第9話 ジュビア地方へ(4)

 水源の豊かさのせいか、膨大な水が暴風に巻き上げられていく。

 さながら水の竜巻だ。


 地球の台風はサイクロンと並んで雨風の激しい自然災害のことだが、この世界に於いての《台風》とは自然のこごりである《ヌシ》が乱心して起こる超常現象となっている。予め予兆が分かる地球の台風とは異なり、突発的に発生する。

 乱心の理由は様々だが、大抵は外的要因が原因で《ヌシ》が怒り、我を忘れ暴走することとなっている。

 今回の依頼からして、ジュビア地方の都市の《ヌシ》が臍を曲げて気象に影響が出ていることから、住民も不安視しており、司祭が感応して宥めようにも弾かれてしまうとのことだった。それがひと月も長引いていたらしい。


 国や都市を興してもいいと許可を出す《ヌシ》の特徴として、総じてヒトに対し無頓着なことが挙げられる。これが野良の《ヌシ》だとヒトに対して強弱の程度はあれど忌避感から問答無用で潰されるのが常識だ。君子危うきに近寄らず。諺はこういう存在に対してどこの世界にでもあるのがいい例。《大陸の神生みの親》以外の主神の創造物として在るヒトの脆弱さは理解しているし、何より他の神の気配が少なからず臭う為に領域テリトリーに入られようものなら怖気が立つ様子。如何に《大陸の神》が他の主神を嫌悪しているかが読み取れる。まして《ヌシ》の彼らは大陸の目として森羅万象の一端を担っている自覚と自負がある。つまり木っ端から創られたヒトとは存在からして格が違のだ。このような神話時代から引き摺る価値観ゆえに、草木に留まる小虫程度の思惑や事情など歯牙にもかけない。その意識すらあるのかどうか。

 それが国や都市の《ヌシ》だと極端に関心が薄いと言う。例えるなら小虫が顔の周辺を飛んでいれば鬱陶しいがあまりにも小さくて見失うと気にしなくなるような。もしくは、たくさんあるうちのその辺の石ですらない砂粒だろうか。砂が服の隙間に入ると不愉快になるような。そういう感覚だ。許容範囲が異常に広いとも。

 そんな上位存在の気に障らないよう細心の注意を払い、まずはことこそが司祭と言う突出した相生の媒介で、如何に他の人型と軋轢を生まないか神経を尖らせる役割なわけであるが、《ヌシ》のこの無頓着さからくる寛大をたまに勘違いする者がいる。

 そう。あくまで広義的なのであって、断じて寛容ではないのである。


 今回は不幸にもこの典型が発端。

 コートル共和国以外の国の神殿離れがどれほどか推し量るべくもないが、どこかの国の新人司祭が相生感応にやって来た。適性色は確かにジュビア地方の《ヌシ》と合って確率的にも適合できることが高いため、務めていた神殿の神品長からの推薦書を携えていた。神殿では司祭になるとこうした適性色の合う候補の場所へ移動し、仕える《ヌシ》との感応を窺うのが通例となっている。元々の適性色か、個人の素質によっては試験関係無しに《ヌシ》に気に入られ、そのまま囲われることもあるにはあるが。身近な例を挙げると都市エキナセアではクオートレケツキ司祭が該当する。あの人は第三世代の凪人なぐじんで信仰厚いのは幸いにも元は神品ですらなかった。また、花の《ヌシ》と適性色が被らないのに感応を許されている稀有な例である。ノックスも適性色関係なしに谷の《ヌシ》に異常に粘着されているのでこちら側。理由は本人ならぬ本《ヌシ》のみぞ知る。


 そうしてやって来た新人司祭。都市カルカヤの《ヌシ》と感応した瞬間、吹っ飛んだ。意識がとかの比喩でなく、文字通り神殿の礼拝堂を突き抜けて吹っ飛ばされた。

 実はジュビア地方の都市の《ヌシ》は現在コートル共和国で現界し数多いる《ヌシ》の中でも、国内一理性的と評されるほど雅量がある。笠の編み方を人型に伝授する逸話が残るくらいには。領域圏内に住む住人が自由奔放な第四世代の沐人もくじんでほぼ占められていることを考慮してもかなり沸点が高いはずなのである。

