第15話




 ――知らせを聞いたのは、不味いスモークチキンをビールで流し込んでいたディナータイム。



 リリと再会して3週間が経ったある日のことだ。



 ステンレスがぶつかる音だけが鳴る、殺風景な食堂に血相を変えたカーサが大声でダミ声のオペラを熱唱したのだ。



 しかし、よくよく聞けばそれは音の外れたオペラなどではなく、耳を疑うニュースだった。



「パームライズホールが爆撃された! ほぼ壊滅状態らしい」



 中立国であるパームライズホールが爆撃されるのは、世界条例違反だ。



 そんなことがあっていいはずがなかった。



 だが、それは現実に起こってしまったのだ。



「AP軍の野郎! 散々秩序だ和平だと綺麗ごと言いやがるくせに、中立国に爆弾ぶち込むなんて狂ってるぜ!」



 怒りに任せて誰かがそう叫んだが、真っ青な顔に汗だけをだくだくにかいていたカーサはうわ言のように誰の目も見ず、顔すらも上げずに言った。



「AP軍は……俺たちBWがやったって発表した」



 一秒の沈黙と、一秒後の怒声。



「ふざけんな! そんなわけねーだろ!」



「なんで俺達が中立国を攻撃するんだ!」



「野郎、絶対に殺してやる! 皆殺しだ!」



 食堂内が暴動のように乱暴な音で溢れかえる中、隣でコーヒーを飲んでいた奴から香ばしい豆の匂いが漂ってきた。



 その匂いは、余りにビールと不釣り合い過ぎたが、そんなことよりも俺にある重要なことを思い出させたのだ。



「今日はトーアとパームライズホールで会うんだ。お前達のような不潔な関係じゃない、清く美しい関係だ。俺達はゆっくりとこの世の平和を願い、そしてそれが叶った時、パームライズホールじゃなく俺達のどちらかの田舎で暮らすのさ。

 その前に、戦争が終わるのを待たなければならない。戦争を終わらすことなんて俺達には到底出来はしないが、戦線を駆け抜けることで少しは早く終わらせることが出来るかもしれない。ああ、それは理想さ。だが理想の何が悪い?

 理想は叶うものだとお前が教えてくれた。そうだろ? マーク」



 珍しく饒舌なロックミーは、ジーンズではなくスラックスに足を通しながら今朝俺に話した。



 俺が言いたいのは、お喋りなロックミーについてではない。



 ロックミーが今日、パームライズホールに行っていたという事実だ。



 カーサは更に続けた。



 爆撃のせいで、交通機関は全面的にストップしており現状機能している中立国は無くなっている。



 中立国が無くなることよりも、何人死んだかよりも、俺はロックミーが無事だという確信が欲しかった。



 良かった。



 交通機関が麻痺しているのなら、ロックミーはパームライズホールに行けず立ち往生しているに違いない。



 戦場で死なず、田舎で死なず、ロックミーがそんななんでもない場所で武器も持たず、農具も持たず、死のうなどと……そんなことはあるはずがないからだ。



 なぜなら、ロックミーは頭も良く、度胸もあった。



 戦闘能力にも長けており、武器の扱いにも慣れている。



 戦場で前線に立っても、いつも命を落とすことなく帰ってきたし、少なくともあいつは俺の『オーディンのご加護』などあてにせず、自分の力で帰ってきたからだ。



 そんな馬鹿なことはない。



 そんな馬鹿げたことが、まさかロックミーに起こるはずがないのだ。



 だからこそ俺は敢えて聞きはしない。



 ロックミーがどうなったかなど。



 奴は明日になれば平然とした顔で部隊に帰ってくるのだ。列車で立ち往生した時のことを土産話にして。



 ロックミーが戦死者にすらなれないなど、ただの一般人の犠牲として死ぬなどと、そんなことがあってはいけない。



 パームライズホールのあの夜に、一人だけ純潔を守ったあの男が。



 




 ――だがロックミーが部隊に帰ってくることは二度となかった。




『パームライズホールを爆撃したのは誰か? それは誰の目で見ても明白である!

 そう、AP軍に他ならないであろう。なのに、奴らは我らBWにその悪夢のような所業を転嫁しようとしている!

