第12話




 4日ほど雨が続いたメリーキャンプの地に、オシロと名乗るグリーンバードからの使いがやってきた。



 オシロは、礼儀の正しい青年で太めの眉毛を真っ直ぐにし、模範のような敬礼で私に挨拶をした。



「リリ女王、伝達に参りました!」



「……伝達?」



 伝達という言葉に私は少しばかり不審に思った。



 それもそのはず、情報班を通じてこれまではアーレアと通信を行ってきた。



 私に対し個人的なメッセージであれば、従来通りその手段を取ったはずだと思ったし、それよりもわざわざ人をよこしてまで私に伝えなければならないこととはなんなのだろう。



「この伝達の命は、個人的なものであります。アーレア将軍も未聞の為、私がこの地まで参りました。私が伝える伝達の内容をお聴きになり、アーレア将軍に報告するか否かはリリ女王に委ねます!」



「オシロ……と言ったかしら。階級は……中尉さんね。ごめんなさい、言っている意味がよく分からないのだけれど、アーレア将軍を通さず直接その足で伝達しなければならないこととは、一体なんなのかしら。

 それにそこまでして伝えに来たのに、聞いた内容はアーレア将軍に伝えてもいいだなんて……」



「私がお持ちした伝達は、誰よりも先に……リリ女王に受け取ってもらいたかったからです。この情報は、私を含めごく一部の兵士しか知りえない情報であります。

 ……ですので、どうか、どうかお心を鎮めてお聴きください」



【心を鎮めて】……?



 オシロの言葉の中に気になるところがあったが、話を聞く前にあれこれと詮索しても仕方がない。



 全ては内容を聞かなければ分からないからだ。



 私は真っ直ぐなオシロの瞳を信じ、トーアとラミト達を説得するとオシロと2人きりの場を作った。



「どうかしら? ここでならじっくりお話を聞けますわ」



 私はオシロに椅子を差し出し、「どうぞ」と勧めたがオシロは「いえ、自分は結構であります」と頑なにそれを断った。



 ほんの少しの沈黙があった。



 その沈黙の時間は、私にとっては長くも短くもある、ごく普通の会話の合間にある沈黙だったけど、オシロにとってはそうではなかったらしい。



 この束の間の沈黙の間、彼は必死に言葉を選んでいるのか、それとも切り出し方を考えているのか、……ともかくとして私の感じていた沈黙とは違う捉え方をしていたに違いなかった。


