第7話
【弾丸の当たらない男】
この不名誉な通り名は俺が思うよりももう何歩か早い速度でBW内に広まっていた。
当然、それはコフの耳にも入り一体何度目か分からない呼び出しの中でもしつこいほどに問われたものだ。
「マーク、何故お前は俺の頼み……いや命令に背いてまで戦線へと向かってゆく?」
「……参謀ってのはどうも性に合わなくてね。隣の奴の鼻歌も聞こえないほど騒がしい場所の方が好きなのさ」
「冗談を言っているわけじゃない。真面目に聞け、マーク。俺はお前をわざわざ戦地で失うためにBWに引き入れたわけじゃない。お前の知恵を期待してのことだ、お前が戦果を挙げることを期待したんじゃない……わかるだろう」
「だがコフ聞けよ。俺が今兵士の間でなんて呼ばれているか知っているか?
《弾丸の当たらない男》だとよ。どうだ、笑えるだろう」
「マーク」
「分かってるよ。お前が期待していることも、俺が戦線に出て欲しくないってことも。足りない脳みそなりに分かっているつもりだ。だが、もう少し俺のわがままを聞いてくれないか」
会話の中で何度もコフはため息をついてはコーヒーを啜り、ため息で締めた。
コフの戦争目的はちゃんと納得も理解もしているつもりだ。
そしてそれを掲げるコフという男に力になりたいと思った、それも本音だ。
――俺自身も、なぜこんなに戦線にこだわっているのか分からなかった。
それは誰が見ても《死に急いでいる》と言えるのだろう。
パシフィックカームで空を飛ぶ夢を見たことがあるか? 俺は無い。
何故なら俺はパシフィックカームの雄大な大地を、命の霧を上げる大きな海穴を、そのどれも知らない。雑誌の切り抜きですら見たこともない。
そんな俺がパシフィックカームの偉大でイカした空を飛べる夢を見られると思うかい。
コフが俺に言う、俺に求めることというのはそんなパシフィックカームの空を飛ぶ夢の感想を聞くのと同じ道理なのだ。
パンは火薬になった。パンを喰った俺達は武器になった。
俺達BWには階級がない。ただチームのリーダが作戦を立案し、それに従うだけだ。
訓練だって基本的には自由。やりたいやつは腕立てでもやってろ、の世界だ。
ゼーンが訓練の指揮として赴いていたのは今考えれば異例の事だったらしい。
ゼーンが死んだ後、火薬を喰った武器となった俺達は幾度となく奴らに弾丸を喰わせてやった。
ある時、ランスが「戦場で今まで何人殺した」という相も変わらずくだらない話で盛り上がっていた。
「弾丸が最も嫌う男・マーク・ウォーが最も英雄に近い人数を殺してるんじゃないか」
暗いキャンプで黒い肌のランスが白い歯を光らせて得意げに言ったもんだ。
人殺しが唯一英雄になれる場所、そこが戦争。――戦地なのだ。
「その理由で行くのなら、お前は人殺しを楽しみたくて戦地に自ら向かっているというのか」
ピンボールのハイスコアを競うように人を殺した数でスコアを競う。
「そりゃなんて野蛮でイカすゲームなんだ! 俺がアルガノハーレムに居た頃にそんなゲームがあるって知ってたら妹の内臓をブローカーに売ってでも買ってたさ」
ランスはビールのボトルから中身を零しながら手振りで大袈裟に笑った。
コフと、ランスの言葉が俺の中に渦巻いている。
分かった口を吐いてはいるが、誰よりも戦争の意味を分かっていないのはきっと俺なのだ。分からないから、分かるために最も分かりやすい場に自分を置いておきたい。
戦争という物を自分なりにちゃんと理解した時、その時はコフの側にいよう。
それでもしも死んでしまえばそれまでだっただけだろう。
そうは思っていても俺には《弾丸の当たらない男》という名前がついてしまった。
俺の思惑とは別の方向へと状況はどんどんスライドしていく。今更ピンが一本倒れなかっただけでは引き返せはしないのだ。
