第109話 エルムンガルドの招待

 毎日恒例となったアデルの稽古に調理器具の手入れの仕方が加わった。

 アデル専用の器具を見せた時彼女は相当喜んでいたが、保管は私がしてある。

 怪我の事もそうだけど、過って壊したらいけないし無くしてもいけないしね。

 だから竜の巫女のキッチンに彼女の器具は保管されている。


「……難しいな」

「最初は焦らずゆっくりとやるんだ」


 今やらせているのは器具の洗浄。

 流石に包丁を出すことは出来ないが、木製のボールくらいなら大丈夫だろうと洗わせている。

 と言ってもこれは私のお古。

 昔使っていたやつで、ボコボコになってもう使わなくなったものの一つだ。


 幾ら丁寧に使っても数十年すれば木製のボールはダメになる。

 今アデルは四苦八苦しながら丁寧に洗っているが、これが金属製になるとまた勝手が違うと言ったら泣き始めるかもしれないな。

 時期をみて彼女に言うとしよう。


「見よ! この絶妙なボール捌き!!! 」

「ソウはキッチンで遊ぶな! 」

「……ごめんなさいなのである」


 壊れかけのボールでジャグリングのようなことをしているソウを怒鳴りつける。

 今並行して仕込みをしてるんだ。

 危ない事をするやつはキッチンに入るな!


「ふぅ……。こんな感じ、か? 」

「まずまずだな」


 しゅんとするソウから目を移しアデルのボールを手に取って確認する。

 まだ小さな汚れが見えるが最初はこんなものだろう。

 思いながら私は器具を水につける。

 もう使わないとはいえ昔お世話になった器具だ。思い入れもある。

 再度洗ってピカピカにした。


「どうやったらそんなに綺麗に……」

「慣れだな。それにまぁ思い入れもあるしね。アデルも器具を使い始める内に「綺麗にしてあげないと」と思うようになるよ」

「頑張るよ! 」

「あぁ頑張れ。よし。朝食の準備に入ろうか! 」


 ★


 卵の焼いた良い匂いが食堂を満たしている。

 いつものメンバーが美味しいと口にし食べている。


 今日のメニューはシンプルなもの。

 半熟仕上げの目玉焼きにヴォルトが焼いたパンである。

 私も目玉焼きの黄色い部分をフォークでちょんとつつく。

 するとトーストの上にじわっと黄色い卵が広がった。


「ん。今日も美味いな」


 トーストを黄色と白の卵ごとサクッと齧る。

 口の中に粘り気のある甘さが広がる。

 トーストのサクサク感を感じながらももう一口。


 ――焼き加減が上手い。


 カリッとした耳の部分もそうだけど程よくコゲがつくように焼いている。

 流石本職は違うな、と思っているとヴォルトが玄関先を見て、そして遅れて声が聞こえて来た。


「来たぞ。おはようじゃ」

「おはようエルムンガルド」

「「「おはようございます!!! 」」」


 それぞれ挨拶してエルムンガルドを招き入れる。

 彼女が鍵をかけているはずの玄関をすり抜けるように入ってくるのはいつもの事。

 慣れ過ぎて違和感ないが思えばちょっと怖いな。

 まぁ何か悪い事をするわけでもないし気にするほどの事でもない。

 わざわざ玄関からすり抜けてくるのは律義というかなんというか……。


「朝食食べるか? 」

「頂こうかの」


 聞くとすぐに席を立ちキッチンへ向かう。

 半熟目玉焼きを作ると、いつの間にかヴォルトが用意したトーストの上に乗せて、彼女の前に差し出した。

 エルムンガルドは食前の言葉を口にして、サクッとトーストを一齧り。


「この口の中をゆっくりと広がる卵の具合。流石じゃの」

「そんなことないよ。このくらいならエルムンガルドも作れるだろ? 」


 言うとエルムンガルドは少し気まずそうに顔を逸らせる。

 え? まさか作れない?

