第8話 ジュビア地方へ(3)


《泥》を浄化したテミロテ大森林の山岳をやや降り、丘陵地帯にまで戻ると、針葉樹林帯から照葉樹林帯に植生が変わっていった。

 陽が明るく鮮やかな森の道を抜けると進行方向先に広大な湖が広がっていた。周囲に川などの支流が見受けられないことから湖底からの湧き水で水量が賄われていることが分かる。水草の種類かみどり色に見える水面がゆるやかに波打っていた。

 バジバジェ湖と言うここは、比較的円形で直径は約六キキロほど、深度が約四百三十メメトルある大陸で十番目に深い湖である。

 目的地に到着すると、巨体の鎧蜥蜴を見咎めて湖畔の一箇所に集まっていた集団からひとりが走ってきた。

 エクス少年だ。


「ノックス!アウィリト!良かった…!」

「そっちも」

「お待たせいたしました」


 ぱっちり二重の白金色の目を安堵に緩める表情に、簡単に応じるノックスと、相乗りしているその後ろから顔を出して笑顔を浮かべるアウィリト。

 結構な時間が経ってしまっていたので気を揉んでいたのだろう。

 立ち止まったトララフエパンからアウィリトが降りるのに手を貸して補助したノックスも続いて飛び降りた。

 ふたりの外見を見聞して異常ないかの確認まで終えたエクス少年が素直で可愛い。はじめはやらかしの引け目から多少殊勝ぶっていたが、数日共に過ごすことですっかり歳上の青年と打ち解けた彼は、色々と規格外なノックスにも懐いている気がある。人見知りしていた犬が慣れてじゃれついてくる感じと言えばいいか。若者に好かれて悪い気はしない。


 低い丘陵の山に囲まれたバジバジェ湖の湖畔は、規模は狭くとも手前が砂浜になっており、他ぐるりと浅瀬の岩礁と土手が続いている。

 岩礁付近で何かを突いていた爪鳥二羽が道中ボスと見なしていたノックスを認めて嬉しそうに羽根を震わせながら寄ってきた。

 砂浜と下草の緑の境界で野営の天幕が四幕設置され、簡易の焚き場が組まれている傍、見張り役で立っていた屈強な成人男性と中年男性が、擦り寄る爪鳥二羽を労うノックスに軽く会釈してみせた。


 動きやすい革鎧にフード付きの短い外套、ナイフの刺さったブーツに毛皮の腰巻き、それぞれ背中と腰裏と矢筒を背負う場所こそ違うが弓を携えていることから、今回の合同任務に付き添う猟師と見受けた。猟師たちは腰に何かしらの毛皮を巻いているのがトレードマークとなるので判りやすい。彼らは大抵その毛皮の結び目に狩猟ギルドの紋章をぶら下げていた。

 トララフエパンが飼い主より離れて湖に入って行き、豪快に水分補給している水飛沫の音を背景に、姿の見えない探索隊隊員たちの所在を尋ねた。


「お疲れ様。無事で何より。<阿吽の呼吸>の隊員は?」

「お互いに。彼らは気を紛らわせるのに周囲の野外調査に行かせている。仲間から犠牲者が出て辛いのはわかるがいつまでも暗いのでな。ケッソ隊長の落ち込みは特に酷くて鬱陶しい」

「ノックス殿、お久しぶり。先輩、口が悪い」

「本当のことだ」

「なんだ、サガリとシビレか」


 よく見たら知り合いだった。エキナセア支部所属の顧客でもある。

 朽葉色くちばいろの瞳と、同じ色の髪を短く刈り込み無精髭を生やした中年サガリが眉間に皺を寄せる横で、気安く片手を上げて挨拶した成人男性シビレが苦笑する。シビレの顔には右目を跨いで爪の創痕があり、元は乳緑色にゅうりょくしょくの瞳だった右だけ色素が薄くなっている。瞳より乳色ちちいろを濃くした髪は大柄に編み込まれ、マクラメ編みの革紐で括り背中に垂らされていた。