『愛さえあれば人は傷つけあったりしないわ』
リリ・ピース……。
今頃どこでなにをしているのだろうか。この戦争に巻き込まれてはいないだろうか。
俺はこの矛盾する世界に放り込まれた一人のただの男。
リリの言う愛の世界が真理だというのなら、それが世界の節理であるのなら。
戦争で平和を奪い合うことに俺は違和感しか感じなかった。
そうだ。
それが、それだけが俺を戦地へ向かわせる本当の理由。
この瞬間弾丸を喰って死ぬ兵士が見る夢は。
平和は。
誰によって作られ、誰によって壊されるのだろう。
俺は分からない。
だから俺はまたこのトリガーを引き、家族を愛し平和を勝ち取る為に武器を取った兵士の未来を、夢を弾丸に乗せて木っ端微塵にするのだ。
「今日のスコアは180ってところだなぁ! マーク」
だからランスと一緒にいることは苦痛にはならなかった。この男は今、この瞬間の生を誰よりも楽しんでいる。謳歌している。
俺などよりも余程まともな男だといえた。
俺は未完成だ。ガキのころ落ちていた石で打ちっぱなしのコンクリートの地面に描いたハーレーの様に。思い出せない部分をぐじゃぐじゃと適当に書き殴ってごまかすような。
未完成の人間。
『戦禍の女神 リリ・ピース』
俺が再びリリの名前を耳にしたのは意外なシーンでだった。
アフターピース軍(AP)の兵士の飛ばされた下半身のポケットにその紙は入っていた。
「リリ・ピース……」
まだAP軍が撤退していない戦いの最中だというのに俺はその紙に書かれている内容に夢中になった。
その紙には『戦禍の女神 リリ・ピース』という見出しの他に大きく写真がありそこには間違いなく俺の知る『リリ・ピース』がそこにいた。
白いドレスのようなワンピースと大きな羽のような杖を正面に突き出したリリを筆頭にAP軍の兵士たちが武器を取り戦地へ向かう……そんなような構図だった。
「なぜ……リリがAP軍の……」
「おい、マーク危ねぇって!」
銃弾が飛び交う灰紫色の戦場に紙を持って突っ立っている俺の姿を見て、流石のランスも声を荒らげた。
「大丈夫だランス」
「あァ?! なんだって?!」
「俺に銃弾も、砲弾も当たりはしないから」
「おい!? 戻れ……戻れ、マーク!」
あの時の俺は、なぜそんな風に思ったのだろう。
雨が真横から降るような銃弾の中俺は、敵に向かってとぼとぼと歩いていった。後ろでランスが何度も叫び、それでも俺は気にせずただ敵地へと歩いてゆく。
なにかの加護があっただなんて思っちゃいない。
弾丸が当たらない。今まで笑っていた他人が面白がって付けたジンクスであっても、信用することなど一度も無かった。
――確かに俺は、《自分には弾丸が当たらない》と思い込んでいた。
いや、それは今でも【もしかして】とは思っている。
だがその【もしかして】という想いは、シックルストリートの雑貨屋の前に置かれた、コインを投入してノズルを回して出る玩具の中身が、自分の目当てのものかもしれないという箱を開ける前の心境に似ているのかもしれない。
もしも目当ての物だった時、俺は《やはり自分は超能力者》だと思うし、外れた時だって
俺にとっての《弾丸の当たらない》という確信なんてものはその程度のものだったということだ。
だが、俺はこの後後悔することになる。
《弾丸が当たらない男》というものが如何にくだらないものか、思い知るのだ。
「ぐぅあっ!」
激しい銃弾の音の中でも聞き逃さなかった。
自称:俺の相棒の悲鳴。
「ランスッ……!」
敵か味方か、軍服の色でしか見分けることの出来ない屍たちの隙間、ランスは左の太ももを抑えて苦痛に顔を歪めながら地面に転がっていた。
「大丈夫か、おい! ランス!」
「大丈夫かどうか見りゃわかるだろ! 自分の凡才さをたった今、マジで思い知ったぜ!
