第17話
――流星に名前を付けたの。
イエローサンシャイン。
格好の悪い名前だってニックは笑うかしら。
センスを疑うけど、嫌いじゃない。トーアはそんな風に言ってくれそう。
リリ、素敵な名前よ。星もきっと喜んでいるわ。……きっとマムも言ってくれる。
いつか、黄色い陽の光のように、優しさだとか温もりが世界中に降り注ぎますように。
アーレアの元へと帰ってゆく電車の窓。
夜を闇にしない星々を見詰めて、私は一人で歌ったわ。
声を殺して泣くのは難しかったから。歌いながら泣いたの。
「もう少し人の死に慣れたほうがいいですよ。リリ」
列車の駅へ向かう車中、キナは無表情を務めて言った。
「……慣れないわ。人に格付けはないもの」
「しかし、人は格付けされているのです。だから戦争が起こった」
「そうね。けれど、いつかそんなものがないんだって、みんなに分かる日がくる。私は信じているの」
キナは少しの間黙った。
そして一瞬「トーア……」と名前を言ったかと思うと、思い直したのかその先は言わない。
私には分かっていたわ。
きっとキナは「トーアが殺されたのに、誰を信じればいいのですか」と言いたかったのよ。
「理想だと笑ってもいいの、キナ。それでも私は言うわ。『憎しみは何も生み出さない』と」
砂埃を舞い上げて走る軍用車は、何度もお尻を小突いた。キナはそれ以上なにも言わなかったわ。
ラミトは来なかった。
だけど、最後に一枚の絵をくれたの。
「リリ女王。私は話が得意ではありませんし、人と交流を持つことも苦手です。兵士になる前は毎日絵を描いていました。……いつか、戦争が終わり生きて出会うことが出来たら、私の絵のモデルになってください」
キャンプでの最後の日、身支度をしていた私にラミトは言った。
「……素敵」
ラミトのくれた絵は、トーアとラミト、そしてキナが三人で笑う姿。
軍服を着ているものの、手に武器は持たず肩を組み、なにか歌を歌っているような絵だった。
「私達に歌を教えてくれたのは貴方です。リリ女王、お礼にいつか油絵を教えて差し上げますよ」
ラミトは私と握手を交わした後に、去ってゆく車を敬礼で見送った。
「私もきっと、戦争に参加してしまっているのね」
キャンプのあった町を離れてゆく間、車窓から見える景色を眺めていた。
ラミトと同じくキナも敬礼で私を見送ったわ。
遠ざかってゆくキナに手を振りながら、私は立派にこの戦争の当事者であるということを自覚した。
「どうか、ラミト……キナ……貴方たちは生きて……」
聞こえるはずのない言葉を言いながら、私はいつまでも手を振っていた。
夜にもなって列車の振動は、私を眠りへと誘う。
全ての兵士を思うと、眠ることが罪であるように思ってしまう。だけど、眠ってしまえば夢の中でマークやトーアに会えるかもしれない。
そんな期待と罪悪感が片手で紐を引くように、順番にやってくる。
「夢の中でなら……」
このまま眠ったまま、死んでしまえばいいのに……。
ハッと、我に返ると今自分が考えた愚かな思考を心から呪った。
「私が、勝手に死んでいいはずがないわ。沢山の命と平和のために、私が出来ることを考えないと」
城に帰ってしまえばまた缶詰のような毎日が帰ってくる。
そうなれば、きっと沢山の用事に追われて、考えることすら許されなくなるかもしれない。
アーレアはそうするだろう。わざと私に沢山の仕事を用意して、外に出さなくするのよ。
きっと誰かがこう言うわ。
「お前が世界の平和のために出来ることなどなにもない」って。
だけど私はこう言うの。
この世界は私の前に広がっているから。
この世界は、私が動き出さないと動かないから。
平和も、愛も、それを決めるのはきっと私よ。
それを作り上げたのはやっぱり世界で、この世界が私を作った。
だから愛する世界の為に私は歌うの。
私は、私の世界の為に立ち続ける。
なぜなら、私の世界は誰かの目の前に広がる世界だから。
みんなの見える世界を守りたい。助けたい。救いたい。
手を繋ぐことが愛。だから、私は貴方と手を繋ぎたい。
イリアルム・シュークリームの地は沢山のガーベラの咲く綺麗な丘だった。
ふわふわの大きなシュークリームのような岩山と、それをお皿の上で囲むようにデコレーションされたガーベラ。
