闇姫の待ち伏せ
目を覚ました俺は鏡の前に立つ。
顔を洗ってからコンタクトレンズを入れて、ワックスで髪型を整える。
高校デビューすると決めた時から習慣化したことの一つで、時間に余裕を持たせるため必然的に早起きもするようになった。
最初はどれを使えば良いのか、どう塗ったら良いのか分からなかったりしたモノだが、三ヶ月にもなればそれなりに手慣れてくる。
指先で細かく調整を重ねて納得の行く出来に仕上がった。
顔の角度を変えながら違和感がないか確かめていると、鏡に反射してある人物が映り込んだ。
「ふわぁ~……おはよう、兄さん」
「おはよ、
欠伸をしながら挨拶を口にしたのは、中学二年生の妹である
俺と同じ薄茶の髪と緑の目を持ちながら、身内贔屓抜きにしても可愛い顔立ちをしている。
今は寝起きだからパステルブルーのキャミソールにショートパンツという、家族以外には見せられないようなあられもない格好だ。
妹相手だからどうとも思わないけど。
そんな
「なんだよ」
「いや、今日は妙に気合い入ってるなぁって」
「別に普通だろ?」
「兄さん。ギャル達のアクセ扱いに耐えられないからって、俺の方がアイツらに付き合ってやってる感出すの止めよ?」
「張らねぇよ、そんなみみっちいプライド」
兄相手だからって遠慮無しに刺してくるなよ、普通に傷付くわ。
澄空は高校デビューを決めた俺にファッションのいろはを教えてくれ、どもらないための会話や立ち振る舞いの練習に付き合ってくれた良い妹だ。
決して普段からこんな風に毒づかれてることはない。
「てかまだあのギャル共とつるんでるんだ。絶対カモにされてるだけだってば。早く離れた方が良いよ?」
「分かってるけど、やっぱ怖いっていうか……」
「ヘタレだなぁ。せっかく高校デビューしたのに妥協しちゃダメでしょ」
「うっせぇ。痴漢から助ける勇気くらいあるわ」
「あぁ昨日の帰りが遅かったヤツ。え、なになに? もしかしてその助けた子と良い感じになったの? どんな人!?」
普段より手間を掛けてる理由に女子が絡んでいると分かるや、眠そうだった
年頃らしく恋愛話に興味津々な妹に、鏡の前を譲りながら続ける。
「高校デビュー失敗した時に話した地雷系女子だよ」
「え゛っ」
相手を知らされた途端、澄空がギョッと目を見開いて愕然とする。
まぁ鴉庭さんのこと知ってたらそんな反応するよなぁ。
内心で共感している内に思考を取り戻した澄空は呆れと困惑の面持ちを浮かべる。
「兄さん……いくら彼女欲しくても相手くらいは選ぼう?」
「憐れむな。そこまで飢えてないし、
勝手に邪推した挙げ句に憐れみの眼差しを浮かべる妹に手厳しめな返しをする。
だが
「本当にそれだけならそこまで髪を整えないでしょ? 確か兄さんが言うには、マスクしてても綺麗な顔してるのが分かるんだったよね? はぁ~あ、男ってホント単純」
「……」
やれやれと肩を竦めて呆れる妹に構わず、俺は何も言わずに思案に耽っていた。
脳裏には別れ際に見せられた鴉庭さんの素顔が過っていたからだ。
眼鏡を掛けている人が外した時を見たような感覚が近いだろうか。
普段から隠されている分、それが露わになった瞬間のギャップや新鮮さは強烈という他ない。
鴉庭さんの場合、芸能人も顔負けな美貌の持ち主だからこそ凄まじいインパクトを放っていた。
だからというか彼女の素顔が一夜明けた今も、ふと思い出してはドキドキしてしまうのだ。
一軍の女子達相手にこんな気持ちを懐いたことはない。
口を噤んだ俺の反応を図星とみたのか、澄空は鏡に目を向けたまま口を開く。
「まぁ兄さんなりに後悔しないようにしたらいいんじゃない? もしデートに着て行く服に迷ったりしたら相談くらい乗ってあげるからさ」
「……その時が来たらな」
なんだかんだで気に掛けてくれる妹を尻目に、朝支度を終えた俺は家を出た。
高校デビューのために同じ中学の人に見つからないように、
もし別の高校だったら、盗撮に遭っていた
そうならなくて良かった現実に胸を撫で下ろす。
また電車で痴漢が出たりしないように、なんて祈りながら駅に着くと……物凄く目立つ格好の女子がいた。
たくさんのフリルとリボンがあしらわれた黒と紫のブラウス、グレーのチェック柄スカート、白い太ももが見える黒のニーハイソックスとローファー。
後ろから前に流した黒髪の三つ編みには紫のインナーカラーが混じっていて、黒マスクをしていても解る整った顔立ち……。
「鴉庭さん!?」
それは紛れもない地雷系女子……というか鴉庭さんだった。
同じ駅から電車に乗ってるのは知っていたけど、こんな朝早くから鉢合わせるのは初めてだ。
てっきり学校で会うと思っていただけに、思わず大声で呼んでしまう。
その声によって俺の存在に気付いた彼女が顔を向ける。
アメジストを彷彿とさせる紫の瞳は、気怠げながらもどこか歓喜の色が見え隠れしていた。
そして目が合った鴉庭さんは……。
「──おはよ、
「っ!」
これまた初めて俺に挨拶した。
人の顔と名前を覚えるのが苦手だった聞いていたけど、この様子を見る限り俺のことはしっかりと記憶しているらしい。
心なしかマスク越しでも小さく笑みを浮かべているように感じた。
その事実を認識するや、無性に形容出来ない喜びに胸が沸き立つ。
「翔真?」
「お、おはよう……鴉庭さん」
「ん」
ドキドキとうるさい心臓以外の音が聞こえなかったせいで、鴉庭さんが軽く首を傾けながら呼び掛けられた。
ボーッとしていけないと思考を取り戻して俺も挨拶を返す。
返事はやっぱり淡泊だけど、挨拶を交わしたということだけで十分に満足してしまいそうだった。
妙な気恥ずかしさを紛らわそうと頬を掻いている間に、鴉庭さんはスマホをカバンにしまいながら言う。
「翔真はいつもこの時間?」
「う、うん。鴉庭さんも同じだったんだ」
「本当はもう二本くらい後の時間帯。翔真に会おうと思って、三十分くらい早く来て待ってた」
「えっ!? な、なんで?」
思わぬ回答に大いに狼狽えてしまう。
連絡先を交換していないから待ち伏せするのは理に適っているが、自分が対象となると少なくない好感が過る。
「翔真にお願いがあるから」
「お願い?」
改まってどうしたのだろうかと疑問を覚えながらも、要件を聞き逃さないように耳を傾ける。
鴉庭さんはカバンの紐をギュッと握り、紫の瞳で俺をまっすぐに見据えながら言った。
「──今日からアタシと一緒に登校して欲しい」
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