第7話 ジュビア地方へ(2)


 そもそも探索者の等級は、知識と経験を元にした実績を確実に兼ね揃えていなければ上がらないものだ。

 他国では神殿離れがあって久しく条件が緩いようだが、コートル共和国に至っては第四世代以上の特殊種が要職に就いていることが多い為、妥協が一切許されない。

 何故なら彼らは創造主たる神にちかしく創られた自負がある。


 帝国を治めている多くの第一世代は、主神の一柱《夜の神》が創ったと謂れており、彼の神の気性に似て信仰度に比例し圧倒的に選民意識が強く、創造神生みの親に対して盲目的だ。自己愛と我欲の塊でもある第一世代とは、世界用語を訳すと巨人である。美しい物、新しい物、希少な物の様々な収集癖を持つものが多く、それらを作ることにも余念が無い。露悪的な傾向も含め、独裁大好き、石頭かと言うくらい頑固で考えが堅いのも有名。


 なら第二世代は何だと問われば、彼らは俗に言う獣人だ。本能や獣の生態によって氏族形態を有り様に環境に適した生存をしており、国を持たないのが殆どである。そんな彼らが主に崇めるのは主神の一柱《火の神》で、第二世代を創ったと謂れているのもこの神である。第二世代も総じて創造神生みの親に似たのか、強烈な自我と矜恃の芯の太さは折れぬ事を知らぬとばかりに強剛。肉食獣、猛禽類のタイプは特に融通が利かない。強い者が偉い絶対ルールが罷り通る、完全なる実力重視社会が出来上がっている。


 では神聖教国は誰が興したかと言うと、世界の監督を司る主神の一柱《天窮の神》を崇める第三世代である。彼らを創ったのもこの神になる。信仰心が突き抜けており、氷河の山のように高く分厚いが、世界の均衡を保つことこそ第一と捉えている為、平等で公平。第三世代は種族が一番豊富で一般的に凪人なぐじんと称されている。分かりやすく言い換えると、ゲーマーお馴染みのエルフやドワーフ等の妖精系統がそうだ。故に神殿関係者は第三世代の就任が多い。創造神生みの親同様、いずれも責任感の強い傾向にあり、勤勉で自己自戒と研鑽を怠らない。ちなみに好きなものに対してとことん一途。


 第四世代は、世代の中で一番数が少ないながら変わり種。主な信仰は主神の一柱《雨の神》に捧げられており、彼の神が創られたと謂れる彼らは沐人もくじんと呼ばれている。呼称から想像するのは難しいが要するに魚である。驚くなかれ、比喩とかでなく本当にただの魚なのである。この魚が普通に喋る。これが沐人だ。もはや呼び方に人がつく意味とは。ゲーマーならワンチャン人魚マーメイドが?!と期待するだろうが、残念ながらこの世界の海は冥海酸性で生き物は泳げない上、空想おとぎ話も無いので(あるのはガチの伝説)期待するだけ無駄だ。プレイヤーの間で夢も希望もないドリームクラッシャーと嘆き涙した者は数知れない。

 第四世代も漏れなく創造神生みの親に似て、大半が自然体のままマイペースで天然な傾向がある。(断じて食用の話ではない)彼らは何をするにも鷹揚、何事にも動じず前向きで受け流し能力スルースキルの習性がピカイチ。話を聞かないとも言う。


 満を持して第五世代を創ったと謂れる主神の一柱《導きの神》は、少し面白いことに実は上記四柱と共同で第五世代を創っている。

 本来であれば、第一世代は物言わぬ岩石で、第二世代は言葉を持たぬ獣、第三世代は実体がなく浮遊して、第四世代は無機物だった。それぞれが創った世代をしっかり吟味し好いところを選び抜いた《導きの神》は、全部を合わせて人型を整えたのである。だが全部を合わせると主張が激しすぎた為、特殊な能力を色々省いて汎用的に使えるよう均されざるを得なかった。これが第五世代が汎用種たる由縁。信仰する神や性格が多様で自由な理由だ。

 そして小器用で特殊能力がない代わり言葉を操り意思疎通する対応能力に優れた第五世代を認め、これは良いと創作物の利用許可を出した対価に他四柱も担当世代に人型と言葉を与えたと謂れている。

