第11話 THE GOLDEN LOVER【上】
【6月4日 19時20分】
ラブは八龍総合病院のエントランスにいた。睦千を待つためだ。今はもう相棒じゃないとかなんとか言われるかもしれないが、ラブにとっては可愛い後輩、クソガキのままだ。
青日は心配しなくてもいいよ、と言って、今は福薬會本部で報告をしている。そうは言っても、睦千も怪我をしたらしいし、心配しないというのはできないそうだっだ。
5分程、うろうろと歩き回っていると、エントランスの自動ドアが開いた。
「おい! 睦千!」
ドアの向こう、腕を押さえた睦千が立っていた。着ていた白いブラウスは見当たらず、グレーのタンクトップを真っ赤に染め、カフェでおニューだよ、と自慢していたサンダルも右足が赤黒くなっていた。
「……ラブじゃん……やほ……」
「呑気に挨拶してんなよ!?」
顔色が悪い睦千を支えると、睦千は安心したように力を抜いた。ラブの手からは睦千の冷たい肌の温度が伝わる。
「無理すんなっつったろ」
「ちょっと……ヘマしちゃった……でも、無理だなぁって思って、逃げてきたんだよ、成長でしょ……痕残んないといいなぁ……ボクに傷痕なんて、にあわ、ないじゃん……」
睦千の声は次第に小さくなり、そして、火が消えるように意識を落とした。
「おいおい、なに弱気になってんだよ」
ラブは睦千を処置室へ運んで、青日に連絡をした。すぐに青日が睦千の病室に駆け込んで行く。その慌ただしさを見ながら、良い相棒じゃねぇか、と1人呟く。懐かしさも羨ましさもなく、ただ、穏やかな喜びだけが胸を占める。
睦千とは短い間だけ、相棒だった。でも、最初の相棒だった。今でも、その事を誇っている。
【4年前・春】
俺は多少面倒だとしても、特定の誰かと組まない主義だった。だが、どうしても人手が欲しいという時がある。そういう時は将来有望なアルバイトたちを頼っている。今回の担当案件も、どうにも人の手を借りた方が早いと、俺はなっちゃんこと、担当事務員の春田さんの元へ来ていた。
「今回のはやっぱり難航ですか?」
「そーなの。今、手ぇ空いている子、いない?」
「いますよー、ちょうど良く、とびきり優秀な子」
「マジで!」
「ちょうど今、報告書持ってくるって言っていたんで、ご紹介します」
「ちなみに、どんな子?」
「性別未公開で御大にバイトのくせにでしゃばりすぎたって怒鳴られる子ですねー」
「へぇ、そりゃ、すげえ大物」
「あ、噂をすればです!」
なっちゃんがむちさーんと声を掛けた方を見る。オーバーサイズの白いパーカーを目深に被っているため顔は全く見えないが、僅かに金色の毛先が見えている、髪の長さは肩ぐらいだろう。明るいカラーのスキニージーンズは膝が破れていて白く小さい膝小僧が見えていて、変わった柄のコンバースだと思ったスニーカーは、白い生地に赤い染みが付いているだけだ。全体的に真っ白い棒という印象を持つ。
「春田さん、これお願いします」
声は少年のように聞こえる。俺よりも頭1つ分小柄だから、10代の少年であれば少し背が高いくらいだ。
「はーい、お渡ししておきますねー。睦千さん、今、他の案件って無かったですよね? こちらの方の案件のお手伝いをお願いしたいんですが、良いですか?」
「分かった」
「良かったー、ラブさん、こちらがアルバイトのシラカワムチさんです」
ムチという名前は本名らしい。呼ばれた白いパーカーは俺の方を見た。漸く顔が見えた。琥珀色の瞳、視線は鋭いが、幼さが残る丸い瞳だ。美少年とも美少女とも表現でき、とにかく顔が整っていた。誰が見ても美しいと言うだろう。