《お前に弾は当たらない》が、俺にはきっちり当たるんだってことがな」
それで俺は正気に戻った。
そうか、例え俺に弾がどれだけ当たらなくとも、隣に居るランスには当たってしまうのだ。
ランスという人間を失いたくは無かった。
俺達の間にどれほどの友情があるのかと問われれば、それについては疑問符が浮かぶ。
だが、同じ戦地を潜り抜けてきた言わば死地を共にした仲間であることには変わりはない。
遠回りな言い方をしたが、俺にとってかけがえのない仲間なのだ。
「ランス! しっかりしろランス!」
つまり俺がいくら弾を避けたところで、仲間に当たっては意味がない。
俺は自分の能力が持つ無力さを痛感した。
もしも仮に、本当に俺自身になんの兵器当たらなかったとする。
だが、それだけで一人が大国の軍を相手に戦争で勝利することなどできるだろうか。
それこそがナンセンスであり、如何に愚かであるか、ランスがそれをこの傷をもって教えてくれたのだ。
「ここで……待とう。戦火が収まるまで……」
ランスのふとももからは不定期なリズムで持って傷口から血が溢れた。
中の先端にまきつけた滑り止め用の布を解き、奴の足の付け根をきつくしばってやると、敵に俺達がここにいることが割れないよう身を潜める。
「ったく、無茶やろうとするねマーク」
「ちょっと遊んでみたくなったんだ。もうやらないよ」
「ああ、そうしてくれ。じゃないと次は俺の脳天に弾丸がコミットしちまうぜ」
そう憎まれ口を放ったが、ランスのその言葉には【こんな目に遭ったがまたお前とチームを組むからな】というニュアンスが含まれていたように俺は思えた。
その頃にもなると俺はコフと簡単には会えなくなっていた。
単純な理由だ。同じ組織内で別の方向で有名人になってしまったからだ。
……いやコフBWの代表だから《なってしまった》……は適切ではない、か。
【弾丸の当たらない男】として有名になってしまった俺は、もはや戦場にいなくてはならない存在になってしまった。
例えその時の戦局が大敗に終わったとしても俺は生きて帰ったし、その度にランスは俺のことを神でも崇めるように大々的に自慢した。
結果、俺はBWで知らない人間はいないほどに知名度があがり、既にコフがもとめる《参謀》の地位には就けない位置に立っていたのだ。
『我々BWに更なる戦力の拡大が実現した! タタリア国の豊かな資源と巨大な軍事力、そしてパーメカ共和国のバックアップもつき、ますます兵力は増すどころかAP軍を凌駕する勢いである。
たった一つの国を軸にした連盟国々が、我々の自由を奪い人としての尊厳を奪う。
それはこれまでの古い時代までである!
これからは我々同志と共にアンヘルと呼ばれ空から見下ろすのみの一部のエリート層からその全てを取り戻し、我々にまだ見ぬ自由を!』
テレビの演説でしか見ることがなくなったコフは、相も変わらず熱のこもった演説で聴衆を魅了し、無謀な戦局になると思われたBMは次々と同盟国を増やし勢力を拡大していった。
AP軍を持つ連合国の規模よりも巨大な組織となったBW軍は、貧しい国たちによって構成され、階級の無い軍は無謀にも思えたがいざ戦いが始まって見れば意外にもこれといった問題は露呈されることは無かった。
コフの顔と名は、もはや全世界で知らない者はいないほどになり、その影響力をより強いものにしてゆく。
「AP軍は核を持っている。ミサイルも、戦闘機も空母もある」
ロックミーが弾倉を磨き、すっかり使い古したバーンマイト製の防弾チョッキのポケットからガムを取り出すとギロチンのように前歯を落として噛み千切った。
「だが俺達BWはどうだ。数だけ多いばかりで戦闘機も空母もない。ミサイルと核は持つがミサイルは弾が限られているし、核は抑止力としてあるが結局これを使う時は追い詰められたときの自殺手段が関の山だ」
「……」
ロックミーの話はいつも的を得ていて聞きごたえがあった。
だがその分どうしようもなく現実主義者なので、聞くものの心を滅入らせることも度々あるのだ。
「BWのコフ、BWの戦神マーク。APのアーレア、APの戦女神(ヴァルキリー)リリ……どちらも戦争に仕立て上げられた悲しい英雄、だな」
ロックミーの口から「リリ」の名が飛び出したことに俺は驚いた。
思わず一瞬固まってしまい、危うくロックミーがその場を去るまで凍っていそうだったがなんとか自分を奮い立たせると次にバレルの中を手入れするロックミーに俺は顔を近づけ、「リリ……といったか」と問い詰めた。