 もしかしてと思っているとヴォルトがこちらを見て補足する。


「エルゼリア殿。エルムンガルド殿は……その本来食事を必要としない方で」

「あぁ~。今食べている方がイレギュラーなのか」

「いえ違います。必要としませんが彼女は食事を摂ります。ここに来る前は果物などを食べていました。しかし……」

「ん? 」

「絶望的なほどに料理の才能がなく……。いえ違いますね。力加減が難しく、料理を作ろうとすると何故か調理場ごと消し飛ぶのです」


 それを聞き唖然とした。

 がすぐに気を取り戻し納得する。

 

 精霊女王であるエルムンガルドは強大な力の持ち主だ。

 最高位の精霊であるソウですら足元にも及ばない。

 けれどソウですら力加減を間違えて調理器具を壊すほど。

 力加減が難しくて料理が出来ないというのはある意味当然でもある、か。


「出来ないものは仕方ないよな」

「で、出来ないことは無い。調理場の強度が低いせいじゃ。断じて料理が出来ないことなどない! 」

「……普通は調理場に強度は求めないぞ」

「うぐ……」


 言うとエルムンガルドは俯いた。

 しかし余程トーストが美味しいのかその状態でサクサクと音を立てながら食べている。

 美人が可愛らしい食べ方をするとこんなにも絵になるのか。


「「「ご馳走様でした」」」

「お粗末様」

「お粗末様です」


 エルムンガルドが食べている途中、他の従業員達は食べ終わったようだ。

 私も食べ終わり食器を片付ける。

 それぞれキッチンへ持っていくとエルムンガルドも食べ終わったようで食器をキッチンに持って来てくれた。


「で今日はなにかあるのか? 」


 食堂に戻り机を拭いてエルムンガルドに聞いてみる。

 エルムンガルドは用事が無くてもふらりと現れることが多い。

 しかし用事がある事もあるので一応聞いてみる。

 従業員達が忙しく働く中、私は椅子を引いて彼女の前に座ると彼女は軽く頷き口を開いた。


「今度の休み。妾の家に来ないかの? 」

「家? 」


 エルムンガルドの一言に、周りから視線を感じる。

 バタついていたと音は止まりこちらに耳を傾けている様子がわかる。


 エルムンガルドの家か。

 そう言えば今まで行ったことなかったな。

 興味はあるが他の人達はどうだろうか?


「オレ、行きたい! 」

「オラも」

「僕も行きたいですね」

「興味ありますね」

「そう言えば謎だったな」


 全員行ってみたいようだ。

 しかし彼女の家にいった所で何をするのだろうか?


「いやの。この前温泉……、いやこの前造った所じゃから精霊温泉か――を造ったのじゃ」

「「「精霊温泉??? 」」」

「うむ。自然豊かな場所での入浴は気持ちが良いぞ。普通なら火山のある場所にしかない温泉を精霊の力を駆使して作った極楽温泉じゃ。しかし暇つぶしに造ったは良い物の一人で入るのはちと寂しくての。一緒にどうじゃ、と言うお誘いじゃ」


 エルムンガルドの誘いに周りが湧きたった。

 けれど私は心の中で大きく叫ぶ。


 なに人智を超えた力を暇つぶしに使ってるんだぁぁぁぁ!!!


 おかしいだろ暇つぶしの規模!!!


 いや私も久しぶりに温泉に入ってみたいけどさぁ。


「じゃぁ、全員行くということで? 」

「「「はい!!! 」」」

「どうせじゃからウルフィード氏族のやつらに他の者共も呼ぶと良いのじゃ。広めに造ったからの」


 カカ、と笑いながら言うがこちらはあまり笑えない。

 少し疲れを感じながらもエルムンガルドを見る。

 すると何か言いたそうにこちらを見ている。


「一つ頼みがあるのじゃが……」

「ん? なんだ? 」

「エルド酒造のワインを持って来てほしいのじゃ」

「お安い御用だ」


 返事を返すとエルムンガルドは口角を上げた。

 持っていくのは良いが……、これだと食器も必要になりそうだ。

 少しばかしの疲れを感じたが、仕方ない。

 この疲れは精霊温泉とやらでしっかりと癒させてもらおうか。


 エルムンガルドと話を詰めて日程を決める。

 よし、と仕切り直してランチタイムの準備に入る。


 ……ラビは遅れた。

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