第17話 マジカル・ラスティング・フェアリーテール
狐師匠はさて、と言った。
「このわたしがここまでしてダメだったとなると、極稀にいる特殊条件での浄化になるんだが……やっぱりあれかね?」
高校生二人がそこに置いてあるホワイトボードと同じ白色の顔色になっているのを見て、まあ軽くジョークでも、と口を滑らせた。
「御伽話なら真実のキスか、あは」
それを聞くなり、女子高生の方、
「ひょ……」
師匠たるもの発言に責任を持て、とは成維にも先代の呪方師匠にもしつこく言われたが、彼女は今、身をもって思い知った。
「ごめんなさい、迂闊だった……、本当に申し訳ない。ジョークだったんだ……」
知夜は真っ赤に染めた頬で彼女を見る。
「でも、定番じゃないですか」
「……真に受けるとは思わなかったんだ……」
「センパイにも言われたんです」
「センパイ?」
「睦千センパイと青日先輩です」
無能組め、と狐師匠は内心舌打ちをする、脳内で凶悪的な無能組のツラが浮かぶ、今度あいつらに会ったら呪ってやろう。
「あいつらは情緒とデリカシーと、ちょっと倫理観も欠けている、あいつらの話は大体ジョーク……本気にしない方がいい。」
「……やっぱりそうなんだ……」
知夜はがっかりと肩を落とす。隣の花房はまだ胸倉と頬を鷲掴みにされているが、心配そうな顔で知夜と彼女を見ていた。
「それで、呪いは解けたんですか?」
「あー、ダメだこりゃ」
狐師匠は、あはは、と笑った。花房の後ろには依然、黒いモヤモヤが浮かんでいた、パッと見て良くないものと分かるタイプの黒いモヤモヤだ。
「浄化されない」
隣に座る知夜の顔がサッと青くなる。
「可能性一、呪いが強すぎる。可能性二、君、もしくは花房が真実のキスなんて信じていない。キスまでさせといて悪いけどね……。可能性三、花房の方が呪いを離さない。どれだと思う?」
知夜の頭はぐるぐると言葉が回る、わたしが悪い、花くんに最低な事をしてしまった、わたしのせい……
「可能性四もありますよ!」
不意に黙っていた花房が声を上げた。
「俺の奇怪病です、それ!」
知夜の中で何かが変わった。一生に一度、世界が変わる音があるとするなら、きっと、その時の花房の声だった。
【とある火曜日】
二人はラブの手伝いをしていた。ラブはあの『睦千センパイ』の元相棒とは思えないほどまともに思えた。
「睦千はなー、他人をあんまり気にしない方向性に切っているからな」
ラブと共に路地裏を歩いていた、放課後であるので制服のままである。
「顔だけですよね、睦千センパイ」
「そうそう。だからあいつにあんまり期待しちゃダメなんだ。顔が綺麗だからっても、中身まで完璧なわけじゃねーしなー」
「詳しいですね! ラブパイセン!」
花房がケラケラと笑いながら言うのを、知夜はこっそりと見ていた。相変わらず、花房の呪いはそのままで、怪に襲われては二人で確保するの繰り返しだ。それでも花房はニコニコと笑ってはいる。知夜はそれが嫌だった。大きな怪我はしていないが、いつか取り返しのつかない事になるんじゃないかと怯えている。先日の濃霧騒ぎで睦千が怪我をした話をきいてから尚更だ。何度もやめようと言いかけたが、元を糺せば、知夜が巻き込んだのだ、どの口が、と何度も言葉を飲み込んだ。
「そんな詳しくないぞー、当たり前の事だなぁ」
「ああ、それもそっか……何でもできると思っていたや」
「大体の事はできるんだろうけどな……あーでも、睦千、歌が下手だな。音痴」
「マジで!?」
「マジマジ。だから、絶対にカラオケに来ないし、来たとしてもマイクは持たない。でもたまに歌わせると、辿々しくて、こいつの可愛げはここにあったんだなぁって思う。ちなみに青日はめちゃくちゃ上手い」
「じゃあ青日先輩とカラオケ行く!」
「そこは睦千じゃねえんだ」
意地悪そうな顔で尋ねるラブに、花房はだって、と笑う。