 そのため第一から第三世代までは本来の姿と人型の姿のふたつを保有している。…………第四世代の人型?…さて、それは神のみぞ知る。少なくとも無機物から蛋白質にはなっているので第五世代を参考してないと言えなくもない。ほら…、喋れるし。


 大幅に話が逸れたが、こんな成り立ちがあるからエキナセア支部の総合ギルドは推し並べて理想も実力も功績も高い。長の全員が第二、第三世代なので。

 時に探索隊の等級とは単身で、星無しが見習い、六等級が新人、五等級が若手、四等級が中堅、三等級が玄人、二等級が玄人の円熟期、一等級が破格の人外と指標されている。隊等級は条件が多少異なるが所属隊員の等級を鑑みて格付けされる。

 つまりコートル共和国の中でも特段昇級審査が厳しいエキナセア支部を拠点に活動していた探索隊の力量は折り紙つきも同然。


 ましてや今回ノックスが受けた依頼に同行予定だった四等級探索隊<阿吽の呼吸>とは、隊等級が五の時からの顧客であった。

 雑談をしたこともある顔見知りの隊長は第五世代でありながら長年活動していた実績から、意欲的に受け続けた昇級試験に数年掛けて合格を果たし、隊等級が念願の四等級に上がったばかりだった。そのお祝いに新しい護符を買い揃えに物販にも来てくれており(エクス少年が総合ギルドに吊るされた日)相対もしていた。隊員数は隊長を含めた十二人と、それぞれ単身で五と四等級入り交じった堅実な探索隊だ。

 探索者は軍のような傭兵では無いので、原則護衛任務は請け負っていない。

 ならばなぜ今回ノックスたちに同行予定だったかと言うと決して護衛枠などではなく(実際エクス少年とアウィリト青年の二人だけならトララフエパンだけで護衛に事足りる)、等級維持の実績に必要な環境整備任務を受けていたからである。

 環境整備任務はどの探索者も年に一度受けなければならない必須依頼で、狩猟ギルドの猟師と合同で行うものだ。環境調整のプロである猟師は必ず一人二組で行動するのが義務付けられているから、今回も探索隊と猟師二人は共に居たはず。任務内容は〝ピャセク地方の都市ゴゾバまでの転移円環への道整備〟。


 転移円環ワープサークルの設置条件を思い出してほしい。《ヌシ》のお気に召さないことから領域内及び近隣には置けず、辺鄙な処に設置するしかないことを。

 そんな場所に転移円環など設置できないのでは?との疑問には簡単に答えられる。転移円環は《神器》を模造した物であることも手伝って、ポイント周辺半径約五百メメトルほどは聖域のような簡易結界が自動付与されるのだ。設置してしまえばポイントは完全なる安全地帯セーフエリアとなる。

《ヌシ》の領域から外れた辺鄙な処とはすなわち、神威が活き渡っていない薄い場所である。そこは《泥》の溜まり場と言っても過言ではなく、ここを突破していかなければならないのだから経験豊富な四等級以上の探索者に任務が推奨されていた。

 反面、各地方都市路へ続く道整備は《ヌシ》の領域近辺に道を敷く関係上弱体化した《泥》が湧くだけで比較的安全であり、転移もないし嫌でも野外調査経験を積むのに打ってつけと五等級以下の探索者に推奨されている。


 そして昇級したてでの初任務と<阿吽の呼吸>探索隊は張り切っていた。もちろん上級の依頼に臨むにあたり準備も万全にしていただろう。

 転移円環を使用する申請の関係でこれを知ったクオ司祭が、ノックスの依頼も転移円環まで行くし人数が多い方がエスク少年の勉強に良いのではと考え、同行を打診したところ快諾してくれた。……のだが、説明の足りないクオ司祭の計らいで顔を合わせた際にアウィリトより詳しく話を聞くと、ただの新人の引率かと思いきやノックスも同行することが発覚。トララフエパンがいると途端に任務の難易度が下がって、同行から寄生になり兼ねず経験にならないだろうからと、ものすごく申し訳なさそうに隊長にお断りされたらしい。あの人クッソ真面目だからな。

 打ち合わせの事後報告で複雑な気分を味わったノックスである。隊長は鎧蜥蜴よろいとかげを引き合いに出しているが、本音はおそらく《ヌシストーカー》付きの〝金科玉条〟に恐れを成したと察した。そこは言ってくれれば一切手を出さないしさせないのに!嫌われているわけじゃないと強がりたい…。