 シビレがサガリを先輩と呼ぶが、この後輩は十も歳が離れている鍛えた中年に引けを取らない体格をしている。二人揃って柔軟そうな筋肉をつけた大男であった。


 ノックスのあとからふたりに挨拶をしたアウィリトも一度野営地を見渡し言われた通りに隊員たちが留守なのを確認すると隣にいるエクスに目を向けた。


「では、エクス殿も何が起きたのかはご存知?」

「一応。生存確認に先にポイントに到着した時には隊長と数人の隊員もいたから。あの三人のことを話してあらかた何があったかは」

「このエクスがお前さんと神品が後から追いついてくるってんで、片がつくと思ってな」

「ノックス殿がいるなら全部お任せできちゃうってもんで。先輩がうじうじしてる隊長に本来の任務をさせに行かせましたよ」


 ここで一晩明かしたら俺たちが始末に行こうと準備していた。と、サガリがやや苦味のある表情をした。

 どうやら準備を終えてシビレと向かう直前に、エクス少年が爪鳥と駆け込んできてすれ違わずに済んだらしい。

 自分たちも行くと言って渋っていた隊員たちは、エクス少年の齎した知らせに一様にほっとしていたと言う。


「お前さんなら実力折り紙付きだしな」

神品しんぴんがアウィリト殿とは。鎮魂も滞りないですね、有り難い。死者のために、御心みこころ安らかに」

「お受けいたしましょう。御心安らかに」

「御心安らかに」


 両目を隠し簡略の祈りをする猟師ふたりに鷹揚に神品が答礼する。


「とりあえず、情報のすり合わせだな。隊長たちが戻ってきたら話をしよう。エクス、アウィリト。少し早いが今日はここで天幕の設置だ。出発は明日にする」

「分かった」

「承知しました」


 探索隊と猟師の天幕とやや離れて天幕を用意するよう指示を出す。

 濃厚な日中であったが、戊エつちのえの中刻からすっかり癸トみずのとの下刻となり、陽が傾き始めてきた。

 猟師のふたりも手伝おうと告げて天幕の設置に行ってくれたので、懐く爪鳥を構いながらノックスも焚き場を作りはじめた。











 その日の夜。

 野外調査を終えて引き上げてきた隊員たちは、ノックスから事の顛末を聞き、思い思いに泣き崩れた。

 中堅である隊員が犠牲となった理由とは、三人のうち一人につい先日子供が生まれていたこと。子供は女児で、残りの二人も同郷の誼で懇意にしていたこと。《泥》の見た目で怯んでいたところ、追い打ちのように声帯のを聴いて元仲間たちは致命傷を受けたこと。原因の《泥》がこの時点で肥えた個体であった為、崩された隊では対処出来ないと判断し、増えた個体と同時に処理するのではなく、分断を狙って一時退却したこと。など大抵の経緯を傍聴した。


 子供の行方不明者がいたことは不幸であったし、犠牲になった当事者だけならまだしも仲間にまで被害が及んだことは間が悪かったとも言える。

 だが探索者として活動するのであれば、同情したのも動揺したのも仲間に犠牲を強いてしまったのも、未熟であったと言わざるを得ない。隊長の監督責任が問われるのは間違いなく活動の制限や、おそらく等級の見直しが入ると思われる。昇級仕立てということもあり、もしかしたら今後これ以上の等級に上がることが出来なくなる可能性もある。任務を完遂させれば罰金はないが、隊長個人か、隊には連帯責任として遺族への慰謝料が科せられるだろう。

 猟師二人は証人として事情聴取後、改めて仲間の猟師たちとテミロテ大森林の野外調査に駆り出されるはずだ。

 今回のような、声帯をわざわざ残していた異質な《泥》がまだいないとも限らない。これに関してはノックスも例外ではないため、また後で各所に報告せねばなるまい。

 行方不明者女の子の特定も含めて急がせたいところだ。例の《泥》が幾日徘徊していたかにもよるが、体積の増え方も異常のような気がした。何かの兆候とかでなければいいが。

 とりあえず明日、全員が転移円環ワープサークルを利用するのは確定だとして、ポイントからジュビア地方よりピャセク地方に着く方が早い探索隊に、浄化後回収した女の子の遺品であろう髪飾りを手掛かりとして託した。