「ニック・オーガスタの言葉を伝えに参りました」



「……!?」



 どのくらいの時間、私はその言葉に固まってしまったのだろう。



 忘れるはずのない名前。私と共に過ごし、そして私のせいで軍へと追いやられてしまった人。



 ニック。



 その名前を聞くだけで心が締め付けられた。

 いつか……。いつか必ず生きて再会しよう、そう誓っていた。



 ヴァルキリーだと祀り上げられて、私の思うところとは別の方向でどんどんと名前が先走ってゆく最中、私の中では常にマークとニックの事ばかりが脳裏をうろついていた。



「ニック! あなたは、ニックを知っているのね?! ニックは今……」



『ニックは今どこにいるの?』私がそう尋ねようとオシロと距離を詰めると、オシロは一歩後ろに下がり、私との距離を保ち同時に左手を差し出して私の言葉を制止する。



「……?」



「リリ女王、ひとまずお聞きください。貴女の質問にはその後で存分にお答えいたします」



 オシロは真っ直ぐ私を見詰めていたけれど、そこには強い意思とは別に気負いしているようにも見えた。



 強い意思でここに立っているのだけれど、本当はこの場に居たくない。そんな印象だった。



「ニックは貴女にこう言葉を残しました」



 私の言葉を制止するために突き出した左手を、腰の横に戻したオシロはトーンを少し上げて次のように続ける。

「リリ、沢山の死を悲しめ。深い悲しみを愛に変えることが出来るお前に感情の籠らない銃弾は決して当たりはしない。俺と、お前のマムは、どんな時でもお前を守っている。

 リリ、愛しているよ」



 ――オシロが発した言葉は、とても優しく、厳しく、まるでニック本人がそこにいるような錯覚を覚えた。



 どの言葉を取っても力強く、私を理解していながら諭している。



 どんなに狡猾で饒舌なドードー鳥であっても、ニックの魂の籠ったこの言葉を作ることは出来ないだろう。

 ……だけれど、どうだろう。



 そんな力強いニックの言葉なのに、私の心は深い悲しみと喪失感で溢れかえっていた。



 だって、これじゃまるで……



「これじゃまるで……」



 私の心の声と、実際に発した声がシンクロする。



 オシロは変わらずに私をしっかりと見つめたまま、言った。

「ニック・オーガスタは戦死しました」



 オシロの目の奥に在った決意とは違うなにかの正体が分かった。



 そして彼が、たった一人で通信も行わずに自らの足でここまでやってきた理由も。



「そう……ニックが」



 自分でも意外なほど、そこまでの言葉は淡々とした気持ちと口調で言えた。



 だけど、口に出して言えたのは結局そこまでだ。

「ニック……ニックぅ……」



 これまでに味わったことのないほどの喪失感。孤独感。疎外感。



 ニックと離れて数年間が経っていたはずだったけれど、そんなことは問題ではない。



 もう二度とニックに会えない。



 この事実だけで充分だった。私を絶望の淵に突き落とすには。



 ペルメルハウスの青い霊園に、どろどろとした泥の地帯があり、私はその一帯がとても嫌いだった。



 お気に入りの黄色い靴が泥に嵌り、私は足が抜けずに泣いた。



 ニックがすぐに駆けつけてくれて、私ごと足を引き抜いてくれたのだけれど、お気に入りの黄色い靴は埋まってしまったまま、その場を後にした。



 泣きじゃくった私を慰めながら、ニックはこう言った。



「いいか、リリ。形のあるものっていうのはな、いつか必ず無くなるものだ。それがどんな理由で、どんな風になくなるのかはわからない。

 だけどな、そういう物ほど忘れてはいけない。黄色い靴は買い直すことが出来るが、あそこに埋まってしまった靴はあのままだ。

 自分が失くしてしまったものになにができるのか。リリ、分かるか?」

「わからないわ、ニック。私はどうすればいいの? どうすればあの黄色い靴は私を許してくれるの?」



「簡単さ、リリ。沢山、笑えばいいのさ」



 ニックは笑って私を抱いて、頭を撫でてくれたの。

「リリ女王……」



 オシロは困ったような顔で私を見ていた。当然だろう、その理由は私が一番知っている。



 でも、オシロには申し訳ないのだけれど、ニックとの約束のために私は笑わなければならない。



「オシロ中尉……私は今、笑えているかしら」



 おそらくは……泣き笑いのような、ぐちゃぐちゃな表情なはずの私の顔を見て、オシロは表情を変えずに言う。


「ええ、女王。とても美しい笑顔です」



 オシロは表情を変えなかったけれど、たった一筋。一筋の涙を無言で流した。



 ニックとオシロがどんな関係なのか、私にはわからないのだけど、ここまで自分の足でやってきて、たった一つの涙を流し、ニックの死を伝えてくれたオシロが、ニックにとってどんな存在だったのか、私は私なりに理解した。



「彼の最後をお聞きになられますか」



 オシロがニックの最後を言うべきが迷っているように、少しだけ声を落として尋ねた。

「ええ、聞くわ。だけど」



「だけど……?」



「この戦争が終わってから、ちゃんと聞いて……ちゃんと、泣くわ」



「そうですか」



 オシロは、私の言葉にそう答えながらクスリと微かに笑う。



「初めて笑ったわ」



「これは失礼いたしました!」



「いいの」



 

