第3話(1)
――戦争が始まった。
俺が初めてそう実感したのは隣で欠伸をしていたキュリーサの大きく開けた口が顔ごと吹き飛ばされた時だ。
そんな狂った状況なのに叫ばずにいれたのはビギンズ軍で受けた訓練のおかげだったと言える。
32ミリの鉛の弾が背後の仲間たちを容赦なく《人間だったもの》にしてゆく。
「昔、センチシズムパークで鳩の餌にたかるガキ共を立たせて、ギャングが乗り捨てたサイクルをぶつけて遊んだなぁ。あの時は【人間ボウリング】だって馬鹿笑いしたもんだ。
そう考えりゃいまの俺達は逆にピンに成り下がったってことか? えぇ、ハッハハ」
冗談じゃない。
これのどこが人間ボウリングだというのだ。これじゃ人間パチンコだろ。
鉛の弾がいつ体に風通しのいい穴を空けても可笑しくない状況でランスはヘラヘラと緊張感もなく笑った。
「けどよ、センチシズムパークのガキどもはサイクルをぶつけたくらいじゃ死んだりはしなかったさ。でも今俺達を狙ってる鉛の砲弾はよ、当たっちまえばたちまちいい具合にコミットしちまうんだ。懺悔しても遅いかも知れねーがよ、俺はキリストにこういうぜ。
ファックしてろ、ってな」
ダウンタウンに居た時に、街で2番目に大きな工場が爆破解体されたことがあった。
あの空を割るかと思うような轟音は二度と忘れまいと思ったが、今はオギナストリートで聞く小鳥の囀りみたいに日常的に鳴り頭上や脇腹を飛び交っている。
おかげで隣でキュリーサの顔が丸ごと吹っ飛ばされても、車を盗もうとして持主に見つかった時ほど驚かなかったし、逆にこの轟音が鳴る度に俺を正気を保たせた。
「おい、マーク! リンが上手そうなレバーをまき散らしてたった今死んだぜ! っひょー、顔はダフマンよりも酷ぇのにレバーは綺麗なルビー色だとはなぁ!」
趣味の悪い下品な言葉を愉快げに喚くがランスの表情からは緊迫感が途切れることがなかった。
俺が砲弾の打ち出される轟音で正気を保っていたのと同じで、ランスにとってはこのおべっかが自らを狂わせない処世術なのだろう。
ピスタチオの殻にペンキを塗っただけのようなヘルメットもあんなココナッツのような鉛が当たってしまえば被っている意味すらない。だが絶え間なく降り積もる灰色の塵から顔を守ってくれているという点では、充分ノーベル賞ものの発明品だと俺達を感嘆させ、同時に重宝させる。
ゴツゴツとして着心地は最悪だが、保温性に優れ丈夫さは折り紙付きの軍服は襟を立てることで呼吸器を塵から守ってくれ、手に持った先端にナイフの付いた時代遅れの銃は文字通り《人しか殺せない》お粗末なものだ。
だが《人しか殺せない》この武器が、戦争を戦争たるものにしてゆく。
なんてったって銃の癖に人を殺した感覚を味わえる、ナッツシートよりもゴキゲンな代物だ。
先端についたナイフのおかげでハーレムポッドの応戦区域のとある角に隠れていた敵兵をひと突きで殺すことが出来た。
「ばば……ばは、ぁ、ぁ……」
言葉にならない言葉を吐き、喉に刺さったナイフを左手で押し戻そうとしながらそいつは右手にもった簡易型の片手銃を俺に向けた。
そいつの指がトリガーにほんの少し力が入った瞬間だったか。
そいつの脳みそが後ろの壁にオートミールを床にぶちまけちまった時みたくべったりと貼りついた。
そいつがトリガーを引く直前、俺の背後から頭目がけて銃をぶっ放したってわけだ。
そいつの頭はもうすっかりなくなっちまったのに、俺の手にはまだ奴の喉を突き刺した筋肉が締まる感覚を伝わっていた。
思っていたほどショックはなかったし、考えていたよりもトラウマになった。
とにかく、俺が初めて人を殺した時はこんな風に実に締まらない、くだらないものだったのだ。
「我々は宣戦布告をここに掲げる! 全ての人間が自由に、生きる権利を……平等に自由を謳歌するための、当たり前の権利を取り戻す!
そして全ての世界を平和に、誰も武器を取らなくとも済む時代を築くために、戦争によって戦争をなくすのだ!
約束しよう。これは最後の戦争である!