「どうせなら楽しい時間にしたいじゃないですか! 睦千先輩とは食べ歩きします! 睦千先輩、安くて美味しい店に詳しいんで!」
「分かる。あいつ、美味い店知っているんだよなぁ、この間さぁ……」
ラブと花房は楽しげに話しながら歩く。知夜はその後ろを周囲を確認しながらついていく。担当する怪の調査ともなると、目撃情報の収集、行動予測にどんな怪なのかと被害調査、そこまでやって自分で見つかれば良いが、かなりの確率で巡回中の誰かが偶然遭遇してそのまま捕獲されるらしい。逆も然り、調査方とはそんなものだと言っていたのはラブだったりする。そして、そのラブが現在追っている怪は、失恋爆弾の怪らしい。失恋した人物の前に現れ、破れた恋を取り出し爆弾に変換、できあがった失恋爆弾を爆発させ、失恋者の悲しみを増幅させる。増幅させられた人は日常生活もままないそうだ。知夜からしてみればおかしな怪である。しかし、ラブ曰く、怪とはこんなものらしい。酢豚にパイナップルいれるみたいな、そういう合うような合わないような人それぞれみたいな、小さな欲望と小さな欲望がガッチリくっついた結果、独創的な怪ができるわけだ。
「にしてもさー、ラブパイセンなんてターゲットになりそうなのに、マジで怪寄ってこないね」
いつのまにか話題が変わり、怪の話になっている。
「おかげさまで、俺から出てきた怪じゃねぇかと疑われてんのよ」
「え、違うんですか?」
「え、知夜ちゃん、俺から出た怪だから俺が対処しているって思っていたの?」
ぶっちゃけ、そう思っていた。だって、あまりにラブの奇怪病みたいな怪だったもので。
「違うと思うんだよなぁ。俺の欲望って、失恋から立ち上がる瞬間なのよ。この気持ちに蹴りをつけて、明日へ向かう! 良いじゃないか人生! 運命ってやつは死ぬまで分かんねえんだって! みたいな」
「正反対って事ですか?」
「そう。俺は悲しんでいる事を楽しんでいるわけじゃないし、他人のそれにはましてや興味がない。それに、俺は惚れやすいし振られやすい。悪名高き『ラブ』だ。八龍で暮らして長いやつは知っているから、すぐ振ってくれるわけ。だから、失恋に困ってはいないわけだ」
「だから、溢れるような欲望はないって事?」
「そういう事……多分な。俺の主観は、あくまでそう」
「じゃあなんでラブパイセンが担当なの?」
花房はいつのまにか敬語が取れていると知夜は気づく、花房が気を許しているのだろう。
「失恋の専門家だからじゃね? それに、ほら、運良く俺で釣られてくれたらラッキーだし。俺の失恋が爆発して悲しみが深くなっても、それを力に変えれるわけだしな」
「ほー!」
「そんで、君たちは俺が、万が一、手につかないほど暴れたらどうにかこうにか止める役」
「なるほど!」
「……わたしたちで止めれるんですか?」
「何事も練習だよ。奇怪病は使ってみねぇと分からない事もあるだろ。そうだなぁ……」
ラブは少し考えて、また口を開く。
「奇怪病の認識の拡張っていうのがあるんだ。君たちの近くの例で言えば、睦千だな。あいつの奇怪病は、他者の奇怪病、怪の一時無効化、対相棒にだけ治癒効果、ザッとこんなもんね。でも、あいつ、ウィッピンをどういう使い方している?」
えーっと、と花房が考える。同じように知夜も思い出す。たまに会う睦千センパイ、最初に夢の中で会った時、最近会った時……最近会った時は、ビルからビルへ飛び移っていたっけ……。
「……振り回していますね……」
「怪の無効化とか、そういう奇怪病だっていうの、忘れるくらい振り回しているね……」
「そうなのよ、あいつ、ウィッピンを普通の鞭みたいに使ってんのよ。あいつの中でウィッピンの解釈はこうだ」
こほん、とひとつ咳払いをしたラブは、だるんとした雰囲気で話し始める。
