第3話(2)

 スープを飲み干した俺は、パンには口をつけずその代わりに手つかずのパンをポケットに入れると椅子を立った。


「……」


 コフは黙って俺を見ていた。気に食わないがこいつはこの後に俺が言う言葉を知っていたに違いない。


「やるよ。腹いっぱいにリブステーキを喰うためなら死んでやるよ」


 コフはまた自分の皿に置かれたパンを俺に投げてにやりと笑った。


「死なさないよ。お前は俺が絶対に死なさない」


 後に【始める為の戦い】の意味を込めて『ビギンズウォー』と名乗るまでの2年間の間、俺は戦争の仕方という奴を徹底的に叩きこまれた。

「いいか! お前らの仕事はなんだ!」


 ゼーン・ナックルは元々陸軍に属していた。階級は知らないし、聞いたところでどれだけ偉いのかは知らない。

 だがくそったれなほどがっかりする事実として、俺達はこのいけすかないマッチョ野郎に生き残る術を教えてもらわねばならないということだ。


「お前、名前は」


 俺の斜め前に立っていたひょろついたチョコレートだけが溶けかけて、ベトベトと気持ちの悪い食感のチョコバーのような奴だ。


「サッタ・ルカーリオ」

「そうか、サッタ・ルカーリオ。答えろ」


「俺らの仕事ですか? 死ぬことですかね」


 へっへっへっ、溶けたチョコレートはさらに手をベトベトにさせる。

 それを面白がるようすもなく、表情を動かすこともなくゼーンは次のように言ってのけた。


「そうか。お前の仕事は死ぬことか。ならば今死ね」


「は?」

「お前は死ぬことが仕事ならば今死ねと言っている」


「なんでだよ、俺は戦争で戦って死ぬって言ってんだ」


「何故だ? 戦争で死ぬためにここにいるのならば、遠慮するな今死んでいいぞ」


 みるみるうちにチョコレートは剥がれ真っ赤な顔が露わになった。

 ゼーンが腰に差した革のホルダーからアーミーナイフを抜き、チョコバーの足元に突き立て、「貸してやる。さあ死ね」とぶっきらぼうに一言言った。

「死ぬのはてめぇだろ!」


 突き立てたナイフを引き抜きゼーンに向かっていったはずのサッタは、次の瞬間腕を捻り上げられ地面を舐めていた。


「……?!」


 誰もがその光景に息を呑み、頭の中でなにが起こったのかを整理するのに躍起になった。

 しかし所詮は素人である俺達がいくら頭をフル回転させたところで分かるはずもない。

「見ての通り、死を平気だと思う奴ほど容易い馬鹿はいない。死を恐れろ、ズボンの中で恐怖に小便を垂れ流せ! ブーツが貴様らの小便でずぶずぶになれば足の疲れもきっと癒えるだろう。死を恐れない奴に敵を殺すことなどできんぞ」


 ゼーンは余りにも高度な演説とスキルを同時に発動させ、俺達をたちまち混乱させた。

 だがゼーンはお構いなしにサッタの捻り上げた腕をひと思いに捻じり折った。


「っひぎゃあああああ!」


 転げ回るサッタはみっともなく涎をまき散らし、皮肉にもゼーンが言ったように小便を漏らして泣き叫んだ。

「痛みを知ったサッタ・ルカーリオは今後死ぬのが仕事とは口が裂けてもいわんだろう。いいか、そういうことだ」


「暴力でいうことを聞かせるなんて、軍隊より最悪だな」


 どこからかそんな声が上がり、サッタのことがあったばかりだ。誰もが静まり返る。


「今言ったのは?」


「俺だよ」


 ふてぶてしく言い放ったのは、細身の黒人だった。

「なんだお前は。黒人のくせにすぐに千切れそうな身体だな」


 ふてぶてしく言った言葉の内容に、勝手に想像したのは体格のいいアメフト選手のような奴かと思ったが、思いに反してそいつはアメフトどころかバスケットボールでさえ怪しい、そんな鈍ったるい体つきでそいつを見る俺達に「こいつも痛い目に合う」と予知させる。


「生まれて今までまともな運動なんてしてこなかったんでね。それよりも《軍曹》さんよ、俺は軍隊に入隊したつもりはないが……ここは軍隊なのか?」

 ゼーンはその質問ににやりと笑うと、黒人にも負けないほどふてぶてしく


「ああお前の言う通りだ。ここは軍隊じゃない、だから俺がいる。分かるか?」


「暴力で支配する為だろ? はっ、ここだったらまともな飯でも食えると思ったが……どこも一緒かよくそったれ」


 両手を広げて大袈裟にジェスチャーすると黒人の男はゼーンに対しても「ふぅ~」とコミカルにも思えるほど大きなため息をついて見せた。

「お前の名前は」


「名乗る義理もねぇが、まぁ覚えててもいいぜ。俺はランスだ」


「そうかランス。ならば貴様にも聞こう、お前の仕事はなんだ」


「この戦争で奴らから全部かっさらって、女と食い物と金と自由……なにもかも奪うためさ」


 その回答にゼーンはほんの一瞬だけ笑った。


「いいだろう。お前は合格だ」

 先ほどのサッタとは違い、ゼーンはランスに対してなにも突っかからず彼の前を横切るだけに留めた。


「俺が今からお前らに叩きこむのは《生き延びて、生き延びた敵を殺す手段》だ。正直に言おう、俺はコフ総帥の言っている戦争理由はわからん。賛同もしとらん。

 だがアンヘルの連中がこの先ずっと自由と平和を独り占めする世界にはどうにも我慢できんのだ。いいか貴様ら、生きろ! 生きて奪え! 戦争とはその為の手段である。

 お前らはただの手銃に込められた一発の弾丸でしかないが、近い距離で撃鉄を打たれたなら敵の身体を貫通し、生き延びることも出来るだろう。幸い、お前らというちっぽけな弾丸の数は奴らの数十倍も多いのだ。

 戦争に於いて弾が多いほうが有利なのはどれだけの兵器をもってしても変わらんのだ!