「
「神出鬼没の泥棒猿の怪」
「それです、具体的なお手伝いの内容はどうなりますか?」
「聞き込みと噂調査、あとできたら出没予測も手伝ってくれたらめちゃくちゃ助かるけど……できそう?」
「できる」
随分と生意気そうな顔と声で返事が返ってきた。
「よっし、決まりだ。俺ちゃんのお手伝いよろしく!」
差し出した手を無視してムチはスタスタと遠ざかる。
「ちょっ……なっちゃんまた後でねー」
俺はなっちゃんに手を振ってムチの後を追いかけた。
「ちょっと、ムチくん? ムチちゃん? 待ってよ!」
後ろから呼び止めると、ぴたりと随分素直に立ち止まった。
「ムチ」
「へ?」
「ボクの名前はムチ。呼び捨てでいい」
「おう、よろしくな、睦千。ちなみにどんな字書くんだ?」
「『睦』まじいに『千』」
「成程、変わっているけど良い名前だな。それで、何個か決めておきたい事とかあるんだ、もう少し、俺ちゃんと話してくれない?」
めんどくさいなぁという態度で睦千は足を止める。
「調査の概要に関してはなっちゃんが送ってくれるとして、俺の調査結果ね」
「あてにならない」
「へ?」
「今までの君の調査でなんの進展も無い。だから、君の視点は大事なものを見落としていて、的外れ。だから、あてにならない」
「……否定できねぇな……」
俺は思わず頭をごちゃごちゃと掻き回した。
「だから、ボクが自分で調べる」
「おっけぇ、なら俺はそれに同行するわ」
「は?」
「睦千が見落としたものを俺は見落として無いかもしれないじゃん? それに、これは俺ちゃんの案件なわけ。睦千だけにやらせるわけ無いじゃん?」
睦千はポカンとした顔をしている。若者らしく生意気だが、ひよっこらしく経験は無いなと可愛らしく思う。
「改めて、俺は笈川愛丞、気軽にラブと呼んでくれ」
「ラブ」
「そう、ラブ。俺の奇怪病は『失恋病みつき病』、恋をすれば強くなる、片想いより両想い、両想いより失恋した時が強くなる、失恋したいから次の恋、いつだって恋をしているような男さ」
睦千は途端に警戒するような仕草をした。視線が鋭く、こちらを見定めるようなものになる。
「……ボクは、そういうのはノーサンキューだからね」
「俺ちゃんも今のところお前に恋に落ちてないな、安心しろ、俺は大人だから子供に手は出さねーよ。とりあえず、しばらくはよろしく」
俺が手を差し出しても、睦千は無視をして質問をした。
「……それで、調査はどこまで進んでいる?」
「被害者に聞き取り、近くの監視カメラの確認」
ちょうど、睦千の携帯に資料が送られてきたようで、一度足を止め、それを確認しながら俺の話を聞く。
「現場は新都市地区、巨匠館、六花。一番件数が多いのは新都市。盗まれたのは全て貴金属。盗品はまだ見つかってない、可能性は低いと思うけど、オークションサイトも定期的に確認している。こっちは情報なし。同様に宝石商やらリサイクルショップにも盗品について情報提供を求めているが、情報なし」
「猿の寝屋は?」
「追いつけねえんだよなぁ」
「……なんで君が担当なの?」
「俺ちゃんも思った……手が空いている武闘派、俺だけだったみたいなんだよなぁ」
「ボクが暇していて良かったね」
偉そうに睦千は言い出した。
「ボク、結構アクロバティックに動けるよ」
「言うなぁ、クソガキ。その時は頼むけれどもさー。ところで、お前の奇怪病ってどんなの?」