「『ボクの奇怪病が分かりやすい形になったのがウィッピン。音の響きも一緒だしね、鞭と睦千。つまり、鞭の形がボクが一番使いこなせる形で、極論、これはボク自身とも言えるわけ。ボクが、ボクの奇怪病の根源になった欲望に照らし合わせて、できるって思った事とか、ボクがしたいと思った通りの事ができる。だからウィッピンは物理攻撃ができるし、伸び縮みするし、こいつを絶対ぶってやると思えば大体ヒットする』」
「……それ、睦千センパイの真似ですか?」
「微妙……。そんなモチョモチョした話し方じゃないよね」
「てきびしー……ま、俺のモノマネクオリティは置いておいて。睦千は自分の奇怪病を分析して、欲望の解釈を広げたんだ」
「もっと分かりやすくお願い!」
「ラーメン食べたいを麺類ならなんでもいい、みたいな事をしたって事よ」
「最初からそっちで例えてほしかった!」
「それは悪かった! ま、話を戻すと、奇怪病の認識の拡張、つまり欲望の拡張をすればできる事が増えるってわけ。ただ、これは気を付けないといけない事がある。欲望は際限がないからな。どこかで満たされるって事を知らないといけない」
「ラブパイセンにも満たされるって事があるの?」
「あるぜー。驚くなかれ、俺にはちゃんと本命の恋人がいる」
「マジでぇ!?」
花房がギョッとして飛び上がる。知夜はラブの言葉と花房の行動の二つに驚いた。ラブはその様子に満足したように、ふっふっふ、と笑う。
「いるいる。かれこれ……三年か? 結構続いているだろ」
「……お相手の方、ラブ先輩で大丈夫なんですか?」
恐る恐る尋ねると、ラブは平然と答えた。
「何度も確認して、思いっきり殴られたね。信用してないのかって。俺の奇怪病も納得はできないけど理解して、今日明日には気が変わるかもしれないけど、俺が良いんだってさ」
ね、これ惚気られてない? と花房が小声で呟く。うん、惚気てる。
「俺も、あの人が良かったんだ。なんとなく、俺、この人に振られたら地球割れるなぁって思ってさ」
頬を掻きながらラブは話す。少し伏せられた瞳には涙の膜、自然とラブの言葉に耳を傾けていた。
「腕の中に閉じ込めておきたいって思ったのは、あの人だけなんだよ。俺は怪調査方だから奇怪病が使えなくなると困るって言ったって、他の仕事を探せばいいだけだし、そもそも恋を探そうとしなければ奇怪病は発症しない。それに、ヒカリと付き合ってから、奇怪病の頻度も程度も落ち着いてなぁ……俺の欲望も満たされちまったんだよ。なんて言うんだろ……毎日、違う人に見えるんだよなぁ、だから昨日のヒカリに毎日失恋しているような感覚で、今日のヒカリに恋しているんだ、みたいな」
あはは、とラブはとうとう顔を手で覆った。
「…………おれ、こんなに、かたるたいぷじゃないのに……はっず……」
「いや……わたしは正直ラブ先輩の事、見直しました……」
「俺もラブパイセンを見直しました! ヒカリさんの事、大好きなんですね!」
「うん……好き……ヒカリがさー、自分が一番だって信じたいから髪伸ばせって言ったんだよ、自分を捨てる時は髪も切ってけって……かわいくない?」
「いや、それはよくわかんないです」
「俺は結構可愛いと思うなぁ」
そうだろうそうだろう、と真っ赤な顔のまま自慢げに言っていたラブの顔と視線が、途端にガラリと変わった。
「……今、なんか動いたな」
花房と知夜はグッと唇を引き締める。
「……汝、袖濡らしたもうか?」
地を這うような声と共に、十二単姿の女が現れた。ラブが密かに拳を握る、十二単姿の女で「袖濡らしたもうか?」と尋ねてくる、失恋爆弾の怪の特徴と一致している。
「毎晩袖も枕も濡らしているぜ」
挑発的にラブが答えるが、怪はラブには興味なさげに視線を逸らし、花房を見て、知夜を見た。
「むすめ、汝か」
すすす、と怪がすり寄る。知夜は咄嗟に奇怪病を使おうとする。しかし、どんな御伽話がいいのか、出てこなかった。
「知夜!」
花房が腕を引くが、知夜は怪と目を合わせてしまった。
「あ」
胸の奥、肺の底、肩の重さ、指先、脳の中心、瞳の膜、呼吸の震え、全てがずんと質量を増す。痛い、と思った時には、怪の手に小さな鞠が一つ。