色々な色のガーベラはマーマレードやストロベリークリームのようで、子供の頃に写真で見た時、私はその風景に目を奪われた。
なのに、アーレアは城についたばかりの私に言ったの。
「北の魔法使いにやられてね、イリアルム・シュークリームはもっとも大きな戦場となった」
アーレアの無いはずの右手が私との距離を一定に保っているようにも思える。
その見えない手のおかげで私は、少しだけ気が楽になった。
それよりも私はあの美しいイリアルム・シュークリームが、戦地となっていることの方が衝撃的で、悲しい。
「あのガーベラ達はもうないのかしら……」
私の中では、あのガーベラは咲いたままなのだけれど、今は灰色の硝煙が立ち込める地になっているのかな。
「ガーベラ……? あそこは雑草一本すらもない激しい戦地さ。もう4か月以上も激戦を繰り広げている」
「そう、なのね」
「悲しそうな顔をするな。お前にはガーベラよりももっと似合う花があるだろう」
「……」
ガーベラを頭飾りにしたいわけじゃない。だからといって摘み取って花束にしたいわけでもない。
私はただ、あの景色をこの目で見てみたかっただけなのだ。
「その変わり果ててしまったイリアルム・シュークリームになにかあるの?」
アーレアがその地を話題に挙げたのにはなにか理由があるずだった。なにしろ私が城に帰ってすぐにこの話を持ち出したのだ、なにかなければ不自然だと思った。
「パームライズホールの一件を受けてね、来週にもこの地で大規模な攻撃を行う」
大規模な攻撃……。
それがどのようなものなのかわからなかったけれど、少なくともそんなことをすればガーベラはもう二度とその地に咲くことはないだろうし、より沢山の兵士が死ぬのだということだけは私にも分かった。
「ダメ……」
「なんだと?」
「もうこれ以上、命を奪わないで。なぜ貴方は戦争をするの?!」
アーレアの肩を正面から抱きしめ、私は縋るように懇願し、アーレアの顔を見上げた。
「戦争屋に戦争の意を問うのか。いいか、リリ。人はな、決して分かり合うことなど出来はしないのだ。人は、人の上に神を創り、その神を自分を作り上げた象徴だとする。
よって、神に祈れば、神の言うことを聞けば、自分たちは死の恐怖や生の不安から逃れられる……。誰もがそう思っている。
だが残念なことに神とは一人ではない。国々の思想と共に複数の神が存在し、その互い同士が他の神を『虚像』だという。
人々は自らの存在証明の為に、長い年月の中で作り上げた神を唯一の物として崇めたいのだ。国民が作った神は国である。
神が神を認めないのならば、どちらかがどちらかを消すしかあるまい。
わかるかリリ。
これは人間同士の戦いではないのだよ。神々を賭けた聖戦なのだ」
「……神は自分だと思っているのではないの? アーレア」
私の言葉にアーレアは体を離すと私の目を見詰めた。
そして、憐れみと軽蔑の色を孕んだ瞳の奥で私の頭を突き抜けてしまうほどの尖った光を放ち、なんの表情も滲ませず言う。
「ああ、私は神になるはずだった。だけど君が神になってしまったんだ。それならば、我らAP軍は君を真の神にするのだ」
「……また私を虚像の神に仕立てあげるつもり?」
「なにを言う。君は勝手に神になったのさ。処女でもないのに、一人の神となった」
処女でもないのに……というフレーズに思わず顔を伏せる。少なくとも私は、アーレアを失望させてしまった。それだけは間違いなくある事実。
いくら私がなにを唱えたところで、それは変わらない。
そして、それが原因でニックが死に、私が戦地に行ったことでトーアが死ぬきっかけにもなった。
「なにが神……私は誰も救えない……」
私自身が一番よく理解していること。
それは、自分が神様でもなんでもない《ただの人》であるということ。
人が死ぬ度に、世界を変えなければと思い。
人が死ぬ度に、世界を変えたいと願う。
歌うことしかできない私は女神と言われ、戦いを煽る存在になってしまった。
だけど周りには誰も居なくなって、トーアもニックも死んだ。
そんな中で私が生きていけるのは、愛を信じているから。
この愛こそが全てだと、誰よりも何よりも信じているから。
そう、私は人を愛し、一人の男を愛した……ただの女。それ以上でもそれ以下でもないの。
