第22話 コバルトブルー・ガール

【八月三日 午前十時】

 睦千はゆっくりと瞼を開けた。目の前には獅子舞の顔、一瞬ギョッとするが、すぐにそれが花丸茶房のオブジェだと気づく。という事は、ここは巨匠館四十八号館のあたりである。おかしくね? と睦千は首を傾げて、花丸茶房のガラス窓に映る自分を見た。服装はさっきと同じ、白い半袖シャツに麻のスラックス、クリーム色のスニーカー、シャツの襟元にはサングラスが引っかかっている。次にスマートフォンを見る、日付、時間共に間違いない。間違っているのは、場所と青日がいない事。

 ふむ、と睦千は朝からのできごとを反芻する。

 今朝の事である。クーラーの効いた会議室、無能組の二人はいつもと同じように春田から事件の説明を受けていた。

「UFO?」

「はい、目撃情報があります」

「え、本物!? おれ、宇宙人はいると思ってたんだー! うれしー!」

 ライトブルーデニムの短パンから見える丸い膝小僧を拳で軽く叩き、最近買った空色のスニーカーをばたつかせる。

「いや、あの、グーアイです」

 春田が申し訳なさげに青日に告げる。

「……怪か……」

 明らかにテンションが下がった青日は口を尖らせた。心なしか、ほぼ白色みたいな薄水色のTシャツが色褪せたような気さえ睦千はしていた。

「青日ぃ、ここに現れるロマンは大体怪。因みにボクはツチノコの怪を探していた時がある」

「見つけた?」

「大狸師匠に先越された」

「なーんだ」

「でも、ツチノコの怪は結構頻繁に出ますよ、七年ごとくらいに大量発生します」

「蝉みたい……それで、そのUFOの怪がどうしたの?」

「住民がアブダクションされたんです。昨晩、住民が三人アブダクションされました、一時間ほどで解放されたのですが、今後も被害があるようでしたら、一時間では済まない可能性もあります」

 春田は暑さのせいか、ゆったりとした服装のせいか、ダラリと溶けてきた二人に説明をする。話を聞いているうちに、二人の表情が引き締まる。

「へー、おもしろ」

 睦千はニヤニヤと笑う。春田は資料を差し出す。

「こちらがまとめたものになりますね

「うん、ありがとう」

「出たのは……田んぼの方か」

 受け取ってペラペラと見始めた睦千の横から青日が覗き込んで確認する。

「あと、まだ被害者の方が本部にいますが、お話し聞きますか?」

「三人、偶々近くにいただけだろうけど、一応聞いておく」

「睦千にさんせーい」

 会議室を出た二人は、春田の案内で被害者達の元へ行き、話を聞く。結果として、収穫なし。しようがない、と二人は出現場所へ向かう。

 UFOが現れたのは巨匠館地区の南側、最も日当たりの良い場所、田園区画である。路地を抜け、強い日差しに二人は目を瞑る。睦千は外していたサングラスをかけて、周囲を見渡した。

「ミステリーサークルみたいな跡は残ってないんだね」

 青日は風に吹かれざあざあと揺れる稲を見ながら言う。人っ子一人いない。草と土と水と太陽が混ざった匂いがして、ざあざあと揺れる稲が二人をせせら笑うように光った。

「そんな事したら農家さんが黙ってない」

「命拾いだね、怪」

 二人はどことなく不気味な水田を囲む小道を歩く。何か痕跡でもないかと下に上に右に左に見るが、草、土、空、太陽、相棒、田んぼ、変わったものはない。ついでに日差しを遮るものもなく、蒸された草の嗅ぎ慣れない香りに青日は少々辟易していた。生粋の都会っ子、ビルの合間の埃っぽい空気には何も感じなくとも、植物の逞しい圧に精神を削られ、十分もしないうちに根を上げた。

「休憩を! 求む!」

 ついにしゃがんだ青日は下から睦千に要求するが、睦千は首を横に振った。

御社おやしろまで頑張って」

「うへぇ……」

 青日は帽子被ってくれば良かったと後悔した、無念。ぶつぶつと言いながら、ついでに睦千を日陰代わりに青日は歩く。睦千は何も言わないが内心、このやろ、ぐらいは思っていた。ボクだってあっついんですけど。そうして歩いていると、水田の中に小さな林と木に隠れた小さな神社が見えてきた。水田の中央に現れる神社はささやかながらも決してこの場から動かないという確固たる意志が見える。ぎらり、と日差しが更に強くなり、睦千は目を顰める。サングラス越しでも目が痛いきがするし、逃げ水、陽炎、そんな感じのものが見えてきそう、てか、なんか人影いる。いたっけ、誰か。

