? てか一人で来たの?」
青日がフランクに話し掛ける、青日の敬語がしっくりこなかった和彦がいいよと言ったので。ハジメマシテの時にそう言ったものだから、青日はなるほどと思ったのだ、そりゃあ、睦千が睦千っぽく育つや、それはそれと置いておいて、青日はフランクに話す事にした、閑話休題。怪にも奇怪病にもビビる和彦は八龍に来る時は必ず睦千か天加が迎えに行っていた。それがどうしてか一人でうろうろとしてる。
「なんか、天気もいいし、突然だけど、天加さんのところに行こうと思ったんだけどね、天加さんにも睦千さんにも連絡つかなくて、それなら一人で頑張ってみようと思って」
「え、じゃあここまで一人で来たの? 案内人なしで? 腰抜かしたり固まったりせずに?」
「そうなんだ! 我ながら結構頑張ったと思うよ! でも、いつもの道が通せんぼされていて通らなくて、すっかり迷子だよ。あはは、これじゃあ、まだこっちで暮らすのは難しいかもなあ」
睦千とそっくりな笑顔で話す和彦の人生の目標は八龍移住だ。ビビリを克服するべく、こうして休みの日には天加のところへ足を運んでいる。
「迷子はしょうがないよ、おれだってたまに道間違うもん」
「そうなのかい? やっぱり八龍はすごいなあ」
「支配人のとこでしょ、おれが連れて行ってあげる」
「いいのかい? 何か用事とかあったんじゃないのかい?」
「急ぎじゃないから平気ー。睦千ほど頼りになんないかもだけどねー」
「心強いよ、青日くん」
「えへへ……じゃあ、しゅっぱーつ。てか、睦千パパ、ここどこだと思う?」
「え、六花天道じゃないのか?」
「深文化の端っこ」
「通り過ぎている……!」
ゆったりと話しながら歩いていると、それで、と和彦が青日に問い掛けた。
「睦千さんと喧嘩でもしたかい?」
「……喧嘩ってわけじゃないよ」
「でも、なんかあった」
「何で分かるの?」
「今のはカマをかけた」
「ちぇっ」
「それで、なんかあって、少しぎこちないのかな」
「まー、そうだね」
青日は和彦の顔を見上げた。睦千に似ている顔には汗か滲んでいる。
「睦千パパはさー」
「んー?」
「睦千の秘密、知りたいって思う?」
「正直言うと、知りたいと思うよ。何でも相談してほしいし、僕が知る事で回避できる不幸や辛さがあるんだったら、僕は嫌われてもいいと思う。でも、睦千さんは、と言うより、人間はそんな簡単じゃないから、全部知ったところで何もできないかもしれない。だから、人間は言葉を持っているんじゃないかな」
「……それって、睦千が何か言うまで待つって事?」
「いいや、訊くよ。前、それで失敗しちゃったし」
「失敗?」
「難しい年頃だからって踏み込まなかった事さ。踏み込まないうちに睦千さんは一人で乗り越えたよ。ぞっとしたね」
「ぞっと?」
「睦千さんは、偶々強い子で、偶々周りに恵まれていた。僕じゃなくても助けてくれる人がいた。でも、そのどれも一つが欠けていたら、睦千さんは壊れて治らなかったのかも。それならまだマシで、死んでしまっていたかもしれないし、誰かを殺していたのかも。そんな事を考えたのさ」
「……睦千の二人目の相棒の事、聞いた事ある?」
「睦千さんが殺したって言っている子かい?」
「随分あっさり言うね」
「睦千さんがしばらく会ってくれなかった時期があってね。その時天加さんが教えてくれたのさ。でも、殺した、と言うのは少し違うと思うよ」
「なんで?」
「聞いていないのかい?」
和彦は深緑色の瞳で青日を見た。
「聞いていない。今から調べる」
「なら、自分の目で確かめると良い」
「ラブも同じ事言ってた」
「ラブ……ああ、ラブくん。そうだね、先入観は少ないに限るよ」
「そんなに複雑?」
「話せば短いけど、その背景にあるものまで考え始めると長いね」
「ふーん」
青日は口を閉じる。そのうちに六花天道へ辿り着く。
「お昼、一緒に食べるかい?」
携帯を見ながら和彦が青日に問い掛ける。