「どうすれば私は人に戻れるの?」
アーレアは意外そうに少し首を傾げると言った。
「何を言う? 君は既に神となった。今更人になど戻れないさ。君は全ての人々を導くんだ」
「……なにを言っているの?」
アーレアの言っている意味が分からずもう一度彼の瞳を見た。
彼の瞳はさきほどとなんら変化はなかったけれど、その変わらなさが逆に私の胸をざわつかせた。
「……アーレア」
「イリアルム・シュークリームは来週、休戦地帯になる。君にはそこでAP軍の象徴となり、兵士の士気を上げるのに貢献してほしい」
「貢献? 戦争を憎む私がなぜ兵士の士気を」
「生きて帰る、という士気だよ。戦うためのものじゃない」
物は言いよう……だとも思ったけど、兵士には生きて帰ってほしい。それは本心。
だけど、それは同時に【戦争に駆り立てる】ということ。
「そんな……っ!」
言葉が出ない。
【私に出来ること】、計らずともそれについて考えていた矢先の話。
兵士を一人でも多く生きて帰らせたい。
けれど、それはもしかしたら『敵兵を一人でも多く殺して戦争を終わらしたい』と同義なのではないのか。
「君に戦争が終わらすことが出来るかい? 答えはノーだが、少しでも早く終結させる手伝いは出来るのかもしれない。敵は大多数死ぬだろうが、終結するのが遅くなればなるほど、それ以上の兵士も民間人も死ぬ。
パームライズホールの惨劇を知っているだろう?
君はトーアのような悲劇をまだ繰り返してでも戦争を長引かせたいのかね」
言葉が……でない。
「簡単なことさ。君が武器を持つわけでも、君が兵士を焚き付けるわけでもない。ただ、その歌を兵士たちの前で歌えばいい。それだけで彼らは神を信じ、家族の元へと帰るために戦うのだ。そう、君と言う神を信じて……ね」
言葉はこんなにも喉から先に昇らないのに、涙はとめどなく溢れてくる。
この涙は、なんの涙なのか。
私にはもう分からなくなった。
ただ、一つだけ分かっているのは、私が戦争を終わらせるために出来る、最初で最後の舞台だということ。
歌っても、歌わなくても人は死んでしまうのだ。
「BWの兵士にも、家族がいるわ……アーレア」
「ああ。だが、誤解しないでほしい。我らは人殺しをしにいくのではない。平和を生み出すために、罪を背負いに行くのだ。誰が人を好んで死なせたいものか」
「平和を守るために、戦争を無くすために、BWを処刑するの……」
「処刑ではない。救済だよ、リリ」
押し寄せる感情の津波に、私は立っていられなくなった。
膝から崩れ、喋られなくなるほどの嗚咽で泣きじゃくる私の肩に手を乗せると、アーレアは優しい声でゆっくりと続ける。
「リリ。私は君とマーク・ウォーのことは責めないさ。まるでロミオとジュリエットじゃないか。彼らは最後悲劇的な最後を迎えたが、君たちはそうならなくていい。
戦争が終結すれば、愛はもっと国境を超えてゆける。そうだ、魅惑の果実だって魔法の道具だって、なんだって手に入る。私の夫であり続ける意味ですら持たなくていい」
アーレアの口から飛び出した『マーク』という名前に、涙で取り乱した私の心臓は止まりそうになった。
確かにアーレアは以前、私に『全て知っている』と言った。だからといって、今マークの話をするなんて……。
いや、それよりも。
「夫であり続ける意味ですら……?」
「そうさ、リリ。君は自由になるんだ。私は君を縛り過ぎてしまった……いや、甘え過ぎたのだろう。そもそも許嫁という貴族的な制度には私も疑問を持っていた。
それに……私にも懇意にしたい女性がいる。お互い、忍耐を前提とした結婚だったのさ。
愚かなしきたりに振り回された……ね」
――マークと一緒にいれる……?
なによりも魅力的で強烈な響きが私を襲った。
――マークと、マークとずっと一緒にいられるの?
悲しみと悔いの感情に支配された涙が、喜びの涙と混じってゆくのが分かる。
――ダメ。私は、そんなことを考えては。誰にだって愛する権利はあるのに、私だけが……。
自分の中で同居する相反する感情。初めて体験する想いの渦に、心が千切れてしまいそうだった。
「……アーレア」
「いいんだよ、リリ。だから、最後に私の願いを聞いて欲しい」
――マム、私は……私はどうすればいいの?
