第18話





「ひぇっひぇっひぇっ……これはみっともないところを見られちまいましたねぇ」



 いつも通りだったはずの、特徴的な笑い方はその姿からはとても痛々しく感じた。



 上半身は裸で、下半身はいつも履いていたジーンズ。



 だけど、コバルトブルーのだったはずのジーンズは汗と血でよくわからない色に変色していた。



 これがジョージだと知らされてなければ、或いはジョージと凡そ無関係な場所であれば。



 この男性がジョージだとはとても信じられなかっただろう。



 顔のいたるところに切り傷や擦り傷、かと思えばキャンディでも口に含んでいるのかと思うほど晴れた頬。



 そう、今の彼は思わず目をそむけたくなるほどに傷だらけで鎖に吊るされていたから。



「ひどい! なぜこんなことを……!」



 目頭が熱くなるのを感じながら私は檻の柵を掴むとジョージに向かって叫んだ。



 一体誰がこんなひどいことを。



 明らかにこれは、BWの行為ではない。私であってもそれくらいは一目で理解が出来た。



「……アーレアね! 私、アーレアにジョージを解放するように言ってくるわ!」



 私がアーレアの元へ走ろうと振り返ると、ここまで私を案内した側近の男性が道を阻んだ。



「いけません。リリ女王」



「どいて! なぜジョージにこんなひどいことをしたのか、私は知りたいのよ!」



 大声で脅かしたつもりだったけど、男性は表情一つ変えずに私の進路を塞ぐばかりだった。



「答えられません」



「答えて!」



 私が真剣なまなざしで彼を見詰めると、男性はほんのわずかだけど怯んだ表情を見せた。



「では一つだけお答えしましょう。ジョージ・ドーバは重大な命令違反を犯しました。誰のどんな命令に背いたのかは私にもわかりません。ですが、ジョージ・ドーバはそのために拘束されているのです」



