第13話




 それは流れ弾が当たったとは言い難った。



 一体どれだけその顔を見ていなかったのだろうか。呑気な感想は、割れた少しのビスケットよりも小さく、それよりも目の前で蜂の巣になった男の顔に釘づけになった。



 とりわけ顔だけは綺麗なのに、体中が穴だらけで血を噴き出す男の体は、俺が昔ダウンタウンで拾った変えるの玩具のようだ。



 あのカエルは、水場で遊ぶタイプのもので、短いホースで繋がったポンプをプッシュすると水を吸ってポンプのリズムに合わせて短く吐く。

 だけど俺が拾ったそいつは体中に傷穴が空いていて、至る所から水を噴き出す。



 小さかった俺はそれがおかしくて、ポンプに水を吸い上げなくなるほど穴が大きくなるまで遊んだ。



 目の前の男が、心臓の鼓動に合わせてピュッピュッと噴き出す血を見て、俺は後々それを想い出す。



 残酷というものが、自分の中の常識を超えた時。



 思考は四方へと逃げ惑っていくものなのだと、俺はこの戦争で理解したのだ。


 男が倒れてゆく瞬間。



 その男と俺は目が合った。



 その男とは、AP軍の兵士で、考えても見ればここに居ることは不思議ではなかったのかも知れない。



 それが、俺を殴ったあの男でなければ。

「マーク……」



 男は目が合った俺を見て地面にぶつかる寸前、一言呟いた。



 奴に銃弾を叩きこんだのは、俺か?



 それとも後ろで鬨を上げる神様の使い気取りの兵士たちか?



 ともあれ、そいつは俺を覚えていた。



 目を見開いたまま光を失った瞳、それが最後に見たのが俺っていうのか。



 それはどういう天智だ。

「ニック……」



 倒れた男を見下ろして、そいつの名前を呼んでやった。



 当然返事はなかったが、そいつが返事出来ない代わりに空が雨を降らせた。



 戦地の足元が雨で泥になっていく。



 茶色と灰色と緑と赤が混ざり合い、そんな汚れた土に顔を埋めてニックは死んだ。



 パームライズホールでリリと会える約束をした、数日後のことだった。




「浮かない顔をしてるじゃないか。それじゃあ死神が寄ってきちまうぜ」



 ジョージが俺の顔を愉快そうに覗き込み、ブランデー臭い息を吐いて「ああ、そうだ死神じゃなくて戦神オーディン様……だったか? ひぇっひぇっ」



 鼻水を啜るような不快な音でジョージは笑った。



「で、そっちは誰を連れていくか決まったのかい」



 ジョージが新しくなったスキットルのキャップを開けるとまた一口煽った。

「……儲かってるみたいだな」



 バサバサで口の水分ばかりが奪われるスティック状のビスケットバーを咥え、何度か噛むと水で無理やり流し込む。



 俺はそれを数度繰り返すとビスケットバーをすぐに食べ干した。



「戦局を二分しているBW軍のオーディン様でもそんな貧しいものを喰ってるのかい」



 ジョージは少し意外そうな顔で、俺の部屋の椅子に背をもたげて言った。

「貧しいから戦争をしているんだ。これでも贅沢なほうだよ、オーディン様様さ」



 俺の回答にジョージは「そうかい」とだけ返し、スキットルをまた尻に仕舞った。



「俺一人じゃダメ……なんだよな」



「当たり前だろ? 何回それを言わせるんだよ。そんなにこのフレーズが好きなら言ってやるさ! リールダンスパーティーに参加するには3人一組で入国しねえとダメなんだよ!」