 そんなつもりは無かったのだけれど、オシロは私の指摘に表情を戻し、真っ直ぐな眉をまた堅く貼り付ける。



「でも、どうして笑ったの? なにか面白いことを言ったかしら?」



「いえ、……戦争が終わるまで死ねなくなった……そう思ったらつい」



「そうね。オシロ中尉、誰も死んではいけないわ。だから私と今ここで約束をしてほしいの」



「なんでしょう、リリ女王」



「戦争が終わったら、私とお酒を飲みましょう。そして、ニックの話を沢山してちょうだい」



「……女王の命令とあらば、無下にするわけにはいきませんね」

 その後、キャンプで一泊してはどうかと聞いたけれど、オシロは丁寧にそれを断り、その日のうちにキャンプを後にした。



 アーレアに話す気が無いことを言うと、オシロは表情にこそ出さなかったが少し安心したようにも見えた。きっと、覚悟があってここまで来たのだろう。



 トーアやキナ達に、オシロがなんの話をしに来たのか尋ねられたが、関係のない話ではぐらかし、私がその内容を言いたくないのだと察してくれた彼女らはそれ以上私に聞きはしない。



 そんな彼女らの気遣いに心から感謝しつつも、ニックのことを言えない煮え切れない気持ちに心臓が血を送る血管が、締まる感覚を覚える。


 人の死とはなぜにこんなにも辛いのだろう。



 その死を目の当たりにしても、しなくとも、どんな人間の死であっても悲しい。



 病気であっても、事故であっても。



 それが例え自殺であっても、他殺であっても……死に種類はないのだと思う。



 唯一、死が正当化される戦争は異常事態であると信じたいけれど、世界が自分を主張する手段はそれしかない。



 ……と、アーレアがいつか言っていた。

 だったら、この身を焦がすような悲しみはなんなのだろう。



 ニックは、なんのために死んだ?



 ニックは、なんのために生きた?



 人とはどこから来て、どこへ向かってゆくのだろう。



 私には難しいことは分からない。



 分からないからマムの面影に尋ねるしかないのだ。



 マム……。



 貴女は何故死んでしまった?



 そこにニックはいるの?



 ただ、はっきりしていることは……もうニックとは二度と会えないということだけ。

 誰も居なくなった部屋を抜け出し、誰にも見つからないようにキャンプの外へ行った。



 持っていたハンカチと小さなタオルを口に当て、込み上げてくる強烈な悲しみに身を委ね、滝のように溢れる涙は暗闇の中で揺れる雑草に落ち、その度に微かな音を立てた。



「うああ……」



 大きな声が出そうになると、必死でハンカチとタオルで声を殺す。



 涙と一緒に、ニックとの思いでも全部流れてしまいそうで、私は涙が出るのを止めようと努めてみるけど、結局それは無駄な努力だった。



「ああぅ……う、うう……」



 ニック、ニック、ニック……



 ニックを殺してしまったのは私かも知れない。だけど、ニックは笑えと言った。



 だから私は、オシロの前で笑ったのだ。



 トーアやキナの前で笑ってみせたのだ。



 だけども、一人になって笑えるはずがない。



 私は、私は悲しいから。悲しくて、この身が千切れてしまうのではないかと思うほどに。




「リリ女王、目が真っ赤ですぜ。なにかハートブレイクなことでもあったんですかい?」



 ジョージの呑気な問いかけに、事情は知らないけれど私を馬鹿にさせまいとトーアが目の色を変えた。



「ええ、ちょっと運命に振られちゃったから。でももう大丈夫よ、ジョージ」



 トーアが怒る前に私はジョージにそう言って笑う。



 あたかもそれが『日常である』と言うように。


「運命にねぇ……。そういえば、私の知り合いにも運命に振られた男が居ましてねぇ……」



 ジョージは暗にそれを【マーク】であると示しながら、ひぇっひぇっと笑って見せた。



「その男が、どんな心境の変化か……パームライズホールのリールダンスパーティーに出るっていうんです。奴は身の程も知らず、リリ女王をダンスの相手に指名しているらしいんですがね、万に一つもそれは有り得ないと言ってやったんです。

 ですが、それでも奴はダメ元でいいから言ってくれって言うんでね?