「白く光る鞭。ウィッピンって呼んでいる。怪とか奇怪病を大人しくさせる事ができる」
「それだけ?」
「詳細は言わない事にしている」
「あらそう」
資料を一通り確認した睦千が小さく呟く。
「規則性は無いのかな……」
「俺は見つけられなかったな」
「でも、怪は奇怪病、ボクたち人間の思考や癖、欲望から産まれるもの。だから、何らかの美学や傾向がある、だよね? センパイ」
「そうだよ、コーハイ」
「もう行っていい?」
「どこから行くんだ?」
「現場から」
「よし、行くか」
意気揚々と歩き出した俺の後ろを、睦千はなにも言わずについて来た。
現場を回って歩く間、睦千の足は迷う事も携帯で道を調べる事もなかった。それどころか現場の特徴を大雑把ではあるが把握している。
「なあ、睦千。お前、八龍の地図、全部頭に入っているのか?」
「うん」
「マジで?」
「当然、というか、覚えていないから泥棒猿も取り逃がすんじゃない?」
「ひええ、キビシイ」
目の前のスニーカーはトコトコと前へ進む。そのスニーカーは薄汚れて、すり減っている。
「歩いて覚えたのか?」
「まあ……そう」
「努力家なんだな」
睦千は何も言わずに足早に進む。八龍の煩雑な都市を覚える、何年も住んでいても未だ把握しきれない場所があるというのに、この年若いのはその小さな頭に広大な都市を1つ入れた、その事に驚きを覚え、そして自分を恥じた。
「そうだよなぁ、守る街の事を知らないっていうのはおかしな話だよなー」
「……ラブは」
ふと睦千が話しかける。
「ラブは、生意気だとか、調子に乗るなとかは言わないんだね」
「ん?」
「……今までの調査方は、ボクが八龍の地図を覚えているってだけで、嫌な顔をしたから」
「いやいや、自分の至らなさに反省するばかりよ。まあ、お前のことは生意気って思うけど、睦千が八龍に詳しいのは別の事柄じゃん。ここには社会のルールとかそうあるべき事っていうのにへりくだりたくないって奴らが集まるんだし、頑張った事を隠す必要はないんじゃね? てか、できる若手にそういうお外の世界的な事言うやつがいるんだな」
飽きたように睦千は道端のベンチに腰掛けた。
「ボク、顔が生意気らしいよ」
睦千の目は陽の光を反射して緑色に光っていた。光の反射で目の色が変わるらしい。整った顔に、魅惑的な目までおまけに付いている。厄介そうだ。
「言い換えれば、クールで美形って意味さ」
そう言うと睦千はふふと笑った。
「それで、そんな優秀な後輩のご意見賜りたいんだけど?」
「……まだ、わからない。場所は関係ないのかも」
睦千が呟くのを聞いて、じゃあなんだろうなと考えようとしたその時、携帯が着信を知らせる。何となく、嫌な予感がした。
「はい、ラブ」
『春田です!』
もしや、と思う。
「もしかして」
『怪盗モンキーです! 六花天道ジュエリー花蓮です!』
「了解! ありがとう!」
俺は走り出した。睦千もすぐに走って追いかけてくる。
「出たの?」
「ああ! 六花天道のジュエリー花蓮だ! 知っているか!」
「うん。結構近いね」
睦千は手に白い鞭を出した。
「先、行ってもいい?」
「俺より速いならな!」
俺は先日のフラれた瞬間を思い出す。ピリッと胸が痛んで、脚に力が入る。そのまま、スピードを上げ、路地の上の通路に飛び上がった。睦千もウィッピンを伸ばし、同じく通路に着地する。そして着地と同時に更にビルの上にウィッピンを伸ばした。
「遅いよ」
グイッと腕を引かれ、体が宙に浮いた。
「は?」
睦千が俺の体を抱えている!