『どうすればいいのか、ではなく、どうしたいのか、で決めなさい』
マムの声。
それは初めて聞いたものじゃない。
いつか、いつか私の幼い頃に言ってくれた言葉。
『マム、カホンのおばさまがチョコレートをくれたわ。だけど、今日の私のおやつはビスケットなの。やっぱり、おばさまがくれたチョコレートを食べるべきなの? マム、私はどうすればいい?』
マムはとても優しい笑顔で私に視線を合わせて言った。
『リリ、どうすればいいのか、ではなく、どうしたいのか、で決めなさい』
――マム、私はマークと生きていきたい。マークと、たった二人で生きて、二人で死にたいの。
『全ての人を愛せない時は、せめて自分だけでも愛してあげるのよ』
マムはいつも答えを知っていた。
マムは、いつだって私に答えを言っていたの。
『リリ、お前は自分を信じるんだ。それがお前だ』
ニック……貴方も私にそれを言うの?
『リリ、愛は素晴らしいわ。その素晴らしさを知ったのは貴方のおかげ。私は、貴方のおかげでロックミーと出会えたの。私は今、幸せよ』
トーアが笑いかけた。
――みんな、本当に……? 私は本当にマークと一緒にいてもいいの?
私を形成する、ありとあらゆる人たちが私の周りを囲み、絶え間なく優しい言葉をかける。
私はそれを信じてもいいのだろうか。
信じてしまっても……いいのだろうか。
「みんな……みんな愛する人がいて、愛する人のところに帰りたいの。それなのに、知りもしない土地で、たった一人で死んでゆく。これからも戦争が続く限りそれは変わらないの。
だから……私は、自分だけが特別になるだなんて出来ない!
アーレア、貴方は優しいわ。こんなにも卑劣な私に、余りある優しい言葉をくれたわ。だけど、それに私が甘えてしまったら……きっと私は誰も救えないの」
「リリ……」
「だからアーレア、歌わせて。私はなにもいらない。愛する人の元に帰られる人がたった一人でも増えるのなら。私は歌うわ、私の歌が愛する人へ導くのなら……」
涙と鼻水で上手く喋られなかったけれど、私はアーレアにしっかりと伝わるように言った。
この言葉が全て。
これこそが私の全てなのだ。
「これはこれは……貴女が『無傷で戦場から帰られる』という女神様ですか」
グリーンバードに帰ったことを知った色々な兵士や、兵士の家族、それに顔も見たこともない有名人が私の元へこぞってやって来た。
その誰もが私に備わっているという【無傷で帰ってこられる力】の恩恵を受けようと、様々な言葉をかけてくれる。
「プリンセスリリ……私の息子をどうか無事にお帰しくだされ……」
年老いた老婆。
「女王さまぁ~……私のパパを早く帰してください!」
幼い子供
「リリ女王、どうか……どうか私の恋人を……」
若い、私と同じくらいの女性。
誰も彼もが、私を訪ねては戦争に出た大事な人の帰還を祈って私の前に現れた。
「ええ……きっと、あなた恋人は戻ってくるわ」
気休めかもしれない。帰ってこないのかもしれない。
なのに無責任なことは言ってはいけないと私も分かっている。
だけど、信じることは罪ではないはずだわ。
神を信じるように、大事の人の帰りを信じる……。
これも一つの力じゃないのかしら。
私の言葉を、一体どれくらいみんなは信じているのだろうか。
まさか、本当に私を神様だと思っていたりはしないだろう……。
でも、この町に住む誰もが不安な顔をしていた。
子供も大人も、誰もが。
「ねぇ、リリ女王さまぁ」
一人の幼い少女が座る私の膝にもたれるようにして見上げた。
「……どうしたの?」
その少女は、先ほど私に『パパを帰して』と願った少女であった。
「戦争って、どんなところ」
「戦争……?」
「うん。ママやカレンに聞いても教えてくれないの。カレンは妹だから分からないと思うけど、ママやお隣のミサキおじさんも、誰も教えてくれないの。
リリ女王さまは戦争から帰ってきたのよね? 戦争って、どんなところ?」
少女は無邪気な瞳で私に尋ねた。
その瞳には邪なものも、悪意も、敵意も……なにもない。
ただ純粋な希望しかなかった。
この少女の持つ純粋な願いと、好奇心があれば人はなにかに夢中になって、争うことなどなかったのかもしれない。
……こんな思考をしていたところで、きっとアーレアから言わせれば『それでも人は争うのだよ』といったところかしら。