 現に隊員たちはノックスも同行と聞き喜色満面で歓迎ムードだったが、隊長の方針に別行動かと肩を落として残念がっていたとのこと。トララフエパンは探索者にも人気がある。


 以上の経緯からノックスたちより一日早く出発した探索隊一行。

 都市路の整備任務の経験だってあったろうに、たった一日の差の間に何があったのか。

 顔合わせでこそ直接会っていないがノックスだとて都市エキナセアで商売をしている関係で関わった過去がある。変わり果てた姿の隊員三名の犠牲は悔やまれた。己の隊から犠牲者を出してしまった隊長の後悔も一入だろう。

《泥》を処理出来ず、その周囲に探索隊の隊員も見当たらないことから、一行は転移円環のポイントへ簡易結界を目当てに避難しているはずである。神々の気配がするところに《泥》は近付けない。


 テミロテ大森林は落葉広葉樹と針葉樹どちらの植生もある樹海だ。かなりの種類の薬草と毒草が群生している。

 年間亜寒帯気候のケツァール地方へ進むほど針葉樹林となり、地方の外周へ行くほど広葉樹林が拡がっている。とくに常緑樹の種類が豊富なので他地方へ向かう際は木の間隔も広く比較的明るいのだが、転移円環があるケツァール地方の北西は、都市エキナセアがある山より標高が高く険しい山と山岳地帯でもあり、ほとんどの針葉樹林が密集していて薄暗い。真っ直ぐ伸びた遥か頭上の木の上では針のように葉を尖らせた木が林立していた。

 足元の下草や藪、柔らかい土に注意しつつ《泥》の痕跡を追って奥へ分け入っていく。

《泥》の浄化とは、適性色で浄化の指向を描いた陣を操作し、塗り潰すように重ねる方法が常識として確立されている。

 だが不思議なことに、緑の葉枝もしくは地面に染み付いた黒いシミの中をノックスが堂々と進むだけで瞬時に穢れが微細の黒煙となり祓われていく。

 誰かにこの異様な姿を目撃されたなら、有害そうな黒い煙を纏う新手の《泥》として討伐隊が組まれかねないほど禍々しい。


 実は異世界転移を自覚した直後、資格失効していたていで探索者に再登録するための試験でこれを披露したところ、本気で排除されかけたことがある。何を隠そうそこはエキナセア支部だったので、探索者ギルドの長ターラーに危うく殺されるところだった。いきなり第二世代の、しかも英雄の一等級探索者に攻撃されてよく生き残れたものだと今でも思う。ノックスにややトラウマを植え付けた彼だが、この時すでにエトリ山の《ヌシ》に強粘着されていた次第であるので、秒で反撃を食らい瀕死に追い込まれたトラウマを抱えさせられた彼とはお互い様である。

 まあノックスの浄化の仕方はあっちの世界ゲームでの名残だ。友人たちもこっちの世界からすれば一風変わった浄化の仕方を各方面で披露してくれているので悪目立ちしていないと思っている。ノックスと友人ふたりが同郷だと各方面には周知されているので。


 それより道整備の任務上、道からはあまり離れていまいと跡を追ってきたが、結構な奥にまで続いている。随分《泥》が徘徊していたようだ。

 探索隊とは一日しか日程の差は無いはずだからこれは犠牲者三名の《泥》とは別の原因の可能性が高い。

 進行方向の藪木に何かが突っ込んだらしく、折れて木肌一枚で繋がっていた枝を完全に手折る。すると手折った生木の先からにゅるっと当然のように新芽が出た。(エクス少年が居たら盛大なリアクションを取ってくれただろう)これに頓着せず先に進む。移動すると葉擦れの音が鳴る。

 そう言えば獣の気配がしない……。


 ────ジュるジュる。


 何か不定形な液体が蠢く音を聞き咎め、慎重さを損なわず足速に向かう。

 もはやノックスの進む道無き道は一面の黒い汚れに犯されて真っ黒だ。かろうじて物の輪郭が分かる影絵の世界に迷い込んだ錯覚に陥る。相当な《泥》の規模だった。

 地面の振動を感知されるのは厄介なので気を付けるが、移動の音や視覚的な浄化の黒煙で《泥》にバレることはない。奴らには目や耳の器官が無いためだ。

 この様子では周囲に何も残っていないだろうしと、遠慮なく浄化の力を強める。臭いし暗いし安全確保を優先する。


「……居た、」


 黒い沼の様相をした中心で不定形の黒い汚れが泥々と穢れを撒いている。《泥》が捕えた森林の獣は大小問わず相当数が命潰えて横臥している。

 それらがとっくに事切れているのも分かっていない《泥》は執拗に素材の息の根を止めようと作業していた。沼に揺蕩う死した複数の獣たちは目玉や耳や鼻や口、顔のすべての穴が流動する黒で覆われている。