 その為過去に拒絶された司祭はおらず、適当なタイプでもあるのに、今回のこの所業。

 余程、新人司祭がお気に召さなかったようで。

 この時点で癇癪でも起こし都市の一部を破壊されても文句は絶対に言えないところ、理性的な《ヌシ》は神殿を水没させて己の領域にまず引き篭った。

 これには都市カルカヤの神殿所属の司祭たちも度肝を抜かれた。

 こんな大惨事、都市建設以降起きたこともなかった上、 入域断固拒否で神殿ごと水没されてしまったのだ。古参の神品たち含め全員を追い出して。この時彼らが渦潮に巻き込まれ、間欠泉の噴出のごとく外に放り出されたのはご愛嬌。死人が出なかった時点で御の字である。住民たちも何事かと集まり、哀れ吹っ飛ばされ意識もぶつ切られた新人司祭の取り調べとなった。すると、意識を取り戻した司祭の反応とは大勢に囲まれていたにもかかわらず、謝罪するどころか憤慨し出した。曰く、都市を護る《ヌシ》は意思を取り次ぐ神品を尊重し見返りを与えてしかるべき。加護はもちろん神力も護り神なら万人の為に使うべきであって、力の不用は悪で都市の繁栄に協力があって当然であるべき。我々は発展に力を貸しているのだから。と、くどくどと己の正当性を訴える新人司祭に周囲は唖然とした。

 この自己顕示欲に酔った阿呆は何をどう解釈してこんな馬鹿げた思考に辿り着いたのか甚だ疑問だったからだ。

 人類が《ヌシ》の面倒を見ている?バカタレ、力の恩恵に縋り《泥》の侵略から面倒を見てもらっているのは我々人類の方だ。

 言葉を持たぬ彼らの代弁者?どの口が言うのか。《ヌシ》に言葉など低俗なものは不要、示威を叩きつければそんなものがあっても役に立たないどころか本能レベルで理解する。

 都市の護り神なら万人の為に力を使べき?都市の成り立ちから勉強し直してこい。定義は上位存在には当て嵌らない。都市興しは身勝手に領域の余地内に人類が寄生しているに過ぎず、そもそも居住の許可すら頂けていないのが常識。いやしい分際で《ヌシ》が人類を歯牙にかけないからこそ生活いきていられている。むしろ彼らが万人に力を使う時があるなら、それは守護ではなく破滅だ。

 結論。感謝を捧げるべきは人類の方であって《ヌシ》が人類に感謝の念を抱いてもらおうなど。これを向けられた瞬間に我々人類は跡形もなく消えるが必定。

 関心とは即ち諸刃の剣であるのだ。

 傍聴していたすべての神品と住民が心底から呆れた表情や溜息をついた。取り敢えずもうこの痴れ者は拘束して神聖教国に輸送しよう。さらに出身の神殿にも抗議だと、現地の司祭が一緒に吐き飛ばされた神殿騎士に捕縛の指示を出した時だ。周囲の批判の何に逆上したのか、あろう事か仕舞いに、主神のうち五神の知恵の結晶である第五世代が最もであり、峻拒の神は主神に相応しくない。異端だとの発語が成された。

 咄嗟に猿轡を捻り込んだ神殿騎士を筆頭に、その場にいた神品から住民は、恐怖で青くなる者、怒りで赤くなる者と二分し、前後左右不覚に陥った。

 異端はお前だ!!恥を知れ!!と全員が内心で叫んだ。

 ここは《ヌシ》の領域圏内の都市だ。《ヌシ》の所属はどの神か。人類創作をしていない峻拒の神とは。────言わずもがな《大陸の神》だ。

 領域内で《ヌシ》の解らないことは無い。人類の地盤に成っている《大陸の神》も全知と言っても過言ではない。発言は取り消せない。知られてしまった!