 貴様ら一人一人を貫通力のある弾丸にしたて銃に詰める! これこそ俺が課せられた最も重大な意味である! だから遠慮せずに言え、死にに来た奴はここで俺が殺してやる!」

 そう俺達に教えたゼーンは俺達に全てを叩きこみ、戦争が始まった最初の大きな攻撃でアフターピースのミサイルが移動中に乗っていた船に命中し、肉片など一欠けらも残さずに死んだ。


 だが奴は自分の肉体の破片さえも残さなかったが、俺達に戦う術を残した。


 奴の残した戦う術のおかげで……今俺の手には人間を殺した感触が伝わってきているのだ。

 戦争が始まって2か月で、俺達ビギンズウォー(BW)の兵士は2000人が死んだ。

 詳しい兵力は知らないが、それでもBWにおける兵力の数百分の一だという。


 コフは、俺が戦地に向かうことに反対した。奴は俺の《賢い頭脳》に期待して勧誘してきたのだ。しかもその際に「死なさない」とまで啖呵を切って見せた。


 それなのにわざわざ死地に赴こうとする俺を引き留めたかったのだろう。

 ゼーンが教えた訓練も、《念のために覚えておけ》レベルのことだったらしい。


 だが俺は例え死んだとしても、戦争を知っておきたかったのだ。

 俺が最初に殺した兵士の顔なら覚える前にランスが吹き飛ばしてしまった。


 だけど一つだけ確かに覚えているのはそいつは俺よりもずっと年下だったということだ。俺は、俺よりも長く生きてもいない奴を平和も戦争もよくわかっていないのに殺したのだ。


 あの時壁にへばりついた眼玉でどんなふうに俺を見ていたのだろうか。奴の目に映った俺は、どんな顔で奴を殺したのだろうか。

 俺はその時から自ら進んで戦地に赴いた。相変わらずコフがいい顔をしなかったが、本当は奴が俺になにをさせたかったのかも聞かず、ただ人の命が飛び交う戦地にこの身を置きたかったのだ。


 それが何故なのか。俺自身も分からなかった。


 ただ、俺はそこに立たねばならない。俺の中のなにかがそう叫んでいたとしか言えなかった。


「よぉ、お前と一緒に居れば絶対に死なねーからな! もしも出撃しないときは言えよ、そんときは俺も休むからよ」

 ランスがある時俺にそんなことを言った。


 なにを言っているのかと俺は笑ったが、昔親父が真剣な顔で『メジャーリーガーになれ』と俺を説得したことを思い出した。

 

 つまりなにかに縋りたい心理というわけか。

 いつかも言ったが俺は無神論者だ。神に祈る習慣は無いが、それ以上に神として崇められるのはもっとごめんだ。


 

「笑えないな」


「笑ってるじゃん」


 唯一ランスが親父と違ったのは、こいつは真剣な顔じゃなかったってところか。それだけでも随分と救いになったが、何故ランスが急にそんなことを俺に言ったのか気になった。


「あ? お前自分でわかってないのか。今時の人なんだぜ、マーク。【弾丸の当たらない男】ってな」


「弾の当たらない男? なんだそれは、笑えないジョークだ」


 笑わない俺の代わりにランスが腹を抱えて笑う。

 ミッドナイトシアターでパッツ・ウィルキンソンのトークを見たオーディエンスのようだと俺は思った。ひゃっはっはっと下品な声でランスは笑うと膝を叩いて「そうかそうか」と無理に自分を納得させようとしているようだった。


「戦争が始まってもう二か月。殲滅戦で敗けたこともあるが一度として俺達BWが戦地で全滅したことはない。だが知っているか? そんな中で毎回毎回無傷で帰ってくる奴が二人……」


 マジックの種明かしを待ち焦がれている子供の反応を楽しむ安いマジシャンの顔つきでランスは俺の顔をぬるぬると覗き込み、にやついた口角を釣鐘のようにさらに頬をめり込ませた。

「一人は俺、もう一人はお前! な? 傑作だろう!」


 弾の当たらない男? 自分がそう呼ばれていることも可笑しかったが、そんな通り名を付けた奴のセンスの酷さに俺は呆れてしまった。

 目の前で青い帽子のアヒルが笑うよう馬鹿笑いをするランスを見ていると余計に笑う気が無くなる……というのも確かなのだが。


 翌週の戦場は激戦となり、双方の軍ともに相当数の戦死者が出た。

 これは俺達の戦争が始まって以来最悪の死者数だったが、BW軍で生き残ったのは僅か2人。


 ランスと、俺だ。









【続く】

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