闇姫の地雷


 高校デビューしたことを漆さんに知られて失望されるかと思いきや、何故だか彼女から抱き着かれた。


 状況を理解した途端、全身にブワッと沸騰した熱が駆け巡っていく。


 うわああああぁぁぁぁ!?

 なにこれなんだこれどうなってんの!!?

 み、みぞおちになんかすっごい柔らかいのがぁぁぁぁ!!

 髪からイチゴみたいに甘酸っぱい匂いがして頭がクラクラしそう!!!!


 完全に混乱が極まった脳がショート寸前にまで陥る。

 それだけ闇姫から齎された抱擁は凄まじい破壊力を放っていた。


 身体中が硬直して一歩も動けないでいる内に、満足したのか漆さんがゆっくりと体を離す。


 ……。


 っは!?

 ち、違う別に惜しくなんかない!

 さっきまで包んでいた温もりが消えて寂しいとか無いから!!


 誰に言うでもなく必死に否定していると、漆さんの両手によって顔を持ち上げられる。


「な、ななひゃん?」


 どうしたのかと呼び掛ける。

 目を合わせた彼女はビックリするくらい嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「──凄いね、翔真」

「え」


 唐突な称賛にワケが分からず呆けてしまう。

 茫然とする俺を余所に漆さんは至福を噛み締めるように続ける。


「あの写真から今の姿になるまでとっても努力したんでしょ?」

「う、うん……」

「容姿だけじゃない。人付き合いとか色んなことも勉強したんだよね?」

「……したよ。受験勉強以上に頑張ったかもしれない」

「だったら翔真の高校デビューは大成功だよ。アタシには絶対真似できない」


 漆さんはそこで一度言葉を句切り、俺の頬を撫でながら言う。


「──頑張ったね。ちゃんと変われて偉いよ」

「ぁ……」


 その言葉を貰った瞬間、ずっと心に巻き付いていた鎖が音を立てて崩れたような気がした。

 胸の奥が熱くなって、気付けば涙が溢れ出て来る。

 決壊したダムみたいに何度袖で拭ってもまるで止まってくれなくて、人前で泣き始めた俺の頭を漆さんの手が優しく撫で続けてくれた。


 あぁそっか。

 俺、ちゃんと変われたんだ。

 そのことを他でもない漆さんに認めて貰えたことが堪らなく嬉しかった。


 ここまでして貰えたのだから、彼女を信じないつもりはない。

 結果的に何も隠し事がなくなり、胸の支えが取れて気兼ねなく接することが出来るだろう。


「……ありがとう、漆さん」

「どういたしまして」


 涙が止めてから漆さんへお礼を告げると、彼女はニコリと目を細めて笑った。

 互いに笑い合う俺達の間に和やかな空気が漂う。 



「──っっざっけんなぁ! なに全部終わったみたいな空気だしてんだよ!!」


 しかし雷を落とすように若瀬良の怒号が響く。

 そういえばまだあっちは解決してなかったと今になって思い出す。


 アイツのことをすっかり忘れるだなんて、もしかしたら漆さんの影響があるのかもしれない。

 だとしたら少しは自信が着いていると思いたい。


 そんな風に考えている間に、若瀬良が俺にビッと指差す。


「あんた、コイツに騙されてたのになんとも思わないわけ!?」

「? 高校デビューの何が悪いの?」

「はぁ? そんなのダサいからに決まってるじゃない!」

「なんで? 多くの人が周りから綺麗だったりカッコ良く見られたくて、メイクとかコーデを調べるでしょ? 翔真もそれと同じことしただけなのにダサいなんておかしい」

「い、陰キャが調子に乗るからよ!」


 うわ、漆さんの言葉に反論出来ないからって論点ずらしやがった。


 呆れてしまう一方、漆さんは顔色を微塵も変えないまま若瀬良をジッと見やる。


「陰キャとか陽キャとかたまに聞くけど、そんな風にレッテル貼りしないと自分を保てない方がダサくない?」

「は?」


 漆さんの素朴な疑問をぶつけられた若瀬良が呆気に取られる。

 まさかそんな返しをされると思わず驚きのあまり固まったようだ。


 いやまぁ、漆さんの言葉があまりにも火の玉ストレート過ぎるのもあるんだけど。

 なんて思っていると、漆さんが俺の背中を押して若瀬良の前に近付けていく。

 ちょ、力強……! 