「むすめよ、悲しみに暮れ、袖濡らせ」
そして、鞠が地面に落ちて、爆ぜた。火花と共に知夜の瞳から涙が溢れ始めた。
「え、知夜!?」
花房が知夜の肩を掴む。
「え、いつ!? 俺の知っている人!?」
知夜は首を振る。ラブは逃げようとしている怪の服を掴んでいた。しかし、ひらりと上に重ねていた衣を脱ぎ捨て、ほほほと笑いながら怪は逃げる。ラブは着物を地面に叩きつけ、知夜の方を見る。
「ちょ、あ、知夜ちゃん、ちょっと無理? 無理そうだね?」
ラブがあっちを見てこっちを見てと狼狽えながら話しかけるが、知夜は花房の手を払って、奇怪病で箒を出すと女の背中を追いかけた。
「あー知夜ちゃん……!」
ラブが走り出すが、花房はその場に立ち尽くしていた。
花房と知夜の出会いは小学生三年生の頃まで遡る。花房の両親が、八龍を気に入り、通い詰め、移住した頃であった。怖いもの知らずの花房少年は、越してきたばかりにも構わず、意気揚々と放課後の冒険に繰り出し、迷子になった。そして、当時から間抜けな花房少年は蛙鈴も忘れていた。人間生きていると妙なナイス・タイミングが降りかかってくる事がある、それは花房少年もそうであって、蛙鈴がない時に限って怪に遭遇した。怯え、走り回る花房はべちょべちょに泣いていた。そんな花房の手を引いた人物がいた。
「ふぇ?」
小さな手から蛙鈴が落ちる。おかえりんさーい、と飛び出した巨大な蛙が怪を口に咥える。
「逃げるよ、蛙が消えちゃう前に!」
手が引っ張られて、タカタカと走り出す。二つに結んだ髪が揺れて、その向こうに夕陽が見えた。眩しかったのに、花房は目を閉じれなかった。
「あの、すいません! 福薬會の人ですか!」
花房の手を繋いだまま、小さい彼女は道にいた和尚さんに声を掛けた。
「おーどうした?」
箒を担いだ和尚さんは背を丸めて花房達の顔を見た。
「あっちの方に怪が出ました! この子、追っていたの! 今、蛙鈴で捕まえているので退治して欲しいです!」
「そりゃー大変だ! お嬢さん、教えてくれてありがとな、ちょっと待ってろー、浄化してくるからな」
箒を振り回しながら和尚さんが向こうの通りに駆けていくのを見送ると、手を握っていた彼女が振り向いた。
「もう大丈夫だよ、花房くん」
振り返った女の子、同じクラスの栗村知夜だった。
「うん……」
「怖くかったよね」
知夜は真面目な声と目で花房に問いかけて、それから花房の返事を聞かずに笑った。
「もう大丈夫だよ」
花房の中で世界が確かに変わった音だった。大丈夫、そのたった一言だ。花房の視界はボロボロと崩れて、鼻を啜りながら、怖かった! と大声で叫んだ。
両親は八龍を気に入っている。ここでは自由、自由を邪魔されない、自由を守って、誰かとぶつかる事に恐れなくてもいい。そんな場所だと語る。でも、花房は訳が分からない化け物がいる八龍が怖かった。だから、一人で冒険に出た。知れば、怖くないと思ったから。結局、一人だと逃げ出してしまったけど、知夜が助けてくれた。
それから、花房は知夜の側にいた。怖かった八龍もしっかり者の知夜がいれば、怖くなくなった。花房の世界が少しずつ変わっていく、怖いものがなくなって、知夜の事が好きになる。真面目で、しっかり者で、頑固で、花房の恐れをたった一言で変えてしまう、世界で一番特別な女の子。知夜と一緒にいると、自分の心が軽くなっていく。俺は知夜の「大丈夫」の声に恋をしちゃったわけで、今、自身の奇怪病で悩んでいる彼女の世界を、今度は自分が変えたかった。あと、自惚れていた。知夜から『ちゅー』してきたから、少しは俺の事意識してくれていたのかなって、浄化されなかったのはきっと強い怪か、俺が「俺も奇怪病があればなー」なんて思ったせいか、とか。でも現実はそんなに簡単ではない。
「……知夜、別に好きな人がいて、しかも失恋していたの……?」
もしかして、俺、邪魔だった? 対象外?