 一体のヒトに擬態し被る皮膚より周囲一帯の植物も黒く塗り潰して、余り、枝垂しだれる多量の《泥》。黒い不定形が濁濁と溢れていた。明らかに太り過ぎである。

 それでも飽き足らず《泥》で臓器を暴いている獣の皮の内側がぼこぼこと波打つ。骨の残る四足がそれに合わせて跳ねるのがまた生々しい。

 よくよく汚い沼を観察すると立体感を増して粘る不定形の中には啜りきれていない雑多な内臓が散らばっていた。腐敗臭を上回って噎せ返るほどなまぐさい。……獣の気配がないわけだ。

 改めて見る一体の《泥》は小柄だった。平均的な成人女性のノックスよりもずっと小さく、それこそ頭の位置が彼女の腰までしかなかった。


「……」


 落ち窪んだ黒い眼窩に黒い口腔。《泥》のシミで汚れてしまっているが頭頂から下がる柔らかそうな髪は長く、短い手足の皮膚は若い肌の色。細い指先に不定形を込めるのは困難なのか柔軟な手首の内側と小さな足首の踝裏くるぶしうらを突き破り、大きさの合っていない手型足型がご丁寧にある。それも指を模しているつもりで本数が合っておらず、萎びた皮がヒラヒラと流動に従って揺れる様が痛々しい。被った皮膚が纏う衣類は元は鮮やかな色だったと思われるワンピース。黒いシミが飛沫模様を上書きしているものの可愛らしいマクラメ編みの花が縫い付けられていた。


 女の子だった。


 ノックスから見て左側の首の皮と髪が不自然に切られている。おそらく隊員の誰かが奮闘した痕なのだろうが、血も出ない創傷はぱっくりと広がったまま。憐憫を誘う。


 はあと面布マスクの中で息を吐くノックスは眉間を揉んだ。

 確かに子供が《泥》の犠牲になることは滅多にない。

 住民は子供のうちから大人になるまでに散々《泥》の怖さと注意を吹き込まれて育つ。それこそ地球で言う「悪い子は鬼に食べられてしまうよ」が、この世界では「悪い子は《泥》に皮を剥がされてしまうよ」なのだ。普通に怖い。

《ヌシ》の領域である都市や余地範囲の村落に《泥》は来ないが、ヒトは様々な理由で安全地帯を離れることもある。食料調達だったり、素材採取だったり、それこそ子供なら遊びに行ったり。

 常に己の形を存在足らしめる素材を求めている《泥》は中身が無いのだから知恵など無い。知恵も無ければ存在意義すら与えられなかったのだから本能も無い。所詮は塵芥ゴミ残滓カス。形すら無い汚れ。壊れたままの不定形で現世うつしよに這いずりへばりついている。

 けれど稀に。ほんとうに稀に、一瞬でもふと何か形づくられた過去が浮上するのか、皮膚入れ物も無しに形状を保つことをする。そして素材を招くのだ。光の下で完璧を謳歌する人型を、不完全な闇のもとへといざなうように。

 大人であれば例え遠くから誰かが手招いていても目鼻立ちの器官が無い《泥》の区別もつくだろう。しかし経験の浅い子供はそうもいかない。いくら注意していようと、興味を持った子供が目を離した隙に自ら行ってしまえば諌めることも出来ない。または《嵐》や《台風》で保護者を亡くし、神殿の保護から漏れてしまった子供も該当する。

 だから絶対に起きない不幸ではないはずで、中堅の探索隊所属の隊員が遅れを取った事が不可解だった。


 沼ほど増えた体積を、剥いだ獣の皮に押し込むことに腐心していた《泥》に、存在を知らしめる意味を込めてわざと地面を踏み抜いた。考えていても仕方がない。これ以上この《泥》を放っておけば地滑りとなって村落を襲う。それは流石に看過できない。


 振動を感知し途端に拡がるだけだった流動する黒い不定形がぶるぶると大波を打って新たな素材ノックスを歓迎する。


たくさんの臓器を取り込んだ黒い《泥》が質量を伴って四方八方飛びかかってきた。絶対に当たりたくないんだが!

