第5話

 お姫さまというものに実感が無かったの。



 みんなちやほやとしてくれるのは外でだけ。



 おうちに入れば沢山の習い事と沢山の決まりに縛られるから、私には結局自由はなかった。

 そんな私が自由を手にする唯一の手段。



 ――それが結婚。



 アーレアという英雄の妻になることで私の自由は約束されたようなもの。



 ……そう言い聞かせてここまで来たの。

 17歳の誕生日を迎えた今日。



 約束の日が訪れた。だけど、私は自由がどういうものなのか、本当に自由ってなんなのか。



 ほんのちょっとでもそれが知りたかったの。

 だって、自由の中で愛は生まれるのでしょう?



 愛さえあれば、不自由だって空を飛べるのでしょう?



 ねぇ、マム。

 生まれて今日までそこに何者も侵入したことのない裂け目から、たった今さっき出会ったばかりの男の人のものがポンプ車のように見え隠れしている。



 ああ、私はなんてことをしているんだろう。



 なんで私はこの人を受け入れたのだろう。



 マム、深い意味はないわ。だって、自由の中で愛は生まれるものなのでしょう?

 私は愛を知りたくて、この人は愛を知らない。



 そこからきっと愛は生まれて、そして人と人との間に人が生まれるの。



 マム、ほら……私今こんなに熱い。体中が熱くてたまらない。



 この熱さが、この痛みが、きっと生きているってことなのよね。

 さっきまでとても怖い顔をしていたこの男の人。



 名前をマークと言った。



 マークはさっきまでとはまるで違う、優しい顔をしていたの。



 こんなにも激しく私を求めているのに、この顔は今にも泣きだしそうな顔をしていたわ。

「キャッ……う、……はん!」



 私は生きてきて出したことのない声を上げて、マークの打ち付けるポンプがパンパンに膨らみ続けるのを感じ、たまらない快感と幸福感に打ちひしがれた。



「リリ……リリ……」



 初めてあったばっかりのマークは私の名前を何度も呼びながら何度も何度も私を愛した。



 気づけば私は力いっぱいにマークの背を抱き、爪を立てていた。



 この人をどこにも行かせたくない。



 ずっと一緒にいたい。



 離れたくない。



 そんなピオタニカの花粉のような感情のうねりが、二人が一人に鳴る度大きくなっていく。

 この感情はなんなんだろう。



 マム、愛は熱いのね。



 マム、……愛はとっても、痛いのね。



 

 疲れ果てて眠ってしまったマークの寝顔はまるで赤ん坊のようで私をまたこれまでにない感情で包んでゆく。



「マーク……愛しているわ。マーク」



 寝息を立てるマークのくすんだ頬にキスをして頭を撫でると、マークはむにゃむにゃと口の中を鳴らし、小さな子供のような声で「ママ……」と寝言を漏らした。



「ふふ、みんな一緒ね。みんなマムが大好きなんだわ」



 マークの寝言に私は更に愛おしさが増し、この感情が如何に幸福なものなのかを知った。



 人は何故、こんな幸福な瞬間を持っているのに奪い会うのだろう。



 傷つけあうのだろう。

『俺は殺されるために生まれてきた』



 マークが言ったあの言葉。



 殺される為に生まれてきた人なんていないよ、マーク。



 だってあなたは愛される為に生まれてきたんだもの。

 誰もあなたを愛さないのなら、私が愛すわ。



 現にほら、こんなにも私はあなたを愛している。



 ひた、とマークのお腹をさすり、腰を撫で腕を渡って掌を掴んだ。



「この不思議な気持ちはあなただから? それとも誰とでもこんな気持ちになるのかしら?」



 

「なにをしている、リリ!」



 突然部屋に怒声が飛び跳ねた。



 びっくりした私は思わず「きゃっ」と小さく声を上げてしまったの。



「ニック、どうしたの」



 部屋のドアに立ち尽くしているニックはまん丸い目で私を見ていたけど、すぐに三角にした。

「ニック? 怒っているの?」



「当たり前だ、お前なにをしていた?」



 そう言われて私は眠るマークとニックを交互に見ると、「これは……なんていうの? 愛のためのものだということは知っているけど、これをなんて呼ぶのか私は知らないわ」と言った。



「どけ!」



 ニックは私が肩からかけていたシーツを乱暴に剥がすと横たわるマークを見て言葉を失くしていた。

 ニックには子供の頃からプールに入ったりシャワーで洗ってもらったりしていたから今更裸を見られることは恥ずかしくなかったけど、でもこの時は何故だかとても見られるのが嫌な気分だった。