 なんと馬鹿げた話か!

 我らは自由を、独立を求めてこの戦争を始めた!

 我らの我らによる我らの平和のための聖戦である!!

 その聖戦に、非戦闘地域である中立国……謂わば、この世界にごくわずかに残された【平和の象徴】である土地パームライズホールを巻き込むわけがない!

 この放送を見聞する全ての国民、戦士たちに告ぐ。

 この卑劣な術中に屈してはならない! 世界中のどんな人間が、どんなことを宣言しようと、惑わされてはいけないのだ!

 この戦争は恐らく長く続くだろう。それは、誰のせいか?!

 誰がこの恐ろしい戦いの歴史を塗り重ねてゆくのか!?

 我らは全てをAP軍どものせいにはしない。我らがこれまで強いられるまま叫ばなかったことが罪なのだ!

 武器を取れ、魂を我らに捧げよ!

 この聖戦を平和に導き、自由を手にするのは我らビギンズウォーである!!』



 パームライズホール爆撃を受けてコフが演説をする頃には、正式にロックミーの死が伝えられた。



 爆撃の日、パームライズホールでは収穫を祝うカーニバルが開催されており、ロックミーに限らずBWの兵士も休暇を利用して数人訪れていたとのことだった。



 なんでもない日にロックミーがスラックスにジャケットで出かけるはずがなかった。



 女に会うというだけで、パームライズホールに赴くロックミーを馬鹿な行為だと止めておけば良かったのだろうか。



 俺は脳裏にそれを横切らせては、鼻を鳴らして短く笑った。



 そんな馬鹿な行為に巻き込んだのはそもそも俺じゃないか。



 その次に俺の全身に後悔が襲った。



 あの時、俺がロックミーをパーティーに誘わなければ。



 あの時、俺がパーティーに行っていなければ……。



 ニックが夢に出たあの時、ニックは俺にこう言ったのではないだろうか。



『パームライズホールに行くな』



 ……と。



 もしかして、ロックミーは俺のせいで死んだのではないか。



 俺のせいで死んだとするならば、俺がロックミーを殺したことになる。



 敵兵を殺すのとはわけが違う。



 戦線で敵兵と間違えてロックミーに弾丸を叩きこむのとも違う。



 戦争とは全く関係のない、無縁の場所では俺はロックミーが歩くだろう場所に致死性の高い量の火薬で作った、地雷を仕掛けたも同然だ。



 なぜ俺はロックミーを殺そうとした?



 俺はロックミーに死んで欲しかったのか?



 答えのない自問自答の中、目を閉じればニックとロックミーが交互に現れなぜ殺したのかを俺に問いかける。



 俺が始めた殺したAP軍の若い兵士が目玉を垂らし、脳漿を顔中に飛び散らせながら俺に迫ってくる。



「俺には弾丸が当たるんだよ!」



 戦線でランスが傷口を押えて俺に叫ぶ。



 額の脂汗に俺はランスが死ぬのではないかと焦った。



 誰かが勝手に言ったとはいえ、『弾丸が当たらないこと』を前提に俺に着いたランスに弾丸がめり込んだのだ。



 ランスが死ぬ。ロックミーが。ニックが。ゲンノスが。



 

 この戦争が始まって、どのくらい経ったろうか。



 人が、人を殺すためだけに作った武器で人を殺す。



 人が、人を屈服させるため、言うことを聞かせるためにだけ作った爆弾で、同じ人間を制圧し支配する。



 これだけ大量の人間を殺しておきながら、「平和のため」だと両軍は誇らしげに言うのだ。



 人を死なせておいて「聖なる犠牲」「名誉の犠牲」と死を崇拝する。



 この手で何人も殺してしまった俺はどこにいくのか。



 敵だけではなく、味方まで殺してしまったこの俺に。



『弾丸の当たらない男』



 本当に俺は弾丸が当たらないのか?



 本当には俺は戦神オーディンなのか?