 彼女の眼前で何かに邪魔された不定形は容赦なくぞりぞり削られて粒子になる暇も無しに黒煙を発して掻き消えていく。また、動かないノックスを起点に浄化の範囲は一気に拡大する。拮抗するのも烏滸がましいとばかり、圧倒的な力量差で競り勝っていった。

 力の奔流に負けて減っていく《からだ》にまるで動揺したよう被った子供の皮が中身の不定形と連動して引き攣った。歪んだ目孔から流れ出した《泥》が泪のように顔の皮膚を滑り落ちる。悲しいはずのそれも同情を誘うヒトの真似事かと思うと滑稽だった。

 浄化の勢いをなんとか止めようと悪足掻きの波状攻撃を繰り返していた《泥》がやけに子供の首元を泡立たせた矢先だった。


『  こ   ヮ、 イ  よ  』

「!」


 ぶしっぷしっ。と裂けた首の皮の下から気泡弾ける効果音に交じって意味のある言葉が飛び出した。否、聴こえた。

 驚愕に目を見開いたが時すでに遅し。ノックスの強力な浄化は悲痛を介さず、子供の皮膚ごと無慈悲に消滅させてしまった。残る周囲の塗り潰された黒いシミも急速に黒煙に変換されて跡形も無くなる。


 ……まさか発声器官を残した《泥》がいるとは。裂けた首下から黒い気泡が弾けていたのは発声器官に空気を送っていたのだろう。成り代わった《泥》が言葉の意味を理解していたとは思えないが、推測できることがひとつできた。

 犠牲者の三名もこの台詞を聴いたとしたら、真っ先に言葉の背景を読み取れたがゆえに、攻撃の手が止まってしまったのかもしれない。そりゃあ良心のあるヒトなら悲嘆に胸を突かれるし、最悪な気分にもなる。


 この世界でそれこそはじめて《泥》の性質を学ぶ時、誰もが残酷な所業に精神を害される。

 ヤツらが皮を剥ぐ時にヒトはまだ生きているからだ。

 死因の仕方としては窒息死が一番近い。《泥》に取り込まれるなり、触手に捕獲されるなりすると、そこから霜が張るようにシミが皮膚の下を浸食してくる。浸透してくる穢れは皮膚以外の肉を喰い、内臓を啜り、骨を溶解とかす。

 嫌なのは、死に至るまで痛みは無いが己が失くなっていく感覚をまざまざと自覚すること。発狂じみた焦燥感に襲われ、《泥》を掻いても抜け出せず、自己意識を失う〝死〟の境界線が黒いシミとして視覚できるため心慌意乱しんこういらんする。

 この世界で生きていく上でいつかは必ず遭遇する場面であり、乗り越えなくてはならない事情ではあるが、けして慣れるものではないし、無理に耐性付けようとしても心が病む。

 探索者と言う職業柄、死因をよくよく把握しているとして。

 ひとり誘い込まれ、気付いた時には遅く、帰ることも、逃げ出すことも、助けを呼ぶことも出来ず、未来を疑ったことのない子供が、唐突に見せ付けられた〝死〟に恐怖したまま絶命したのだとしたら。

《泥》が真似した言葉はきっと、女の子が最期に遺した言葉に違いない。


 そう予想出来てしまった。

 浄化した後は周囲一帯に黒いシミも生モノも残らない。静寂が木々の隙間を満たす。

 子供の無念を偲ぶと鎮魂は早めに必要だろう。

 トララフエパンと待っている神品を呼び寄せるためにノックスは指笛を吹いた。

 結構離れてしまっているが相棒なら木を薙ぎ倒し、アウィリト青年をしっかり先導して来てくれる。


 しゅるんとの草摺りの音の方へ顔を向けると、花葛が一本の針葉樹に巻きついて垂れていた。蔓先に何かが引っ掛かっている。

 取りに近寄ると村落に住むヒトの親が子に作ってやるような木彫りの髪飾りだった。先程の子供の物だろうか。一応収納ポーチに入れて置いた。

 遠方から木を薙ぎ倒す破壊音が徐々に近づいてくるのを待ちながら、はてエクス少年は無事に転移円環に辿り着けたのかと意識を切り替えた。




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