第8話




 パームライズホールと、サムライズバレーは世界でも数少ない中立国だ。



 あらゆる不可侵条約が適用されており、この国に入ることは実に難しい……というのは表向きだ。



 その本質というのはもっと単純であり、要は金と首相のご機嫌さえとっておけばそこまでこの国に入国するこは難しくない。



 ただし、それはあくまで俺達のような《名もなき兵士》のような底辺の住民に限って……である。

 つまりコフやAPのアーレア将軍のようなビッグな著名人は中立国であるこのパームライズホールに立ち入ることなどは事実上不可能と言っていい。



 ロックミーに紹介してもらったジョージという男も双方の軍に情報を流通させることで飯にありついている。



 ジョージというと言ったのは、そうしたことで飯を食っている連中がなにもジョージだけではない、という意味だからだ。



 パームライズホールとサムライズバレーは、主に双方の情報交換の為に暗黙の上容認されている地域と言っていい。

 こんな戦争している、謂わば敵同士と言ってもいい国同士の情報交換がこんなにも大っぴらに行われてもいいのか、という疑問が生まれるが、この二つの中立国が実に双方のバランスを取っていると言ってもいい。



 お互いの情報を【どこまで開示するか】、それもお互いの戦略の一つなのだ。



 当然ここで飛び交う情報というのは、ガセネタも多く存在する。



 その中から、如何に《鮮度の良い》、《真実味のある》情報を持って帰るのか……。情報で飯を食っている連中のクオリティというのはそこで決まる。



 当然、BWにも情報収集専門の部隊もいて、それはAPに於いても同じだ。



 さて、そこでロックミーに紹介されたジョージという男だが……どういう男かというと、奴が言っていたように元々はダウンタウンで育ったため、ややBWよりの思考をもったAP側ジャーナリストらしい。



 しかし、情報を持ち帰る人間というのは俺のような一般の兵士には禁じられている。



 それなりのライセンスがいるということだ。


 守秘義務がそこにあり、AP側もBW側も内部で操作する情報の制限というものがある。それを破ってしまった情報屋というのは、生活どころかその命ですら危うい……というわけだ。



 ……とつまらない話をここまでしてしまったが、本来なら俺には全く関係のない場所だということを、靴の底に貼りついたガムくらいの感覚で覚えておけばいい。



 ともかく、目の前でハンバーガーにがっつくこのだらしなく太った男がジョージだということだ。


「ハフ……ハフ……んが、んぐ」



 口の周りにケチャップソースを付けながら、貪るようにハンバーガーに食らいつく様はさながらゾンビ映画を見ているような気分になった。



「ちょっと待ってくれ、昨日の昼からなにも食ってなくてね、ハラペコなんだ」



「気にするな、ケチャップが口につかない程度にゆっくり食べてくれ」



「ありがとう」



 どうやら喰うことに必死なジョージは、俺の言った皮肉にも全く気づいていない様子だ。

「……ふぅ、おいウェイトレス、ビールをくれ。待たせたな、マーク」



 ジョージは口の周りにケチャップをつけ、伸ばしっぱなしの口髭の至るところにつけた血糊を引きつらせて笑った。



「こんな時代なのにやけに良い物ばかりを喰ってるみたいだな。羨ましいよ」



 ジョージの出っ張った腹を見て俺は言ってやった。だがジョージは、豪快に笑って



「そうだろ? 最近ワイフにも言われてなぁ、ダイエット中さ」



 ウェイトレスの持ってきたビールのボトルを上手そうに喉を鳴らして飲み、袖で口を拭きつつ笑う。

 そんなジョージの不快な笑顔を見て俺は少し気になることを聞く。



「なんで俺の名前を知っている? ロックミーから聞いたのか」



「ああ、そうさ。だがロックミーから聞いたのは名前だけだ。俺はお前のことを名前以上に知っているぜ? なぁ《弾丸の当たらない男》さんよ」



 弾丸の当たらない男……。俺にとっては余程聞き飽きた響きだったが、初対面のジョージに言われたのに俺は構えた。それもそうだろう、この呼び名などBWだけで跋扈している名だ。この男が知るはずもない。