 ならばこの距離でも弾丸は当たらないのだろうか。



 無機質で傷のついたステンレスの引き出しの上、銃弾の籠ったハンドガン。



 それを手に握ると俺は銃口を口に咥えた。



 

 ――この距離でも弾丸は……。



「マーク、手を繋ぎましょ」



 リリの声が聞こえた。



 それは当然、空耳か俺の願望であり、実際にリリが隣にいたわけではない。



 だけども、俺の心臓から彼女の声がしたのだ。



 もしかして、リリはこの心臓の中にいるのだろうか。



 だとすれば、本当に俺は神なのかもしれない。



 だが、それは戦神ではない。ヴァルキリーでもない。



 母なる女神だ。愛を説く、愛しい女神。



 ……気が付けば俺は体中を汗でびっしょりと濡らし、鼻水と涎を垂らしながら泣いていた。



「悲しい……人が死ぬのは、すごく……悲しい」



 これまでに込み上げたことのない感情に戸惑う隙などなかった。



 全身に冷水を浴びせられ、毛穴が収縮して、身体が小さくなるように。



 ニックやロックミー、ゲンノス……その他にも死んでしまった敵兵も味方も、どの人間の死ですらも俺には大きな悲しみとなって覆いかぶさる。



 戦争が無くなれば、平和が訪れる。



 では平和が訪れれば、戦争は無くなるか?



 そんなことが問題じゃない。



 戦争が無くなったって人殺しは無くならない。



 だが戦争のない世界での人殺しは殺されるほどの罪になる。



 一人が一人を殺せば罪になるのに、十人が一人を殺せば賞賛される。



 数字のマジックなのか。それともそれが真理か。



 この世界はなんなのだろう。



 リリ、約束したばかりだけど、俺は戦争が終わるまで待てないんだ。



 今君に、会いたい。



 会いたい。






「ロックミーも馬鹿な野郎だ。俺みたいに後腐れのないようにしておけば、一晩のファックで気持ちよく終われたのによ。戦争が終わった時のことばかり考えるようになっちゃ死神がつくってことさ」



 得意の憎まれ口を吐いても、ランスの表情は優れなかった。



 当然だろう。



 戦友が死んだのだ。戦場でもない場所で。



 その事実は、俺たちBWの中でも重く闇を落とした。



 ぶつけようもない怒りだけが、やるせなさや虚しさに姿を変え、基地の天井にへばりついているようだった。



「きっと罰がくだったのさ。あいつは人を殺しすぎたんだ」



 背を曲げたままオニオンスープを啜るニフがメガネを直しながら言い捨てる。



「なんだとテメェ!」



 この怒声は俺の物ではない。ランスのものだ。



 これまでこいつがムキになるところなんて見たこともなかったが、今回ばかりはギターの六弦の如く敏感に、感情に触れたのだろう。



 だが少し離れたニフの場所に辿り着く前にランスの激昂も空しく周りの兵士たちに制止された。ランスはそれでもそれらをかいくぐろうとしながら、「だったらテメェは誰も殺しちゃいねーってか?! ふざけんな! この戦争ではどの兵士も人殺しだ!」と叫ぶ。



「そうさ、だから俺もきっと戦死する。誰も見向きもされないような後方で、それこそ流れ玉さ。弾丸の当たらない男だなんてイカれてる。

 オーディン?

 俺はキリスト派でね。肉眼で見える神しか信用しないのさ」



 ニフはオニオンスープの薄く切られたオニオンを楊枝でつつきながら、顔を真っ赤にして憤っているランスに対し、薄ら笑いを浮かべた。



「どうせ生きている理由なんて、平和だろうが戦争だろうが、俺たちのようなちっぽけな存在にはわかりゃしないんだ。この戦争に関わった人間はみんな罰が下って死ぬ。

 でも市民レベルで戦争に関わっていない奴なんていない。

 今回のパームライズホールのことだってそうだ。

 中立を詠っているのは、戦争があるから宣言できる。

 戦争の無い世界で誰がわざわざ非戦闘地域協定を宣言すんだ。わかるか? もはや戦争に関わっていない人類なんていないんだよ。だから、人間は一人残らずみんな死ぬ。

 死ぬべきなのさ」



「武器を捨てないと何故言える。人がいつか武器を捨てる日が来ると、なぜ信じられない」



 居ても立っても居られなくなった俺はつい割り込んでしまった。このなにもかもを悟った上で自分の死すら受け入れている《臆病者》に対し、無償に腹が立ったのだ。



「おお、オーディン本人の登場か。これは光栄だな……では問おう。逆に人類が武器を手にしなかった時代なんてあったか? 少なくとも紀元前から俺が習ってきた知識の中ではそんな時代はほんの少しの期間だってなかったはずだ」