「拘束!? これが拘束だっていうの?! どう見ても拷問よ、今すぐに彼を解放するのよ!」



 私に協力的で、マークに再び会うキッカケをくれたジョージの、変わり果てた姿に私は逆上し、彼に詰め寄った。



 だけれど彼は、押し黙ったままわざと私の目を見ようとしない。



「私を見なさい! 女王としてここに呼び戻したのなら、私は知る権利があるはずよ!」



「女王リリ、これ以上は答えられません」



 一度無表情に戻した彼は、それ以上表情を動かすことは無かった。



 それでも私は構わずに詰め寄ろうと、更に一歩踏み込んだ時……



「女王、もういいんです。こんな俺のためにそこまで怒ってくれて……なんだか嬉しいような照れ臭いような。ですんで俺の事は放っておいてくれ」



「ジョージ!」



 涙目になった私がジョージの檻の柵を掴み、力一杯に揺さぶろうとする。



 だけど、鉄の柵はびくともせず、私という人間が如何に力を持たないのかを痛感した。



「俺ぁね。自分の力がいかにちっぽけかってことを身に染みて知ってるんでさぁ。そんなちっぽけな俺でも大事なもんってのが、生意気かもしれませんがありましてね。

 そのためなら自分の痛みなんてどうでもいいんでさぁ。だから、リリ女王。

 あんたは俺の事なんて気にしないでいいのさ」



「気にしないなんて、そんなこと出来るわけないじゃない! だって貴方は……」



「女王、その男と話すのはそこまでです」



 男性が、私の肩を強く掴むと無理に折から引き離し、私は遠のいてゆく柵を掴もうと何度も宙を振った。


「マークのことは諦めるんだ!」



 距離を離され、視界から遠のいてゆく中、ジョージは私に向かってそう叫んだ。



「黙れ!」



 私を羽交い絞めにしたまま男性がジョージに恫喝し、ジョージはそれ以上なにも言わない。



 だけど私は、……私は。



「絶対に、諦めない! 絶対よ!」



 強く、言った。



 気のせいかジョージは、小さくなっていく中、少し笑ったような気がした。



 その日から私が地下に行くことは堅く禁じられ、近付くことすらも許されなくなった。



「コーラク、今日も通してくれないのね」



 私をジョージの元へ案内してくれた男性は、コーラクという名前だった。



 地下に続く階段。



 コーラクはいつもその場所に立ち私を入れまいと目を光らせる。



 そんなコーラクに私は話かけるけど、彼が何か発言することはたまの時にしかなかった。



「……ジョージは元気?」



「死んではいませんよ。食事も睡眠も与えていますし、アーレア将軍の命で鎖も外しました。ですが、元気かどうかはわかりません」



 なにか言おうと思ったけれど、私は「生きているのなら元気ね」と小さく答えるとその場を去った。



 ここにいる限り、いくら頑張ったところで、どれだけ考えを張り巡らせたところで私がジョージと再会することなど現実的じゃなさそう。



 こんなに大きな城に住んでいても。



 女王様という大層な身分であったとしても。



 私は立った一人の民間人でさえも救えない無力な女なのだ。



 この城に居る時間が、私を無力感で染めあげてゆく……。



「……マーク、私はどうすればいいの」



 気づけば、私はマークの名前を呼ぶ回数が増えている。何度呼んでも会えるわけでも、話せるわけでもない。



 空しくなるだけだ。空しくなるだけなのに、マークの名前を声にして呼ぶだけで、ほんの少し、本当に微かだけれど心が落ち着く気がしたの。



 だけど、マークの名を呼ぶたびにマークと会わせてくれたジョージの顔が浮かぶ。






 ――イリアルム・シュークリームへ行くのを四日後に控えたとある日のことだった。



 町の人々は、連日私を訪ねて来ていた。



 戦乙女としての私と、女王としての私。両方の私に会いに来てくれているけど、誰も私を【リリ・ピース】という一人の人間としては尋ねてこない。



 それが寂しい……とは思わないけれど、一体自分が何者なのかが分からなくなった。



 私は、リリなのか。



 それともヴァルキリーなのか。



 やはり女王なのか。



 どちらにせよ、私が私として自覚できるのは結局、『自分はリリ・ピースである』ということ。



 たった一人の愛する人の為に殉じたいと願う、どこにでも居るつまらない女であるということ……。



 私のところに来る住民は、様々だったけれど半分以上は毎日私のところに訪れた。



 いつもいつも同じ顔で、同じことを願う。



 その願いとは、「どうか無事に帰ってきますように」。



 この人たちの前では私は偽物であったとしても、神様でいなければならなかった。



 なぜなら、私自身も心の底からみんなの大事な人が帰ってくるよう願っていたから。



 もしも、私が本当に神様であったとしたら、この人たちの願いを一人も残さず叶えてあげたい。



 そのために、なにが私に起こってもなにも後悔はしないの。



「リリ・ピース女王様ですね」



 いつも見る顔とは違う、見慣れない女性が辺りを気にしながら私の名を呼んだ。



「そうですよ」



 笑顔で女性に返事をすると、その女性はとても悲しそうな顔で私を見詰めた。



「ああ、リリ女王様……どうか、どうか私の夫をお赦しください」



「赦す? なんのことでしょう」



 目に涙を溜めた女性が私だけに聞こえるような声で、「私はジョージ・ドーバの妻です」と名乗り、私は思わず声をあげそうにあった。



「お静かに!」



 声を上げずに済んだのは、彼女が真剣なまなざしで私を見詰め指を立てたからだ。



「なにも仰らず、私の話を聞いてください。夫を助けてほしい……本心はそうですが、それをお願いしにきたわけではないのです。……私は、イルカ・ドーバといいます」



「……わかったわ、イルカ。続けてちょうだい」



「慈悲深いご理解に感謝いたします……」



 ジョージの妻・イルカはそれについて話し始めた。



 私の知らない、ジョージのことを。



「ジョージは、AP軍に寄ったジャーナリストです。ですが、完全にどちらかに依存していまえば売れる記事が書けない……ということでジョージはBWにも顔を出すようになり、マーク・ウォーと出会いました」