「いや、いいよ。お腹、あんまり空いていないし。睦千とは、まだ気まずいし」
「そうか……睦千さん、まだ返信ないな、既読もつかないし」
現代人御用達のメッセージアプリを見ているのか、むむ、と唇を尖らせて和彦は首を傾げる。
「どっかで寝ているかも」
「そうなのかい?」
「最近、おれたち、変だから。睦千もきっと疲れているからさ。いつもの中華屋とかで、寝ている気がする」
「さすが相棒だね。うん、また後で連絡してみるよ」
そんな話をしていると、遠くから和彦さーん! とよく通る声が聞こえた。見ると、天加が駆け寄ってくる。
「じゃあ、おれ行くよ」
「そうかい」
「支配人によろしくね」
「ああ。青日くんも、睦千さんと仲直りできると良いね」
「頑張るよ。当たり前だけど、人間は言葉を持っているんだから」
そうだね、と和彦は笑う。眉が下がる笑い方は睦千と一緒で、口では似てないしとか何とか言う睦千と確かに繋がりを感じる。無性に睦千に会いたくなった。青日は和彦にバイバイと手を振ると、振り返って、今度こそ図書館を目指した。歩きながら三年前の八月三日の八龍を調べる。多分、と思う事件は一つしかなかった。
図書館で三年前の八月の八龍の地方新聞を借りる。八月五日の新聞、小さな記事があった。
『調査員、怪となり暴走』『八月三日午前九時頃』『この怪は福薬會調査員によって確保、怪化した調査員は死亡が確認された』『確保時に何らかのショックがあり死亡したとされる』『福薬會は怪化した原因を調査、再発防止に努める』『住民からは不安の声』
後日、福薬會から怪化の原因は感情の昂り、死亡原因は怪化によるショックと発表された。とそれからゴシップ雑誌を借りる。やっぱり記事にされていた。
『八龍一の美少年(もしくは美少女?)、相棒を殺す』『痴情のもつれが原因か?』『八龍一の美形と名高い調査員Sは怪化した調査員Hを殺害して確保したと言う』『奇怪病の白い鞭で首を締めた』『目撃者によると何かしら会話をしていた。意識のあるHの浄化を試みる事なくその場で殺害した事となる。これは明確な殺意ではないだろうか』『また、関係者によるとSとHは数日前に相棒関係を解消していると言う』『痴情のもつれか?』『やはり魔性と名高い』
ここまで読んで青日は雑誌を閉じた。その後、同様の記事がゴシップ雑誌で連載されている。全部似たような内容だった。ただ、一回だけ、睦千に突撃取材をした時の回があった。睦千は一言「殺した」とだけ答えていた。
青日は借りた新聞と雑誌を返却すると、足早に家に帰った。睦千はまだ帰っていなくて、一人、ソファの上で丸まった。睦千に、何と言えばいいか、検討がつかなかった。だって、青日は殺したと思っていない。睦千が殺すわけがないと思っている。でも、睦千が「殺した」と言っているのも分かる。青日も葵を殺しかけたと思っている、誰が言ってもそう考える。だが、青日は葵を死なせてはいない。青日も葵も新しい生活ができるだろう、だから、ほとんど忘れるように、気にも留めずに暮らしていた。葵は青日を恨んでいるだろうし、八龍にいれば会う事もないだろう、なんて勝手に、本当に自分勝手に考えていた。
しかし、ちゃんと向き合わなかった結果、睦千の秘密を暴いた。睦千はきっと知られたくなかった。青日が葵と向き合う、いいや、青日が最初から誠実に生きていれば、睦千の秘密は秘密のままで、しかし、そうであったら、青日と睦千は相棒になれていたのだろうか? 青日に奇怪病が発現していたのだろうか? 誠実であったら、青日は今頃、普通の人間として、両親が願うまま大学に進学し、両親の願うままの職業に就こうと、ただ流され、孤独のままだろう。
青日の孤独を救ってくれたのは睦千だった。
「……おれは、睦千に酷い事、しちゃった……」
睦千に何を言えばいい? どうしたらいつも通りになれる? そして睦千の中の何か暗いもの、何か重いもの、睦千の足を重たくする何かを、取り除く事はできるだろうか。