 夜が明けて、朝日の昇る甲エきのえの上刻。

 各々身支度を整え終え、拠点を片付けると騎獣に跨り出発となった。

 探索隊の騎獣はエクス少年の乗る爪鳥と同じであるが、猟師二人の騎獣は脚鳥種でも蹄鳥ひづめどりと言う中型種類であった。

 蹄鳥は脚鳥種の中でも疾駆に特化した鳥で、羽根は完全に退化しており、最大の特徴は獣のように四肢で走る脚に蹄があること。猪に似た短い脚と筋肉質で寸胴の体形は剛羽毛で覆われ、短く長さの揃った尻尾がある。体長は約三メメトル、体重が約三百キキロとこの重量級の体重を支えるために四足となったとも言われている。見た目に反して俊敏性があり、森林や野山の沼場なども難なく進める。綺麗好きなので泥浴や沐浴好き、警戒心はやや強く慎重な個体が多い。彼らは群れる習性から乗り手の感情を良く甘受できて知能も高いため、まさに山歩き向きの脚鳥だ。猟師たちは主にこの蹄鳥を騎獣として利用している者が多かった。


 この集団に合流してから騎獣たちにボス認定されていたノックスは、思い思いに別れの挨拶に来る鳥たちを一撫でしていってやる。

 サガリとシビレの蹄鳥は特に個人の騎獣であったから、もともとの顔見知りであることも手伝い、念入りに体を擦り付けにきた。力が強い。可愛いけど。この後トララフエパンにも挨拶に行っていた。とても可愛い。和む。


 転移円環ワープサークルは湖の中心にある。

 と言うのも、設置条件の前提として大陸の大地に直接設置できない代わりに、中立地帯...つまり《雨の神》の管轄である水場になら設置可能との折衷案が神の間で設けられたからだ。

 雨はすべての流れを統括しているため、澱みを許さず、循環している。

 故に《泥》も水場を忌避している。はじめに汚れを一掃したのもこの水流だったからだ。洗い流浄化されては堪らない。


 そしてこの転移円環の形とは、名前の通り円環のオブジェなのだが、赤い菱形の加工石を核にして通常は湖の上に欠片となって浮遊していた。欠片はほのかに赤い燐光を放っている。

 これらは神品の放つ神言しんごんもしくは、神殿で発行される行き先を記された通行証スクロールで起動する。勝手に使うことが出来ない仕様となっている。まあ使いたくとも円環がバラけていては誰も使えはしないが。


 まず探索隊が先に転移円環ワープサークルを使う手筈となっているので、トララフエパンにアウィリトと騎乗したノックスは、十七号に乗ったエクス少年と荷物を積んだ十六号と岸で待つ。


 同じく岸辺に寄った探索隊の隊長が通行証を掲げると、燐光を発していた欠片と通行証が共鳴するように明滅し始めた。

 明滅する度に端から赤色光の粒子となって散っていく通行証が菱形に吸い込まれて無くなると、オブジェの欠片が湖の上に密集し、菱形までの道を作る。敷かれた道の上を渡る探索隊が進むのに合わせ、欠片はバラバラと進み終えた道を崩してまた先頭の道へと舞い戻っていく。

 傍から見ていると欠片が集まっただけの、落下待った無しのひび割れた道だが、重量に沈むことなく安定性もあるようで、彼らは危なげなく菱形の核まで辿り着いた。

 すると菱形が回転し始め、探索隊の足元にだけ欠片を残し、他の欠片が惑星の周囲を回る環のように集結する。周りを公転する欠片はそのままに、菱形の核が二羽の蜂鳥に変化すると周回していた環に停まった。その瞬間、欠片は結合し完全な円環になる。