「力持ちかよ!」
「六花天道まではここの上突っ切るのが一番速いから。ラブ、軽そうだったし。でも、ちょっとキツい、縮んでよ、ラブ」
「無茶振りだな、クソガキ!ありがとう! 助かった!」
シュルシュルと屋上まで登り、睦千は俺を屋上に下ろした。それから俺は仕返しとばかりに睦千を抱えた。
「降ろしてよ!」
睦千はじたばたと腕の中で暴れた。
「平地は俺の方が速い! ははは! 怪盗が逃げちまうからな!」
そう言うと睦千はじっと黙る。俺は真っ直ぐ屋上を駆け抜け、六花天道へと降り立った。ジュエリー蓮花はすぐ目の前だ。
「モンキーは!」
「地下だ! アメジストのネックレスが盗まれた!」
店主が叫び、睦千は弾かれたように走り出す。昼の地下通りは人が少ない。その中を茶色い猿はまっすぐ、開いているドアを通り抜けていく。それを見た睦千はこっちだと手前にあるドアから奥へと進む。
「あっちは鬼灯通りまでの一本道、でもこっちの方が近い」
「まじで?」
「まじ」
ドアの向こうの階段を駆け下りると、仰る通り、鬼灯通りへと出た。
「モンキーが出てくるのはこっちの方だと思う」
睦千は人の流れの隙間を縫うように駆け抜けて行く。
「はや!」
「いた!」
白い光が小さい影を捉えようと振られるが、猿は悠々と交わして行く。
「この……!」
睦千の頭からフードが落ちる。それも気にせず、猿を追いかけ人を避け障害物を飛び越えていく。アクション映画かよ、と俺はその後ろを追いかける事で精一杯だ。しかし、それでも猿は宝石を口に咥えたまま、壁をよじ登り通気口へと姿を消した。
「……」
通気口に手をかけ、睦千も中に入ろうとする。
「いやいや待て待て入らない流石にお前でも入らない」
慌てて服を掴み止める。発想が若い。
「いけるかも」
「無理だよバカか」
渋々と大人しくなった睦千を下ろす。睦千はじっと通気口を見ていた。その頭を見て、髪色は地毛か、と俺は驚いていた。
それから、店に話を聞きに戻ったり、手掛かりを探したりしたが、何の進展も得られずに終わった。
「じゃあ、今日は解散な」
ねえ、と睦千が呼び止める。
「ラブさ、泊めてくれない?」
「はい?」
「母と喧嘩して気まずいんだ、だから帰りたくない。泊めてほしい」
いや、帰れよ、と俺は思ったが、妙に切実な瞳で見つめられて、俺は着いてこいと、うっかり言ってしまったのだ。
睦千は昼過ぎにようやく起きてきた。
「起こしてよ」
不機嫌そうな顔で睦千は俺の足を蹴り、俺の手元を覗き込んで、何しているの? と訊いた。
「怪盗モンキーの目撃情報から逃走経路を割り出して、どこに潜伏しているのか探っている」
「へぇ。でも、何にも分からないって感じ?」
「せいかーい。巨匠館地区だってのは明白なんだけどなー」
俺が地図を指差すと、睦千はつまらなさそうに欠伸をした。
「それは予想がついていた。昨日、ボクが適当に辺り見ていただけだって思っていたの?」
「……それもそうだったな……」
「場所は関係ない。この怪盗の美学は被害者か盗品のどちらか」
睦千は寝癖頭のまま、俺が散らかしていた資料を見始める。
「顔くらい洗ってきたらどうだ?」
「……最初は朝野宝石店、指輪、ヘリオール。次が」
「おーい、睦千さーん」
俺が呼ぶと睦千は迷惑そうに顔を上げた。
「飯、食おうぜ」
「思考の邪魔しないで」
「俺ちゃんの奢り」
「行く」
現金だなーと苦笑すると、睦千はいそいそと顔を洗い、寝癖を直し、着替えをして、再び俺の前に現れた。
「今日寒いぞー」
俺は春用のジャケットを羽織りながら言うと、睦千はじっと俺の方を見た。
「なんか貸して」
「えー、なんかあったかな」
クローゼットを見ると、この頃あまり着ていないスカジャンがあった。袖がクリーム色で白いラインが入っている。
「これで良いか?」
「うん」
サイズが大きいようで、睦千は袖を捲ってよし、と呟いた。
「もう着ないからあげちゃうぜ」
「ありがとう」
「そんじゃ行こうぜ。れれれで良いか、ここから近いんだ」