「俺なんかがその名を知るはずもない……とでも言いたげな顔をしてるぜ? ふふ、舐めてもらっちゃ困るぜ。俺はこう見えてもジャーナリストだからな。飯の種であるこの戦争のことは知りつくしているのさ」



「ふん、なるほど……。いい商売してやがる」



「なんだよ? アバラ山国みたくどっちの軍にも同じ武器を売ってやがる薄汚ぇ奴らよりよっぽどマシだろうが。戦争に参入してやがるくせに、敵軍にも武器を売って儲けてやがる狂った国さ」



「お前とペナルティミーティングしにわざわざこんな腐った土地に来たんじゃない」



 ジョージははっはっはっ、と唾を飛ばして、次に「全くだ、マーク!」と言った。

 俺がタバコを出して、一本を口に咥えるとそれを見たジョージが「一本くれよ」と言って来た。



 ――なんでも食うのかよ。



 なんて思いながら、仕方なしタバコを一本くれてやるとジョージは「火も出せよ気が利かないね」と皮肉った。


「……で、なにを知りたい? こう見えても俺は上客にしか情報を売らない。苦労してAP内にそこそこ付け入るようになったんだからな。安い客には会うことすらしねぇんだ。

 ロックミーの友達でかのご高名な《弾丸の当たらない男》ということで今回だけ協力してやるってんだ。感謝しろよ? 俺に」



 ふぅ、と鼻の穴から煙をゆっくり吐き出すジョージはまた、はっはっはっ、と大口を開けて笑いやがる。



「どこまで信憑性のある情報持ってるか……。実際会って不安になっているところだ」



「そうかそうか! ならやめるか? だがバーガーとビールの代金はお前持ちだぜ?」



 これ以上こいつのセルビネガーの匂いのような不快なトークに付き合うのは無益だと悟った俺は、ジョージの挑発するような戯言を無視して本題に入ることにした。



 でなければ入国制限時刻を超えてしまうかもしれない。



「ところで早く本題を切り出さねーと入国制限超えちまうぜ」



 お前がそれを言うのか。

「リリ・ピースについて教えろ」



 ジョージは人をおちょくったような笑顔で俺の質問を聞いたまま、凍り付いたように固まった。



「……ジョージ?」



 ぶはぁ、と大きくため息を吐いたジョージは少し俯くと上目使いで俺を見てこれまでとは違う種類の笑いを浮かべると、俺の顔にべっとりとペンキを塗りたくるような声色で応える。



「まさかぁ~……。あの噂が本当だとはねぇ~……」



「【あの噂】? なんのことだ」



 ジョージはまだ3分の1ほど残ったタバコの火をハンバーガーの皿の上で捻じり消すと、意味ありげな目つきで俺を見詰めるとおもむろに言う。



「あんた、リリの処女を奪ったろ」



「!?」


 ジョージが先ほど凍り付いたように、今度は俺がその場で凍り付いてしまった。



 全く予想だにしていない言葉だったからだ。



「噂だけが独り歩きしててねぇ……。だけど兵士の誰も……いや、APを支持し加盟している国の国民のほとんどがそんなこと信じちゃいない。だけどどこからかまことしやかに囁かれている噂。

 リリ・ピースと弾丸の当たらない男に《男と女の関係がある》ってね」



 ジョージの顔をなにか未知の物体か、さながら緑色のモンスターでも見ているような目で俺は奴から目を逸らすことも出来ず、ただ話の続きを聞くことしかできない。

「あんた……いや、マーク・ウォー。確かにまだまだAPやAPの同盟国の中では知名度は低いが、一部……特に陸戦主要部隊などの戦線に立つ兵士の中では、あんたが思っているよりも有名なんだぜ。

 だってそうだろ? 《弾丸の当たらない男》なんて戦場に於いてホラーでしかねぇ。

 そんな敵軍の男と戦場の女神とも言われているリリ・ピースがコックインホールで繋がってるなんて、誰が想像できる? 誰が信じる?