「そもそも翔真のどこを見て陰キャに見えるの? 見た目ならとっくにクリアしてるし、人の過去を一方的に暴露して足を引っ張るなんて、ダサいを通り越して惨めでしかない」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」


 ズバズバと言われ続けて我慢の限界が来たのか、若瀬良が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 激情に駆られて言い返すのを放り投げた辺り、惨めと言われたことが相当頭に来たみたいだ。


「人がせっかく優しくしてれば付け上がりやがって! そいつがしたこと忘れちゃった!? 自分の過去を隠すためにあんたを襲ったじゃない!」


 あ、まだそれがあったか。

 いやでも確か……。


「翔真はアタシに何もしてない。画像だって最初の一枚目以外はネットで適当に拾ったヤツだから」

「嘘言うな! 庇おうとしても無駄! こっちには証拠があるんだよ!」

「それはそっちが翔真を脅して送らせたヤツでしょ」

「脅した? そんなのどうやって証明するのよ?」

「いやLINEに──って履歴消えてるし。いつの間に……」


 マズった、これじゃトーク履歴を開いて脅した証拠を出せない。

 一方で向こうには一枚だけとはいえ漆さんの画像がある。

 これじゃ別の理由で俺がピンチだ。


 そう思っていると、漆さんが肩に掛けていたあの大きなカバンからあるモノを取り出し、教室内にばら撒く。

 何人かのクラスメイトが手に取ったそれは、A4サイズの紙へプリントアウトされた俺と若瀬良の間で交わされたLINEのトーク画面だった。


 そこには若瀬良が俺に送った指示が載っており、次も指示を送ると匂わせる文面までしっかり印刷されていたのである。


「な、なんでこれが!?」

「漆さん、いつの間に……」

「画像送った時。多分消すかなって思ったから、スクショ撮ってアタシのスマホに送っといた」

「手際が常習のそれ」


 あの短時間でそんな予測立てて実行してたんだ……。

 今回は助かったけど、いつか気付かない内にGPSとか仕込まれそう。

 流石にそんなことしないと思うけど……いくらなんでも……しないよね?

