第12話 THE GOLDEN LOVER【下】

【4年程前・6月】

 俺は路地を走っていた。無論、相棒のピンチを救うためである。

 睦千と組んで3ヶ月が経とうとしていたその頃、俺たちは、とある怪を追っていた。人呼んで『ハウ・マッチ』の怪だ。この怪は出会った人間に自身の値段を付けさせ、その価値が怪が示したものより低ければ、怪に取り込まれるというものだ。厄介なのはこの怪、人の価値を「直近会話した人物10人の平均」で示す。つまり、傲慢なクソ野郎ほど生還し、謙虚な市民ほど安否不明になる。この詳細を聞き出すのに、どれだけ無駄な時間を使ったか! どいつもこいつものらりくらりとクソ野郎!

 そして、その怪と接触したと睦千が連絡してきたのは5分ほど前になる。当の本人はいつもと同じように「探していた怪と会った。ラブんちに近くのザッカチンの前」などと言って、そのまま切れた。俺が電話に出なかったらどうするつもりなのか、あのアホは! そんなアホな相棒がヘマをする前に行かねばと、俺は睦千がいるストア・ザッカチンへ走っていた。

 正直言って、睦千とハウ・マッチの怪は相性が悪い。と言うのも、睦千の自己肯定感はかなり低い。顔だけだよ、と言って憚らないが、本人的には面倒な荷物だと思っているだろう。あと、本人は性格が悪いと悪ぶっているが、至って素直、まっすぐで、隠しきれない優しい性格だ。寂しがり屋だから、近くにいる誰かを守ろうとする。睦千は分かりやすいほど「良いやつ」だ、でも、誰かからそんなふうに思われていると睦千は信じていない。

「ラッピングだよ」

 いつぞや、俺が睦千の「良いやつ」ぶりを褒めた時だ、睦千はそれに対して呆れたように言ったのだ。

「安物のクッキーだって、ブランドのロゴが入った袋に入っていれば、ブランドの良いクッキーだと思うでしょ。ボクだってそう。顔がバカみたいにいいから、普通の事したって聖人に見えるってだけ」

 俺は否定しようとしたが、あまりに深刻そうな顔をフードで隠したから、口を閉ざしてしまった。

 睦千に何があったのか、俺は知らない。尋ねても、睦千はまだ答えてくれないだろう。本来の睦千は、自信に溢れて尊大な性格をしていたと思う、その片鱗が見え隠れしているし、偶に聞くエピソードは「お前の親父は寛大だな」と関心するばかりだった(余談だが、最近ようやく睦千の母親が支配人だと知り、奇怪病が発症するまでは東京で父親と暮らしていたと聞いた)。それが、どうして、似合わない態度で怯えたように顔を隠すのか。思春期の一言で片付けられるような、単純な話ではない気がする。

 いや、今は置いておこう。まずはあいつを取り返さないといけない。拙い事にあいつは俺としまった。あの自己肯定感激低ガキンチョが取り込まれないわけがない。取り込まれているだろう。

「睦千!」

 ストア・ザッカチンの前にまだ睦千はいた。しかし、棒立ちの睦千に巨大な豚の貯金箱のような怪の口が迫っていた。

「大丈夫だよ、ラブ」

 睦千は俺の方を見て、それだけを呟き、怪に取り込まれた。

「愉快愉快」

 ハウ・マッチの怪は鼻を鳴らしながら満足げに語る。

「小綺麗な子供だ、取り込めるとは思わなかったが、何、これまでで一番安かった」

「おいこら、返して貰おうか」

 俺は怪の前に立つ。

「お前も勝負するか?」

「おう、俺が勝ったら今まで取り込んだ人間全て返して貰おう」

「なら、お前の金額はオレが付けてやる。オレが付けた金額をお前が当てたら返してやるよ」

 ハウ・マッチ? と怪が尋ねた。豚の貯金箱がチャラリと揺れる。

「俺の、価値は」

 カラカラの口を開けて、震える喉から声を絞り出す。怪の目が光った。俺はその瞬間、負けを確信した。しまったな、と俺は口を閉ざしてしまった。

「ブッヒッヒッ」

 怪が笑う。笑っていた。

「ブッヒッヒッ、ひっ?」

 その声が裏返り、パキンガチャンと怪の腹が割れた。そして、その腹の中から白い光と、白金の髪と、静かに怪を見下ろす緑色の眼差し。睦千はその手にウィッピンを出し、擦り切れたスニーカーで怪を踏んでいた。

「腹の中なら油断すると思った。ねぇ、ラブ、札貸して。忘れたんだ」

 俺は片手で封じ込めの札を取り出し、片手で頭を掻きむしり、まずは冷静に札を怪に貼った。怪はシュルシュルと札の中に吸い込まれていった。睦千は呑気にありがと、なんて言っている。