 ジュビア地方に降る雨が冷気によって凍雨になった瞬間だった。

 それも都市カルカヤの《ヌシ》の領域圏内に絞っての範囲で降りそぼるひょう

 温暖多湿な気候であった土地の自然を徐々に蝕む冷気と、体積の増えていく氷が雹の礫となって災害の前兆を齎す。

 絶望の暗幕が都市カルカヤに懸かろうとしている。

 地形に異変こそないものの、しんと水没した神殿は沈黙でもって応えを出している。

 笠で雨は弾けても氷は痛く。濡れないからと冷気を遮れるものでもない。

 この一見して激しさのない緩やかさが一層の恐怖心を煽る。

 なりふり構っていられないと神殿の司祭たちは痴れ者への憎憎しさに苛まれながら、なんとか《ヌシ》を鎮められないかと感応の長期戦に臨む。他の神品と神殿騎士は主教への報告と応援要請、それから万が一を考慮して住民への避難勧告を開始した。あくまで勧告であるからか、ほとんどの住民は都市に残る意思と司祭のサポートを名乗り出た。そして拘束された痴れ者がボコボコにされているのは誰もが黙認した。


 こうした事情でノックスにも依頼が回ってきたわけであるが、正直やべぇ新人司祭の製造を含め全部が神殿の落ち度というか、都市に影響なく引き篭ってるだけなら態々意識を逆撫でするのではなく、《ヌシ》のほとぼとりが冷めるまで放置しておけよと言うのが彼女の本音であった。彼らの性質はヒトなどに無頓着なのであるからして、気が済んだ頃に元に戻るだろうと。それがすぐか、はたまた何十年先になるかは別として。

 実際クオートレキツキ司祭の呼出でノックスは「放置一択」と一度断ったのだ。だが、探索者の神殿離れ問題と同ケースのエクス少年のヤラカシ問題が渡りに船とばかりに教育にいいだろうと推されては、自他共にノックスも仕方がないと折れるしかなかった。一介の職人に頼むことじゃなかろうに。はあ。


「────ストップストップ!!そんでタイム!!なんで俺が悪いことになってるんだよ!!てかクオ司祭、俺の事いつの間にダシに使ってたんだ?!」

「まぁ、一緒に講義室に居た時点でだろうな。なぁ?アウィリト」

「左様でございますねぇ。エクス殿はお目をかけられていらっしゃいましたので」

「怒りの?!怒ってないって言ってたけど、やっぱり怒ってるよなクオ司祭?!」

「クオ司祭はお怒りではありませんよ。完全なる善意でございます」

「それ建前だよな?暗喩の方の意味だよな?」

「うるせぇなあ。細かい事はいいんだわ。とにかく、凍雨になってから一ヶ月経ってもこれ以上にならないでいたんだから《ヌシ》も《大陸の神ジェミャーブアャ》もそれで手打ちだったんだよ。だから急ぎとは言われても陸路で移動してたのは周りが騒ぐほど深刻じゃないって判断したからだ。クオ司祭もこれには同意見だったしな」

「はい。本当に火急であれば教国本部から聖騎士様が出動されていたかと愚考いたします」

「だろうな。主教に報告したんだから本部もわたしと同じ判断を下したんだよ。気が気じゃないのは都市カルカヤの神品と住人だけってことだ」

「え…が迷子…」

「同情で巻き添え食うのは御免だぞ」


 ノックスの台詞には先日の《泥》と対峙し犠牲を出した探索隊への皮肉も含まれていそうだ。

 轟々と《台風》の暴騒音を背景に語るノックスを真ん中にして左右にアウィリト青年とエクス少年が身を屈めている。さらにその左右にはぎゅうと縮こまる爪鳥も身を寄せている。

 この三人と二羽が横一列におしくらまんじゅよろしくくっつく背後には、身を伏せて巨大な防風壁となっているトララフエパンがいた。泰然とした安定感がかなり頼もしい。彼は日向ぼっこでもしているかのように目を閉じて寛いでいる。すぐ真横を流れる増水し勢いと色の変わった支流と吹き荒ぶ雨風などものともしていないようだった。