 信じると決めたはずだが、今までの押しの強い言動からその点に関しては信じ切れない。


 そこだけは心の中で謝罪しておいた。


 ともかく消したはずのトーク履歴を晒されたことで、若瀬良は目に見えて動揺を露わにする。 

 クラスメイト達も彼女に対して、たかだか痴情のもつれでそこまでするかと非難の眼差しを向けていた。

 もはや形勢は完全に決まったと言えるだろう。


「ね、ねつ造に決まってる! こんなのいくらでも作れるでしょ!?」


 しかしそれでも若瀬良は言い逃れようとする。

 この期に及んでまだ自らの非を認める気は無いらしい。

 あそこまで意固地な様子を見ていると、謝ったら死ぬのではと勘繰りそうになる。


 どのみち、若瀬良の地位は失墜したことに変わりない。

 俺としてはもう相手にするつもりはなかった。


 そう、


 先に言っとくけど、本当にここまでで構わなかったんだ。

 まさかあんな結末になるなんて誰が予想出来たんだろうか。


 何があったのか。

 それは漆さんがポケットから取り出したとあるモノによって齎された。

 彼女が手に持ったモノは黒色の細長いリモコンの形をしていて、迷う素振りを見せずにピッとボタンが押され……。


『あんた……来栖くるす先輩に告られて振ったってどういうつもりよ!?』

「……は?」


 その機械──ボイスレコーダーから若瀬良の声が響き渡った。

 流れをぶった切る唐突な音声に、目の前の若瀬良は唖然としてしまう。 


『──……誰のこと?』


 続いて聞こえたのは漆さんの声。


 ……どうしてだろう、この会話の始まり方に物凄い聞き覚えがあるんだけど。


 強烈なデジャヴを感じる俺を余所に、漆さんの持つ機械から次々に声が飛び出てくる。


『ふざっけんな! 先輩を振って落ち込ませといて忘れるとか何様だよ!?』

『じゃあ好きでもない人の告白を受ければ良かった?』

『はぁっ!? あんたが先輩と付き合って良いわけないっつの!!』

『つーか玲奈れなが先輩を好きなの知ってて誑かしたんでしょ? マジあり得ないし』

『土下座しろよ土下座!』

『話はそれだけ? だったらもう帰って良い?』

『は? 良いワケあるか! 私らを怒らせたこと後悔させてやるからな!』

『離して』

『誰が言うこと聞くか!』

『怒った玲奈は怖いよ~?』


 知ってる流れで進む話に俺は確信した。

 これは昨日の放課後に若瀬良が漆さんを呼び出した時の会話だと。


 しかも音声はこれだけじゃなかった。


『えっと……鴉庭さんを襲わないと、俺の過去をバラすって脅されたんだ』

『その……お、襲った後で写真を撮れって。そうしたら過去のことは言わないし、グループに戻って来ても良いって……』


 体育倉庫に閉じ込められた時の俺との会話もあったのだ。

 先のLINEによるやり取りと照らし合わせば、若瀬良が俺を脅したことが紛れもない事実だと伝わる。


「ああああああああっっ!!」


 そのことは若瀬良も察したのだろう。

 形振り構っていられなくなった彼女は、ボイスレコーダーを奪おうと漆さんに飛びかかる。

 しかしそれすら予測していたのか、漆さんはポケットから別のボイレコを取り出して再生ボタンを押す。

 もちろん流れるのはさっきと同じ音声。


 バックアップはいくらでもある。

 だから一個奪ったところで何の意味も無い。


 言外にそう告げられた若瀬良は足を止め、その場にガクンと膝を着く他なかった。


「な、なんでそんなモノがあるの……?」


 項垂れて意気消沈する彼女が漆さんにそう問い掛ける。

 あまりにも準備が良すぎることに疑問を懐いたのだろう。

 ぶっちゃけクラスの誰もが同じことが気になっている。


 そんな質問を投げ掛けられた漆さんは……。 



「──明らかに怪しい呼び出しに丸腰で行くわけ無いでしょ」



 いつも通りの気怠げな眼差しで、至極ご尤もな返答をした。 


 ド正論以外なにものでもない答えに尋ねた若瀬良は当然、聞きに徹していたクラスメイト達も沈黙してしまう。


 漆さんは呼び出しに応じた段階で、ボイスレコーダーでの録音を開始していたのだ。

 道理で体育倉庫に閉じ込められても平然としていたワケである。

 あの時点で漆さんは、若瀬良に対する切り札を手に入れていたのだから。


 あまりにも強かすぎるよ漆さん。

 俺、あの時の痴漢もなんだかんだで対処してたようにすら思えて来たわ。


 そんなたらればを脳裏に浮かべていた時だった。


 ──ピーンポーンパーンポーン。


 今度は校内放送が掛かったのだ。

 もう既にお腹いっぱいなんだけどなぁ、と思いながら耳を傾けると……。


『生徒の呼び出しです。一年二組の若瀬良、取市とりいち巻両まきふた。至急、生徒指導室まで来るように。繰り返します。一年二組の──』


 ……え?


 なんでこのタイミングで先生から呼び出し?

 しかも生徒指導室って、明らかに諸々の件と関係してるよね?

 どうしてこんな都合良く……と思った瞬間、脳裏に十数分前に交わした漆さんとの会話が過った。


『ゴメン翔真。ちょっと先に教室に行ってて』


 あ。


 点と点が線で繋がったと同時に、ゆっくりと漆さんの方へ顔を向ける。

 そうして目が合った彼女は、恥ずかしいとか言ってたくせにわざわざマスクを下ろし、してやったという風に小さくベロを突き出していた。


 可愛い……。


 なんて思っていたら、煌ノ神こうのがみ学園の生徒指導教員である熱井あつい先生がやって来た。

 今日も筋肉のバルクによってジャージが悲鳴を上げている。


「お前達ぃぃぃぃぃぃぃぃ! あんな悪事に手を染めるなんて先生は悲しいぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!! オレが徹底的に指導してやるからなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「うわ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

「う、ウチらは玲奈に指示されただけだし!」

「やだー! ママに怒られた方がマシー!」


 涙目の女子高生三人を連行する筋肉ダルマという、事案臭しかしない絵面と共に一連の騒動は幕を閉じた。


 この時、クラスの中である暗黙の了解が出来上がったという。

 それは……。



 ──闇姫の地雷を踏んではいけない。



 たったそれだけのシンプルなルールが。



 =========


 次回、18時更新!


 わからせ完了!!

 ここまで長かった(ToT)

 


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