 円環のオブジェが探索隊を囲めるほど広がれば赤色光がひと際強くボッと灯った。

 光が消えた後には探索隊の姿は消えていた。


「...何回見てもすげぇ」

「そういやエクス少年、エキナセアには転移で来たの?」

「ああ。首都の四等級探索者がケツァール地方の《ニワ》に行くって言ってたからギルドに紹介してもらって、同伴させてもらったんだ」

「ふぅん」

「...なんだよ?」

「いや?なと思って」

「そうなんだよ!ほんとタイミング良かった。俺、コートル共和国に行くなら、一番でかい首都扱いの真術しんじゅつのアリナルコ地方か、英雄ターラー様のいる花のケツァール地方のどっちかに行きたかったからさ」

「ミーハーな」

「うるさい!」


 転移円環の演出に感心する少年に聞けば、彼は全く様相の違う貴重な野外調査経験の機会を振って、転移の恩恵に与り、さくっと都市エキナセアまでの六日を過ごして到着したらしい。それは道中さぞ楽な事だったろう。エキナセアでイキっていた理由の一端を知る。

 またこの会話で、エクス少年の帰還方法がノックスの中で決定した。

 察しのいいアウィリトが気付いていない年下の少年を困ったように眺め、青鈍色の髪を耳にかけ直して口を開く。


「では、我々も進みましょう」

「そうしよう」

「通行証の時と神品が居る時でなんか違うのか?」

「いや、特に違いはない」


 手綱で合図を送りバジハジェ湖へトララフエパンを進ませると、転移の灯りと同時にオブジェに戻って浮遊していた欠片が、何かに反応したようにチカチカ明滅し、先程と同じく湖の上に道を作る。


「すげぇ、通行証がないのに道ができた!アウィリトが分かるのか?」

「はい。正確には、迂生の神聖象徴ホーリーシンボルに反応しております。それから、ノックス様の聖石も同様でございますね」

「あぁ。持ってたな、そう言えば。...ん?て事は、コイツって転移円環ワープサークル使い放題?」

「ご名答」

「はあぁ?贔屓じゃねぇか!俺らは転移代払って通行証もらうのに?」

「その代わり、ノックス様は年間で神殿へ多額の奉納代を納めていらっしゃいます。また、神言しんごんも熟達の域で習得されておられます。《神器》は神言にしか反応しません。神品の神言の習得の難解さは、エクス殿でもご存知でしょう?そもそも神々との相生が無ければ聴き取りすら困難であると」

「は、はい...」


 幼稚な糾弾に相応の対価を払っているとの歳上の青年の抗弁に、叱られた子犬のようにしょげるエクス少年。

 にやにや半笑いを浮かべるノックスは便乗して胸を張り追い打ちしておいた。


「かなり神殿には貢いでるぞ?それこそ《神器》二、三個買えるくらいにな」

「エッ」


《神器》は国宝と同義だ。

 それこそこの転移円環のように値段を付けられない物から一番低いランクの物でも一般市民の平均的な年収は軽く越える。それを二、三個と言われると一回の転移代の値段が年に数回使うとしても割に合わないかもしれない...。

 ノックスのドヤ顔にムカッ腹は立つがアウィリトに窘められるのも腑に落ちたエクス少年である。

 自分では想像もしたくない金額が動いているらしい。


 欠片の道を進み菱形のオブジェの下に着くと欠片が公転し二羽の蜂鳥が姿を現す。蜂鳥を見上げ神品が神言しんごんで行き先を告げる。それを聞き届けた蜂鳥が公転する欠片に停まり完全に連結した環が完成した次には、円環がノックスたちを囲めるほど広がり赤色光が増してボッと灯った。


 視界が赤一色に塗り潰される。足元の支えが消え、内臓がフッと竦む僅かな浮遊感を感じる。


 光の強さに目を瞑り開いた先には、先程まで居た緑明るい森林のバジバジェ湖のみどり色から、鬱蒼と繁る薄暗い濃緑色の雨林へと光景が変わっていた。


 サアサアと細い霧雨が降る雨林とは無毛光沢のある常緑高木が優占し、その植生は大型で独特な植物が多様に生育している。周囲の樹木は太い幹から直接花が咲いている幹生花が縁林していて、樹冠が光を求めて競うように遙か高く上へ上へと伸びている。