くりくりとした大きな瞳で、私を透かして空を見るように見詰めている。
「……戦争っていうのはね、大事な大事なお話合いのことよ」
「お話合い?」
「あなた、お名前は?」
「ルカよ」
「そう、ルカ。貴方は妹のカレンと喧嘩をすることはあるのかしら」
「ううん。あ、でも昨日カレンがわたしのチーズを食べたの。大事に取っておいたのにひどいわ、ってわたしは言ったのに、カレンはママに泣きついてわたしを悪者にしたの」
「それでどうしたの?」
「わたしはカレンを怒ったわ。そしたらね、カレンは謝ってくれなかったからわたしはカレンのパンを一枚食べちゃった」
「まあ! カレンは悲しんだでしょう?!」
「いっぱい泣いちゃって、仕方がないからわたしのパンをあげたの」
「偉いわ、ルカ」
「うふふ」
「でもね、それが喧嘩っていうのよ。戦争は、大人の喧嘩」
「喧嘩ぁ?」
少女は不思議そうな顔で私を見上げると、指を咥えた。
「そうよ。ルカのパパはね、沢山の人達と一緒に喧嘩をしているの。それが戦争よ」
「じゃあ、ルカの分のパンをあげて戦争をやめてもらおう! カレンのパンもあげていいか聞いてくる!」
いそいそと走り去ってゆく少女の背中を見守り、私はパンで戦争が終わるのならいいな……。そんなことを考えた。
『俺は、パン一枚のためなら人だって殺せた。そういう街で生きて来たんだ』
マークはいつか私に言ったことがある。
パンで人を殺すなんて、聞いたことが無かった。
だけれど、それがこの世界で本当に起こっていることなのだと知ったのは、この戦争が始まった後だ。
『♪』
アコーディオンの音とラッパ、そして太鼓の音。
それらが互いに鼓動を確かめ合いながら歌う。
「なにかしら」
一体町になにが起こっているのか理解出来ず、そとに出てみると4つほどあり並ぶように運ばれている棺を見ていた。
先ほどの少女が少し離れた家から現れ、すぐに母親らしき女性が現れる。
二人はその棺を見詰めていると、……あれは妹のカレンかな。
ルカよりも小さな女の子がドアを少しあけて隙間から顔を出していた。
なんとなく、そのまま見ていると、ひとりの兵士がルカやカレンたちに近寄り、なにかを話している。
少し兵士が話したところで、ルカの母親は顔を抑えて崩れ落ちた。
兵士は一度敬礼をするとすぐに去って行ってしまった。なぜルカの女性が泣いているのかわからなかったけど、その理由はすぐに解けた。
町に運ばれた4つの棺の内、1つがルカたちの前へ運ばれて来たから。
しばらくルカとカレンはきょとんとしたままで、ルカの両手には二つパンが握られていた。
降ろされた棺の窓が開けられ、それを覗いたルカは泣き始めてしまった。
――私は涙で、それ以上見ることが出来ない。
ルカのパパが帰ってきたのね。
「パパが死んじゃったあああああ」
パンを持ったまま袖で涙を何度も拭くルカを見詰めることが出来なかった。
なんという悲劇だろう。
なんと悲しい世界なのだろう。
ルカのパパは、きっとルカをもっと抱き締めたかったはずだ。
いっぱい、いっぱい抱き締めるために。
それが出来るほど平和な世界を作るために、戦争に行った。
ルカは、もっともっといっぱい、パパに抱き締めてもらいたかったはずだった。
なのに、戦争が……それを奪った。
アーレアに返事をしてから、何度も。……何度も何度も自分に問うた。
本当に良かったのかって。
私が選んだことは、本当に正しいのかって。
だけど、今私ははっきりと解ったわ。
出来るだけ早く、この悲しい戦いは終わらせなければいけない。
大声で泣き叫ぶルカを、マムが死んでしまった時の自分に重ねて私はその場を離れた。
「ねぇ、アーレア……ジョージはどうしているのか知らないかしら?」
ある日の夜のことだ。
私は、ふとジョージがどうしているのかが気になった。
「君は知らなくていい。あんな汚らしい男のことなどね」
アーレアは本を読みながら、こちらをちらりとも見ず答えた。
私はアーレアのその反応に違和感を感じると、その違和感の正体がなんなのか考える。
その正体は思いのほかすぐに顔を覗かせた。
「あんな……? ジョージを知っているの」
「おかしなことを聞くじゃないか。ジョージを知っているかと聞いたのは君だろう」