「で、だ。都市カルカヤの司祭の中にエズ司祭と同期がいたんだと。経過観察を言い渡されたもんだから、どうにか早めに解決できないか相談されたエズ司祭は請け負っちまったわけよ。あの人クソ真面目だから現状をどうにか出来ないかとクオ司祭に相談して、タイミング良く問題起こしたエクス少年の再教育教材に抜擢されたと」

「俺感応なんか出来ないぞ?!」

「現地で如何にヒトが無力で矮小か感じるのが勉強だったんじゃね」

「そんな殺生な…」


 神様に無礼を働いた愚物に対しての神品の過激思想よ。

 暴風とは別の悪寒に震えるエクス少年である。

 確かに幾ら口で言われても《ヌシ》の畏ろしさって実感しづらかったけれども!(過去、花の《ヌシ》に脅されたのはまた違う種類の恐怖だった)


「それで、近場のわたしにお鉢が回ってきたわけだ。結果はどうあれ、長丁場の異常気象から起こる不利益と、探索者とまさかの神品にも起こっていた神殿離れの実状調査も兼ねて考慮したら、早めに解決できるに越したことはないってのが、クオ司祭の主張。《ヌシ》も鎮められれば力を削がず災害も起こらないしな。公平よな、流石第三世代」

「笠の流通量と防水材や他薬剤の生産には少なくない影響が出ております。まだ許容範囲とは言えこのまま割高になっていってしまいますと、今度は現地の還元に差し障りますゆえ」

「だぁから、そんなん二の次でいいんだよ。クオ司祭の主張は根本が《ヌシ》主体なの分からないか?要は人類が《ヌシ》の領域圏内から出て過ごせばいいだけの話。圏外なら気候が安定してるんだからさぁ。ジュビア地方の流通物流なんて《ヌシ》に依存してる人類の都合だろ?痴人を送り込んでおいて許して欲しいなんて面の皮厚すぎんか?」

「しかし意図した事ではなく…、」

「知るかよ。神殿の怠慢だ。リスクヘッジが甘いんだよ。《ヌシ》にも同様の言い訳かましてんのか?それこそ業腹だろ。感応なんざ許すわけがない。無礼千万働いて媚びへつらう下心の不快さよ」

「……」

「見ろ。結果がこれだ」


 あくまでも人類側の意見に偏りがちの若い神品に、世の森羅万象の権化に無条件で受け容れられる〝金科玉条〟の冷徹な見解がざくりと刺さる。

 司祭の輔祭としていつも余裕を保っていた青年が血の気を落として押し黙るのを目撃したエクス少年も思わず口を結ぶ。

 ノックスの諫言かんげんが最適解だった。

 教国本部でさえ手出無用の指示を出していたはずで、目先の謝罪に固執した現地の司祭の落ち度が増して最悪の結果を生み出した。

 クオ司祭のノックスの派遣は保険であり体裁でもあって決して事の解決を望んでいたものではなかった。あくまで様子見。要請されたから対処に相応しい人材を選んだ。たったそれだけ。このポーズだけでよかった。どうせヒトの力で出来ることなどひとつもないと理解っていたからだ。

 それを承知したからノックスも依頼を受けた。

 アウィリトは都市カルカヤの問題解決に行くとの解釈をしていたがその考えがまず神品として甘い。《ヌシ》にく者であるなら、ヒト側が彼らを動かせるなどと驕ることなく《ヌシ自然》の摂理に従い人類をどうにかしなければならないのだ。それこそ超自然的存在と交信し、危険を回避し、人類を占い、おしえ、導く司祭シャーマンのように。

 この無意識下の僅かな驕りを無くす為にクオ司祭は部下を同行させた。さらに詳しく述べると、都市エキナセアの神品たちは、クオ司祭以外、どうにもノックスであれば《ヌシ》をどうにか出来るかしてくれると考えている節がある。親しんでくれるのはいいが、己が神品としての立ち回りを考えなくなっており、短絡的な思惑を持たれているのは本音を言うと鬱陶しく、ノックスの背後にいる谷の《ヌシ》の力を期待されるのも億劫であった。こう言う機微は隠そうが隠さまいが敏感に感じ取れるもので、ここいらで期待の若者であるアウィリト青年の甘え癖を矯正してしまおうと言う大人の魂胆だ。