 だが、それがもしも真実だったら……お前のことを名前だけでも知る人間が聞いたらまずどんなことを考える?」



「……そもそも、なぜリリは《戦場の女神》なんて呼ばれているんだ」



 聞きたいことは山ほどあるが、それにぼやけて本題が逸れてしまっては大変だ。喉元まで上るあらゆる疑問を押し殺して、俺は尋ねた。

「くくく、マーク……お前はやっぱり運がいいぜ。リリ・ピースの情報をこの俺から聞けるんだからな」



「……?」



「そんな顔するな。別に変な意味じゃあない。さっきも言ったろ? 俺は他の連中に比べて少し深くAPに入り込んでんだ。だからな、リリ・ピースが何故戦地に立たされているかの理由を知っている。ほかのジャーナリストや情報屋じゃこうはいかねぇぜ」



 俺は近くを通りがかったウェイトレスを呼び止め、ビールを1本注文し運んできたボトルをジョージに手渡した。



「続きを言ってくれ」



「話が分かるようになったじゃねぇか、マーク」



 喉を鳴らして、ボトルの半分まで飲んだジョージはテーブルに肘を置き、前のめりに俺を見詰め、話を続ける。



「リリ・ピースとアーレア・ピースが結婚したのは2年前。結婚式の当日にな、とんでもねぇ事件が起こった」


「とんでもないこと?」



「ああ、そうさ。なにせ結婚式当日に花嫁が消えちまったんだ、お目付け役のニックと一緒にな。そりゃあもう国をあげた大事件だったさ」



 《ニック》という名前に肩が震え、あの時に殴られた頬を無意識に撫でてしまった。



「結局、次の日の朝には戻ってきたんだが……おかげで結婚式は延期になっちまってよ。リリ・ピースは当時17歳。若さゆえの……ってことで、なんとなく許してやろうってムードになってたんだ。

 だが結婚式の翌週には戦地で指揮を執る予定だったアーレア将軍は、延期になった結婚式の日に任務が重なちまってね、そこで不幸が起こった」


 ジョージがもう一口ビールを飲み、そのまま飲み干すとウェイトレスに追加のビールを勝手に注文されたが、俺は気に留めずに聞き続けた。



「アーレア将軍はその戦線で敵の銃弾が命中しちまってね、右手を根本から失っちまったのさ。それでたちまち国では悲劇のヒーロー。国のために戦って腕を失った英雄ってね。

 今はAP軍とかいって世界各国の軍を率いてっけどな、アーレア将軍が統治しているグリーンバードって国は年中戦争やってんだ。

 《平和を守るため》っていうさも高貴な理由でね。しかも戦力差がある地域に対しても一気に戦局を決めずにちまちまとゆっくり追い詰めて降参に追い込むっていう、性格のいい戦略を得意としている。降伏する国がそんだけ多けりゃ、国民からの支持は集中するよな。あの腕の怪我だって計算じゃねーかって噂まで飛び出してやがる始末だ」