睦千は何も言わずにこくりと頷いた。その手にはちゃっかり資料があった。
『れれれ』はいつも繁盛している。ここは福薬會本部、役場、トラムの停車場に程良く近い立地にある為である。席に案内され、お互いに注文をした後、睦千はじっと資料を見直していた。
「……最初は朝野宝石店、指輪、ヘリオール。次が」
「食べてからにしない? それ」
「だって気になる。食べている時は見ないからいいでしょ」
「まあ、思い詰めるなよ」
「分かっているよ。でも、ボク、調査方がやる事、結構好き」
「ホームズ好きだった方か?」
「読んだけど忘れた。でも、こういう言い方はアレだけど」
睦千は漸く顔を上げた。
「ワクワクする」
「分からんでも無い」
店内に低く流れていたレコードの最後の1曲が終わったようで、店内に会話とカトラリーの音だけが響く。
「まじ話変わるんだけど、俺、ずっと喫茶れれれの意味が分からなかったんだよなー」
「どういう事?」
「なんで店名がれれれかって事」
「……ボク、知らないや」
「え、まじ? 有名かと思っていたぜ?」
「ボク、意外とこっち来ない」
「ほぇーそうか。なら、どう予想する?」
「レモンのれ?」
「良い線だ。正解はレコード、レトロ、レモンのれれれだ」
俺はれ、れ、れ、と区切って言う。睦千はふと気づいたように、資料を見た。
「もしかして……なんで、ヘリオドールなんて、マイナーな宝石か……それに2回も真珠とアメジストなのか」
睦千は携帯を片手に資料を捲る。
「睦千? 睦千さーん?」
俺の呼び掛けを無視して、睦千は携帯に何か入力する。そして、成程と嬉しげに呟いた。
「もしかして、分かったのか?」
「……まだ」
首を傾げながら睦千は答えた。その口元はきゅっと笑いたいのを堪えているようだった。
「嘘はダメだぞう?」
「嘘はついていない。まだ解決はできない」
睦千は満足そうに椅子に座り直す。このタイミングでウェイトレスがサンドイッチとパスタ大盛りをそれぞれ睦千と俺の目の前に置いた。
「教えてくれないと困るぜ?」
俺はパスタの皿を睦千の方に渡す。睦千はサンドイッチの皿を俺に渡しながら、いやいやと首を横に振る。
「まだ、分からないよ」
それから、パスタにフォークを突き立て、くるくると巻き取り、口に入れて嬉しそうに笑った。
「んー、美味しい」
俺はじっと睦千を見たが、睦千は気にせず食事を続ける。
「なあ、何か分かったんだろう」
「決定打ではないよ。だから、何も分かっていないと言える」
「分かっているじゃないか」
睦千はしょうがないなと一度食事の手を止めた。
「まだ、怪盗モンキーの場所は分からない。今は動けないし、ボクからは何も言えない」
「なぜだ?」
「怪盗モンキーの目的はただの強盗じゃないから」
真面目に、睦千は俺を見ながら言った。
「絶対に捕まえるから、ちょっと見逃してほしい」
「……信じて良いんだな」
「信じて。たった2日の仲だけれども、ボクはこういう時、嘘は吐かない」
睦千はまっすぐに俺を見ていた。ペリドットのような瞳で、強くストレートな言葉を口にする。その時、俺は、どうして誰もが睦千に惹かれるのか、わかった気がした。
「分かった。信じるからな」
俺が言うと、睦千はありがとうと呟いた。
睦千が動いたのは、2日後、怪盗モンキーが再び現れた時だった。
「今度は物物通りの方だ!」
「何が盗まれた?」
「えっ……ルビーのブローチだ」
「そう、じゃあ急ごう」
そう言った睦千は俺と反対方向に走り出した。
「睦千ぃ!?」
「こっちだよ、猿はこっち」
走り出した睦千を、俺は追いかけた。本当は、怪盗モンキーの方へ向かうべきだと分かっていたけど、睦千のたった一言「信じて」が頭の中でリフレインしていた。
「確証はあるんだよな!」
「ある!」
睦千は声を張り上げて、瞳を輝かせて走る。きらりと光る蜂蜜色の瞳に、胸が締め付けられるようなら感覚を誤魔化して走る。