 聖石を下賜されていてもこれは最低保証であって神聖教国側はノックスの身柄を保障していない。否、できないと言うべきか。

 多くの神品の存在役割のようにノックスが《ヌシ》に従いているのでは無く、《ヌシ変態》が勝手に憑き纏ってストーカーしているだけで、そこにノックスの意思や都合は一切合切関与していないからだ。神秘的能力の発揮される原因は事実神の都合有りき。ノックスの力では決して無いのである。そして彼女も望んでいない力だった。つまり使えないものを強請られても無いものは無いのである。そこを弁えてもらわねば、今後の付き合い方を見直さねばならなくなるだろう。

 アウィリト青年にはノックスに抱く理想と期待を壊して是非ともしっかり成長してほしい。エクス少年も関わるにあたって同様の理解とアウィリト青年の善き同志になれれば儲けものだ。

 己の価値を見極める狡い大人の都合に振り回され悩める若者たちを横目にほくそ笑むノックスは、十分に彼らへ自問自答の間を与えたあと、当然のていで宣言した。


「よし。じゃ、依頼も間に合わなかったし、さっさと帰るか」


 土砂降りの音響がアウィリトたちの耳朶を打つ。痛いほどに。

 熟慮の淵から抜け出すに十分な発言にスンッと真顔になったふたりは聞き間違いかと顔を見合せた。


「エパン、もういいぞ」

「待て待て待て」

「お待ちください」


 拳裏で防壁になっていた鎧蜥蜴を叩き、飼い主の言葉通りに動き出したトララフエパンと、立ち上がって伸びまでし始めたノックスの腰装備を両側から掴み、再びしゃがませた。それに合わせて立ち上がりかけた爪鳥と鎧蜥蜴ももう一度腰を落ち着け直す。

 ごんごん暴風に煽られ横殴りになる雨に負けて雨林の樹木が撓る。

 まるで帰るの咎めるように荒れる暴風雨の音すべてが《ヌシ》の怒りの咆哮に聞こえる錯覚に陥った。


「なんっで、帰る話になる?!」

「ノックス様が干渉をよしとせぬ主張は把握いたしましたが、お帰りになるのは些か早く…」


 がっちり両腕を鷲掴み、逃げられないよう留めるアウィリトたちに、心底げんなりした態度をノックスは表わす。


「話聞いてたか?ヒトが出来ることは皆無って言ったろ。《台風》なんて余計にどうにも出来ないんだから、帰るだろ」

「いやいやいや。アンタ、三等級だろっ。都市カルカヤの《ヌシ》様って確かレベル.参だよな?単身ソロで対処出来るじゃんか!!」

「はーあ?ここから発生源の都市カルカヤまでまだ四日も距離があるんだが。物理的距離は短縮出来ませーん。あと、元な。元・三等級。引退してんの」

「紋章ぶら下げといて引退言うな!」

「ヒトとして救助に向かわれるとかは…」

「それこそ依頼にないだろうが。《台風》になった時点で手遅れなのに、やる意味あるか?」

「しかし、このままでは災害の影響が出て被害が…」

「アンタに良心はないのかっ?」


 キャンキャン吠える子犬とキューンと憐れさをアピールする子犬にブリーダー気分を味わうノックスの全身から面倒くさいオーラがぷんぷん漂っている。

 主張としては縋り付くふたりの意見がヒトとして真っ当なのだが、如何せん普通のヒトの感覚を持っていたらおそらく人外に気に入られていない人物であるので、常識的な主張がまったく刺さらない様子。

 帰る。いやそれは。との応酬が続く中でも《台風》の勢いは増すばかりで一向に弱まる気配がない。

 アウィリトたちとてノックスを引き留めるのは現状この中で一番《台風》に対抗できるのは彼女だけであろう当たりがあるからだ。外部に助けを求めた都市カルカヤの神品たちでは手に負えない事が分かりきっている。ジュビア地方に等級の高い探索者がいるとも限らないし、一介の輔祭ほさいであるアウィリトと若葉マークのエクスでは何の役にも立てない。