「とにかく、アーレアは生きて帰ってきた。腕の治療の為に一年余り結婚式は延期されたが、アーレア将軍の回復と共に結婚式は行われた。

 その頃にはBWが設立され、このまま戦争に向かっていくんじゃねーかって各国で議論になっててね。……って知ってるか、このくらい」



「残念だが、世間のことは無頓着でね。俺がBWに入ったのも飯の為だ。世界の情勢なんぞなにも知らない。だから丁度いい機会だ、聞かせてくれ」



 ジョージは俺の返事を聞くと、目を丸くして大袈裟に驚いてみせた。



「そいつは驚いたな! お前はBWや自分の国に愛情や忠誠もないのに戦線に立ってるっていうのか?! 最高に狂ってるぜ!」



「ふん、褒め言葉だと思っておくさ。続けろ」

 へっへっへっ、と3本目のビールを上手そうに口をつけたジョージが楽しそうに続ける。

 不潔に思える口髭も喋る度に蠢いているのを見ていると、なんだかコミカルに思えてくるのがなんとも不思議のものだ。


「じゃあたまにはお前に質問してやろうか。愛国心もなにもないお前はなんで前線で戦争してる。ただの殺人狂か?」



 俺の顔色を伺い反応を楽しんでいるようなジョージは俺に対してくだらない質問を投げかける。おそらくはきっと、これで俺を物差しで測ろうってハラなのだろう。実に不愉快だが、ここは甘んじて受けてやろう。



「お前は飢えを知っているか」



 ジョージは眉を片方露骨に下げると俺に向けて「はぁ?」とでも言いたげに口を半開きにした。

「聞くところによるとお前もダウンタウン出身だと聞いた。ダウンタウンと言っても色んなところに同じ名前の集落があるからな。

 俺の住んでいたダウンタウンは、なにかの工場ばかりが立ち並び、油を含んだ霧がいちも立ち込めている長生きできない街だった。

 ……長生きできないだけならまだいい。まだいいが、問題は致命的に食料がなかった。

 理由は分からない。大人になった今ですら、どういう理屈で俺達の街には食料が不足していたのか。

 だけど、橋を一つ渡った……たった数百メートルの橋を渡っただけの街には、全ての贅沢も自由も、《俺達にないものが全て》あった。全てだ、わかるか?」



 俺はジョージの顔を見ずに話しを続けていたが、ジョージはどうだったのだろう。俺の顔を見ていたのだろうか。

 


 或いは、どんな顔で俺を見ていたのだろう。憐れんだ顔か、挑発するような下衆な笑顔か、それとも真顔か?



 どっちにせよ俺の機嫌が表情ひとつによって改善するとは考えにくかったのだけは確かだ。

「そんな中だ。俺達にパンを配る胡散臭い奴らが現れた。

 そいつらは無償で、見返りも求めず、ある日パンを持って突然現れた。

 俺達はな、そのパンに強烈な毒が入っていたって良かったんだ。腹が減るってのはそういうことだ。今さえ良ければいい。

 けど、そのパンには毒は入っていなかった。カスカスで味もない、安いパンだったがテレビで見るリブステーキなんかよりよっぽど美味かったことだけは確実だった。

 どいつもこいつも、俺だって奴らがパンを持ってきた時は泣きながら食べたもんさ。

 ……ああ、パンには味がなかったって言ったな。あれは訂正する、鼻水と涙でいい具合にディシャップされてたぜ」



「それが……コフ・マッケインが率いるBWの雛型かよ」



 俺は鼻を鳴らして「さぁな」とだけ言った。

「そして連中は次に教育を持ってきた。流石にガキども全員に教えることは出来なかったが、奴らに教育を受けた数十人は辛うじて読み書きできるのと、簡単な計算を覚えた」



 ジョージのボトルはいつのまにか空になっていたが、俺は見ていない振りをして笑いかけた。



「さて、ここでお待ちかねの戦う理由だ。俺が《なんのために戦っているか》だったな?

 ……自由さ。

 食う自由、女を抱く自由、教育を受ける自由、好きな時に眠る自由、働いて金を貰う自由……。その全てさ。

 なぁジョージ、これらを求める俺は贅沢かい?

 仮にあんたたちにとってこれが普通のものだというのなら、こう言おう『それを全部俺によこせ』……ってね」

「……」



「わかったろ? コフが求める理由と兵士が求める理由なんて一致している理由なんていらない。愛国心? 国を愛して飯が食えるなら、何故俺達は飢えた?