「過去に武器を取らない時代がなかったなんて、そんなことは知らない。

 だが、この一秒先の未来なんて誰にも分からないはずだ。なぜこの先の未来を信じない」



「……ほう。オーディン、お前の持論でいくなら、いつか武器を捨てる為に今戦争をしている……ということになるのか」



「……」



「反論がないようなので続けるが、つまりそれは『コフに本気で賛同している』というわけだ。《平和のために戦い、敵兵を殺し、どちらかが滅ぶまで戦争を続け、やがて半分になった人口=自軍》を見て『良かった平和を手に入れたぞ。これで戦争のない世界がくる』と戦争で手にした平和を高らかに詠うのか?

 お前も、俺も、BWにいる連中は戦いの無い平和な世界を望んでいる訳じゃないだろう。だからといって、BW……特に初期についた連中は必ずしもコフの掲げる理念に賛同したから戦っているわけじゃない。

 ただ《コフに乗っておけば今よりマシな生活が出来るかもしれない》程度のものだ。不自由しかないこの世界で、少しの自由を手に入れるためだけにな」



 俺はニフに言い返すことが出来なかった。



 それもそのはずだ。ニフが言っていることは、ほんの少し前俺が自問したことそのものだったからだ。



 俺は反論できない自分への苛立ちよりも、誰もが同じことに疑問を感じ、途中で考えることをやめてしまいながら、また同じことを自問する安心感の方が大きいことに溜め息を吐いた。



 しかし、俺にはそれでもただひとつだけニフの言い分が間違っていると断言出来ることがある。



「人は、愛があれば争わない」



 食堂に居たランスを覗く全ての兵士が、俺の唱えた愛を笑った。



 ニフも腹を抱えていたし、ドンドンとテーブルを叩くやかましい奴もいた。



 俺はこれが真理だと分かっていたし、人を殺してしまったとしても、それに関わった人間が全て死滅すべきだという結論には辿り着かない。



 それは、人は武器を捨てて手をつなげるのだと信じたからだ。



 ……いや、信じることが出来るようになった……か。



「……ニフ、じゃあ一つ聞くがなぜお前は自分が死ぬと分かっているのに死なない。普通の神経をしていれば、自分が死ぬと分かっていれば迫りくる死の恐怖に勝てず、さっさと死んでしまいそうなものだが。結局は、生きていたい心があるんじゃないのか」



「あるさ。ないはずがない。出来ることなら生きていたいさ。だが、お前が言うことに明確な答えを言うならこうだ。『生きている内に一杯でも多くオニオンスープを飲みたい』から俺は自分で自分を殺さない。食い物には苦労してきたからな、俺にはこれでもご馳走なのさ」



 破滅と繁栄は決して相容れることなどない。



 例えるのならばニフと俺はそれにあたるのだろう。きっとこの先どれほど議論を続けたところで、無駄なことだということだけは分かった。



「そうかい。わかったよ。お前の言うことは正しい」



「だったらもう喋らないでもらいたいね。折角のスープが冷めちまったよ」



 ニフが最後にそれを言い終えたと同時に、奴は大きな音を立てて吹き飛んでいた。



 俺の右ストレートが奴の画面にクリーンヒットしたからだった。



「お前の言うことは正しい。だが気に食わない……論破されるばかりだと癪だからぶん殴らせてもらった」



「あ、が……!」



 ニフは前歯が何本か折れたらしく、溢れる鼻血で鼻を押えながら苦しそうに呻いた。



「痛いかい? 痛いだろう。お前が生き甲斐にしているオニオンスープは美味いという実感をくれるが、痛みも立派な生きた実感さ。お前が死ぬときはどうかその実感と共に死んでもらいたいね」