 まぁ、耳流しにでも聞いてやってください」



 ジョージはスキットルの蓋をキュポッと音を立てて開け、ぐははと笑った。



「ジョージ……」



「なんですかい? 女王様」


「大好きっ!」



「うおっと!?」



 ジョージに抱き付き、キスをした。



 突然の私の行動に、トーアとキナが慌てて私に飛びつき、ジョージから私を引き離そうとするけど、私はジョージに抱き付いたままだ。



「リリ! そんな男、汚らしいから離れなさい!」



「なぜ? シャワーを浴びていないのは私もそうよ? むしろジョージの方が綺麗だわ」



 トーアは「そういう意味ではなく……」と言ったけど、それ以上は聞かなかった。

「それよりもジョージ! マークに、マークに会えるのね!」



「ええ、リリ女王。たった一晩ですがね、マークに会えますぜ」



「やったぁ! トーア、聞いた?! 私、マークに会えるのよ! 嬉しい……嬉しいわ!」



 トーアの手を取り私はその場でスキップをして、喜びを表現した。……というよりも、自然に踊ってしまったというほうが正しいかも。



「……良かったわね。リリ」



「ええ、まさか……まさかこんな日が来るとは思わなかった! 本当にありがとうジョージ!」



 ジョージは片手を上げて「喜んでもらえて光栄ですぜ」と応え、ラミトとキナもパチパチとリズムを刻むように拍手をしながら笑ってくれた。



「ちょ、ちょっとラミト……キナ! 止めて!」



 トーアが困った顔でラミトとキナに言うけれど、私は構わずにステップを続けた。



「トーア、踊りましょ。ほら、アンドゥ、アンドゥ」



「やめて、リリ! 私はダンスなんて……」



 トーアはそういいつつもたどたどしくステップを踏んだ。それを見て私は妙に嬉しくなり、そのまましばらくラミト達の拍手のリズムで踊り続けたのだった。




 ――その日の夜は、星空が瞬く乾いた夜風すら頬を撫でる綿毛のような、綺麗な夜だった。



 ニックが死んだこと。



 マークと会えること。



 悲しいことと嬉しいことが交互に来る感覚に、私は星空を眺めごちゃごちゃになってしまった気持ちを整理しようと大きく息を吐いた。



 私にはまだ、生きるということと、死ぬということの意味は分からない。



 だけど、ニックは死んで、マークは生きている。



 ニックとはもう会えないのに、マークとは会えるの。



 なぜこの星では、会える人と会えない人が居るのだろう。



 他人であっても、家族であっても、人間は人間を愛することが出来る。



 誰もがそれを理解しているはずなのに、愛は戦争を終わらせず。



 憎しみが戦争を蝕んでゆく。

 人の死は、それの犠牲だと言っていいのかな。



 違う気がする。



 眠りが死と同じだとするなら、起きている間は限られている。



 私の眠りが、誰かの死を遠ざけるのならいいのだけれど、それはあくまで夢で、現実は起きている間にどんどん命を奪ってゆく。



 ニックがいつか言っていた。



「愛がある。愛があるから戦争は悲しいんだ」



 と。

 手を伸ばせば星が掴めそうな距離にある夜空。



 夜を重ねる度に形を変える月



 暗い場所で光るものはこんなに近く感じるのに、明るい場所で光り輝くものは目を見開いて直視出来ない。



 私の歌はどこに届くかな。



 あの時の太陽は、ニックが死ぬ瞬間を見詰めていたのかな。



 歌が届かないのなら、どうか月に聴いてほしい。



 鎮魂歌(レクイエム)にすらなれない、未熟なこの歌を。

There are devil to have a similarly angel you have angel There are devil

As angel as the devil does not cry alone is not laugh alone

I'm sure there a world where angels and demons is love "LOVE" is required

Possibility is that you had laugh if there strife I we 'm kun find the happiness

 どこかで貴方がこの歌を聴いていますように。



 どこかで誰かがこの歌を聴いていますように。



 私の未熟なこの歌を。



 未熟な私のこの歌を。






【続く】

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