青日は起き上がって、目を擦りながら、何度も目を擦りながら考える。睦千に何を伝えるか、青日がどうしたいのか。回らない頭でも、弱気な心でも、嫌いな日曜日の中でも、青日は考えた。
考えが纏まらないまま、時間だけが過ぎる。日が傾き始めて、さすがにそろそろ睦千が帰ってくる頃、青日のスマートフォンが着信を知らせた。睦千だろうか、と画面を見ると、そこには和彦の名前が表示されている。
「睦千パパ?」
『ああ、青日くん、睦千さんと一緒にいるかい?』
「いや、いないけど」
『睦千さんから連絡がないんだけど、今、忙しいのかい?』
「今、忙しくないけど……連絡ないの?」
『ああ、既読も付かないから……こういうのは久々だから心配でね』
今、二人は忙しくないし、担当している事件もない。例えば、映画館にいるとか気まぐれに観劇していたとか、あり得なくはない話しだけど、昼頃から今まで一切スマートフォンを見ないとは、日曜日の睦千の行動としては少し違和感がある。
「心当たりあるから、おれ、直接言いに行くよ」
『大丈夫かい?』
昼間の青日を心配しているように、和彦が問い掛ける。
「大丈夫じゃないけど、おれ、もう逃げちゃダメなんだ」
『そうか、がんばれ』
和彦が通話を切る。青日は僅かな不安を感じた。連絡がつかない事よりも、この時間、そろそろ十九時になるというのに帰ってこない事の方が不安だった。別に、他の日、他の日曜日なら気にしない。だが、今日は二十一時から睦千が大ファンのドラマシリーズのスペシャルドラマが放映される。
八龍テレビ制作、全編八龍で撮影、八龍テレビにて放映される『八龍大小萬相談所の事件簿』は八龍生まれ八龍育ちの今をときめく若手演技派俳優・
長々と回想したが、つまり、夕飯や入浴を考えると、そろそろ帰ってこないとおかしい。とは言え、『みんみん』にいるだろうと、店に向かう。
「……え?」
臨時休業の貼り紙が風に揺れている。青日は手に持っていたスマートフォンで、睦千に電話をかける。ツゥー、ツゥー、ツゥーと呼び出し音すら聞こえない。電源が入っていないのか、電波が届かない場所か。次にラブ、路流会長、マキちゃん、春田さんなどなど、思いつく限りの知り合いに電話をしてみる。誰も睦千とは会っていないようだ。
じゃあ、睦千はどこにいる?
【同日同時刻 睦千は空腹】
真暗い空間に女の悲鳴と、男の怒号と、啜り泣きと、やめて、やめて、と言葉、途切れ途切れの恐怖が滲んだ喃語のような息遣いが響く。睦千はその中でウィッピンを握り締め、ふむ、と腕を組んでいた。怪だと分かれば、どうという事はない。それよりも今は空腹の方が大問題だ。
「……昼、食べておけば、よかった……」
今日、みんみん開いているつもりだったからなぁ、冷やし中華食べようと思っていたのになぁ、と耳元でうごうごと騒ぎ出した怪をウィッピンで叩く。
「夜、どーしよっかなぁ……」
肉、肉食べたい、と脚に絡みついた怪をウィッピンで遠ざけて、ついでに踏んづけてやろうかと思ってやめた、裸足だった。ちょっとやだ。
「サンダル拾って……あ、やば」
今日早く帰んないと、ドラマ観ないといけないし、眼前に落ち窪んだ瞳の顔が現れるが、左手で掴んで引っ張り出してウィッピン。
「買って帰ろーk」
口を塞がれるが、自分の周りをぐるりと打つようにウィッピン。ちょっと咳き込んだ。
「くっさ。換気しなよ」
それよりも今晩何を食べるか。オムそばとか唐揚げとかチャーシュー丼とか、ガッツリしたの食べたい、あとマヨ、なんか思っているとまたウィッピン。そろそろ鬱陶しくなったきたので、ウィッピンでしっちゃかめっちゃか打って走り出す。
「うわっ」
毛むくじゃらの何かに突っ込む。なんか湿っている、と顔を顰める。ウィッピンで切り裂こうと振り回すが、何かに引っ掛かって引き込まれそうになって、慌てて手を離す。
「うっざ」
