闇姫と妹と三人で夕食を


 鴉庭さんの話し込んでいると、コンコンと部屋のドアがノックされた。

 

「兄さん。鴉庭さんってまだ帰らないの? そろそろ夕食の時間なんだけど……」


 そう尋ねて来たのは澄空そらだ。

 時計を見れば午後六時前……もう夕食の時間だった。

 そろそろ鴉庭さんを家に帰すべきだろうか。

 お姉さんには連絡してあるって言ってたけど、あまり遅くならないに越したことはないよな。


 そう思って彼女に尋ねたところ……。


「八時まで余裕ある」

「いや何時まで居るって聞いたつもりなかったんだけど。まさかその時間までこっちにいる気?」

「ダメ?」

「ダメっていうか予想外だったというか……」


 ズレた解答に戸惑いを隠せずに呆れ半分に返す。

 縋るような眼差しで見つめられ、きっぱり断れない己の優柔不断さが恨めしい。

 

 いや友達と過ごすのは歓迎なんだけど、夕食はどうしようかという点が見過ごせないのだ。

 今日は母さんが婦人会に参加していて帰りが遅い上、俺と澄空は自炊が出来ないのでレンチンで済ませる予定だったのだが、鴉庭さんという来客がいるのにそんな手抜きは躊躇われる。

 かといって俺と澄空は料理が出来ないし……ここは素直にウーバーに頼るか。


 そう結論付けて、鴉庭さんに呼び掛ける。


「鴉庭さん。夕食はウーバーでも頼もうかと思うんだけど、良い?」

「良いけど……なんならアタシが作ろうか?」

「えっ!?」

「鴉庭さん、料理できるの!?」


 サクッと告げられた言葉に、俺と澄空は声を揃えて鴉庭さんを見やる。

 澄空は鴉庭さんが料理できることに、俺の方は明日の弁当より先に手料理が食べられることに驚く。


「翔真には美味しいって褒められてる」

「え、マジ? 兄さん。いつの間に食べさせてもらったの?」


 鴉庭さんの言葉が真実なのかと、澄空が瞳孔を開いたまま尋ねる。

 若干の恐怖を感じつつ、少し照れくさく思って頭を掻きながら肯定した。


「あ~、昼休みの時に弁当のおかずを分けて貰った」

「ええーっずるい! 私も食べたい!」

「ん。決まり」


 澄空そらの我が儘を鴉庭さんが受け入れ、本日の巽家の夕食は彼女が作ってくれることとなった。

 そうとなれば早速というワケで、我が家の厨房に立った鴉庭さんは始めに食器や調味類の位置を確かめ、次に冷蔵庫の中を眺めながら逡巡する。

 

「ん~……よし。あれでいこう」


 すぐに作る料理が決まったようで彼女はテキパキと食材を取り出し、野菜と豚肉を包丁で切り分けていく。

 その手際の良さに、離れて眺めていた俺と澄空はポカンと呆けるしかなかった。


 地雷系女子がキッチンに立つ光景でさえ異様だというのに、淀みない動作で調理を進められるとさらに違和感が沸き立つばかりだ。

 そうしている間にも鴉庭さんはフライパンを火に掛けてごま油を入れ、程よく熱したところで先程切った野菜と豚肉を投入していった。

 漂う香ばしい匂いとジューッと奏でられる音に食欲をそそられる。

 菜箸さいばしで具材全体に火が通るように調整をしていき、三十分も掛からない短時間であっという間に一品を仕上げた。


 ちなみに俺達兄妹は何もしてないワケじゃない。

 鴉庭さんが野菜を切っている間に米を洗って炊飯器に入れたり、食器を用意したりと出来る限りのサポートをしていた。

 それでも一番負担が掛かる調理を務めてくれた彼女には諸手を挙げて称賛する他ない。


 そんなこんなで完成したのが、肉野菜の味噌炒めだった。

 キツネ色になるまで焼かれた豚肉と、キャベツ、もやし、ピーマンといった野菜がごま油で艶を出しており、混ぜ込まれた味噌の香りが非常に美味しそうだ。 


「すげぇ良い匂い……!」

「美味しそう……」

「ん。召し上がれ」


 三人で食卓に着き、早速食べることに。

 箸で肉で野菜を包み、ゆっくりと頬張る。


「っ! んん~!」

「美味い!」


 澄空は目を見開いた後、悶えながら鴉庭さんの料理を噛み締める。

 俺はというと繕いもせずストレートに感想を告げた。

 