睦千が向かったのはアパート通りの方であった。新しいアパートが並ぶが、その中で赤と黒のレンガで目立つ『アパート・ダルマ』名前で足を止める。
「ちょっとそろそろ説明してもらっても……」
「盗まれた宝石に意味があったんだよ。あとでゆっくり説明するけど、ここにモンキーが来るはずだから気を付けて見てて」
「お、おう……」
俺は繰り返し見た被害一覧を思い出す。宝石に意味があった、と睦千は言った。最初はヘリオールの指輪、次にエメラルドの指輪、ラピスラズリのブレスレットに真珠のネックレス、アメジストの原石、また真珠のネックレス、トパーズのブローチ、ダイアモンドのティアラ、アメジストのネックレス、そしてルビーのブローチ……この中に高価な宝石があるとも、曰く付きの何かがあるとも、盗品だったもないのは確認している。他に何の意味が……。
「ラブ!」
睦千が叫ぶと、俺の頭にそこそこの衝撃が落ちてくる。
「いってえ!」
俺も叫ぶと、睦千はほら! と指差していた。その小さな爪が指し示す方に、茶色い毛むくじゃら。
「怪盗モンキー!?」
どうやら俺を足場にした怪盗モンキーは一目散にアパート1階の一部屋へ、小さな換気用の窓から入って行った。
「ほら、正解」
睦千は満足げに呟く。
「ほぇー、マジか……んじゃ、確保しに行きますか」
歩き始めた俺の服を睦千が掴み、無理矢理俺の足を引き止める。
「えっと……、睦千さん?」
「静かにね、一応。あと、扉は蹴破って」
「お、おう? まあ、そのつもりだったけど……」
「あっそ、ごめん。なら行こうか」
足音を潜ませ、怪盗モンキーが入った103号室の前に立つ。睦千に向けて、指を3本立てて、3、2、1、と折りたたみ、ドアを奇怪病の力を込めて蹴った。ドアは簡単に外れ、睦千が猫のように中に入る。
「福薬會だ!」
俺が叫ぶと奥の部屋でひぃっと小さな悲鳴が聞こえた。睦千は迷わず、靴のままその部屋に入る。俺もその後に続いて中に入る。
奥の部屋には男が1人、うずくまっていた。
「福薬會だよ、助けに来た」
睦千がそう告げると、男は顔を上げ、安心したようにありがとう! と叫んだ。
「なあ、睦千……」
「詳しい話はあと。ねぇ、訊きたいんだけど、君は連れてこられたの? 脅されているの?」
「両方です、言う通りにしないと家族を殺すぞって言われて……」
「監視役みたいなのはいないの?」
「この時間はいないです。でも、あともう少ししたら来るかも」
「了解。じゃあ、ラブ、ここに来たやつ、捕まえて」
「……おう……」
もうちょっと説明してほしいな、と思いながら、とりあえず外れたドアを直そうと玄関に向かう。向かった先、知らない男と目が合った。
「お前! 誰だ!」
男が拳を振り上げたのを見て、咄嗟にかわし、
「俺も訊きたいね!?」
と、男の腹に一発、力一杯拳を打ち込んだ。今日はやけに運命的なタイミングが多い事、気絶した男を近くにあったビニール紐で縛り、背後にいる睦千と怯えたままの男に尋ねる。
「なあ、結局どういう事なんだ?」
「ラブさ、メッセージジュエリーって知っている?」
「メッセージジュエリー?」
「宝石の並べ方でメッセージを伝える方法。伝え方は簡単、宝石の頭文字をとって読むだけ」
「はあ……」
「例えば、ダイアモンド、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイヤ、トパーズを並べて、それぞれの頭文字をとって読むと?」
「ダ、エ……」
「日本語じゃない、アルファベット、てか英語」
「あ、そっちね……D、E、A、R、E、S、T……ディアレスト」
「そう、DEAREST、最愛の人って言うメッセージになる」
「はぁ、そんなもんがあるんだな」
「昔のヨーロッパで流行ったらしいよ。それで今回、猿が盗んだものは?」
俺はメモを取り出し、盗品リストを見ながら頭文字をメモしていく。