ウィッピンをまた手に、大きくため息を吐いた。ウィッピンで切り裂いても無意味、外からどうこうしなくてはいけないのか、何か条件があるのか。
「青空は、嫌いだ」
また声が聞こえた。ウィッピンを伸ばして声の主を裂く。
「お前は青空だ、だから飲み込み、消化する」
うるさいなぁ、と睦千はウィッピンを四方八方に伸ばしあちらこちらに打ち据えた。頭の中には、青い相棒の姿が浮かんでいる。でも、助けに来てくれるかなぁ、と睦千は笑った。多分、情けない顔をしているだろう。
【同日同時刻 青日は呆然】
じゃあ、睦千はどこにいる? と、たっぷり五秒呆然とした青日は、まあ、よし、と空を見上げた。考えてみれば、この間は青日が行方不明的なアレだったから、今度は睦千が何かに巻き込まれてもおかしくないだろう、とかそう言う感じ。考えるのに疲れた青日は、少しヤケクソモードだった。
再び春田に電話をかける。
『睦千さん、どこにいるか分かりましたか?』
「誰も知らないって。春田さん、最近、行方不明者って多い?」
『そうですね……五人ほど、届出がされています。ここ、一週間くらい……それぞれの行方不明事件に関連性があるかどうかは分かりませんが、立て続けに起こっていますので大狸師匠が担当されています』
「うん、分かった」
『あのー、もしかして、睦千さん……』
「まだ分かんないよ。でも、連絡がつかなくて帰ってこないのはおかしいんだよ」
『そうですね、日曜日ですもんね』
「……うん。だから、今度はおれが探すよ。大狸師匠に聞いてみる」
『分かりました、何かありましたらご連絡ください』
「うん、ありがとう」
青日は一度通話を終了して、大狸師匠へ架電、状況を説明すると、初太郎に頼めと言う。
「はったろちゃん?」
『行方不明者の足取りの追跡を頼んでいた。白川の足取りも調べてもらえ、何か共通点があるかもしれない』
「分かりました。今のところ、どんな怪だとかって分かっているんですか?」
『いいや、分からないな。行方不明になった場所も日時もバラバラで、行方不明者にも共通点はなかったが、強いて言えば、美男美女、だろうな』
「なるほど、睦千だ。分かりました、じゃあ連絡してみます」
『白川の足取りが分かったら、俺にも知らせろ』
「手伝ってくれるんですか?」
『うちの調査員がいなくなったんだ、当然だろう』
「ありがとうございます、師匠」
青日は通話を切る。次に初太郎に電話、すぐに繋がって、事情を話すとしょーがねーなーと答える。
『あいつに恩を売る良い機会だな』
「睦千は図太いよ」
『知っている。照れ隠しってやつだな』
どっちの事、言っているんだろうと思いながら、青日は睦千の行動を伝える。
「睦千、今日のお昼頃に家を出て、多分『みんみん』に向かったと思う」
『みんみん?』
「巨匠館地区六四号館の一階の中華屋」
『はいはい』
「そこからは分かんない。今日、みんみん休みだったから他の場所に行くと思うんだけど、路地裏同好会の会長のとこにもいなかったし、ラブとか、お気に入りの靴屋にもいなかった」
『おー、分かった』
プチ、と通話が切れる。青日はそのまま『みんみん』の扉の前にしゃがむ。陽はまだまだ長くて、空は明るい。雲が流れていく様、住民が暑さにうんざりした顔で通り過ぎて、カラスが家に帰る。夕飯の匂いがしてきて、そういや、夕食の準備をしていない事を思い出す。素麺でいいか、それとも屋台に寄って帰ろうか。ぼうっと考えていると、着信音が鳴る。
『白川の足取りが分かったぞ』
「早いね」
『目立つんだよ、あいつ』
「そんで、どこ?」
初太郎が告げた場所はここから数分の路地、三十九号館近くの路地だった。周囲をゆっくりと歩いていると、睦千のサンダルが道の真ん中に落ちていた。右足のそれを拾い上げて、手に持ったまま睦千の行動を考える。サンダルが投げていたのに履きに戻らなかった、走っていた、慌てていた、逃げていた? 分が悪かった? そういう時、睦千はどうする?