 冷めていたとはいえ、弁当以上に美味いのだから当然だろう。

 肉は硬すぎず柔らか過ぎない程よい噛み応えがあり、味噌とごま油で味付けされた野菜と合わさって非常に食べやすかった。

 白米と混ぜたらいっそう美味いだろうという確信が脳裏を過るくらいだ。


「良かった」


 俺達の反応を肯定的に受け取った鴉庭さんが、そんな安堵の言葉を零す。

 マスク越しではあるが、なんとなく口元が緩んでいるように見えた。

 

 素直な感想を言っただけだが、気をよくしてくれたなら俺も良かったと思う。

 

 一方で鴉庭さんはというと、マスクの下側を広げて食べ進めていた。

 澄空の手前というのもあるだろうが、やっぱり他人に素顔を見られたくないらしい。

 

 その様子を見ていた澄空は思うところがある面持ちを浮かべたものの、事情があるのだろうと察したのか特に何も言わなかった。

 こういう空気を読めるところは見習いたい。


 そんなこんなで夕食と片付けを済ませてから、俺は鴉庭さんを駅前まで送ることになった。

 なんで家まで送らないのかって?

 流石に住所まで知っちゃうのは違うかなと思いました、はい。

 違うよ日和ってないよ、男女間における友好的なマナーなんだよ。


 誰に言うでもなくそんな言い訳を浮かべながら鴉庭さんと並んで歩いていた時だった。


「手料理。翔真に食べて貰えて良かった」


 どこか感慨深そうに零した彼女の呟きに、俺は夜空を見上げながら口を開く。


「お礼を言うのは俺の方だよ。鴉庭さんに作って貰えて良かった」

「ん。どーいたしまして」


 淡々としているが、声の弾み具合から喜んでいるのが伝わる。

 表情こそあまり変わらないけど、しっかりと耳を傾ければ意外と喜怒哀楽が分かるようになってきた。

 なんだかんだ順応しつつある自らに苦笑を隠せない。


「今度、アタシの家にも招待してあげる」

「鴉庭さんの家に? そこまで気を遣わなくても良いのに……」

「気遣ってない。翔真に来て欲しいから。絶対」

「う、うん。予定が合ったらね」

「ん。約束」


 食い気味に発せられた妙に力強い圧に屈して、いつか鴉庭さんの自宅に招かれることになりました。

 前言撤回、やっぱ何考えてんのか分からねぇわ。

 

 お返しみたいなノリで異性を家に誘って良いモノなの?

 何かあったらとか考えないのかな……いや、考えてたらそもそも家に来たいなんて言わないか。

 むしろ安易に行ったら二度と太陽を拝めなさそうな予感がする。


 鴉庭さんが地雷系を着てるからって、中身まで地雷なんてことはないと思うけど……。

 見掛けで判断しちゃダメだと分かっていても、見掛けを判断材料にしてしまうのはどうにもままならない。

 

 あぁでも、鴉庭さんの家に行った時を考えると一つ気になることがあった。


「もし鴉庭さんの家に行ったら、お姉さんにも会えるのかな? だとしたらちょっと楽しみかも」


 何の気なしにそう呟いた瞬間だった。


「──は?」

「ヒィッ!?」


 鴉庭さんから殺意とも表せるドス黒い威圧感が発せられたのは。

 気怠げなはずの紫の瞳は瞳孔が開かれていて、光の届かない深淵みたいに真っ黒だった。

 表情変化に乏しいのも相まってとても怖い。


 というか待って、なんでそんなに怒ってるの!?

 俺、何かやらかしました!?

 もしかして踏んだ?

 踏んじゃいけない地雷を踏んじゃった?


 あまりの恐怖に怯えていると、鴉庭さんの光の無い眼差しが向けられる。


「翔真。お姉ちゃんに会いたいの?」


 ただでさえ平坦な声音が、抑揚を失くして発せられたせいでドスが増していた。

 まるで俺を闇へ引きずり込もうとしてるようで、心臓がキュッと締め付けられる程の悪寒を覚えてしまう。

 

 ──正直に答えないと殺される!


 そんな錯覚すら過る寒気に身を震わせながら俺は口を開く。


「え、えぇっと……鴉庭さんからお姉さんの話をよく聞くし……」

「それで?」

「ど、どんな人なのか興味があって……」

「だから?」

「し、姉妹だから綺麗な人なのかなって思いまして……」

「ふ~ん……で?」


 怖い怖い怖い怖い、これなんの尋問!?