 周りで見ていた兵士たちは、俺に着くでもニフに着くでもなくただ成り行きを静観している。誰もかれもが、俺たちの行く先を見届けたいのだろうか。



「いくらお前が正しかろうが、死を前提に生きている奴に俺の歌う『愛』を笑われなくない。だがそれよりもロックミーの死を馬鹿にするお前はもっと許せない。このパンチは、お前の言う『罰』という奴だ。大人しく俺の言いぶんだけを聞いておけばお前は殴られなかったのにな。頭が良すぎるのも考え物だな、有神論者」



 俺はランスを連れてその場を離れた。テーブルの上には俺の残したパンがあったが、それをニフに放り投げる。



「食うために戦う。これは俺も賛成だぜ、詫びになるか知らんがやるよ」



「愛は手を繋ぐことっていうお前のふざけた持論さ」



 俺はランスがくれたたばこを貰うと、ふたりで外に出て吸った。



 この世界は美しいのか、醜いのか。



 その采配は俺には決められないが、いま目の前に広がる世界は俺が思っていたよりも少しだけマシなようにも思えた。



「なんだよ」



 ランスにまた馬鹿にされるのかと思いなんとなく聞き返してみると、ランスは俺の顔を見ずにたばこの煙を吐き出しながら言うのだ。



「今日だけは少しだけ、まぁアリかなって思ったよ」



「そうか」



「珍しいとか言うんじゃねえぞ」



「今言おうと思っていた」



 

 ランスは、ハハッと笑うと「俺達は仲間の死すら悲しめねぇようになっちまったのかねぇ」と吐く。



 舌打ちにも近いその言葉は俺の胸に深く刺さり、もしかすると悲しいと思っているのではなく、悲しいと思えないのを悲しいと思う為に、悲しい振りをしている自分に憂いているだけなのではないか。



 そんな風に思えてしまう。



「ロックミーは嫌味な奴だったけどよ、悪い奴じゃなかった」



「ああ」



「この戦争で死ななけりゃ、テキトーに幸せになって欲しかったさ」



「そうだな」



「けどあいつはよぉ……。あいつは」



「死んだ。戦争じゃなくて」



 ランスは黙った。ロックミーの死が、俺たちにとってこんなにも重くのしかかるとは思わなかったのだ。それほどまでに、人の死は、重いものだったのだ。



「戦争ではなく、女に会いに行って死んだんだ。あいつは、兵士としてじゃなく一人の普通の人間として死んだ。羨ましいよ」



 俺の結論にランスは一瞬驚いたように俺を見たが、すぐに夜に目を戻し「そうだな」と笑った。



 人を殺すのに、人が死ねば悲しい。



 実に矛盾しているが、この未完成な生き物が……人間なのかもしれない。



 未完成だから完成することを求め、未完成のまま死ぬ。



 この繰り返しなのだ。



 人がいつか完全なものになるとしたら、その時が本当に滅びるべきなのかもしれない。



 そうであるのなら、もしかして俺は、お前を愛してもいいのか?



 リリ……。



 



 世間の注目は、パームライズホールを爆撃したのはどちらか?



 BWか、AP軍なのか。



 そればかりに集中していた。



 俺にとってそれはどうでもいい問題だったが、世論はそうもいかないらしい。



 BWが中立国を爆撃した極悪非道の半テロ組織か、それともAP軍の自演か。



 ダウンタウンやアウトシティ以外から参入した兵士たちの話題と言えばもっぱらそんなことばかりで、噂話だと割り切っていても苛立ちを俺によこした。



 中立国を攻撃したことよりも、自軍を勝利に導いてさっさと戦争を終わらせることが先決じゃないのか。忠誠が聞いてあきれる。



 連合国から参入した連中は元軍人なども多く、たちまち基地内を軍のような空気にしてくれる。屁でもここうものなら真顔でブチギレそうで、融通の効かなさそうな顔は無言で物語る。