「……うちゅーじん……?」

 青日がポツリと呟いた。睦千はサングラスを外して、人影を見る。灰色の身体に大きな頭と大きな目、手足はひょろひょろと長い。いかにもな、宇宙人と言われて想像するやつ、グレイと呼ばれる感じのTHE・宇宙人。

「……宇宙人……」

 湯だった頭でも、睦千の行動は早かった。すぐさまウィッピンを手に出し、宇宙人めがけて伸ばす。宇宙人はギョッと驚いたように飛び上がり、間一髪逃れる。その音にハッとした青日が待て! と走り出す。宇宙人はバタバタと慌てて神社の方へと走っていく。二人はそれを追いかけた。

 林の中は薄暗く、ひんやりとした空気に満ちていた。左右に地蔵が点々と並び、木漏れ日が時折揺らぎ、平時であれば一息吐くであろう。しかし、今は目の前に宇宙人、目指せスピード解決と二人は木々の間を駆け抜ける。木製の古びた鳥居を抜け、林の中の開けた場所へ出る。石畳が敷かれ、左右に狛犬が並び、中央に小さな本殿がある。小さく簡素で古びているが丁寧に手入れをされているようだ。その本殿の扉が開けられ、キィ、キィ、と手招くように揺れていた。睦千は青日と顔を見合わせ、足音を殺しながら本殿へ近づく。近づくごとに風雨に曝された木の香りが漂い、二人の呼吸も浅く小さくなる。青日がキィキィと鳴る扉に静かにゆっくりと手を掛け、睦千を見た。睦千は一つ頷き、青日が空いている左手を出し、指を三本立てた。そして小さく振りながら、三、二、一、と折り畳み、扉を開け、二人同時に踏み込んで、

「……今に至る、と」

 要するに、本殿の中に入ったら転送されたと言うわけである。アブダクション、みたいなものか。やれやれ、と睦千は手にしたスマートフォンで青日と連絡を取ろうとする。

「……あれ?」

 睦千は一度アプリを閉じる。チャットアプリの一番上か二番目か、大体開いてすぐにあるはずの名前がなかった。バグったか、ともう一度アプリを立ち上げて、今度はスクロールをした。上から下、下から上へと何度かスクロールを繰り返して、『ともだち検索』もした。そして、また、アプリを閉じて、今度はスマートフォンの電源を消して再起動、完全に暗くなった画面に映る自分の顔は明らかに焦っている。再び電源がつくまでの一分にも満たない時間、睦千は深呼吸を繰り返していた。どうせ不具合、なんともない、そんな考えが浮かぶのに、第六感的な焦りが脳を支配する。電源を入れて、ロックを解除、そしてゆっくりとチャットアプリをタップする。ゆっくりと起動したアプリのともだち一覧に『青日』の名前はなかった。

「……ちょっと、待って……」

 一番上の名前はラブ、ご丁寧にハートマークまで付いているのは記憶にある通り、次に天加、その下は和彦、マミ、路流、みん姉さん、初太郎、クーポンのお知らせ、クーポン、クーポン……やはり、青日の名前はない。更に付け加えると、それぞれのチャットの履歴の記憶が一切ない。睦千はチャットアプリを閉じると、スマートフォン内のアルバムを開く。なんやかんやと青日の写真を撮っていたはずだ。

「……マジかよ」

 睦千は、は、と乾いた笑い声を溢した。カメラロールにはひたすら真っ暗な画像が並んでいた。真っ暗な画像は二年前まで遡る。青日と出会う前の写真は記憶にある通りだ。つまり、青日の存在だけがなくなっている。

 それじゃあ、家はどうなっている?