 もう自分の出る幕はないと割り切り、人類の凡俗などどうでもいいとの姿勢はかなり薄情に感じるが、アウィリトが知る限り、この手の感覚の持ち主は神々にちかしい者ほど顕著だったと記憶している。これは果たして神に好かれたからこその性質なのか、それとも元々の稟性があってこそ神に好かれるのか。

 まだ経験が浅いエクス少年はそこまで考えるに至らずヒトの良識からノックスを説得しようと必死だが、職業上加護持ちと接することも多いアウィリトは根本的な感性の違いに本当の意味でのカルチャーショックを受けた。親しんでいた人物が急に自分とは違うことを悟ったのだ。都市エキナセアの神殿で唯一、花の《ヌシ》に気に入られている上司の時折見せるヒト離れした眼差しと重なる…。


 今、己の足首に棘のある蔓が巻き付いている。


 笠で濡れないはずのアウィリトのこめかみから背筋にブワッと冷や汗が伝った。

 ブーツを履いている上からでも判る突起が皮膚に食い込む寸前の力加減で、聖服の裾に隠れ、寵愛するヒトに漏れないように締め上げてくる。


(こっ、……これは…っ!早く帰らせろと言う意思表示だろうかっ…?!)


 まるでアウィリトの悟りを図ったタイミングで戦慄する。

 を理解したのなら分かるよなあ?ぁぁん?との圧がのし掛かるが、それでも災害に苛まれる人類を懸念し保身に走り切れない若者は唇を震わせる。

 未だ押し問答を繰り広げるノックスとエクス少年に助けを求められるはずもなく、さっさと行動を起こさないことにまた一段と圧が増した一瞬後。






 転移円環のある方角の雨林が、ボッ!と広く赤く輝き、巨体の影が曇天に踊り出した。






 瀑布の雨音にも混じらない力強い翼を打つ風切り音が立つ。空中で方角を見定めていた巨体ははるか頭上で旋回すると、投擲された槍の如く重厚な速度で《台風》の中心源へと疾駆かけた。

 その先には幾筋もの雲を巻き込んだ竜巻が暴れている。

 躊躇いなく直進するものに反応してか、中心に渦巻く一際巨大な竜巻から明らかに意志を持った数本の細い旋風が生き物のように分かれ、巨体の影を襲った。四方から迫る攻撃にエクス少年とアウィリトが息を呑む傍で、ノックスだけが「うわ、来た」と呟く。ふたりには聞こえていないようだが。

 旋風に穿たれるかに見えた巨体の影は次々襲い来る攻撃をアクロバティックに避け切り、悪天候もものともしない速度で更に加速すると、分厚く空を覆い竜巻と豪雨を生み出す黒雲へ向かって上昇し、雲間に突っ込んで行った。


「あれって……」


 翼を持つ巨体のシルエットに心当たりのあるエクス少年が、おそらく噂ではない本物を知るであろう青年に確認を取ろうと振り向いた。

 それと同時に《台風》の発生源の竜巻が雲の上から真っ二つに裂け、尋常じゃない閃光と爆音がジュビア地方一帯に轟いた!!

 一拍遅れて空気と地面を衝撃波が走り抜け、都市部から四日も距離があるノックスたちの場所にまでその振動が到達する。

《台風》が発生した時の足元から崩れていきそうな地震より軽いが、各々トララフエパンにしがみついて地揺れをやり過ごす。

 そうして揺れが引いていくにつれ、灰色の雲の隙間から光芒が一指し、二指しと、漏れていく様を仰ぎ見ていたエクス少年たちは、ジュビア地方では起こり得ない晴天を天恵として浴びた。


 まさに夜明けの暁の如く。


 心の暗念をも颯爽と浄化するような光景は筆舌に尽くし難かった。

 雲の色が灰色から通常の白さを取り戻し、ぽたぽたとした涙雨が暴走した《ヌシ》のなみだのように感じる。これがジュビア地方に落ち始めると、光芒と交差して何本もの虹が空に縦横無尽に架かる。

 なんとも風光明媚な美景に状況も忘れて見入ってしまった。

 次いで輝く光の筋と虹を道標に、天から駆け下りてくる巨体の足取りは軽やかに、真っ直ぐ、それこそ一目散にこちらへ向かってくる。


 ────こちらへ向かってくる?