 多湿を肌で感じるよう樹木の中程から板根の支柱や、さまざまな蔓科の着生植物、寄生植物これらすべてが膨大な苔で一面覆われていた。


「うわ...」


 ケツァール地方に初めて踏み入った際にもあまりの多様な動植物の多さに目を瞠ったものだが、ここもまた違う意味で圧倒される緑だった。

 雨のジュビア地方と呼ばれるようにここは通年雨が降る地域として有名だ。霧雨から集中豪雨まで日によって降り方は異なるらしい。

 故郷のヒトの生活圏とは比べるべくもない雄大な大自然の力がエクスの視覚から暴力的に訴えてくる。確かにヒトは神によって生かされていると実感出来るほどの濃厚な気配だった。


「エクス行くぞ」

「おー」

「ふふ。エクス殿、上ばかり見ていると危ないですよ」


 コートル共和国で三番目に広いジュビア地方の転移円環は雨林の中の小規模な滝壺にあった。

 菱形のオブジェの背後は約四メメトルほどの崖が迫り出しており、そこから細い滝が飛沫を上げて水面を叩いている。壺底つぼぞこは滝の水圧で抉られそこそこ深い灰色で、滝から流れる支流が雨林の中へ下り続いていた。


 欠片の道を鎧蜥蜴よろいとかげと爪鳥が進み終え川岸へ降り立つ。

 役目を終えた欠片はバラバラと菱形のオブジェの周辺へ舞い戻っていった。円環の欠片が赤い燐光を放って滝壺の上を漂うさまを見ているとどこかの神域に迷い込んだかのように神秘的だ。

 そんな夢心地から現実に引き戻すのはノックスの声だった。


「二人とも笠は?」

「はい。準備済みでございます」

「ある」

「よろしい。通年雨が降るジュビア地方じゃ、笠が必需品だ。なんでだ、エクス?」

「都市カルカヤだけでの特殊な編み方と《ヌシ》の領域にある神聖が付与されたすげで作られてるから。これを被ってると濡れない」

「さすがに勉強してあるか」

「商隊でも重宝されてるもんだし。笠知らない奴ってどこの箱入りだっつーの」

「そうそう。行商隊の必需品でもあるし、道中雨具なんてダルいもん持つより笠ひとつ持てばいいから、旅道具のお供でもある」


 各自荷物から角笠つのがさと呼ばれる円錐形をした笠を取り出し頭に装着する。

 エクス少年の解答の通り、ジュビア地方の一大工芸品としてある笠が、この世界でのポピュラーな雨具となっている。合羽かっぱや傘もあるにはあるが、雨合羽とは言わず本来の意味での外套であり、傘は日傘のような扱いで雨傘ではなく上流階級のやんごとなきご身分の方が使う認識だ。


 では一般的に普及しているこの笠の何が一大工芸品たらしめているかと言うと、ジュビア地方の都市カルカヤでしか採れない菅を材料に、職人たちが過去《ヌシ》に直々に伝授されたなんて逸話がある特殊な編み方で作られた笠は、雨を弾く以上に衣服や身体が水に濡れない効果があるためだ。しかも濡れても被れば乾く仕様。このただ効果一点のみが本当に有能であり、特にジュビア地方では欠かせない。