 睦千は勢いよく走り出す。ウィッピンは使わない、恐らく今は上手くコントロールができないと思う。息を切らし、走って数分の家に帰る。部屋の鍵を汗ばんだ手で取り出し、鍵穴に差し込もうとする。カツ、と手にしている鍵は鍵穴に引っかかる。入らない。膝から力が抜け、睦千は思わずドアに手をつける。どうなっている? 誘拐とか、怪に捕まったとか、そういうのなら平気、いや、平気ってほど平気じゃないけど、でも、どうすればいいか分かるし、考える事もできる。でも、今は、てんで見当が付かない。いや、まずは情報だ。

「……ラブだな……」

 突飛な状況でもとりあえず受け入れてくれる人間はこいつしかいないだろう、何かと睦千に甘いのだ。

 スマートフォンを取り出すと同時に、ピピと着信が鳴った。表示された名前は『波多野小羽留』。

「小羽留……」

 ピィピィと着信が鳴り続ける。うそだ、と思いながらも睦千は応答のボタンを押し、耳に当てていた。

『やっと出た。あなた、どこで何しているの?』

 懐かしい声に、睦千の手が震え出す。

『睦千? もしもし、聞こえているの?』

 もし、あの年の八月三日も普通にあったら、今もこうして小羽留は電話を掛けてきたのだろうか。

「小羽留……」

『どうしたのよ』

「……助けて」

 睦千は耳に当てたスマートフォンを両手で包みながら、自然と助けを乞うていた。あ、と気付いた時には言葉は取り返せず、睦千の頬に涙が一粒流れた。




【八月? 三日? 午前十時?】

 睦千が知る事もないし、青日も睦千の状況を知る訳がないが、睦千と同様にスマートフォンに睦千のデータがない事に気付いた青日も家に帰っていた。ガチャガチャと鍵を回して、玄関を開けてあれ? と大声を上げていた。青日の靴はある、つっかけにしている青いクロックスがあるが睦千の靴がない。つっかけの白いサンダルとか、出したままになっていたライムグリーンのヒールとか、その代わりに青色のリボンがついたローヒールが置いてある。青日の足より二回りほど小さいから、睦千のものではない。睦千の足のサイズは青日とほとんど変わらないから。つまり、ここに睦千はいない。故に青日は叫んだ。

「あれ!? 睦千は!?」

「ちょっとうるさいわよ」

 部屋の奥から知らない声が聞こえ、次に軽い足音が近づいてくる。青日はグッと首を伸ばして声の主を確認する。まず最初に黒い髪が見えた。次にスカート、フリルが揺れて、呆れた顔の女が姿を現す。目の下が赤くなっている女。

「青日、まず、ただいまでしょう。あと、がどうしたの?」

 青日はアブダクションだ、と呟いた。それから、女の名前を確認する。

「……波多野小羽留……さん?」

 目の前にいる女は、ラブか写真を見せてもらった睦千の元相棒に似ている、いや、同じ顔だ。そして、なぜか青日の名前を呼んでいる。

「ちょっと、どうしたの? 頭でも打ったの?」

「おれって、盛堂青日?」

「そうよ。やっぱりどこかに頭ぶつけたのかしら?」

 白く細く、冷たい手が青日の額に触れる。熱はないわね、と確認する顔は青日の目線の下だ。その顔が青日をごく当たり前に見ている。

「頭は打ってないです」

「敬語なんて使ってどうしちゃったの。具合でも悪いの?」

「あの、っすね、ちょっとおかしな事、きいてもいい、ですか?」

「なに?」

 怪しんだ声と眉で波多野小羽留は青日を見上げた。

「白川睦千は知っている?」

「しらかわむち?」

 少し考えるように右上を見た彼女はうん、と頷いて答えた。

「知らない。なにそれ」

 なにそれときたか、青日は見慣れたような知らないような微妙な天井を見上げた。なにそれ。誰? ではなくてなにそれ。そして、確信した。これ、怪だ。睦千の事、知らないって事は怪。あんなに目立つやつ忘れるって事はないでしょ、怪だこれ。呆然とする青日にら波多野小羽留は、とりあえず中で話をきくわ、と青日の手を引いた。