「……なんだ。リリ・ピースを知らないのか」
俺の鼻息が奴の頬を撫でているはずなのに、ロックミーはなにも反応もせずバレルの穴を覗き込みながら言った。
「そういえばお前はどの戦場にも顔を突っ込む戦争狂……だったか」
妙な誤解だと弁明しようと口を開くには開いたが、それを説くのが如何に自分にとって有益かを考えた時、コーンウッドのサリーサリーがキツネの尾で笛を吹くのと同じくらいに馬鹿げていると思ったのでやめた。
ロックミーの言葉を要約すると「戦争ばっかりやっているお前が彼女のことを知らないのは無理もない」と言いたいのだ。
箱が潰れたタバコを投げロックミーはそれを受け取ったが、「嫌煙家でね」と投げ返されてしまった。
「我らの英雄様がご所望の質問だ。無償で教えてやるよ」
ロックミーは表情も変えず、作業も止めずに言った。冗談のつもりならちょっとは笑ってほしいものだ。
「リリ・ピースはグリーンバードの王であり大臣でもあるアーレア・ピースの妃だ。古い言い方をすれば女王とでも言うのかな」
「リリが……女王?」
冷たい水を背中からぶっ掛けられたような冷たい衝撃が全身を走った。女王がなぜサウザンドヒル……いや、レインボーアーチブリッジにいたんだ。
「マーク、お前APのリリ・ピースと知り合いなのか? それはそれで大問題だが……いや、お前とリリ・ピースとは接点がなさすぎる。それは有り得ない……かな」
半ば自分を言い聞かせるかのようにロックミーは思い音を立ててテーブルにバレルを置いた。
「……」
ロックミーの問いに応えられなかったわけではない。俺の思考はそれどころではなく、ただリリのことでいっぱいになっていたからだ。
ロックミーが少しの間、黙りこくる俺を見詰めていたのは知っていた。
元々人を観察する癖のある男だ。この時はそれについてなにも感じなかったが、どうやらロックミーにとっては少し違ったらしい。
「ヒックスバックに【ジョージ】というジャーナリストがいる。AP軍に関する記事を書きBWのことを悪くばかり書いている男だ。だが元々ジョージは俺達と同じダウンタウン出身でね……ま俺とは腐れ縁という奴さ」
ロックミーの話に俺は少し心が戻ってきた。
「ジョージ……ジャーナリスト……? それがなんだ」
「俺が紹介してやるといっている」
なにを言っているのかと一瞬思ったが、俺はすぐに奴がいうことの意図を察すると奴の顔を見た。
「ロックミー……」
「気にするな。その代りどうすれば《弾丸が当たらなくなる》のか是非教えてもらいね」
「コツはないよ。でかいツキしかな」
ロックミーは珍しく鼻を鳴らして笑うと、解体した銃を組み立て始めた。
年中戦争は行われているが、年中戦争に参加している訳ではない。
だけどもこのところの喧騒を思い描いた時、パームストリートを歩いている自分に妙な違和感を感じたし、なによりも鉛の弾が飛び交っていない人々が普通に生活を営んでいる街などあるはずがないと思っていたのが大きかった。
どういうわけか俺が戦線に赴かない旨を伝えると先の怪我で病院にいるランスを除いて誰もが引き留めることもなく快く見送ってくれたのだ。
仲間想いな奴らに恵まれた……。
そう思いたいところだが、詰まる所奴らは大方俺のことをバケモノの一種とでも思っているらしい。
全ての戦場を、つまずいた拍子に持っていた銃のグリップで作った頭のコブ以外無傷で帰る俺を気味悪がっているのだ。
毎回無傷で戻る奴といて、自分たちも無傷で帰って来られるのであれば重宝もされるだろうが、しっかりと自分には弾丸も当たるし、戦車から放たれた砲弾に当たればたちまちそいつは《さっきまで人間であった肉片》に化けちまう。
だがかといって戦場に戻らなければ戻らなかったでそれが日常と化していた俺にとっては落ち着かない。
毒が先か、針が先か。
ロックミーの配慮で、俺はこの先のパームライズホールで《ジョージ》という男と会うことになっていた。
APの事情に詳しいというその男から、リリのことを聞きだすためだ。
だれかが落としたアイスに蟻が群がり、俺はうっかり蟻の行列を踏んでしまった。
当然踏まれた蟻はプレッサーでプレスされたようにぺしゃんこになって死んだ。
俺もいつかこんな風になんとなく死んでしまうのだろうか。
パームライズホールの看板がそんな俺を裁きたがっているかのように、高い位置から俺を見下していた。
【つづく】
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