そんなふうにぐるぐると渦巻いた思考に気をとられ、しばらく、その路地で呆然としていた。戻ってきたラブが、何か言って、俺の手を引いた。連れてこられたのは、『ぽむりん』という名前のカフェ、りんごにこだわる奇怪病の店主が作るアップルパイが絶品の、知夜が好きな店だ。好きな店なら、好きな人に教えたのかな? ということは、もう一緒に来たのかもしれない……それに気づいた時には、もう店内の席に座らせられた後で、ついに花房の涙は堪えきれずに自由落下を始めた。
「ちぃやあぁぁぁ!」
「花房くん!?」
ラブは慌てて、紙ナプキンを差し出すが、花房はそれに構う余裕もなく泣いた。ようやく失恋の自覚が追いついたのだ。
「うえええええん」
情けない泣き声で、小学生以来の大号泣、悲しいかな、泣いた原因が同じ人、恋の芽生えとその失恋、止め方を花房は知らなかった。ただ、ラブが羽織っていたサマージャケットを脱いで、花房に被せた。なんか甘い匂いがして、花房は少しだけ落ち着いた。ぐしゃぐしゃの顔で、らぶぱいせぇん! と呼んだ。
「らぶぱいせぇん! 俺失恋しちゃった!」
「お……おお? ……知夜ちゃんか!」
「言わないでぇ! 悲しい!」
「す、すまん……」
顔見知りの店長が、花房たちの前にコーヒーとアップルパイを置く。花房の前にはおまけのようにクッキーの袋が置かれた。
「いっぱい泣くと疲れるだろう」
花房はお礼を言い、鼻を啜りながらアップルパイを頬張った。
「そのー」
花房がアップルパイを食べ切ったところで、ラブが声を掛けるが、少し迷ったように口を開けて閉じてを繰り返す。
「さっきの怪、捕まりましたか?」
しっかりと落ち着いた花房が尋ねると、オウ、とラブは答える。
「今は知夜ちゃんが本部に届けに行ってもらって、怪の影響が残っていないかとか、確認してもらってる」
「なら良かった……知夜、大丈夫ですか? 俺、びっくりしちゃってたし……」
「あーうん。捕まえたの、知夜ちゃんだし……」
「やっぱり、知夜はすごいんですよ。でも、すごい知夜を振ったり、見向きもしなかったり、したやつがこの世に存在しているんです……俺なら、そんなことしないのにぃ……」
「あー泣くな泣くな……一緒にいるからっていって恋になるわけじゃないんだからさ」
「でもぉ〜知夜以上に〜好きな人見つけられないよぉ〜!」
「今だけだ」
ラブは眉を下げ、眉間に皺を寄せた顔で告げた。
「辛くても、忘れるもんなんだよ、人ってやつは。忘れないと前に進めないから、いくら本気で好きでも、どうしたって時の流れには勝てん」
「そんなわけないッ!」
がちゃんとカップと皿とフォークが音を立てた。
「なくならない感情もあるよ! パイセンもそうでしょ! あるでしょ!」
「なら、それは運命的な感情だな」
「運命的な感情……」
「そ、運命。失恋しても大好きっていう運命」
「……それって、どうすればいいの……?」
ラブはコーヒーを一口飲んで、大きく息を吐き出した。
「分かんねーな」
「パイセンが言ったのに……」
「離れてもいいし、そばにいたっていいんだよ。それが正解なら、これからも知夜ちゃんと、名前は違うかもしれないけど良い関係を作れるし、上手くいかなかったら結局は離れるさ」
「そんな単純?」
「いや? 単純じゃない。でも、基本はそうだって話」
「……良い事言って誤魔化そうとしているだけじゃん……」
「大人だからさ、誤魔化さなくちゃいけないと思っているわけよ」
「なんで?」
「花房くんの視野を広げてやろうと思ってさ」
「それが大人ってやつ?」
「俺にとってはね」
「……なら俺、やっぱり子どものままがいいな……視野が広がるって、想像力の欠如だよ」
「なくならないよ、花房くんが忘れない限り」
花房が頬を膨らませ机に伏せていると、ラブの携帯が軽快な音を響かせた。ラブがいそいそと立ち上がり、外へ出ていく。数分もしないうちに戻ってきたラブの顔は焦っていた。
「本部に戻るぞ、知夜ちゃんが大変だ」
ガタン! と椅子が音を立てた。
狐師匠はうむ、と腕を組む。場所は第四怪浄化室、足元には浄化が完了した閉じ込めの札が落ちている。