 部屋の中はおおよそ、青日が記憶している限りのレイアウトだった。しかし、ところどころにレースや花柄が混ざっているあたり、やはり違う家に見える。

「おれって、ここに住んでた?」

「住んでいるのよ」

 波多野小羽留は青日のグラスに冷えた緑茶を入れて差し出す。

「おれって波多野さんと」

「小羽留」

「……小羽留と組んでいるの?」

「ええ、二年前から」

 日付はさっき確認した通りだから、どうやら組み始めた時期は睦千と同じくらいだろう。

「驚かないで聞いて欲しいんだけど」

「ええ」

「おれ、あなたと組んでた青日じゃない」

「バカおっしゃい」

「昨日の晩御飯、いっせーので言ってみようよ」

「……」

 不満げな顔で小羽留は青日を見るが口を閉ざす。青日はいっせーの、と声を掛ける。

「カレー鍋」「チキンソテー」

 見事、バラバラの答えが出た。どうやらこっちの世界の『青日』は、夏にカレー鍋を食べるなんていう暴挙には出ないらしい、もっともカレー鍋を食べよう、てか作ったと言ってきたのは、食い道楽で気分屋の相棒である。

「ちょっ……と待って……え、カレー鍋? こんな暑いのに?」

「カレー粉と出汁で作った汁に豚肉とピーマン、ナス、トマトなんかを煮込んで、あとベーコンの塊をぶつ切りに」

「いや、カレー鍋の詳細は聞いてない」

「締めは夏っぽく素麺」

「あっ……そう……あなた、昨日捕まえた怪は覚えている?」

「昨日は……あれかな、プールの水を突然掛けてくる怪」

「……一昨日あなたが買ったもの」

「一昨日? 一昨日はー、一昨日? 一昨日は何も買ってないかも。いや、飲み物買った、自販機でスポドリ」

「……違う」

「やっぱり?」

 小羽留は大きく息を吐き出す。

「一昨日、青日はペンギンのぬいぐるみ抱えて帰ってきたのよ……あなたって、本当に別の世界の青日なの?」

「多分?」

「どうしてここに?」

 青日は今朝からのできごとをかいつまんで話す。その際に睦千についても話すが、小羽留はなんの反応もしない。

「宇宙人にねぇ……じゃあ、わたしの青日はどこに行ったのかしら」

「さあ……おれがいた方の世界にいるのかも」

「あの子、困っちゃっているわ、きっと」

「でも、誰か助けてくれるよ……多分。リャンリャン兄とか」

「なら、良いけど」

 さて、と小羽留は立ち上がる。

「なら調べましょう」

「何を?」

「あなたを返す方法。あなたはわたしの青日じゃないもの」

「それもそうだね。君はおれの相棒じゃないし」

 そう言って青日は立ち上がった。



 まず、青日と小羽留は田園地区の神社に向かう。

「そこでこっちに飛ばされてきたのよね」

 フリルがたっぷりと飾られた日傘を差し小羽留は尋ねる。

「うん」

「何かあるといいけど」

 それから道中、青日はいくつかの事を小羽留に尋ねた。まずは青日と組んだ経緯。

「もともと一人でやっていたんだけど、いづも先生が面倒見てほしいって青日を押し付けたの」

 次に八龍美男美女コンテスト殿堂入りについて。

「そんなのいなかったはずよ」

「おれの相棒、美男部門と美女部門で三年連続優勝して殿堂入りしていたから、こっちでもそうなのかなって思って」

「あなたの相棒、変装の達人なの」

「性別不詳のめちゃくちゃ顔が良い人間。目立つし、こっちにもいるなら殿堂入りくらいはしているだろうなーって」

 睦千がここにいないのはなんとなく予想はできていた。睦千の事を名前を隠して説明しても、睦千の名前を知らなくても、八龍に住んでいる人間はもしかしてあいつか? と思い当たる程度には睦千は目立つ。小羽留がもしかして、という雰囲気でもなかったから、いないだろうとは思っていた。だが、改めていないとなるとしっくりこない。 

 最後に、青日と小羽留の関係。

「ただの相棒、バディよ。わたし、攻撃するのが苦手だから、最近は護衛役。あと、同居もしているわ。でも、本当に同居人、弟っていうか、ペットっていうか、そんな感じ」

「こっちのおれも恋愛とかに興味ない感じ?」

「ええ。アロマなんとかって」

「奇怪病は?」

「青日の? 青色日曜症候群ブルーサンデーシンドロームよ。青色を出して憂鬱にさせちゃう感じ」

「同じだ」

「それならいいわ。ああ、あとわたしの奇怪病も教えておくわ。嘘泣き病って言うの。嘘泣きで洪水を起こしたり、ちょっとした浄化したり。だから、あなたはいざという時はわたしを守ってくれればいいからね」