「そうじゃないわ。貴方の言い方はまるで《会ったことがある人》の言い方だわ!」
「会ったことはあるよ。それがなにか悪いのかい?」
そういえばジョージはジャーナリストだと言っていた。
APにもBWにもパイプを持っている……と。
そう考えれば、ジョージがアーレアと面識があったとしても変じゃない。
変じゃないのだけれど……、私はそれだけに留まらない不安を感じていた。
それがどこから来るものなのかわからない。
分からないけれど、胸がざわついてしまう。
「ジョージと……話がしたいわ」
「やめておいたほうがいい」
「なぜ?! 彼は民間人のはずよ!」
「そうだ。だからこそだよ。《民間人だという立場》も忘れて、君をパームライズホールに連れ出し、マーク・ウォーと再会させた張本人だからね。そんな人間と君を会わすわけがないだろう?」
……そうか。ジョージのことまで……。
「ジョージに……謝りたいの。私が巻き込んでしまったから……」
「なにを言っている? 君が彼を巻き込んだ? 冗談じゃない、君はあの男に巻き込まれた被害者だ。あの男と、マーク・ウォーが共謀して君をあの地へ導いた。そして君は……もういいだろう」
「違う! 違うわ! ジョージは私のわがままを聞いてくれただけ! 彼はなにも悪くないの!」
「もう遅いよ」
「彼になにかしたの……?」
アーレアはテーブルに置かれた紅茶を一口含み、ゆっくりと喉をくぐらせ、ふぅ……と小さな溜息をついた。
「なにかしたのね! ヒドい……ヒドい人……っ!」
「君にヒドいと言われるとは心外だね」
「ジョージはどこ!? 殺したの?!」
「殺す? 馬鹿を言うなよ。私は独裁者ではない」
「ジョージは戦争とは関係がないはずよ! なぜ彼を……」
「戦争とは関係がないだと!?」
アーレアは私が帰ってから初めて声を大きくして言った。
表情は、戒めと怒りを含んだ鋭い剣先のように尖り、今にも私の胸を貫きそうでもある。
「よくもそのような愚かなことを言えたものだ! もはやこの世界に《戦争と無関係な人間》など存在しない!
たとえ民間人であろうとも、我らは一心同体。それが幼き子供であろうが、杖なしでは歩けない老人であっても同義である!
国と思想が一つとなり、立ち向かってゆかなければ我らは勝てはしない! 奴に罪がないだと!? 本気で言っているのか!」
人が変わったように捲し立てるアーレアの口撃に、私は後ずさりしてしまう。
それほどに凄まじい迫力だった。
だけど、私はそれでも……。
「それでも、私は理想を追うわ! なぜなら私は愛で戦争は終わると信じているから! 思想が人を殺すならそんなものは捨てていい! 人が人を思うことが罪だというのなら、私はこの全身でそれを否定するわ……。
ジョージに罪はない!」
「……ふん。君がそれほどに頑固で融通の利かない女性だったとはね。もっと早くにそれを知りたかったよ」
アーレアはそこまで言って、呆れたように息を吐くと近くにいた側近に「連れていってやれ」と指示をした。
側近の男性が私の前に立つと、「ジョージのところへご案内します」と一言言い放った。
「……ジョージのところ?」
咄嗟にアーレアを見ると、彼は既に部屋の中にはいなかった。
「どういうことなの?」
側近の男性に聞いても彼はなにも耳に入っていないようにただ私の前を歩いてゆく。
「ま、待って」
私の住むアーレアの城は、古く歴史のある城。
時代錯誤な装飾も数多くあり、中の構造も複雑だった。
私はそれも好きだったのだけど、地下に下りるその空間はあまり好きになれなかった。
昔、奴隷や囚人を収監していた檻があったから。
それが今も立派に稼働しているという事実を知ってからは、余計に近寄りがたかった。
あまり詳しくは知らないけれど、囚人と言っても誰でもここにいれるわけじゃない、といつかアーレアが言っていた。
なぜこんなところに連れてこられたのか、私にはわからなかったけれど、檻の向こう側にいるその人を見てすぐに理由が分かった。
「……ジョージ」
ジョージは、私の声に気付くとゆっくりと振り返り、力ない笑みを返した。
【続く】
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