「マーク……」



「ええ、リリ女王。貴方の大事な人のことです。ジョージは、パームライズホールで貴方とマーク・ウォーを会わせることを私によく自慢していました。

『これで世界が変わるかもしれない』と、大好きなコニャックを飲みながら言ったものです」



 私の前で、お尻のポケットで温めたスキットルの中のお酒をおいしそうに飲んでいたジョージが浮かんだ。



「その件は……本当に感謝しています」



「いいんです。私は夫に変わって貴方に謝らなければならないのですから」



「謝る? そういえば、貴方はさっき私に『赦してほしい』とも言いましたね。一体それはどういう意味なのです?」



 イルカは、懐から一枚の写真を取り出し私に差し出した。



 それを受け取り、見てみると私は余りの痛々しさに悲しみが込み上げる。



「ひどい……」



 写真に写っていたのは、10歳ほどの少年。



 ベッドの横たわった少年の片方の足は根元から無くなっており、もう片方の足も足首から下が無かった。



 何重にも包帯が巻かれており、虚ろな瞳はすがるようにカメラを見詰めている。



「アオ……私の、いえ私達の息子です」



「えっ……っ!」



 思わずイルカの顔を見た。



 イルカは真っ直ぐに私を見詰めたまま、声も出さずに涙を流していた。



「パームライズホールのパーティがあった3日前のことでした。地雷地帯だと危険地域に指定されていた先に入ってしまい、ご覧のようになってしまったのです。

 幸い、一命は取り留めましたが……足が吹き飛ぶような大けがです。いつ怪我が悪化して死んでしまってもおかしくありませんでした」



 イルカの話を黙って聞くしか出来ない。なによりも悲しいことは、そんなにも大変な時にジョージが私のためにいてくれたことだ。



 一体、ジョージはどんな思いであの場に……



「泣いてくれるのですね、リリ女王。やはり貴方は夫の言うように優しいお人です。しかし、悲しまないでください。ジョージは、金策に走り回りましたが、誰も治療費を助けてくれるほど裕福ではありません。そこでアーレア将軍に医療費の援助を願い出たのです」



「……そうだったの」



 私は分かった。イルカがその先を言う前に。



「リリ女王、どうか……どうか夫をお赦しください。アオの命を救いたいがために、ジョージは貴方とマークが再会することを知らせてしまったのです! そして、条件を呑むのならアオを……子供を助けてくれると」