「はーい」

 そうして話していると田園地区に辿り着く。相変わらず、植物の生命力に圧倒される。神社までの道は記憶にある通り、神社に着くと青日は真っ先に本殿の扉に手を掛ける。ガツ、と音を立てるばかりでびくともしない。鍵がかかっている。無理矢理こじ開けようと、扉を蹴っていると、おやめなさい、と声が掛かる。

「バチが当たるわよ」

「バチなら当たっているよ、おれは元いたところに帰りたいだけ」

 ガタッと音を立てて、扉が内側に倒れる。後ろで小羽留があぁあと溜息を吐いた。青日はそんなものに意を介さず、本殿の中に足を踏み入れた。人が一人座れるくらいのスペースと祠のような棚と御神鏡、全てが怪しく見えて、全てが何もない風に見える。青日は目を伏せて、本殿から出ると静かに扉を閉めた。

「……春田さんに連絡したから行くわよ。建物破壊の報告書は自分で書きなさいよ。報告書くらい書けるでしょ」

「……本当に、睦千がいない事だけ違っているんだ」

 青日は項垂れて、道を引き返す小羽留の後を着いて行った。最近、こんなのばかりだ。二人で事件を解決していない、なんか相棒ぽくない。悲しいのも寂しいのも事実だが、頭の片隅でちょうどいいとも思っていた。波多野小羽留を知るチャンスだ。青日は静かに小羽留の背中を見た。その背中はまっすぐと伸び、少しだけ睦千に似ていた。




【八月? 三日? 午前十一時】

 助けを乞うた睦千を迎えに来た小羽留は、自分の家まで睦千を連れて帰り、ふわふわのソファに睦千を座らせた。だいぶ落ち着き、気恥ずかしくなって来た睦千は、部屋を出ようとするが、小羽留が睨みつけて止める。

「あのね、あなた、お菓子買ってくるって言って出て行ったのに、泣きながら電話出て……。何もないわけがないじゃない」

 覚えているよりも少し大人になったら小羽留に詰められ、睦千は大人しくソファに座り、お茶の準備をする小羽留を盗み見ていた。

「睦千、あなた、どうしたの?」

「……あのさ、馬鹿らしいかもしれないんだけど、ボクは君が知っている白川睦千じゃない」

 睦千は小羽留に簡単に朝からのできごとを掻い摘んで話す。当然、小羽留と組んでいない事も話すことになるがそれはさらりと話して流した。

「じゃあ、そっちのわたしとあなたはもう組んでいないのね」

 昔と変わらない、四十五号館の二〇二号室、ファンシーな部屋の中で、小羽留は紅茶を飲みながら尋ねた。

「まあ、そう。色々あってバディは解消」

「ふーん」

 小羽留は興味なさげに相槌を打つ。睦千はその様子にひどく安心した。それからいくつか情報を擦り合わせる。小羽留は青日を知らないらしい、そんな気がした。

「……ところでさ、ボクの家ってどこ?」

 一通り確認が済んで、小羽留に尋ねる。一度家に帰りたいと思ったからだ。帰りたい、とは違う。ただ一人になりたかった。

「ここよ」

「え?」

「あなた、ここに住んでる。一年位前から」

「……マジか」

「ええ、同棲」

「どーせぇ?」

「ええ、付き合っていたのよ、あなたとわたし」

 睦千は机に伏した。

「心配しないで。キスくらいしかしてないから、睦千の性別なんて知らない」

 慌てたように小羽留が付け足す。これで更に明らかになった、ボクと青日が出会わなかった分岐点はあの時だ。

「……本当に?」

「意気地なし。ほんとよ」

 小羽留は寂しそうに笑った。

「あなた、本当にわたしの知らない睦千なのね」

「……そうだよ。ボク、実家の方行くよ」

「別に構わないわ、いてくれて」

「なんで?」

「同じ顔のあなたを放っておけないし、寂しいじゃない、一人って」

 そう言って小羽留は笑った。懐かしいのに、どこか違う笑い方を見て、睦千は自分の手を握り合わせ、揉み込んだ。そして、知らない自分に問い掛ける、ねえ、そっちのボク、君はどうやって『嫌な事』を乗り越えたの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る