「はっきり言うのと、ぼんやり言うの、どっちが良い?」
「はっきり言ってくださいよ。おかしいとは思っているんですから」
「君の奇怪病、怪みたいになっているよ」
知夜は唇を噛んで下を向いた。
「失恋爆弾の怪は浄化した。その気配とも違う。君の内側から出ているように見えるから、君から怪が生まれようとしている」
狐師匠は右手の親指と薬指で円を作り、残りの指をピンと立て、顔の前に構えた。
「とりあえず、浄化してみるね。放っておくと、君が怪に飲み込まれる。そうしたら助けられない」
「待って!」
「手短に」
「……奇怪病は無くなるんですか?」
「正直言って分からない。奇怪病が怪になる事はあんまりないし、怪化したやつは暴走の挙句、死んでいる」
「奇怪病がなくなったら、花くんの呪いも無くなりますか?」
「分からない。もういいかな、この件に関してわたしが答えられる事は殆どない。何があっても、今ならどうにでもできる」
知夜の視線の揺らめきを無視して、狐師匠はその背後の黒く澱んでいる気配に集中した。
「恨め苦しめ、このわたしが呪う」
中指を親指に重ねる、つまり狐の形にした。その途端、怪の気配が強くなる。知夜の顔が青ざめた。
「その呪い、わたしが祓いましょう」
狐の顔を怪に向ける。本来、怪を活性化させて、『自作自演の呪い』の中に怪を取り込んで浄化させるが、まいったな、びくともしない。面の下で狐師匠は眉を寄せて、浄化から応急処置へとシフトする。これ以上、怪化しないように周囲の邪気を浄化させる。
「浄化できねー。花房、どこにいるの?」
尋ねると、ハッとしたような顔をして目を逸らした。何かあったんかーと狐師匠は宙を仰ぐ。まあいいや、と近くを通りかかった職員を捕まえて指示を出す。
「緊急事態、ここのフロアは呪方以外立ち入り禁止にして。呪方はここのフロアの邪気を浄化させるように通達。で、怪調査事務方に行って、ラブ……あいつ本名なんだっけ、ま、ラブで伝わるか。とりあえずラブと星野花房呼んできて。あ、あと念の為、いづも先生に連絡してほしい」
「という次第よ」
息を切らし、やってきたラブと花房に説明する。花房は知夜の方を見た。知夜は部屋の隅に静かに立っていた。
「知夜……」
「こないで!」
知夜の声に、花房は一歩も動けなくなる。
「はーい、来てやったぞぉ、感謝しろー小鼠ちゃんどもー」
呆然と立ち尽くしていた花房の後ろから、にゅるりと影が覆い被さる。奇怪病専門医釈迦谷いづもである。
「完全には怪化していないよな?」
「なんとか。浄化ができないので、どうしたものかと」
「さあね……あんまり症例がないもんでね……まあ、一度、落ち着かせるか」
ふわり、ぶわり、とラヴェンダーの香りが広がる。いづもは挑発的に笑い、知夜は鼻と口を両手で塞いだ。
「あっはぁ〜! 喋るつもるがない! 子虎みたいだな! ほらほらお昼寝の時間だ!」
頭が痛いくらいのラヴェンダーの香り、ラブは顔を顰めて、狐師匠はコンコンと咳き込んだ。
「俺は!」
そして、花房は叫んだ。いづもの奇怪病のせいか、心のうちの衝動のせいか、たった一つ確信しているのは、知夜を助けられるのは自分だけだと言う事。
「俺は! 栗村知夜さんの事が大好きです! 恋してます!」
ラブがきゃあ、と小さく歓声をあげ、狐師匠は未成年の屋上のやつみたい……と呟いた。
「もし! さっきの爆弾でこうなっているのなら! 俺にしておきませんか! 俺は知夜にぞっこん……」
ぞっこんです! と叫んだ声は、知夜の「嘘つき!」の声に掻き消された。
「花くんの運命の人はわたしじゃないのに! わたしだけ必死で馬鹿みたい!」
知夜にとって、あの真実のキスは一世一代の大勝負だった。知夜は花房に恋をしていた。昔、現実世界で自分は魔法が使えないと絶望していた時があった。でも、花房は知夜を魔法使いにしてくれた。花房を守った事が知夜の自信になって、花房が笑ってくれるから、魔法がなくても平気だと思えた。花房の中で、知夜は特別な子だろうと自惚れていた。しかし、見てしまったのだ、奇怪病が発病した日、花房が同じクラスの女子に抱きついているところを!