 涙が溢れ、流れる。それは激しく嗚咽を伴うものでなく、静かに……静かな涙だった。



「人間とはなんて悲しいものでしょう……」



 イルカはそれでも私を見詰めながら、一切汚れの知らない言葉で続けた。



「条件とは……もう一度、二人をパームライズホールで再会させること。そして、パームライズホールへ行くチケットを二枚、リリ女王とマーク・ウォーに渡せ……と。

 ジョージは、チケットを直接渡すのが恐ろしかった。自分がリリ女王とマークを殺してしまう気がして……。

 だから一緒に来ていたメンバーにそれぞれ渡したそうです。きっと、お二人の事情を知っているだろうから、二人の手に届くだろうと」



「一緒に来ていたメンバー……まさか」



 トーアの顔が脳裏に過った。もしかして、もしかして……それは



「なんという運命の悲劇でしょうか。チケットを渡した二人の男女はその夜、出会い惹かれあってしまったのです。そして、互いとも持っていたチケット……。

 再びパームライズホールで再会を約束するのは自然なことでした。もらったチケットを貴方がたに渡さず……まだ見ぬ愛のために」



 パームライズホール空爆の日。



 ジョージが私の元へ血相を変えてやってきた。



『なんでお前がここにいるんだ!?』……と。


 そして、それはつまり……ひとつの真実を浮かび上がらせ、私をまた深い悲しみに沈める。



「その日に空爆があったということは、……やっぱりあの空爆はAP軍の物だったのね」



 非戦闘地域を攻撃するという無慈悲な行為。



 戦争から離れていたかっただけの人々が、成す術もなくただ死んでいった。



 戦うでも、逃げるでもなく、ただ死んでしまった。



 それを指揮したのが、恐らくはアーレアだということ……。



 そして、そのアーレアが私に命じたイリアルム・シュークリームの日。



「任務の失敗を受けてジョージは捕らえられました。そして、今も拘束されています。夫を助けて欲しいとここまで来たのではありません。貴方の命を奪おうとしたばかりか、貴方の友人の命を奪ってしまった私の愛する夫を赦してほしいと……虫の良すぎる話ですが、それをお願いしに参りました」



 祈るように掌を組み、頭を下げるイルカの肩に手を乗せ、私は「大丈夫よ」と言った。



「……リリ女王」



「私は誰も憎まない。トーアが死んだことも悲しいけれど、アオが戦争の犠牲になったことも同じほどに苦しいわ。ジョージがそのために苦悩したことも、こうしてジョージを赦してほしいとここまでやってきたイルカ……貴方の事も。

 私にはどれもが同じ苦しみで悲しみなの。重い軽いなんてない、人が幸せでないことは悲しいことだわ」



「では、ジョージは……」



「赦すわ。……というよりも、最初から恨んでなんかいない。むしろ感謝しているの。それは今も決して変わらないわ」



 祈りの手を握り、顔を上げるように促すとイルカはくしゃくしゃにした顔で私の目を見詰めるばかり。



「イルカ、顔が涙でくしゃくしゃよ? そんな顔をしていたらアオが悲しむわ。さぁ、笑って病院に帰ってあげて。ジョージもきっと帰ってくるから」



 イルカは何度も「ありがとう」と言って、私の足に縋りつくように泣いた。



 私も出来るだけいっぱいに笑いながらイルカを抱きしめた――。






「ジョージ・ドーバを解放しろ? なぜだ」



 アーレアは少し怖い表情で聞き返してきた。



「なぜかわからないけれど、ジョージと私を会わせたくないのでしょう? 大丈夫、ジョージが危ない目に会うのならもう決して会わないわ」



「悪いがそれはできないな。なにか誤解しているようだが、君となにも関係はないよ。彼は重大な違反を犯しただけだ。今は地下室で拘束しているが、命を取ろうという訳じゃない。反省すれば帰すさ」



 アーレアはジョージを出す気など微塵もない……といった様子で言い放った。



「脅しにならないのかも知らないけれど、彼を解放しないのなら私はイリアルム・シュークリームにはいかない」



「……ほう。君にしては珍しく強い言葉を言うじゃないか。しかし、今君自身が言った通り、それは脅しにはならない。なぜなら君の意思はすでに決定を覆せないからね。だから、この交渉は成立しないということだ」