 はたと正気づいたエクス少年たちが身構える隙もなく、あっという間に距離を詰めた巨体の全貌とは、立派な羽翼で風を打ち、太い四足で虹を踏む獅子の身体、鍛え抜かれた女性の上半身をした冥獣めいじゅうスフィンクスだった。

 体長約三メメトル、獅子の尾長だけで約一メメトルを越すだろう。体重は…女性に失礼なのではぶこうか。

 白銀を基調に金の縁に彩られた金属の胸当てに豪奢な金細工の装飾品が首元と腰周りを飾っている。その装飾に似合わない片手に持つ長大な騎槍ランスは、金粉を塗したような黒曜石で護拳バンプレートの鍔が精緻な金模様。同じ意匠の盾も持つ。騎槍ランスの黒曜石より金粉が控えめな紫檀色したんいろの髪は細かな編み込みがなされ、たっぷりとした毛量はたてがみを彷彿とさせる。金で作られた額当てから連なる金鎖きんさの間間に紫水晶アメジストが組み込まれた髪飾りが高貴さを演出し映える。胸当てから覗く肌は褐色で呂色ろいろの刺青が両腕から背中へ描かれていた。

 光が当たって線になった瞳孔を囲む虹彩は陽が当たると影を生む黄金。これを眇めて上から睥睨されるとたちまち身が竦んだ。一人を除いて。

 ゆっくりと一同を確認し終えた彼女が猫科らしく音もなく着地すると、翼の風圧を受けて周囲の樹木がたわんだ。

 いつの間にスフィンクスから死角になるトララフエパンの反対側に回ったのか、彼女は隠れた目的の人物が居ることを確信した口振りで挨拶をしてきた。


「ダーリン!!久しぶりー!!」


 貴族然とした見た目にそぐわぬ、明るいフランクな挨拶に、思わず目が点になるエクス少年とアウィリト青年。

 幻聴?と横目で目を見交わすふたりの前でスフィンクスの背から人影が飛び降りた。


「──無沙汰よの。息災かえ?我が友朋ともよ」


 出鼻をくじかれた感じで、金の化粧けわいが塗られた美しい鼻梁に少々皺を寄せたスフィンクスから発せられた低めの美声に想像通りとほっとする男児たちである。

 先程の底抜けに明るい声は背から飛び降りた人物のものだったのだろう。


 白銀のゴシック式全身甲冑は板金の縁が金に彩られ、所々に筋打ちされた部分に金線が施されている。見た目鋭角なかたちの板金が複雑に分割され体に添ったディテールの甲冑が筋打ちによってキラキラと輝く。胸元の絞られた形から女性のようだ。ヘルムの前面にはこれまた精緻な装飾模様のある息抜きの空いた面頬バイザーがあり、筋打ちの入った瀟洒な前腕鎧バンブレースと関節部分に金の鋲が打たれた籠手ガントレットがそれを跳ね上げる。鎧の上に着付けた丈長のシュールコーは目の覚めるような天色あまいろで両端から縁の装飾に錦糸きんしで緻密な刺繍が刺さっていた。翻る裾の中は月白色の裏打ちで遠目からでも分かる神聖象徴ホーリーシンボルがあった。前腕鎧と同じ筋打ちが意匠された股当てキュイス脛当てグリーヴと違い、膝当てポリンは縦筋の金線が描かれている。続く鉄靴サバトンの踵には金銀の拍車スプールが燦然と光を反射していて、騎士の高い身分を保証していた。


「逢いたかったぁ……!!」


 逆光で兜の中は覗けないが、明るい声音に多大な親愛を含ませ、さらに全身から喜色が溢れ出している。

 金春色こんばるいろの髪が面頬の隙間からこぼれたのを皮切りに、アウィリトがさっと素早い動きで両目を隠した簡略の祈りのまま頭を垂れて跪いた。その変わり身の速さに予想は当たっていたのかと、慌ててエクス少年も神品に習う。