「……お前、最初からこうするつもりだったのか?」

「運良く会えたらね。多分、ボクは取り込まれるだろうって思っていたし。ボクなら平気だと」

「平気だと!?」

 睦千の言葉を遮るように俺は声を荒げた。

「怪に取り込まれた時点で死ぬ事もあるかもしれないのに、平気だと?」

「ボクの奇怪病を忘れたの? 奇怪病、怪の無効化だよ。取り込まれたってウィッピンがあれば、すぐには死なない」

「そういう話じゃない」

「そういう話だよ」

 疲れたように睦千が溜息を吐く。

「いいでしょ。取り込まれた人達は腹の中で眠っていただけで、怪を完全に浄化したら戻ってくると思う。だから早く呪方に届けよう」

「話を聞け」

 睦千は視線を俺に向けていた。しかし、フードの影に瞳は隠れている。

「なあ、なんで自分に価値がないと思うんだ」

「……そんなの、ラブには関係ない」

「関係ある。俺はな、お前に惚れちまってんだ」

 ザリ、と睦千は俺から距離をとった。

「……何もしない。元から言うつもりもなかった。お前は子供だし、俺みたいなのに好かれるのは怖いだろう。勝算がない」

 睦千は何も言わない。ただ、フードをグッと深く被り直した。

「俺はお前が人間としても恋しているし、相棒としても最高だと思っている。お前は、お前が思うよりも悪いやつじゃないぜ、なぁ、睦千」

「呼ぶな。お前なんか相棒じゃない」

「……だろうな」

 報告書と、なっちゃんに解消しちゃった報告か、面倒だな、と心の中で呟く。

「もうさ、嫌われているから、ついでに聞くんだけど、睦千、なんでお前は、自分の顔に怯えてんだ?」

「何言ってんの、嘘つきクソやろう」

「お前が一番、お前の、白川睦千の顔に怯えている。だから、隠すんだろ」

 睦千の足元でスニーカーのゴムが、地面の砂を強く踏んだ音がして、今、その顔が歪んだんだと俺は勘づく。

 白川睦千の顔は美しく整っている。左右対称の掌に収まりそうな顔に、ツンと澄ました鼻と薄くも柔らかそうな唇、いい加減に切っているようなプラチナブロンドも気の抜けたファッションに見える。そして何よりも瞳。色変わりの瞳は大きく、アーモンド型。潤んだ瞳に、薄紅に色付いた瞼と目尻、時に光を反射し、時に影を落とす睫毛。その瞳が自分を見た時、誰かはその眼差しに憂いを見て、誰かは艶を、誰かは無垢を見て、その眼差しの中に入りたいと、その眼差しに恋されたいと思うのだろう。

 そうだ、白川睦千の顔は美しく整っている。そして、無垢な自我がその容れ物の中に入っている。その無垢な自我を瞳の中に見た時、この美しい生き物をと思うのだ。

 懺悔しよう、睦千の顔を初めて見た時、俺は泣いても綺麗だろうな、と思った。睦千が「信じて」と言った日、睦千はまっすぐに俺を見ていた。まっすぐな言葉を伝えようとする、生まれたての葉のような色の瞳。その時、俺は、どうして誰もが睦千に惹かれるのか、わかった気がした。どうしようもなく、睦千は純粋で、無垢だ。美しい容れ物に、無垢な精神が宿る、それはもう神様で、信仰だ。でも、睦千は人間だ。不安げに揺れる、電気に照らされた蜂蜜を煮詰めて作った飴のような瞳、それを見た時、目の前にいるのは偶像ではなく、人間だと気付いた時、と衝動が湧き上がる。腕の中で、自分の下で、その顔を、身体を、と、おぞましい欲求が産まれる。

「……お前の顔は、人間の加虐性を刺激する……お前も、そんな気がしていただろう?」

 睦千は、とうとうウィッピンを出し、俺の頬をぶっ叩いた。ぶっ叩いてくれて安心した。

 加虐性を呼び起こす顔、睦千の顔は美しいのに、誰も守ってはくれない顔だ。無垢な自我に醜い感情を押し付けて、歪ませたくなる。俺の中に、そんな衝動が産まれた時、この衝動を捨て去り睦千を守らなければと思った。