「……上に逃げる」
すぐ目の前の三十九号館に登り、屋上に出る。何もない、誰もいない、がらんとした屋上だ。青日は一応辺りを見渡しながらさっきまでいた路地が見える場所まで移動する。すると、柵の向こう側、サンダルが落ちていた。左足だ。同じ形の白いサンダル、睦千のだ。という事は逃げてきた睦千は、ここから登ってきたのは確実だろう。でもいない。
「……なんでいないんだよ……」
暑さで頭が痛くなる。喉が乾いて、怠くて、ただ、イラつく。苛立ちのまま、足元からどろりと青色を溢した。#0000ffの正真正銘の『blue』が青日の周りを包み込む。ふう、と楽になった息に張り詰めていた肩の力を一度抜く。
「……青空ダ」
青色の中から何かが出てくる。ドロドロに溶けた人のようなモノ、怪だ。怪だなぁ、と青日は思った。ただそれだけだ。
こいつのせいか? 平べったい怒りが青日の脳と胸の内に広がる。
「空の色は違う」
怒りの色はシアンブルー、なんてふざけながら色を変える。青日は自分が怒っているのか、楽しんでいるのか、分からなくなっていた。ほら、青色の中じゃ自分さえも見失う。睦千がいないとダメだ。おれはダメなのに、睦千はダメじゃないんだ。
怪が暴れる。何か言っている。青空、青空なんて嫌いだ、そう言っている。青日は好きだ。好きだったけど、今は少し違うかもしれない。眩しい相棒みたいな空が今は少し嫌いかもしれない。青日から離れていく相棒なんて、嫌いだ。
「青日……! 青日ッ!」
白い雷光みたいな、そんな光が目の前で弾けた。随分と久しぶりに見る気がする相棒兼同居人の顔がある。
「睦千……そいつの中にいたの? 連絡取れないって大騒ぎだったよ」
「マジ? 昼くらいにうっかり捕まっちゃった」
「なんで出て来れたの?」
「青日の声が聞こえた方にウィッピンしたら、出て来れた。てか、札、持ってない?」
ウィッピンで怪を縛った睦千がボサボサの頭で問い掛ける。青日が首を横に振ると、あちゃあ、と言いたげな顔をした。
「ボクもない……青日、ちょっとどこかで……いや、持ってきてもらおう、長宝に……」
睦千がぶつぶつと呟いていると、ぽーんッと目が覚めるような音が聞こえた。それから睦千と青日の間に筋肉の塊、大狸師匠だ。その手には封じ込めの札、怪がぎゃぁぎゃぁと喚きながら吸い込まれていく。
「二人とも無事だな」
「多分……? 青日は顔色が悪いけど」
睦千は青日の顔を覗き込んで、軽く頰に触れた。ちょっと冷たい睦千の手に、本当に戻ってきたんだと安心する。
「大丈夫、頭痛いだけ」
「それ、大丈夫じゃない。青日、水分摂った?」
不満げな顔で睦千が呟く。青日は睦千の質問には答えなかった、喉乾いているなとは思っているし、多分脱水とか熱中症とか、そんなやつだとも思っている。夏の水分補給はマジ命綱。
「二人とも本部だ。白川は怪の影響のチェックもしてもらえ」
「えー、平気なのに……てか、今何時?」
「一大事?」
「まあ……それは、そうだったけど……げ、こんな時間……」
マイペースに携帯を見る睦千に頭痛が和らぐ気がする、というわけはなく、やっぱり痛い。
「青日、歩ける?」
「歩けるよ」
そう言って、青日は睦千にサンダルを渡す。
「さっさと帰ろう」
睦千は、それを受け取って、手に持ったまま歩き始める。
「足洗ってから履く。見つけてくれて、ありがとう。青日」
それを見た大狸師匠は身体のサイズに見合った巨大な溜息を吐いて、睦千を小脇に抱え、更に青日を反対側に抱えて歩き始めた。うわっ、と無能組二人は慌て暴れるが、うるさいと言うように大狸師匠は走り出した。
【同日二十時半 二人は帰路】
スポドリを一気飲みしたおかげか、クーラーのおかげか、頭痛から回復した青日と、問題なしの太鼓判とレポートの後日提出を渡された睦千は本部の前に並んで立っていた。なお、睦千の足にはちゃんとサンダルが履かれている事を明記しておく。
「……まあ、助けに来てくれて助かった、ありがとう」