 ただ、馬鹿な俺でも分かることと言えば、パームライズホールが壊滅したことで戦火がより激しくなるということだ。



 日に日に戦線に赴く兵士たちの装備も重くなっていっていたし、それは俺も例外ではなかった。



 もちろん戦地のよって軽装であったりすることもあったが、一度出撃すれば数日……長引けば数週間も戦地から帰られないこともある。



 それの場合、俺達は生き永らえることよりも、より厚くした武器で一人でも多く敵を殺すことを優先されていた。



 もちろん、それを口頭や書面で指示されたわけではない。だが、一人に積まれた武装がそれをわかりやすく物語っているのだ。



 代わりに通信機器の類はほぼ持たされることは無かった。



 戦神オーディン様である俺には持たされていたが、この時にもなると俺の『弾丸の当たらない男』というジンクスも兵士たちにとってはどうでもよいものになっていたのだ。



 そうなれば兵士たちは、生きることか殺すことだけに感覚が特化し、狂気すら孕んだ目の鋭さは、仲間さえも殺してしまうのではないかと危惧するほどだ。



 コフが俺を訪ねて来たのは、パームライズホール爆撃より数週間経った頃だ。



 言った通り、戦火が激しくなった戦地から帰った直後で、生還者も日に日に少なくなりはじめた頃でもあった。



 久しぶりに会うコフの周りには6人もの護衛がついており、ここが自軍の基地であるのにも関わらず、誰一人として信用していない。



 BWを統率する立場なのに、誰も信用していないとは矛盾しているが、平和のためでなく戦っている俺達とそう大差はないので、そこを言及しても意味がないものと俺は思った。



「相変わらず、無傷で帰ってきているみたいだな」



「……なんの罰かと思うよ。無神論者だからかな」



 コフはふふ、と笑ったがすぐに俺を真っ直ぐに見た。



「痩せたな、コフ」



「ダイエットに余念がなくてね」



 俺の部屋で二人きりになったコフは、こけた頬を撫でて力なく笑った。



「……そういうお前は、目つきが変わった。なにかあったか?」



 コフは見透かすように首を傾げながら俺を見詰め、占い師のようにのっぺりと張り付くような言い回しで聞く。



「どういう意味だ。人殺しの目になったってか?」



「逆だよ。とても優しい目になった。俺の言うことも聞かずに何度も戦線に立っているはずなのに、なぜそんな目になる」



 インスタントのコーヒーを淹れるとコフに差し出す。だがコフは首を小さく横に振って俺のコーヒーを断った。



「人からの勧めは喉を通らなくてね。気を悪くしないでくれ、職業病のようなものだ」



 もう少しで「お前の目つきも変わったな」と言いかけたが、俺は無理にそれを喉の奥へとしまい込んだ。



 ――これがコフなのか?



 時折食堂のテレビから流れる演説の映像で、コフが前よりも痩せていたことは分かっていた。



 だが、この目は一体なんなのだろう。



 誰も信用していない、それどころか自分のことすらも信じ切れない。



 俺はこれまで出会ったどんな兵士よりも、この男の方がよっぽど戦線を潜り抜けてきた男のように見えた。



「お前のせいさ。マーク」



 俺の心の声を読んだのか、俺のコフを見る視線に気付いたからか、コフは何も聞いていないのに答えた。



「俺のせい? なんの話だ」



「俺がこうなったのも、お前が俺の側近としていなかったからだ」



「冗談はよせ。俺がお前の側近でいたとしても、なにも変わりはしない」



 コフはふふ、と笑ったが口でそう発したのみでそれ以外の表情筋は一切動かない。



 つまりは笑ってもいないということだ。



「確かにな。お前が俺の言うことを聞いていたとしても、俺は変わらなかったのかも知れない。だが、この場くらいはお前のせいにさせてくれ」



「……好きにするがいいさ」



「助かるよ」



 そう言ってコフは、カップを手に取りコーヒーを飲もうとする素振りを見せたが、結局は飲まずにまたテーブルの上へと戻した。



「俺の側近になる奴はことごとく俺を裏切ってね。裏切られては殺し、裏切られては殺し、の連続だよ」



「そうか」



「元々兵士を働かせてるんだ。食は贅沢をしないようにしている、……が。一度パンに毒を盛られたことがあってね。調子が悪くてパンを口にする気にならなかったから、訪問していた町の子供にやったんだ。翌日、6人も子供が死んでね。どうやらパンを6人で分けたらしい」