 国から愛されていないからか? だったら、俺は今からでもあの街の地面にキスでもしてやるよ」



 少しの時間、俺とジョージの間に風だけが通り抜けていく。その時間が俺と奴の距離感を計る唯一の物だったのかもしれない。

「……そんな、上ながらもコフたちのおかげで命を繋いでいた……《ただ生きていただけの日々》の中で、リリに出会った」



 リリの名前にハッとした様子でジョージは俺の顔を跳ねるように見た。



「彼女は俺に言った。……愛で全ては上手くいく……ってね。この女は馬鹿かと思ったよ。そうでなければ、俺達の知っているのとは全く違う方向に狂っている女だってな。

 俺自身、今考えてもなぜあんな場所に彼女がいたのかはわからない。なんてったって俺は一度リリのせいで死にかけてるからな」



 

「そうか。ならその日、……お前がリリ・ピースに出会ったという日が結婚式から逃走した日だったんだな。事情は知らんが、とにかくそこで彼女とファックした訳だ」



「そう、それだ。なんでお前みたいなAP軍の人間でもない、一般人に毛生えた程度の情報屋に俺とリリのことがそんなにも漏れている?」



「あんたリリを抱きかかえてサウザンドヒルを走り回ったろ? 誰も見てない思ったか?」



「……ッ!」


 ジョージはにやりと笑うと、空になったボトルを指でキンキン、と音を鳴らして若いウェイトレスの尻を目で追い笑う。



「当時リリ・ピースは17歳だ。さぞや締まりが良かったろ? お、マーク」



「お前と俺は友達じゃない」



 ジョージは「そうか、そうだよな!」とまた愉快そうに笑いウェイトレスの尻に向けて「バーボン……いや、コニャックはあるか? ストレートだ」と注文した。



「単刀直入に教えてやるよ。アーレアはリリとの夫婦としての夜、処女じゃないことを知り激昂した。それはもう目も当てられないほど怒り狂ったんだ。

 なぜだか分かるか? お前が、リリのヴァギナをアーレアより先に開通させちまったからだよ!」

「なに……?」



 言葉を失う俺の代わりに言葉で捲し立てるジョージは、コニャックのグラスを掌で温めながら匂いを楽しみつつも更に話し続けた。



「それがどういう事態を引き起こしたか。目付人のニックがリリの処女を奪ったのが自分だと名乗り出たんだ。結果ニックは国外へ追放され、APの下位軍人として送られた。

 だがな、アーレアはリリの狼狽え方を見てリリの相手がニックではないと察したってわけだ。だからといってニックを犯人として処分しちまってる分、犯人捜しなんて今更出来ないし、リリは相手のことはなにも言わない。

 嫉妬の炎を燃やしたアーレアは、何を思ったかリリを《戦場視察》や《戦地激励》と称して戦地に送るようになったんだ。自分の妻をだぜ? まだ19歳のガキをだ」


 言葉を失っていた俺は、駄目押しのように押し寄せる事実に固まるしかなかった。

 ――リリが戦場へ送られている?



「そんな馬鹿げたことがあっていいわけ……!」



 ジョージは立ち上がって大声を上げそうになる俺に向けて、しぃ~と指を口元に差した。



「まあ落ち着け、本当に馬鹿げた話はこれからさ。アーレアの国内外の人気は絶大だ。

 第三者から聞けばおかしいことこの上ないリリの戦地導入だが、さっきも言った通り《戦地視察》だとか《戦場激励》とかっていう綺麗な言葉を使うだけで何故か正当化されちまってね、誰もおかしいだなんて思わなくなった。ワードドラッグとでも言おうかね……お、俺は天才か? へっへへ……」

「ジョークをいちいち挟むな。お前のトークショーなんざ今はいらない」



 ひゅーっ、と口笛を鳴らしやれやれ、といったジェスチャーのあとジョージは掌で温めたコニャックを一口飲むと、「クァ」と短い嗚咽を噛み殺し「言うねぇ」と笑う。

 良く笑う奴だ。



「何が馬鹿げているかって、リリが戦地に行った後さ。彼女は戦場で愛の尊さを説いたり、戦うことの無意味さを歌ったり。アーレアが求める全く真逆の行動を取ったんだ。

 だが……俺が言っているのは彼女の行動が馬鹿げているって意味じゃない。それを聞いた兵士どものことさ。

 最初は誰もガキがのたまっているだけの夢物語程度のもので聞いていたんだが、彼女に同調する奴がちらほらと現れてね。こういうのは不思議なもんで何人かパイオニア的な連中が現れると爆発的に繁殖しちまう」