 呆れているのか怒っているのか、分別が付かない悪態にも似た手振りでジョージはわざと大きな声で言った。

「あまりでかい声を出すな。ここの壁はレコード板くらいに薄いんだ。丸聞こえだぞ」



「それなら何度も言わせるんじゃねえよ」



 珍しく機嫌を悪くしたジョージはたった今仕舞ったスキットルを再び取り出すと、今度はキャップを外したままテーブルに置いた。



「……わかったよ。だったら手配するさ」



「是非お願いしたいね」



 俺には連れていきたい人間なんていない。

 呼びたい人間がいるわけでもないし、会う人間が会う人間だ。



 あんまり付き合いの浅い奴を連れていっても、リリだと分かった途端に騒ぐし周りに言いふらしそうだ。



 この時ばかりは自分のコミュニケーション能力の低さを呪った。



 そうなってくると、実際問題……呼ぶ人間と言えば……。

「ダンスパーティーだ? いいねぇ! そんなゴキゲンなイベント、この戦争が始まってからやってねぇからな!」



 ランスはそう興奮気味にはしゃぐと、聞いても居ない話を始めた。



「ほら、こないだのシャークエッジの市街戦の時によ、女兵士がいたじゃねぇか? 珍しくマッジ系の黒人の女でよ」



 普段ならこの辺で話を遮るのだが、機嫌を損ねると新しく人を探すのに大変そうだ。



 俺は黙ってランスの話に付き合うことにした。


「銃口を突きつけて脱げって言ってやったらこれがまたすっげー身体してんだよ! いい身体って意味じゃねぇぜ? よっぽど訓練してやがんのか脂肪なんて一切ないカッチカチの身体でさぁ、腹筋なんて便所のタイルみたいに割れてやがんだ!」



 ひゃっはっはっ、とランスは笑ったが一体今の話のどこにユーモアがあったのか分からず、俺はただ黙って相槌を打つ。



「でもよ、あっちの締まりはとんでもなかったぜ! チンポが潰されるんじゃねぇかって思ったぜー! やっぱり普段から鍛えてる女は違うね」



 思った通りのくだらない話だった。だが最もくだらないと思ったのはこの次のくだりだ。

「締まりはとんでもねーが、声の1つもあげねえし乾ききったプッシーだったから、俺がイクのと一緒に頭を吹っ飛ばしてやったんだぜ!?

 いやあ、初めてやったけどよ癖になるねありゃ」



 俺が「殺したのか?」と尋ねると「生かしておいたほうが残酷だろ?」とランスは楽しそうに笑い、自らの固くなった股間をズボン越しに自慢した。



「お前を誘った自分を呪うよ」



「今更取り下げるなよ? オーディン様」



 

 ランスの人選は明らかにミスなような気がしたが、さすがに場は弁えるだろう。



 少なくとも中立国であるパームライズホールで人を殺すとも思えないし、なにより銃火器や武器になるようなものを持っていては入国を拒否され、その後もパームライズホールに入国できなくなる。



 人格的に問題はあるが、その辺のモラル……いや、マナーくらいは守るはずだ。



 胸糞の悪くなる武勇伝を聞かされた俺は、自分を落ち着かせるのに夢中で自分自身に言い訳をするのだった。

 



 ――ニックの死と、ニックの死を目撃してしまったことは俺にとって大きな暗い穴を胸に空けることとなった。



 リリと会えることを心待ちにしていたはずの、俺の心はいつもニックの死に顔に染まり、同時にそれはリリと会うことを俺に躊躇させることにもなった。



 ――ニックはあの時、どんな想いを俺に向けていたのだろうか。



 夢の中にニックは現れない代わりに、俺から夢を奪った。



 元々夢なんて見ない性質だということを、俺は俺自身の中にすっかり置いてきてしまったのだった。

 時間が経つのは早いようで遅い。



 長いようで短い。



 もしかしたら長くも短くも感じるこの時間は、常に止まっているのではないか?



 止まった時間の中では、俺は何者かにただただ映像を見せつけられているのでは?



 明らかに俺はまともな精神状態ではなかった。



「なぜだ……なぜ、お前が俺を殺す。お前のせいで俺は……」



 あの時俺の名前以外発言すらしていなかったニックが、俺の中で恨めしそうに呻いた。



「なぜだ」



 ニックは何度も何度も、俺に尋ねる、。



「なぜだ」、「なぜだ」と何度も。



 夢を見なくなった俺は、初めてこれが夢であることに気付き、そしてそれと同時にこういうものが『悪夢』というのだと知った。

 パームライズホールの、リールダンスパーティーはもう今週末に差し迫っている。



 ――行くのをやめるか?



 思いがけない選択肢。



 俺は、俺が思っているよりもずっと、ニックの死を引き摺っている。



 ――リリに言うつもりか?



 くだらない、実にくだらない問いかけ。



 

 馬鹿な話だ。そんなもんお姫様のプッシーに思いっきりファックしてやれば全部吹き飛ぶぜ!



 ……ランスならば、きっとこんな風に卑猥な言葉を織り交ぜて言ってくれるだろう。



 ――そうだ、言わざるべきだ。その方がいいに決まっている。



 夜はいくつも俺の頭上に落ちてくるのに、星は俺の頭を貫き殺してはくれなかった。


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