「……」



「分かってくれ、とは言わないが、分かってくれたら助かるよ」



「努力するさ」



 少しの沈黙。コフは無言でも表情を一切崩さなかった。痩せこけて頬骨がうっすらと見える顔は、目だけがギョロギョロと動き、常になにかを観察しているようにも見えた。



 人とはたった数年でこんなに外見からして変わるものか。



 痩せたとは思っていたが、演説中はあんなにも堂々しているのに。



「……で、今日はなんの話をしにきた。身の上話をしにきたわけじゃないだろう」



「身の上話くらいさせてくれ。普通に話せる人間ですら限られているんだ。お前が弾丸が当たらない男だともてはやされている時は、なんて馬鹿げたことかと思ったが……。

 今では弾丸が当たらない男で良かったと思っているよ。今日まで生きていてくれて、こんな風に話せるのだからね」



「まさかまだ俺を側近にすることを諦めていないのか?」



 コフはまたふふ、と鼻だけで笑うと少しだけ目を閉じて答える。



「諦めてない。諦めてなんていないさ。だが、お前は戦神オーディンだなんて神の通り名を付け称えられる兵士の象徴だ。そんなお前を戦地から抜いてしまっては、俺の立場が無くなるだろう?

 諦めたくなくても諦めざるを得ないのさ。

 今日来たのは、そんな話じゃあない。現状の話をしにきたのさ」



「現状……だと?」



「そう。兵士の象徴であるお前にはどうしても耳に入れておきたくてね」



 気味が悪いくらいにコフは表情も体勢も変えず、置きものの像のように口だけを動かして喋っている。なるほど、こんな調子じゃ誰にあって話をしたところで説得力がない。



 そのための護衛6人というわけか。



 コフは続ける。



「馬鹿馬鹿しい話だと思うがね、兵士の数が足りないんだよ」



「兵士の数だと? なにを馬鹿な」



「だから馬鹿馬鹿しいと言ったろ? パームライズホールの一件でね、BWを離れる兵士が急激に増えた」



「パームライズホールの? なぜだ」



「あれがBWがやったのかAPがやったのか議論になっている、ということくらいはお前も知っているだろう」



 俺が無言で頷くのを確かめるとコフは、ひとつ短い咳払いをして続ける。



「実際、俺は指示を出していないし、恐らくあれはAP軍の爆撃であることは間違いない。だがね、離れる兵士たちにはどっちがやったかなど関係ないのだよ。

 口実を探していたのさ、BWを離れて命を拾うためのね」



「どういうことだ。どっちがやったか関係ないとは?」



「APがやってたって、BWがやったとしても、どっちにせよ連中はこう言うんだ。『中立国を攻撃するようなBWにはもういられない。そんな非道な非公式軍よりもAP軍について平和のために戦う』とね。つまりはBWがやってなくたって、BWがやったということにして寝返りたいだけなのさ」



「おいおいコフ。そんな奴らのそんな言い分が通るわけがない。そもそも、そんな理由でBWから離れた奴がAP軍に移籍することなど出来るはずがないだろう?」



「そう。談合があったというわけだ」



「……!?」



「驚くことじゃない。想定していたことだ。そうやって兵士が足りなくなるのも想定していた。想定していてもどうにもならなかった、というわけだ」



 言葉を失った。一人に対して余りある武装。



 武器が足りなくなる、だなんてことは戦局で有り得ることだとは思っていたが、人が足りなくなるなんて。



「分かるかマーク。俺達は敗けるんだ。離脱する兵士はこれからも増えるだろう……そうなれば、もう武力でも兵力でも勝てない。BWは、AP軍に倒された勢力として歴史の下敷きにすらなれずに消滅するんだ」



 戦いに敗ける……?



 つまりそれはどういうことだ。



 ――戦争が終わるということか?



「戦争が終われば、俺達はどうなる?」



「……」



「答えろ、コフ」



「……」



「答えろよコフ!!」



「……もう帰るよ」



 俺がコフに掴みかかろうとするとすかさずに護衛が入ってきて制止された。俺は羽交い絞めにされながら部屋を後にするコフに向かって叫んだ。



「俺は、俺達はどうなるんだ! 自由は?! 平和はどこだ! おい!」



「……自由も平和も、落ちてはいなかったよ」







【続く】

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