「まあ、いいよ。この間迷惑かけたし……夜ご飯、どうしよう?」
「どっかで買って帰ろう。何がいい? さっぱりしたのがいいか」
「食べれると思うよ。肉の塊みたいなやつでも。そんな感じのやつ、食べたいでしょ。昼過ぎにあれに捕まっていたってだったらさ」
「……別に、二人一緒じゃなくてもいいしね」
何かを諦めたように睦千が言って歩き出す。家の方角だ。周囲の店には電気が付いて、ネオン看板がカラフルに光って、醤油の焦げる匂いに煙の匂い、まだ気怠くて湿気って、でも賑やかな空気の中に疲れた睦千の後ろ姿。怪の中は時間が狂っていたと言うし、怪を浄化したら出てきた他の被害者は、自分のトラウマに付き纏われていたと言う。ストーカー、盗撮、声掛け、睦千も詳しくは言わなかったけれども「おおよそ」とだけ言った。
あの怪は、青空が嫌いと言いながら、美しい人間を取り込んで追い詰めて、それはどんな欲望だったのだろう。でも、睦千は青空みたいだとは思う。佇まいとか、眼差しとか、濁りがないところとか、やっぱり綺麗なところとか、手が届かないところとか。
「睦千」
先を歩く睦千の後ろを追いかける。睦千の事を好きなまま離れるより、睦千の事を少しだけ嫌いになっても隣にいたいと思う。手が届かないとか理解できないとか、それを苦しいとか、思わないし……いやちょっと嘘、ちょっとめんどくさいなとは思うけど、睦千がいない方が退屈でめんどくさい気がする。青空が嫌いでも、やっぱり毎日天気悪いのは身体に悪い、そんな感じで、やっぱり青日は青空が嫌いになれないのだ。
「青日、なんか食べたいのあった?」
睦千が立ち止まって青日を待つ。やっぱりムカつくぐらいいつも通りだ。
「あのさぁあ……」
この間は日曜日だからおれを助けたの? それとも小羽留さんの事があったから助けたの? とは訊けなかった。だから、青日は言葉を探す。相棒の距離が戻るような言葉、睦千が嫌な気持ちにならなくて青日が安心できる問い掛け、そんな魔法の言葉たち。頭の中で、隣を歩いていた和彦が頑張れ、と言った気がした。
「なんで」
「うん」
睦千は青日の顔を見ていた。僅かに微笑んだような気の抜けた顔だ。
「なんで……青色のコード、切ったの?」
「んん?」
睦千は首を捻る。
「葵の爆弾、部屋にも仕掛けられていて、コードを切って解除したって言ってたじゃん。青色のコード切ったって言ってた」
「ああ、それね」
睦千は自慢げに、いつも通りにカッコつけて言った。
「ボクは、いつだって青色に賭ける。青日に賭ける。それは青日もそうでしょ」
「……そうか……ふーん……」
照れ臭くなって、顔を逸らすように屋台の方を見る。牛串。
「……牛串だ……!」
睦千も見て、呟く。二人は顔を見合わせて、同時にサムズアップした、キタコレ。
「青日、何本か買っておいて。ボク、確実に三本は食べれる」
「睦千、なんか他に買ってきて。おれ、米より麺の気分」
「ボク、昼間冷やし中華食べたいって思ってた事、思い出した。吉田食堂で買ってくる」
「間に合うの、萬探偵事務所」
「走れば間に合うよ、ボクの足は早い」
「じゃ、おれのはミニサイズでマヨつけて」
「がってん。青日、ビール飲む?」
「飲む!」
「よし、行ってくる! 先家帰ってて!」
「サンダル落とさないでよ! あとビール振らないでよ!」
分かってる! と睦千は走り出した。ヒールより遅くて、青日は思わず笑った。なんか、大丈夫だ。
青日は牛串を五本買って、家路を急いだ。その後ろからビニール袋をガサガサ鳴らしながら睦千が走ってきて、追いかけっこで二人で走って笑って、並んで走って笑って、エレベーターでもなぜか笑えて、屋上を横切って階段で睦千がサンダルを落として笑って廊下を走って、巨匠館六十七号館七〇四号室、二十時五十七分。
「ただいま、おかえり!」「おかえり! ただいま!」
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