 なぜならこの地方独特のルールがあるためだ。


「よし。じゃ、靴脱げよ。この地方、土足厳禁だから」

「承知しました」

「土禁ってのマジなんだ...」

「当たり前だろ。《雨の神ワオラージューレー》の守護方位で、第四世代の沐人もくじんが殆ど集まってる地方だからな。《ヌシ》の都市圏内に入るともっと面白いぞ」

「面白い?聞いたことはあるけど想像つかないんだよなぁ」

「ああ。まぁお楽しみだな。ほれ、これやるから笠の好きなところに付けておけ。清潔付与してある小装飾チャームだ。足白癬みずむしとか伝染るの嫌だし」

「足白癬じゃねーよ!失礼な奴だなほんと!!」

「迂生も足白癬ではございませんが、有難く頂戴いたします」


 冗談でも不名誉な疑いにきっぱり反論する男児二名。

 気遣いとしては有難いが素直に喜べない心境で、ふたりは呂色ろいろの雫型小装飾チャームを笠の縁に取り付けた。

 何かと汎用的な効果である清潔は探索者や商隊、軍関係者の遠征道具として、ノックスの主力商品のひとつでもある。

 使い切りのものも薬玉くすりだまとして一般層に安価で出回っているが、遠出する時はその分必要数用意すると嵩張ってしまう。その代わりノックスのものは装飾品でお値段は張るが、壊れない限り継続効果があるため高く需要があった。特にこれに追加で少しの免疫効果を細工で施すか、または装飾を少しだけ凝ってやったものは金持ち層にもよく売れた。


「つーか...アンタの笠、どうした?」

「カスタムした」

「いや見ればわかるけど。そうじゃなくて、それさぁ、...え?生えてんの?」

「生えてるな」

「加工品なのにか?」

「生えてるからな」

「...なんで??」

「ふふ」


 ガチャガチャとトララフエパンの上で鎧蜥蜴のグリーヴを外しブーツを脱いだノックスの被った笠を二度見したエクス少年が指摘する。

 それになんでもない調子で返す彼女はなんとも思っていないらしい。


 通常の笠は色がすげを燃やした灰を塗料のひとつとして染色しているため艶消しの煤色である。

 少年が純粋に不思議がっている件の笠は、煤色までは一緒でも円錐形の四方に番手が太く光沢の無い花糸でマクラメ編みが施され、四方の縁から六房ずつ合計二十四房のタッセルが飾られ揺れている。ここまではいい。ノックスは稀代の細工師であるし、このマクラメ編みにどんな効果があるのかは知らないが本人もカスタマイズしたと述べている。ベテランの探索者や行商隊の中にも好きな様に飾り付けている者もいる。

 だがそのマクラメ編みに、これまた二重になるよう円筒状の基部が膨らんだ紅赤色と割れた先端のみ黄色の花が凛々りんりん鈴生すずなりに咲き、絡みついているのであった。対生の葉裏には粗毛と茎にも軟毛が見られる蔓性植物だ。さながら都市カルカヤで開催される祭り用の花笠と言っても差し支えない出来だった。

 色艶から鑑みても切り花とか造花という訳もなく、立派に菅笠から活きて咲いている。植生の法則的にオカシイ。

 しかし色々と埒外の存在であるノックスの事なので原因には半ば確信を得つつ、なんて花?と尋ねれば、粗毛火焰草アラゲカエンソウと言うらしい。なんか物騒な字面である。字面に反して薬効的には清熱解毒に有効でとても有用だとか。余談だが尿系の解毒にも効きこれは夢精させて治すと言うから突然の下ネタにエクス少年は真面目に狼狽えた。思春期~。これにはお兄さんのアウィリトも思わずにっこり。


 揶揄われたことを誤魔化すよう、笠は加工品であるからして生花が咲くのはおかしいと思うのは自分だけなのかと、このやり取りを眺めて笑う神品の青年に答えを求めた迷える少年である。


「ノックス様の笠からは神聖効果を感じますので《ヌシ》様お手自てづからのものでございましょう?」

「判るか」

「はい。特にその蔓の編み込みには結構な御力を感じます」

「あー。ここに来る度にカルカヤの《ヌシ》に勝手にマクラメ編みくっ付けられるんだよ。どうも今のブームがタッセルらしいぞ。その前はフリンジだった。火焰草はたぶん、谷の奴ストーカー