 動じぬのは鎧蜥蜴の他爪鳥の動物たちと、明らかに身バレしているのに隠れているノックスだけだ。彼女は歩み寄ってきた女性騎士が全身甲冑フルプレートの重さを感じさせず軽々鎧蜥蜴を飛び越えて、満面の笑みで抱き着くまで往生際悪く無言を貫いていた。


「やれ、友朋ともよ。此方こなたの愛着にはいい加減、諦めたもれ」

「……息災か、アスピダ」

「重畳だえ。此方こなたにも早う」

「…………。…………。…………。……元気だな、テゥント」

「うんうん!元気!!やっぱりアタシが来て正解だった!ダーリンと逢えたし今絶好調!!」

「……ぐぇ」


 アスピダと言うらしいスフィンクスに呆れながら促されても、たっぷり三拍は置いて重々しく口を開いたノックスに対して、態度を気にしていないのかテンションの振り切れたテゥントと呼称された騎士が、ぎゅむ!と音がしそうなほど細工師を抱き締める。耐えられないと呻くノックスは鬱陶しさを隠しもせず、騎士を両腕で突っぱねている。

 そんな最中、ふたりの女性の名前を聞いて確信を得たエクス少年は礼をとった姿勢で驚愕した。

 冥獣めいじゅうの中でも希少なスフィンクスでアスピダという名前に、その背に騎乗することを許されている天色のシュールコーを被る女性騎士の名がテゥントときたら。

 金銀の拍車が示す通り、十二の席位しかない聖騎士のひとり。神聖教国が誇る八つの教的観念の内、公正、武勇、奉仕の三つをも司る異例の大綬・星章持ち〝暁光アウロラの聖騎士〟その人だ。

 そりゃあ暴走した《台風》を単身で危なげなく鎮められる実力者のはずだ。


 世界で〝金科玉条〟が不可侵の〝絶対的遵守不文律ゴールデン・ルール〟なら、〝暁光の聖騎士〟は教国のみならず世界の〝絶対的最終抑止力アルティメット・ウェポン〟と比喩されている。


 二つ名どころか世界の役割も充てられているこのヒト、第五世代なのに規格外の為お察しの通り、ノックスと同郷である。べったりと彼女に張り付く様子は親しみ以上の何かが見え隠れする。

 触れてはいけないような気がするのでそっと目を逸らし、存在をまるっと忘れられているエクス少年とアウィリトは声が掛かるのをじっと待つ。

 色々と喋った後、アスピダの美声が「あい、おさらばえ」と別れを告げた。去って行く羽ばたきが雨を飛ばして存在感も消えた頃。

 ゆっくりと面を上げたふたりの目の前には、鉄靴を脱ぎ、笠替わりの天色のシュールコーのフードを被ったテゥントに背後からがっちりホールドされ、共に鎧蜥蜴に跨る疲れた顔のノックスがいた。


「さあさあ!都市カルカヤに行こう!!」


 兜の中から響くよく通る明るい号令に、渋々トララフエパンを進ませるノックスが背後を振り返り、顎で爪鳥たちを指し示した。


「早く乗らないと置いていくぞ」

「あ?!」

「…はい!」


 どうやら帰ったのはスフィンクスだけで乗り手は残り同行するようだ。

 状況についていけないながら、鎧蜥蜴に続いて歩き始めた爪鳥に追い付き、慌てて飛び乗るエクス少年とアウィリトは騎獣の手綱を握った。

 すっかり光芒と虹は消えて、転移円環ワープサークルにて出てきた時の、静謐であっても賑やかな雨林の自然の環境音が一帯に戻っている。涙雨も線のような細い雨に雨量が増えたからか、水霧が視界を占め、水嵩の増えた支流だけが先程の《台風》の名残りとして流れが激しい。

 それにしてもケツァール地方に帰らず都市カルカヤへ行くこととなったこのあとの四日間、旅の仲間が増えた理由はともかく、エクス少年たちの紹介をしてくれる機会がはたしてあるのか。

 テゥント聖騎士の意識はノックスへ全振りで、天色の背中は何も語らなかった。











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