「気持ち悪いな! お前! 信じていたのに、ラブは違うって思っていたのに!」

 睦千の攻撃は一発だけで、それから、力が抜けたようにその場にうずくまった。

「……だからさ、顔を隠すな」

 口の中に血の味がした。それでも、話したかった。守りたいと思ったのは、本当なのだ。

「……ラブみたいな、変な奴らばかり寄ってくるのに?」

「ひっでぇな……でもなぁ、それはお前がまだ原石だからだ」

「はぁ?」

「原石は磨かなきゃただの石だ。そんじょそこらに転がっているただの綺麗な石なら誰だって触る。でも、それが磨かれて、光る宝石になったら誰も触れない。美しすぎるものに、人間は触れようと思わないんだ。お前は、その見た目を、餌にするじゃなくて鎧にすればいい。隠しているから、みんなお前を暴こうとして、お前の意に沿わない事をするんだ。隠していてもお前は怯えるばかりだ。なあ、睦千。お前は自分の顔が好きじゃないのか?」

「そんなわけない。客観的に見てもボクの顔は整っているし、美術品並み」

「ならどうして隠す?」

「ボクは、この顔に見合った人格者じゃない!ボクは何かを望まれても叶えられないしどれだけ取り繕っても、聖人でも神様でもない、ジャンクな人間だ! クソガキだ!」

「それでいいじゃねぇか。見た目がなんだ。見た目も武器だろう。使いこなせよ、睦千。それに、お前の長所は生意気なところだよ」

 なあ、睦千、と言葉を続けた。

「お前は、変わらないとダメだ。お前が世界を変えてやるって思わないとダメだ。お前は、歪んじゃだめなんだ」

 睦千は何も言わずに、俺の頭を拳で殴って、そして、俺に封じ込めた札を押し付け、立ち去って行った。



 ハウ・マッチの怪を浄化し、取り込まれた人々を助け出して2日後、一応日付も覚えている、6月28日だ、その日の朝、チャイムが鳴った。ピンポーン、ピンポンピンポーンどんピンどんどんポーン、チャイムを連打しドアを叩く来訪者に、俺はブチギレながらドアを開けた。

「うっせぇ! さすがにうるっせ……て、睦千か?」

「早く出なよ」

「こんな朝っぱらに……」

「もう出勤時間だよ」

「俺は休みなの」

「あっそ。てか顔腫れてんじゃん、ウケる」

「お前がやってくださいましたからねぇー?」

 睦千はだから? と言いたげににんまりと笑う。その顔は陽射しに照らされて、とにかく眩しかった。

 そう、とにかく眩しかったのだ。

「それで、どうした?」

 元・相棒は見違えたように堂々と立っていた。いや、服装は普通の白いTシャツにジーンズだが、顔を隠さず、それどころか、きちんと髪を整え、てかちょっと切ったな、絵画から飛び出してきたような天使のように、ピンク色のリップなんか塗って、俺の目の前に立っている。しかも、よく見れば、ボロボロだったスニーカーは、ピカピカの黄色の新しいものに変わっていた。

「今日は感謝と訂正に来た」

「はぁ」

「ボクは自分の顔に怯えてなんかいない」

「まず訂正からなんだな」

「そう、訂正。ボクはトラブルがめんどくさいから隠していただけ。でも、ラブが隠しても無駄だって言うし、ボクも強くなったから、隠さない。フードって結構邪魔だったし」

「ま……それでいいんじゃない……」

「だから、はっきり言ってくれてありがとう。ほんとは顔、隠したくなかったけど、隠した方が楽だと思っていた。でも、隠しても不快で、どうしたら良いか分かんなかった。ラブが、隠さなくても良い、見せつけろって言ってくれて、踏ん切りがついた」

 睦千はまっすぐに俺の目を見て言った。金とも緑とも、なんとも言えない、夏の木漏れ日のような瞳が、まっすぐに言った。

「昔、逃げてもいいよって言われた事があって、どうしたらいいか分かんなかったから、ボクはとりあえず逃げる事にしたんだけど、でも逃げてもめんどくさくって、苦しいなって思っていた。でも、ラブが他の方法もあるって示してくれたから、ボクは自分じゃなくて、ボクの周りをほんの少し変えようと思ったんだ。ボクは、2度と、誰かの意見に惑わされない。ボクが一番好きなボクでいる」