「そう。じゃあこうするわ」


 解放された窓の枠に飛び乗り、急に通り道が狭くなった風がカーテンを揺らし、私は少し高くなった場所からアーレアを見下ろした。



「なっ!? なんのつもりだリリ!」



「私にはなにも変えられないと言ったわね。だけどそれはその日まで私が【生きていたら】の話よ! ここで私が飛び降りれば国民はどう思うかしら。

 事故と発表してもきっと誰も信用などしないわ」



「馬鹿な、やめろ!」



 アーレアが近づこうとしたので、私は支えていた手を枠から放した。



「やめろ!」



「私が飛び降りないと思ってるのかしら」



 アーレアは動揺した素振りを見せると、「コーラク!」と声を荒らげて呼んだ。



「お呼びでしょうか将軍」



「今すぐジョージ・ドーバを解放しろ! 今すぐにだ!」



「は?」



「早くしろ! リリが死んだらお前を処刑してやるぞ!」



「は、はい! すぐに……」



 アーレアはコーラクが部屋を出ていくのを待って「これでいいのだろう」と私を睨んだ。



「やっぱり、貴方は優しいのね」



 ――アーレアは笑わなかった。









 いくつかの思い出と、いくつかの後悔と、だけどそれよりも幸せなことばかりを考えていた。



 綺麗なドレス、メイクが私別人のように飾っているのに、目の前には戦車がギュルギュルと地響きを鳴らして走っている。



 次第に見えてきた広場には、千を超えるのではないかと思うほどの兵士たち。



 誰もが、一同に私とアーレアに注目し、特設されたステージにいつ上がるのかと待っているみたい。



「私が演説を終えたらステージに上がってくるんだ」



 アーレアが耳打ちし、私は黙ってうなずいた。



 車がやがて停止し、その場は静まり返った。



『諸君! 今日という日は、なんと記念すべき日であろうか!

 我々の掴んだ情報によれば、すでにBWは疲弊しきっている。兵士の数が圧倒的に足りず、武器を持て余しているというではないか!

 それは何故だと思う? 私はここに強く言いたい!

 今の有利な戦局は、諸君ら兵士たちが命を賭して戦い抜いてくれたからである!

 今日! このイリアルム・シュークリームの地平に於いて、彼らは軍の生死を賭けて進軍してくるだろう!


 あえて言う。我々は必ず勝利する!


 だが、ただ勝つだけではダメなのだ。決してまたこのような悲劇的な戦争を起こさせない為に! 世界が平和であるために! この平和が決して、誰の手からも侵されないために!


 非情なほどまでに屈服させなければならない。

 この戦場が、その全てを決定づけてくれるだろう! もうまもなく、諸君らの愛しい家族や恋人がこの恐怖から逃れ、争いことは無縁の世界がくる!

 この戦争を終わらせて、諸君らも家族の元へと帰ってほしい! 立て、我らが誇り高きアフターピース軍の英兵たちよ! 不可侵の平和世界をこの手に掴むのだ!』



 ――やっぱりここは戦場になるのね。



 私は驚かなかった。



 アーレアは、最初私に今日の話をした時、『戦場ではない』と言った。



 あくまで兵士の士気を上げるために歌ってほしい……と。



 だけど、私はイルカの話を聞いたときに確信したのだ。



 ここは戦場になる……と。



 だけど、私はそれに対し心の変化は無かった。



 ここが戦場であろうと、戦場でなかろうと、私のすることは変わらないから。



『そして! 我らには平和へと導く女神がいる!

 この女神がいるべくして、なぜ敗北しようか!!

 皆も知っていよう、兵士を家に導く戦いの女神にして私の愛する妻、リリ・ピースである!!』



 アーレアの大袈裟な紹介に、千近い兵士は一斉に歓声を上げる。



 それに背を押されるように私は檀上に上がった。



「……」



 笑顔で私は兵士たちに手を振る。



 雪崩れでも怒っているような、地響きを伴う兵士たちの声。



 しかし、アーレアが手を上げるとそれもピタリと止んだ。



「歌ってくれ、リリ」



「ええ、喜んで」



 眼前に広がるヘルメットの海。この暗い色がいつか鮮やかな海の色に変われることを祈って、私は歌った。 

If the sun should tumble from the sky,

If the sea should suddenly run dry,

If you love me, really love me,

Let it happen, I won't care.

If it seems that everything is lost,

I will smile and never count the cost,

If you love me, really love me,

Let it happen, darling, I won't care.

Shall I catch a shooting star? 

Shall I bring it where you are?

If you want me to, I will.

 

You can set me any task. I'll do anything you ask,

If you'll only love me still.

When at last our life on earth is through,

I will share eternity with you.

If you love me, really love me,

Then whatever happens, I won't care.