「血……? お前……馬鹿なことを……」



 シーツに沁みついた赤い水彩画のようなそれを見て、ニックはとても悲しそうな顔をした。



「ニック……? 悲しいの? どうして」



「こんなことになるのなら連れてこなければ良かった……」



 ニックはその場にうずくまると頭を抱えてしまった。初めて見るニックのそんな弱々しい姿に私はかける言葉を探すけど、ここで言うのに一番のものが見つからない。



「コフからお前らしき女はいないと聞き、まさかと思って探し回ったが……俺の予想しうるどのシーンよりも最悪だ」



「ニック……」

 私がニックの肩を抱こうと近づいた時、急に彼は立ち上がった。



 そして悲しみで染めていたはずの顔を真っ赤なデビルみたいに怖くさせると寝ているマークを睨んでいたの。



「リリ、お前は隣の部屋に行け」



「マークになにをするつもり?」



「マーク? こいつの名前か。いいか、俺は今からこいつを殺す。お前を抱いた事実はここで消しておくんだ」

「ダメ! 殺すなんて、絶対ダメ!」



 思わぬニックの言葉に私は我を忘れて抗議した。なんでマークがニックに殺されなければいけないのかわからない。人は、そんなにも簡単に殺し合っていいはずがないわ。



「どけ、お前も巻き添えになるぞ」



「いいわ、だったら私を先に殺して! 愛さえあれば誰も死なない。きっと争いのない世界がくる……! 私はマークに愛されてそれを知ったわ! ……だからきっとアーレアとだって……」



 アーレアという名前を聞いて今にもマークに飛び掛かるか思ったニックは少し動きを止めた。



 パープルノックに旅行へ行った時、インディアンの行進を見て急に立ち止まったダディのようだわ。私はニックを見てそう思ったの。



「……結婚してセックスするときにお前が処女じゃないと知ったアーレアはなにをするか分かったもんじゃないぞ。お前はとんでもないことをしたんだ! わからないのか?!」



「分からないわ! 私は……少なくとも今の私は誰の物でもない。なにがとんでもないことなの? アーレアだってきっとわかってくれるわ」


 私が食い下がるとニックはまたさっきの悲しい顔になり私の肩に手を乗せると私の目を見詰めた。



「リリ……困った奴だな。なら言ってやろう、お前の言っていることは全面的に正しい。正しいし、誰もが思う理想だ。人が自由に人を愛する。

 それこそが人に与えられるべき権利だと俺も思うさ。

 だがな、今はそれが誰にでも許される時代じゃないんだよ。そんな時代を、世界を取り戻す為にアーレアがいる。アンヘルの社会がある。

 お前の自由が世界を滅ぼすとしたらどうするんだ。お前の愛が……」


 そう言ってニックはマークを見た。


「マークを殺したら……どうするつもりなんだ」



「愛は人を殺さないわ」



「強い子だなリリ。お前のマムにそっくりだ。

 その通りだよリリ、愛は人を殺さない。だが愛で人は人を殺すんだ。

 この世界から戦争が無くならないのは何故だかわかるか?

 世界中がどうしようもないほどに愛を求めているから。国境を越えた愛に憧れているからなんだ」

 ニックの言っていることは私には難しくて分からなかった。



 だけどニックがとても大切なことを今私に話しているのだということだけは、なんとなくわかった。



「……私はどうすればいいの、ニック」



 ニックはため息と一緒に少し笑った。



「やっと笑ってくれた……ニック」

「笑わされたのさ。俺ですら最初のセックスは20歳を過ぎていたのに、まさかリリに3年も抜かされるとは。焼きが回ったものだ」



 セックスという言葉に馴染みの無い私はニックがその言葉を言う度にそれが何を意味する言葉だったのかを思い出して会話のテンポが悪くなった。



 この時も同じで、それがなんだったか思い出している間にニックが口を開いたの。



「俺に任せておけ」

「マークを殺しちゃ駄目」



「俺がずっとお前の面倒を見てきた。パークエンドハウズにだって遊びに連れて行ってやったんだ。そんな俺がお前を悲しませることをするもんか」



「うん、……大好きよニック」



 ニックはさっきのようには笑わなかったけど、信じられるいつものニックだった。



「だからリリ、今から帰るぞ。冒険はもうおしまいだ」

「……わかったわ」



「最後まで謝らないんだな」



 ニックが呆れたように鼻を鳴らすけど私は「謝って欲しいってニックが言うなら謝るわ」と言ったわ。だけどもニックは「お前らしくて安心した、って言ったんだよ」と言って床に落ちたドレスを投げた。