「いいじゃん」

 俺がそれだけを答えると、睦千は耳を赤くして、じゃあまたね、と踵を返した。俺はそれを見送っていたが、睦千はふと、通路で足を止めて振り返った。

「またご飯一緒に行こうよ。今度は寿司がいい」

「……ハハ! いいぜ! てかお前今日誕生日じゃん! 誕生日プレゼントだ、奢ってやるよ!」

 睦千は答えを聞いて、満足そうにまた歩き始めた。俺はその背中をただ、見ていた。

 あばよ、俺の愛しき金色。お前の事、それなり本気で好きだったぜ。だからそこそこ辛いけど、お前の世界を少し変えた事、お前の最初の相棒になれた事、誇りに思うぜ。





《白川睦千についての報告

 福薬會怪調査方白川睦千の福薬會保安方適正の調査の結果、適正無しと結論付ける。


 調査・報告者:福薬會保安方 笈川愛丞》






 ふわふわと煙の塊が紙を持っている。側から見ればギョッとするだろうが、俺はもう見慣れていた。この煙の塊こそ、保安方師匠煙師匠である。

「良かったのかい?」

 煙師匠は俺が書いた報告書を見て、喉の奥から捻り出したような笑い声を交えて尋ねる。

「あいつは、人の悪意には敏感ですけど、自分の嫌悪感を隠すのはできないし、そういうのをストレスに感じるタイプ、自分を偽れないタイプですよ」

「そうかい? 君の私情は入っていない?」

「まぁ、全然ないですよ、とは言えないですけどね。でも、あいつは自分を隠さないそうなんで。無理っしょ、保安方なんてさ」

 俺は欠伸をしながら答える。

「仲間が増えると思ったのに。ラブ、君だってもう少し人手が欲しかったろう?」

「できない奴が来たって、俺の仕事が増えるだけでしょう。睦千は向いてないですよ、やれたところですぐにダメになって、あんたが調査方に追い返しますよ」

「じゃあ、しばらくはラブに頑張ってもらおうかな」

「はいはい、頑張りますよ」

 俺は首の後ろを掻きながら答える。毛先が手に触れて、そろそろ髪切ろうかね、ちょうどよく失恋したし、なんて思った。






【現在:6月5日:9時】

「よぉ、起きてんか」

 俺は睦千がいる病室へ顔を出す。睦千は手鏡で寝癖を治していた。

「ラブかー。青日が良かった」

 悪かったな、とベッドサイドの椅子に腰掛けた。

「てか、早くない? もうちょっとゆっくり来てよ」

 あの頃と打って変わって、髪もきっちり揃えられていて、自信に満ちた顔をしている。随分変わったなぁと俺はしみじみと噛み締める。

「いや、マジでなんで来たの?」

「お前が俺が追っかけていた怪と遭遇した、だからかな」

 正しくは危険奇怪病者であるが、まあ、そう言う事である。

「保安方案件になるのにね」

 なんとなく含みを持たせた言い方で睦千は言う。もしかしたら保安方だとバレているかもしれない、妙なところで睦千は勘が良いから。野生生物みたいなんだな。

「今までの調査結果の報告しなきゃならんのよ。んで、ついでにお前の聴取もって事」

「へー大変そう」

「まあ、お前に言われたくねぇな、怪我人」

「ちょっと血が多かっただけで、傷はそんなに深くなかったけど。今日明日は安静らしいけど。てか、血が足りない感じで気持ち悪いし」

「奇怪病使ってもらったんだろ」

「例の治すけど治癒力換算で1ヶ月分しか治らないやつね。おかげで傷口はくっついたけど、痕残りそう、最悪」

「若いんだから綺麗に治るだろ」

「そうだと良いんだけど。でも、おかげさまでクタクタ、お腹減った」

「お前はいつも腹空かしてんな」

 俺は呆れながらも、差し入れのバナナを手渡した。

「なんでバナナ」

「家にこれしかなかった。要らないか」

「貰うけど」

 睦千はバナナの皮を剥き、一口齧った。

「青日も言っていたと思うけど、人だった。多分男、身長はボクと同じくらいだった。だから175cmよりは高い、ボク、ヒールだったし。体格はそんなに良くなかったかな。でも、動きは良かった、奇怪病っぽくなかったけど、でも、一般人の動きには思えなかったかな」

「他に気づいた事は?」

「ない」

 ねえ、と更に睦千は続ける。

「案内方の被害者って、1人はそいつのせいらしいじゃん」

「まあな。昨日、狐師匠が死因を断定しなかったのは、そう言う事だ。呼吸困難が1人と、刺殺が1人だからな」

「……まだ見つかっていないの?」

「霧が濃くてな」

 睦千は更に一口、食べ進める。

「早く解決しないと」

「ま、お前は無理できないけどな」

「無理はしてないよ。ボクはもう自分の命を安売りしない」

「……なあ、そういえばなんだけど、お前、ハウ・マッチの怪の時、自分の価値を幾らで見積もったんだ?」

 睦千はバナナを一口咀嚼して、飲み込んでから答える。

「ゼロ」

「……はー、そんな気はしていたぜ」

「いやー、あん時のボク、どうかしていたよ」

 バナナの最後の一口を口に放り込んで、睦千は笑う。

「あの時、ラブに言われたから、ボクは元に戻れたような気がするよ」

 だからありがとう、と睦千が言った。

「やめろよ、そーゆー、ドキッとするような事言うの」

「もう惚れないでよ」

「惚れませーん。お前に失恋しても大したパワーになんねーし」

 うざ、と睦千が八重歯を見せながら笑う。その顔は相棒だった頃と変わらない、気取らない生意気で可愛らしい笑顔だった。

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