「Heliodor(ヘリオドール)、Emerald(エメラルド)、Lapis lazuli(ラピスラズリ)、真珠……ああ、パール、Pearl(パール)……HELP……! 次が、Amethyst(アメシスト)、Pearl(パール)、Topaz(トパーズ)、Diamond(ダイヤモンド)、Amethyst(アメシスト)、Ruby(ルビー)……、エーピーティーディーエーアール? なんだ? いや、A、P、T、アパートか!」
「アパート通りにある『ダ』から始まるアパートは『段々荘』と」
睦千が床を差し示す。
「ここ。『アパート・ダルマ』。どっちか分からないからもう一個ヒントが必要だった」
「うお……すご……」
関心している俺を放置し、睦千は男に話しかけた。
「それで君はなんでこんなふうになってんの?」
「自分、宝石を生み出せる奇怪病を持ったまして……それ使って人工宝石を作って、格安で売る商売をしていたんですけど、詐欺グループみたいなのに目をつけられまして、脅されてここに……ここで、宝石を作らされていました」
「あの猿、怪だけど、なんか関係あるの?」
「ここに連れて来られて、2、3日経ったくらいに現れて……最初、びっくりしたんですけど、なんか懐いたし、いや、もうこんな状況なんで、死んじゃってもいいなぁみたいに思っていたんで、そうしたらこの子がヘリオドールを持ってきたんです。最初、俺の真似してんのかなとか思っていたんですけど、エメラルド、ラピスラズリ、真珠って続いて、こいつ、喋れないけど宝石通してなんか会話できたらいいなぁって思って、読んでみたんです。そしたら、助けてって言っているじゃないですか。助けてほしいのかって聞いたら首を横に振るし、じゃあ俺のためって訊いたらそうだって言うんですよ」
「え、健気……」
俺が感激している間、やはり睦千は俺の事はどうでもいいように部屋を見渡していた。
「まあ、大体分かった。それで、盗品と猿は?」
「そこの押し入れに……」
睦千はそれを聞くなり、押し入れを開ける。中から茶色い毛むくじゃらが飛び出し、男の腕に飛びついた。男が慣れた様子で猿を撫でる。
「ありがとうな、お前のおかげで助かったよ」
キィ、と鳴くと、猿は煙のように消えていく。
「あ、そ……お前の奇怪病から出てきたんか、その猿……!」
睦千はあっと口を開いて、それから、アハ、と笑った。その口から八重歯が見えていた、八重歯まで綺麗なのかよ、と俺は現実逃避をしていた、ちょっと意外な結末だったもんで。
「怪は奇怪病から生まれるもの。美学や欲望から生まれる、ほんとだね」
「マジそれ」
あー、どうしよっかな、報告書、と俺は天井を見上げた。
この細い身体のどこに入ったんだか、と俺はちょっと関心していた。睦千はそんな事はつゆ知らず、桃色のツヤツヤした口を大きく開け、ズルズルと麺を啜っていた。
「いやぁ、すごかったなぁ、今回は」
ほうだね、とフガフガと睦千は答える。
「飲み込んでからでいいぞ」
「ん」
報告書には事の顛末をなんとかまとめ、腹が減ったと鳴く睦千を連れて餡掛け専門店に来ていた。奢ってやると言うと、嬉々として睦千は餡掛けラーメンと天津飯を頼み、スルスルと食べ進めていた。
「ん……ああいうのって」
「珍しいぞ。春田さんも、驚いていたろうが」
「ああいう怪もいるんだね」
「なんでもありだろ、ここだと」
「そうだね」
てかさ、と睦千は話題を変えた。
「今日も泊めてくれない?」
ちょっと眉を寄せて、上目遣いに俺を見てくる。俺は睦千から目線を逸らし、泊まるかバカ、と言った。
「事件解決、やる事もねえんだし、帰れ帰れ」
「気まずいって言ったじゃん」
「帰らないと気まずいままだぞ。反抗期か?」
「さあね。そうかもしれないけど」
はー別の宿探そ、と睦千は麺をまた啜る。俺はその一言に嫌な予感がした。
「なあ、お前、いつから帰ってない?」
「……」
麺を飲み込んだ睦千は確か、と答える。
「2週間?」
「あ、思ったより短い……じゃなくて、いや、お前、未成年だよな」
「あとちょっとで17」
「てか、学校は?」
「通信制」