それでも、まだ耐えられた。花房を自分の奇怪病で縛りつけたのも、ほんの少しだけ痛快だった。あのキスだって、自分の心は真に花房を想っているから、一方通行の愛でも呪いが解けるんじゃないか、解けたらそれはそれでハッピーエンドで、もしかしたら花房を手に入れられるかもしれないと、悍ましくも考えた。しかし、所詮、一方通行の愛はまがいもので真実のキスにはならなかった。その時、明確に、知夜の恋は終わりを告げた。それからずっと隣にいるのが辛かった。花房の優しさに、自分の汚さを思い知って、恋をしていた自分を恥じた。
「運命の人じゃなくても! 俺は知夜が好きです! だっいすきです!」
いつのまにかラヴェンダーの香りは消え去っていた。いづもがニヤニヤと笑いながら一歩下がったのに、必死な若人は気付かない。
「付き合っている人いるじゃない!」
「いないけど!?」
「わたしが奇怪病発病した日! 鈴木さんと抱き合っていたの見たんだから!」
「ちょ……ちょっと待って……!?」
あら、クズなお人? と狐師匠が拳を握る。
「あれか! 転んだのを受け止めただけ!」
「見苦しい言い訳よ!」
「信じて!」
花房は知夜の元は駆け出した。
「何が真実だとか、運命だとか、それは俺が決める!」
知夜の手を握って、その手に柔らかく口付けた。どうか、と願いながら。
どうか、知夜に魔法がかかってくれますように。ハッピーエンドがありますように。
「……意気地なし!」
花房の頭の上で知夜の声が聞こえた。
「だって、口にしたら、信じてくれないよ」
「……」
「俺は、知夜が使う魔法が好きだよ。ちょっとした言葉に、奇怪病、誰かを助けようとする知夜が好き。俺は、そういう知夜を助けたかったんだ。でも、同じ力がないと、奇怪病がないと助けられないと思って、きっと俺が呪いを引き留めたんだよ」
「……違う……わたしが、花くんと一緒にいたかっただけ……」
「なら一緒だね」
花房の手の中で、知夜の手が震えた。
「知夜が魔法や、御伽話を嫌っていても、俺がいつだって、何回だってハッピーエンドにしてみせるよ、だから、知夜は隣でめでたしめでたしって笑って」
「……わたしで、本当にいいの?」
「知夜じゃないと嫌だよ」
「本当に?」
「本当」
「奇怪病者でも?」
「うん」
「性格きついって言われるのに?」
「誰が言ったの? 反論してくるよ」
そんなの要らないよ、と知夜は漸く笑った。つられて、花房が笑うと、二人の真上に本が浮かんだ。真白いページに口が浮かび、笑顔を形作る。
「こうして星野花房は『めでたしめでたしの奇怪病』を手に入れて、栗村知夜は本当の奇怪病『魔法使い症候群』を取り戻したのです。正しい魔法の掛け方を知らなかった二人は、真実の愛を伝え合って魔法を知ったのです。こうして二人はいつまでも幸せに過ごすのです、めでたしめでたし」
本がペラペラと話し、パタン、と閉じられた。室内には本が閉じた余韻が流れ、やっとの思いで口を開いたのはラブだった。
「……つまり、どういうことよ?」
【とある金曜日】
青日は凝った肩や腕を伸ばしながら、エレベーターを降りる。そうすると、目の前に夏の制服を着た顔見知り、最近話題の人物だ。
「あれー、知夜ちゃんだ」
「青日先輩、こんにちは」
「はーい、こんにちは」
ヘラヘラと手を振ると知夜は困ったように笑った。
「大変だったねぇ。調子は大丈夫なの?」
「はい。前より良いくらいです」
「花房くんは?」
「上に忘れ物を取りに行ってます。元気ですよ、いつもより」
「それは何より……でも、何があったの? なんか怪化して大変だったって聞いたけど」