 説明を重ねる度に段々と強くなる語気に、ガクガクと全身の震えが止まらなくなっていく。

  

 もしかして俺がお姉さんに会うと何かしら不都合でもあるのだろうか?

 自分の小さい頃の話とか写真を見られたくないのかな?

 それとも俺がお姉さんに色目使うと思われてる?


 よ、よく分からないけど、このままじゃ気まずいまま別れることになってしまう。

 それだけはなんとしても回避しなければと、必死に思考を働かせて謝罪の言葉を作り上げていく。


「か、鴉庭さん。その……だ、大丈夫だから!」

「何が?」

「えと、お姉さんを狙うとかそういうのは無いってこと!」


 他意は無いと伝えたい一心で告げたが、鴉庭さんは顎に手を当てて思案する。

 口で大丈夫とか言ったところで、簡単に信じて貰えるわけないよなぁ。

 なんて半ば諦め掛かっていたら彼女が顔を上げた。


「……年上は恋愛対象じゃないって意味?」

「えっ!? あ、そ、そう! 変に気を遣っちゃうだろうし、付き合うなら同年代派なんだよ俺! アハハ、アハハハハハハハハ!!」


 どういう思考回路でそんな結論に至ったのか分からないが、とにかく深い意味は無いと空笑いして捲し立てた。


 何言ってんだろう、俺。

 宥めるためとはいえ余計なこと口走った感じしかしない。

 作り笑いの裏で自分の発言に困惑しつつ、鴉庭さんの反応を窺う。

  

 俺の返答に対して彼女は……。


「……ん。分かった」


 視線を外し、マスクがあるのに口元を手で覆いながら、それだけ返して一歩先に歩き出した。

 

 えっと……許して貰えたってことでいいのか?

 刺すような威圧感が無くなってるから良いのかもしれない。


 なんとか場を収められたことに安堵する。

 そんなやり取りを経た後、駅前に着いたのでここで別れることとなった。


「それじゃ鴉庭さん。また明日」

「バイバイ翔真」


 別れ際は割とあっさりしたもので、彼女は軽く手を振りながら駅の反対側へと去って行った。

 自宅へ戻る間はやけに静かで寂しく感じてしまい、鴉庭さんと過ごす時間がどれだけ楽しかったのかを実感する他ない。 


 ちょっとだけ重くなった足取りでなんとか帰宅すると、ちょうど帰って来たばかりの母さんと鉢合わせた。


「あら、おかえり翔真。コンビニでも寄ってたの?」

「そんなとこ」


 母さんの問いを否定することなく端的に返す。

 鴉庭さんのことを隠したのは、単純に恥ずかしいからだ。

 

 家を出る前、澄空そらにも秘密にしておくように言っておいたのだが、母さんの口振りから察するに守ってくれてるようだ。

 そのことに胸を撫で下ろしつつ、そういえばと思い出したことを口にした。


「母さん。明日から俺の分の弁当は作らなくて良いから」

「え? 急にどうしたの? 学食でも使うの?」

「いや友達に弁当を作って貰うことになったから──」


 そこまで言って、俺は自分の失言に気付いた。

 現に母さんは一瞬だけ目を丸くしたかと思うと、ニマ~っと面白いモノを見つけたように目と口を細めたのだから。

 そして逃がさんとばかりに両肩を鷲掴みにされて拘束されてしまう。


「友達なんて言い訳しなくたって、最初から彼女が出来たって言いなさいよー! もしかしてさっきまで家に居たの? どんな子なのか教えなさい!!」

「まままま待てって! そんな激しく揺さぶるな!!」

「答えるまで待たないわ!」

「横暴だ!」


 人を前後に揺さぶるくらい興奮する母さんを窘めるが、まるで聞き入れてくれない。

 

 なんで口を滑らせたんだ、俺のバカヤロウ……。

 よく見るとリビングから様子を覗いていた澄空が、呆れたように頭を抱えていた。


 せっかく内緒にしてくれてたのに、自分からボロを出すバカな兄でゴメンよ。

 内心でそんな謝罪を浮かべながら母さんの揺さぶりに軽く目眩を覚えるのだった……。


 ==========


 次回は明日の朝に更新します。

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