「シャワーを浴びる時間は無いぞ。すぐに出る」


 ――あの時のお前には参ったよ。



 リスタ共和国からユーキ大統領が訪れていた。



 アーレアは左手でティーカップを取り、まだ湯気が立ち込めるカップに唇をつける。



 再びカップソーサーにカップを戻そうとした時、少し椅子がぐらついたので私はアーレアの肩を支えた。



「ああ、すまないな。リリ」

「いえ」



 私がそう言ってアーレアの姿勢を安定するのを確認するとアーレアの後ろへと戻り、彼が姿勢を崩さないように見守った。



「罰があたったのかね」



 アーレアは再びユーキに話を戻し笑った。



「こんなに素晴らしい妃を貰っておいて文句を言おうとするからですぞ」



 ユーキ大統領が私を見ながらおもちゃの飛行機が飛び込んできそうな大きな口で笑いながら言った。

「お恥ずかしいです。いや自画自賛するわけではないのですがね、リリは良い女性であり妃です。だから、あの時結婚式を逃げ出したのが今だに信じられないのですよ」



 アーレアがユーキ大統領に釣られるように笑い、私も続いて笑った。



「若気の至り……で許されるとは思っていませんが、私は少しナーバスになっていたようです」



「いや、あなたのような美しさならば引く手あまたでしょうな。私ももっと若ければアーレア将軍とあなたを取り合いたかった」



「それは悪い冗談ですよユーキ大統領、《今の私》では分が悪い。負ける戦はしない主義なのでね」



 アーレアが《今の私》と言った所で付け根から申し訳程度にしかない右腕をクイクイと動かした。



「やめてほしいですなアーレア将軍、いくら名誉の負傷とはいえ痛々しいので」



 苦笑いでユーキ大統領がアーレアに言い、その反応を見て楽しんでいるアーレアは「それはすみませんでした」と思ってもいない詫びを入れた。

 マークとの夜から一年が経つのは長かった。



 過ぎてみれば時の経過は早く感じるっていうけど……私にはそうは思えないほど長い。



 結婚式を抜け出してマークと愛し合った翌日、ニックに連れて帰られた私は予想通りの責めが待っていた。



 だけど自発的に帰ってきたことと、私の立場に救われ執拗に責められはしなかった。



 

 次の結婚式の日取りが決まったある日のこと、戦地で指揮を取っていたアーレアの右腕に漂流弾が命中し、彼は右腕を失ったのだ。



 既に将校であったアーレアが戦地で腕を失ったことは一大事件として国中を震撼させた。



 アーレアは右腕を失った代わりに国中の同情を受け、そして将校として地位も確立しているのに戦地に赴いていたことから英雄視されるようになった。



 腕が失った代償に戦線を退いたアーレアは若くして決定的な地位と信頼を国民から得たのだった。

 アーレアが結婚してすぐにそういった怪我をしたせいで、ここまでほぼ夫婦らしい生活はしなくて済んだ。



 幸運なのか不運なのか、とにかく私はまだアーレアと【初夜】を迎えずに済んでいた。



 ――アーレアはよく出来た男だと思う。



 時々皮肉めいたことを言うが、激昂して声を荒らげることもないし、女性に暴力など絶対に振るわない。

「そろそろ後継者も考えんいかんですなぁ」



「……」



 やはりユーキ大統領がその件を突いてくる。それはそうだアーレアと結婚して1年。立場的にもその話になるのも当然だろう。



「そうですね。情けないこの怪我のおかげで戦地に立てないおかげで今は静養する時間も作ろうと思えば作れることですし……」



 アーレアが背後に立つ私の顔まで見ずとも顎を少し上げて差した。

「将軍、恥ずかしいです」



「おお、そうか。まだ《そういった経験》もない清女だものなぁ! すまない」



「アーレア将軍、いつまでも清女で居させるのはかえって女性に対して失礼ですぞ」



「いやお恥ずかしい。まだ18の幼い妻なのでね、大事にしてやりたいのですよ」

 ……完全に私を処女だと思っている。当然か。



『お前が処女じゃないと分かった時、アーレアはなにをしでかすか分かったもんじゃないぞ』



 ニックの言葉が脳裏をよぎった。



 非処女だとアーレアに知れた時、やはり拷問を受けるのだろうか。

 マムは、大勢の前で見せしめに殺された。



 それは不貞を働いた罪だと私は聞かされた。



 その娘である私が、アーレアとの結婚まで貞操を守れなかったとすれば、やはり私は死ぬのだろうか。



 マムと同じように大勢の人達の前で、愛を信じながら。

 愛の正体とはなんだろう。



 愛とは、繋がること。



 愛とは、共に生きること。



「愛する妻の為に私はまだまだ働かなければね。後継者はもう少し私が国を守る軍人として仕事が出来てからにしますよ」



 アーレアの口から『愛』という言葉で発せられた時、『愛している』とベッドで一度も言わなかった、あの愛を知らない男のことを思い出した。



 マーク・ウォー……会いたい。







【続く】

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