「ほぼ神器かよ」

「最近のジュビア地方から流れてくる草編みにタッセルが縫い込まれているのはそういう事でございましたか」

「ここに来るとどう情報が回ってんのか、職人共がギルドで待ち構えてて《ヌシ》のブームチェックされるんだわ」

「大義でございますねぇ」


 霧雨降る雨林の支流に沿って歩く鎧蜥蜴と爪鳥は、申し訳程度に下草が刈られている、道かな?と首を傾げるのを辛うじて留まる道を危なげなく進む。

 ちなみに爪鳥にも動物用の笠を装着しているので荷物が濡れないようになっている。トララフエパンにも頭頂の角に結んだ小ぶりの笠が被せられていて、こちらの笠にも荒毛火焰草が鈴生りにあった。むしろ火焰草で笠が埋もれているので武骨な外観の頭から可憐な花が咲いているように見え大変に可愛らしい。エクス少年はちょっとツボで笑いそうであったが、少なくとも飼い主はご満悦であった。


 ノックスの笠の装飾事情も判明したところで(そもそも《ヌシ》が取り付けるって何?友達か?とエクス少年は問い質したい心境を持て余した。笠の能力効果も知りたいような知りたくないような...)、一行は本来の目的をおさらいした。


 わりとどうでもいい会話に観光にでも来た雰囲気だが、ノックスたちは緊急の依頼をこなすためにジュビア地方を訪問しているのだ。

 転移のポイントからは、都市カルカヤまで五日掛かる予定である。今日を含めるとあと四日移動期間となる。この間に作戦なり役割なりを立てなくてはならないだろう。


 霧雨の降る音、水が流れる音、苔に吸収される音、虫の音、獣の音、葉擦れの音、鳥の囀る音、騎獣の足音、息継ぎの音、衣擦れの音。


 雨林の中にいるだけで鼓膜に滑り込んでくる、言葉では表現しにくい、自然の呼吸とも言える多種多様なオノマトペが耳に優しい。


「まず、依頼の発端だが────」


 そう。ノックスの単調な口調の言葉ですら雨林の擬音に紛れて、思わず微睡んでしまいそうな...。

 聴く姿勢を取り繕いながら、エクス少年が茫洋と音を聴き分けることに意識を割いていた、その最中だった。
















ッドオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ━━━━━━━━━━━━ンンン!!!!!!

















 轟音。


 不覚にも気を抜いていたせいか、心臓が止まる勢いで驚愕と混乱に呑まれた。

 爪鳥たちなど全身の羽毛が倍膨らみ毛羽立っている。

 雨林全体も直前の穏やかさが嘘だったかのように、獣が駆け、鳥が飛び立ち、虫がまどい湧く。騒然だった。


「なっ、なん...?!」


 前方のノックスたちへ目を向ければ、緊張に尻尾を真っ直ぐ伸ばし苛苛と足踏みする鎧蜥蜴を宥めているところで、同乗しているアウィリトがノックスにしがみついている。

 エクス少年が安否の声をあげようと口を開いた瞬間、轟音に続き地揺れの振動が足元を襲った。


「全員、伏せっ!!」


 ノックスの命令に即座に反応した騎獣がその場で伏せ、乗っていたエクス少年も釣られて爪鳥の上で伏せる。


 ドッ!!ドッ!!ドッ!!ドッ!!ドッ!!


 まるで巨人の行軍だ。とても立ってはいられない縦揺れが断続的に大地をはしり、底を突くような地震が大気をも揺らす。

 エクス少年は本能的な恐怖に竦み上がり身動きが取れなかった。

 ノックスに縋り付くアウィリトですら顔色を蒼白にして硬直している。しかし、神品の青年は天変地異もかくやの現状に怯えていたのではなかった。

 地揺れが徐々におさまっていくのに比例し、霧雨から豪雨へとあっという間に変わった曇天を注視していた。その目には明らかな畏怖が浮かぶ。

 笠のお陰で濡れることこそしないが、全身を殴打する水圧は無くならない。目を開けることも困難なはずなのに、アウィリトは宙へ視線を固定したまま呟いた。


「《台風》ッ...!」


 豪雨の勢いで聞き取りにくい最中であってもその言葉は明確に耳に届いた。

 それを受けて同じ空を見上げれば、黒い雷雲が空に渦巻き、豪雨が強風に巻かれて弧を描く様だった。


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