『進めェ!』



 私は後続に続く軍用車に揺られ、ずんずんと前へ進む。



 アーレアは一度も私を見ることはなかった。



「ねぇ、アーレア。私はここで死ぬのかしら」



「馬鹿を言うな」



「そう……」



 マーク。三度目に出会うことはもうきっとないけれど、私は後悔していないわ。



 マーク。貴方を愛した私の人生は、とても……とても幸せだったの。



 ねぇ、マーク。いつかどこかの世界で、名前も知らず出会いたいわ。



 マーク。私は、貴方と……私は貴方とだけ生きていくの。



 いつか子供を産んで、子供が大人になったら二人で湖のほとりに小さな家を建てて、二人っきりで住むの。



 長い時間が経って、貴方が先に死んだら、貴方の安らかな顔を眺めながらこれまでの感謝を歌うわ。



 そして、貴方のいない残された時間を、貴方と居た思い出と一緒に過ごすの。



 きっと私のところに訪れる死神は、出会ったころの貴方にそっくりで、不思議と恐怖のないまま私は貴方に似た死神に手を引かれ、天に召されるの。



 これが、私の望む、次の人生よ。マーク。





 ――歌が聴こえる。どこから聴こえる歌かしら。




 耳を澄ませてみると、その歌は私が歌う歌だった。



 私が、私にしか聞こえない声で、歌った……愛の歌。



 少しだけ勾配のある丘に差し掛かると、風のうねりのような音が正面よりもっと向こうから聞こえてくる。



「ここで待っていろ」



 アーレアは車から降りると、後方からついてきた分隊に向けて歩いていく。



 ここまで運転していた兵士も、武器を取ると戦線へと走っていった。



 ……なるほど、ここなら標的にしやすいのね。



 死は、覚悟していた。



 きっとここで死ぬんだってことも。



 ひとりきりになった私は、歌うべきかしら。



 だけれど、なんの歌を歌えばいいのだろう。



 シュボッという音が空を裂いた。



 次々とロケット弾が周りに落ちてゆく。



「きゃあっ!」



 その余りの轟音と衝撃に思わず頭を抱えて蹲った。



 瞬く間に白いドレスが灰色に汚れてゆく。



 ドォン、と真後ろから戦車が砲弾を放ち、耳に細長く尖った音だけが残り、一瞬でこの世界を別のなにかに変えていってしまう。



 BWが進軍してくるのが見えた。



 ……少ない。



 AP軍が1000人だとすれば、進軍するBWは半分より多い……くらい。



「兵士が足りない……」



 アーレアが言っていたことを思い出す。そうか、もう……戦えないんだね。


「!!」



 轟音や銃声が飛び交う中、私はハッとした。



 これが最後の戦いになるかもしれない……それならあの中に、あのBWの中にマークがいるのかもしれない!



 急いで車から飛び降りると、私は真っ直ぐ走った。



「リリ女王! どこへ!? 止まってください!」



 後ろから兵士の声。



 私は聞かずに兵士たちの背を追い抜こうと走っていった。



「おい! やめろ! 死ぬぞ!」



 なにもせずに、ひとりっきりの車の上で死ぬより……少しの可能性に……!