「……つまり、それは戦争をやめようとする運動を始めたってことか?」



「違うよ……。逆だ、ヴァルキリーサークル(戦乙女の輪)っていうリリを崇める団体が兵士の中で発足し、奴らは「リリを守るだめに戦う」と言いだした。

 そしてヴァルキリーサークルはAP軍の中でも勢力を拡大している。肝心のリリ・ピースはというとそんなものの中心に祀り上げられ、アーレアの元に帰れないという本人もよくわかっていない状況に陥っている。

 ……いや、もしかしたら彼女自身が戻りたくないって思っているのかもしれないな」


「だがジョージ……。リリはあくまで非戦争論者だったはずだ。そんな彼女が自分を守るために武力を行使するサークルなんて喜ぶはずがない」



「その通りさマーク。だが彼女は彼女なりに何かを変えたくてそこにいるんだろう。きっと彼女の言う『愛』のためにね。まぁ俺には理解出来んがね……」



 空は白い雲と青い空をいつまでも流すだけで、俺達の話など素知らぬ顔で時間は進んでゆく。


 いつか親父がアメフトの試合を遠くの家の窓から見て、俺に言ったものだ。

『マーク、この世界で平等なのはな、命でも金でもない。時間だ。時間さえあれば人はなんだって出来る。だけど、俺達はここに住み続けたらその時間ですら連中と平等に与えられないんだ。いつかお前は俺をこの街から出して、スタジアムでアメフトを見せるんだ。わかったな』



 知っての通り、親父は死んだ。



 たったの40歳で、だ。



「いくらだい」



 ジョージに情報料を聞くとへっへっへと奴はまた笑った。これが奴の処世術なのだろう、人によってはこの下品な笑いですら気を良くするのかもしれない。



 自分を高貴なものだと勘違いしている人種には特に。



 俺は次第にこの男の本質が見えてきた気がしていた。この男は、生きるためにこの笑いを身に着けているのだと。

 ジョージが俺に距離を詰めると臭い息が鼻にかかるかと思うほど近く顔を寄せた。



「俺の情報料金は高いぜぇ~……マーク・ウォー」



「言っておくが、現実的な金額にしろよ。あまりに法外な金額吹っかけやがるとここでお前を殺してやる」



 ここは中立国だ。だから銃火器の所持は認められていない。



 だが俺にはゼーン直伝のマーシャルアーツがある。デブを一人素手で殺すくらいは訳もないことだ。

「ここの料金、あと出国の代金……だな」



 俺はジョージの目を見た。奴は冗談を言っているわけではなさそうだった。



 かと言って真剣な表情かと言われれば疑問だが、とにかく奴は俺をからかっている様子ではないということだ。



「……ノーギャラでいいってことか? どんな心変わりだ」



「ノーギャラ? 冗談だろ? マーク・ウォー。俺が見るにお前はこれから金になりそうだ。もっと知名度が上がって有名人になるぜ」

 ――こいつ、なにを言ってやがる……。



 そう思いつつも俺は奴の臭い息に耐えきれず席を立った。



「ならここの代金と出国の手数料は俺が持つ。お前の条件を端的に言え」



「俺の条件? へっへへ、俺が呼んだ時はここへ来て話を聞かせてもらう。それだけさ」



「期待に応えられるとは思えんがな」



「そん時はこのコニャックで手を打つさぁ~……へっへへ」



 皮肉にも、この時ジョージが言ったことは現実になる。それを身に思い知るのは……まだ少し後のことだった。





【続く】

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