「なるほど。んで、2週間もどうしていたんだ」
「……色んな人に泊めてもらっていた」
「お前、そんなに友達いんの?」
「失敬な……まあ、成り行きで泊めてもらったりはしたけど」
「成り行きぃ?」
「ラブが想像しているようなやつじゃないよ。深文化郷の芸術家達に、モデルになるよって言っただけ。顔だけね。結構人気者だったんだよ」
「……それでも、危なくないか?」
「……まあ、2回くらいぶん殴って飛び出した事はあったかな」
「……なあ、なんで家帰んねえの?」
「だから、母と喧嘩したの」
「なんで?」
「反抗期?」
「帰った方がいいと思うぜ」
「うるさいなあ……」
「俺は泊めないし、ちゃんとお前が家の中入っていくまで見送ってやるからな」
「うざ……」
「てか、何に反抗期してんだよ」
俺は自分の食事を再開する。睦千は溜息を吐いていたが、ゆっくりと口を開いた。思春期ってそういうものだよな、と俺はなんでもないように箸を動かした。
「ボクってさ、あんまし、普通じゃないっていうか……こう、普通に憧れる時もあるわけで……イマイチ、今の自分を受け入れられない。でも、母は、そんなボクの事を受け入れているんだよ。そのままでいいから、自信持ちなさいって。でも、ボクはどうしていいか分かんなくて、一人でじっとしていたら、母は悲しそうな顔をするんだ。ボクは、母をがっかりさせるばかりで、がっかりさせるくらいなら、普通になりたいんだよ。普通の高校生。でも、ボクはそれにはどうしてもなれない。心がどうしたって根を上げる。ボクは普通になれない。だから、分かんないだよ……」
睦千は、一気に話すと、水を一息に飲んだ。空のコップにおかわりのお冷を注いでやりながら、俺は口を開く。
「俺の意見なんだが……自分を自分で認めるためには、そのままでいいよって言ってくれる人が傍にいてくれないと、そう思えないと思うぜ」
繰り返す恋愛に不名誉な称号を与えられたのは高校生の時で、訳も分からない衝動に狂いそうになった事がある。喧嘩に巻き込まれて、相手を病院送りにしてようやく自分の衝動に「奇怪病」の名前がついた。そして、俺は八龍に来た。八龍では、俺が浮名を流しても、「そういうもん」と笑い流した。その奇怪病が誰かの役に立つと知った。俺は俺の事を認められたのだ。
「……そういうもん?」
顔に真面目が出ていたのか、睦千は真っ向から否定せずに、少々考える素振りをした。どうやら、年相応に素直らしい。
「そーゆーもん。そのままでいいやも、そのままは嫌だから変わりたいも、その先で考えたっていいんだ」
「そーゆーもん?」
「そーゆーもん。お前よりちょっと長生きしてんだ、信じてみろ」
睦千が俺の顔を見た。揺れる金色の瞳から、目を逸らしたくなる気持ちをグッと抑える。ここで逸らしては、睦千は何も信じれないまま大人になってしまう、それだけは嫌だった。大人になるのは碌なことではないが、ちょっとは希望に満ちた大人になってほしいもんだろ、特にこの素直な子供は。
「……分かった、今日は帰る。そろそろ本気で連れ戻されるかもしれないし」
観念したように、睦千は呟くと、すぐに天津飯で頰をパンパンにした。ああ、いいな、そういうの、と俺はまた話しかける。
「なあ」
「んー?」
「俺と組んでみねえ?」
「…………」
口の中のものを飲み込んだ睦千は、俺の目を見て尋ね返す。
「ボクと?」
「ああ」
「なんで?」
「楽しそうだから」
へえ、と睦千はまた天津飯を口に入れて、咀嚼して、飲み込む。そして、また口を開く。
「いいよ」
「よっしゃ、じゃあ、よろしくな、睦千」
手を差し出すと、睦千はいそいそとおしぼりで手を拭いて、俺の手を握り返した。いいな、それ、と俺はブンブンと手を振ってみた。俺の手の中、細い手がもぞりもぞりと動く。
その日、俺たちは相棒になって、ついでにうっかり、俺は睦千に惚れてしまった。
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