人類が行う最も愚かで、最も崇高な、平和を取り戻すための戦争なのだ!」
テレビで見たコフの演説は、知っている奴の顔ではなくなにかもっと大きな責任で突き動かされている……そんな俺には到底たどり着けない場所にいるという印象を焼き付けた。
コフが後にアフターピースと名乗る皇国軍連合にビギンズウォー軍の代表として宣戦布告を表明する2週間前、俺はコフに呼ばれて奴と一緒にパンとオニオンスープを喰った。
ダウンタウンではこんなスープとパンですら高級食だ。俺はコフがなにか話そうとするのを止め、「まずはこれを食わせろ」と言いすぐにそれを平らげた。
「……力を貸してほしいんだ」
「またその話か。俺は断ったはずだろ、お前には悪いがなにが今更戦争だ。お前が実のところ何者なのかということは置いておいても、大した戦力もないだろう。
いや、仮に持っていたとしても奴らの持つ圧倒的な軍事力に歯が立つとでも思っているのか。俺達のようなクソゴミに無償でパンを与える気の利いた馬鹿だとは思っていたが……、俺が思っていたよりもお前は馬鹿だったみたいだな」
コフは俺のそんな辛辣な意見ですらも真剣な表情で聞いていた。
空になった俺のテーブルに置かれた皿の上に自分の分のパンを乗せると「食ってくれ」とコフは言った。遠慮する義理も無いので、俺はすぐにそいつを噛み千切りミルクを流し込み、口の中で柔らかくなったパンを飲み干す。
「馬鹿さ。お前の笑う理由も痛いほどわかるさ。
指摘の通り、致命的に俺達には武力が足りない。だが、兵力はある」
「……兵力?」
「圧倒的な数さ。貧しい人間は今や金持ちの連中の何百倍もいるんだ。毎日一桁で足りない数の子供や年寄りも死んでいる。知っているか? ダウンタウンで生きている住民の寿命は40歳くらい。ごくたまにゴキブリ並の生命力を発揮して80そこそこまで生きるモンスターもいるがね」
俺はコフの言うことを黙って聞いてやった。別に戦争話に興味があったわけじゃない。ただ、俺のオヤジは40で死んだからだ。
「じゃあサウザンドヒルにすむアンヘル達は一体いくつまで生きるとおもう? なんと平均寿命が70を超えているとさ。ダウンタウンの《たまにいる80歳》じゃないぞ。
《住民のほとんどが70以上まで普通に生きる》んだ」
「だがコフ、お前は確か40を過ぎていたんじゃないのか」
コフは真剣な表情から初めてほんの少し口元の崩した。
「そうさ! 俺はついこの間41になった。俺が40より先生きたら……決めていたんだ。なぜなら俺は《40で死ぬはずだった》んだ!
ならばその先の人生は俺達の自由の為に尽くそうってね」
「馬鹿がなにか言ってやがる……」
ほんの少しだけさらにこびり付いたスープの残りを千切ったパンで綺麗に拭きとると、俺は雑巾替わりのそのパンを口に放り込んだ。
オニオンの甘く香ばしい風味だけが口に広がり、ほんの少しの幸福を味わった。
久しぶりにきちんと腹を満たすことの出来た俺は、ギシギシと緩んだネジがうるさい椅子の背もたれにもたれかかると、「大体何故俺をそんなにハンティングしたがる?」と素朴な疑問を投げかけてやった。
「簡単さ。お前は頭がいいからな」
コフが待ってましたと言わんばかりに答えると、その滑稽なモデルに俺はたまらず声を出して笑ってしまった。
「頭がいいだと? この街に頭のキレるやつなんかいるわけがないだろ!? いや……頭が《キレてやがる奴》ならここにいるが……」
俺の思い切り皮肉った挑発的な言葉にもコフは身動きもせず、毎朝俺達にパンを配るときの柔らかな笑顔で俺を見るばかりだった。
「……ふざけるな!」
そんなコフの態度に俺が《キレちまった》わけだ。そりゃ馬鹿にされても仕方がない。
「ふざけてなんかいない。お前は読み書きが出来るし、生きるための手段を択ばない。だから俺にはお前が必要なんだ」
言い争いにくらいなったほうが余程話し合いになるってなもんだ。
コフがこんな調子じゃどれだけ言葉を交わしてもなにも変わらない。
……いや、なにかが変わろうとしていたのは俺のほうだ。
「パンとスープ、明日もあるか」
「無理をすればね」
「明日それを喰ってから考えるよ」
――馬鹿馬鹿しい。
その考えはなにがどうなっても俺の中では絶対に揺るがないものだった。
それは今も変わっていない。
なにをしても一緒だろう。だったら……
『人間は愛し合うものでしょう? なぜ殺し合うの』
リリとの夜が無ければ、俺はどれだけコフが真剣に話を持ち掛けてきても笑い飛ばして新しいドラッグを入手するのに精いっぱいになっていただろう。
あの夜が、……リリが俺を踏み止まらせたのだ。
もしも俺にも平和が落ちてきたら?
もしも俺にまともに生きる自由があったら?
もしも俺に誰かを真っ当に愛する資格があったら?
あの日、リリの性器から滲んだ血はシーツにシミを作った。
愛は血を伴う。暴力も血を伴う。戦争は血を生む。じゃあ平和を生むには?
……やはり血が伴うのではないか。
赤ん坊が生まれる時、母親は血を流して子を生み出すのだ。
人が人を殺す時、母親から生まれた子は血を流して目を閉じるのだ。
戦争は悪か? 悪は戦争か。
平和が正義とすれば、戦争によって平和を勝ち取れば正義になるのか。
『お前は頭がいいからさ』
コフの言った言葉頭の端をアイスピックでつつくように何度も俺の思考を遮った。
勝てるわけもない蹂躙されるだけの戦争。
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