「ラブ先輩とかから聞いてないんですか? 現場にいましたよ」
「途中までしか聞いてないんだよね。花房くんの頭から本が飛び出して、めでたしめでたしって言い終わったら、知夜ちゃんの邪気が消えていたって」
「まあ、そんな感じなんですけど。いづも先生が仰るには……」
知夜は先日、ウキウキに話すいづもを思い出す。いづも曰く、思い込み。
「思い込みだな。栗村知夜、お前は御伽話が嫌いだと思い込んでいた、星野花房は奇怪病が自分にあるとは思っていなかった。でも実際は、嫌いどころか大好きで憧れていて、本当に奇怪病があった。検査したよな、僕のラヴェンダーで。その時にははっきり御伽話が嫌いで、星野花房も呪いを解かれたくないと言った。つまり、僕の奇怪病でも分からなかったって事さ! これって進化ってやつかい? やばいな! 興奮しちまうぜ! ちょっとラヴェンダー撒くわ!」
いづもは、それは大はしゃぎだった。奇怪病は未知と自認! 欲望を満たし渇望する! 云々。頭が痛くなりそうなラヴェンダーの香りを思い出しながら、知夜はいづもに言われた事をかいつまんで説明する。
「じゃあ、知夜ちゃんたちの奇怪病って実際は違うの?」
「はい。わたしの奇怪病は願望を叶える事、魔法使い症候群です。花くんの奇怪病はめでたしめでたし病で、花くんの奇怪病にめでたしめでたしって言われた怪は浄化されます。そのためには、怪の欲望を満たす事が必要で、わたしの奇怪病ならそれができるんです」
「相性ぴったしだ」
「そうです」
知夜は胸を張って自慢げに青日に笑いかけて、ありがとうございます、と言った。
「センパイ達が情緒とデリカシーがなかったり倫理観がちょっと欠けていたり、ほんとむかついた時もあったし、最悪って思ったし、センパイ達のせいでキスまでしちゃう羽目になって、やっぱり最悪でマジでムカつくなって思ったんですけど」
めちゃくちゃ怒っているじゃん、と青日は今は上のフロアで仮眠をとっている相棒に想い馳せる、睦千の株マイナスだね。
「でも、先輩たちが助けてくれたから、わたしは自分の事、好きになれました。花くんの事も、世界で一番好きって言いきれます」
「へえ、ラブラブだ」
「ラブラブです、世界で一番幸せなカップルになってやります」
「いいよ、それ。睦千も喜ぶ」
「あの人、喜ぶんですか?」
「情緒が足りなくてデリカシーもなくて、倫理観も必要最低限な睦千だけど、顔見知りの幸せを喜べないクズではないよ。睦千はきっと喜んで、ケーキ買いに出掛けるよ」
「じゃあ今度ケーキ奢ってくださいよ」
「あはは、伝えておくよ」
それで、と知夜はぐるりと辺りを見渡す。
「睦千センパイは?」
「上だよ。ちょっとお昼寝中」
「立て込んでいるんですか?」
知夜が心配そうに尋ねる。
「まあね。俺は今からおやつを買いに行ってあげるの」
そうですか、と知夜は青日のカラーレンズを見た。きらりと光って、肝心の瞳は見えなかった。何か手伝います、と言いかけたが、青日はじゃあねー、と手を振りながら駆け出して行った。
「気が向いたら、睦千にも会ってやって!」
違和感、どうしようか、とエレベーターを見ていると、チンっ、と間抜けな音を立てて扉が開いて、花房が飛び出してくる。
「知夜! 睦千先輩から飴貰った! ポーラの割引券も!」
なんだ、元気そう、と知夜はその違和感を意識の彼方に放り投げた。なにせ、目の前の笑顔に夢中だったもので。
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