 兵士たちは私を止めようとするけれど、すでに戦場となっていたその場では誰もが自分のことで精いっぱいだった。



 だけど私にとってはそれが、都合が良かったの。



「マーク……。マーク!」



 兵士たちをかいくぐって前へ前へと走り、途中で靴が邪魔になったので脱ぎ捨て、また走る。



「リリ女王! それ以上はだめだ!」



 兵士の一人が私の前に塞がり、これ以上はいかせまいと体を張って止めようとする。



「どいて! 私は、行かなきゃいけないの!」



「ダメです! 私は死んでもこの先には行かせません!」



「……そんな!」



 その瞬間、私の前に塞がった兵士は「んごっ」という声と共に目の前から消えた。



 何事かとそれを目で追ってみると、別の兵士がその兵士を押し倒して自由を奪っている。



「リリ、行って!」



 銃声と硝煙、砲弾の音に足音や金属が干渉する音。



 そんな中でもその兵士の声だけは聞き逃さなかった。



「キナ……」



 その声の主とは、キナ。



 キナに間違いない。



「リリ、お願い! 全力で……貴方は全力で生きて!」



「キナ……」



「止まらないでください! 会いたい人があそこにいるんでしょう!?」



 がこっ、という音と一緒に頭に衝撃が走った。



 何事かと思い、頭を触ってみるとそれはヘルメットのよう。



「弾は当たらないと思いますけど、一応一番当たっちゃだめなところだけは守ってください」



 ヘルメットを渡したのはラミトだった。



「ラミト……」



「早く!」



 分かってる、涙を流している暇なんて……ないんだ。



 銃弾が前からも後ろからも、槍の雨のように飛び交う。



 そのどれもが私に当たらない。



 だけど、それを不思議に思う余裕なんてなかった。



「マーク! そこにいるの?! マーク!」


 次第にBWの兵士たちが見え、私に気付いた何人かが信じられないものを見るような目で私を見ると動きを止めた。



「おい、女だ! なんだあれは、ドレスだと!?」



 まだ遠く見えるBWの兵士の中から一人の兵士が私を見詰め、すぐに後ろを振り返った。



「マーク! おいマークッ! リリだ! リリがいるぞぉお!」



 ――そんな風に聞こえた気がする。



 私は走る。多分、裸足の足は傷だらけになっていると思うけど、痛みもなにも感じない。



 ただ、そこにいるかもしれない私の恋人へ……。





「リリ!」



 群れの中から一人の男性が飛び出してきた。



 彼は、武器を投げ捨てると背負っていたランドセルも捨てた。



 そして、私と彼は同時にヘルメットを投げ捨てて走り寄ってゆく。



 私に弾丸が当たらないのと同じように、こちらに走ってくるマークにも全くかすりもしないようだった。



 私自身も、マークに弾丸が当たる気がしない。



 どうしてだろう。



 戦場の中で、絶対にあり得ないこと。



 銃弾の飛び交う中で、絶対に触れあうことなど出来なかったはずの二人。



「マーク!」



「リリ!」



 マークが手を伸ばした。



 私も手を伸ばした。



 二人の手が触れ合う瞬間まで、スローモーションのようにゆっくりと世界が見えたの。



 指と指が、互いの指の間に絡まり、元々一つだったものが分かれて、また引き合うように私達は強く抱きしめ合った。



「マーク……」



「リリ……」



 互いの軍が応戦している真ん中で、私達は抱き合う。



 それがどれだけ異常な光景なのか、それは周りの人たちが決めてくれればいいの。



 ただ、私は愛する人に……出会えた。



 私には弾丸をよけることよりも、よっぽどこのことのほうが奇跡だったから。



 これが、私にとっての奇跡。



「マーク、もう離れない……」



「ああ、俺ももう離さないさ、リリ」



 こんなにも愛しい人の顔が、近くにある。



 マム、私は今、幸福を手に入れたわ。ありがとう……もう、なにも望まない。



 この愛おしい人に抱かれながら、全てが終わってもいいの。



「マーク、愛してる」



「ああ、俺も……愛してるさ」



 銃弾の飛び交う中で、私達はキスを交わした。



 長い長いキスを。



 最初に衝撃があったのは、肩。



 その次は、足……背中。



 私が笑ってマークを見上げると、マークも優しい笑顔で私を見詰めていた。



「……魔法が解けちゃったみたい」



「そうだな。もう弾丸が俺達を避けなくなった」



 マム、分かったわ。



 私とマークに銃弾が当たらなかった意味。



 ここで、マークとキスをするまで魔法がかかっていたのね。



 初めて出会ったあの夜から、ずっと魔法がかかっていたの。



「キスをしながら死にたい」



「それは奇遇だな。俺も丁度同じことを考えていたところだ」





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