闇姫は知りたい



【side:鴉庭からすばなな


 迎えに来てくれたお姉ちゃんが運転する車の後部座席で、アタシ──鴉庭漆はぼんやりと窓の外を眺めながら思考に耽っていた。

 街灯や建物の窓から漏れ出る光が浮かぶ夜の街は、考え事をするのに程よい集中力をくれるから嫌いじゃない。


 そうして思い出すのはお姉ちゃんが来るまでのこと。

 たったの数分で押し寄せてきた最悪と最高の出来事について。


 最悪の方は痴漢に遭ったことだ。

 正確に言えばスカートの中を盗撮された。

 あぁほんと思い返すだけで虫唾が走るくらい気持ち悪い……。


 地雷系はミニスカの方がえるから好んで着ている。

 だから見られても平気なようにアンスコ──テニスのスコートの下に穿くあれ──を着けてるとはいえ、撮られたらイヤな気持ちにさせられたのは変わらない。

 今までそんなことはなかったから油断してた。


 でもすぐに気にならなくなる。

 だって最高の出来事があったから。

 彼のことを思い浮かべるだけで、普段は意識してない頬の緩みが判る。


「漆ちゃん、痴漢に遭った割りには機嫌が良いね。警察のフォローが上手かったの?」

「……ん。警察より親身な人のおかげ」

「すご。本職以上とかマジか~」


 家族だからお姉ちゃんはアタシがマスク着けてても、表情から気持ちを的確に理解してくれる。

 いつもはありがたいけど、彼に関係してるからちょっと恥ずかしくなってしまう。


 お姉ちゃんの言う通り、機嫌が良いのは痴漢から助けてくれた人のおかげ。

 たつみ翔真しょうま……翔真……うん、ちゃんと憶えられて良かった。

 薄茶の髪にお人好しそうな緑の目も憶えてる。

 顔立ちは凄く目立つ方じゃないけど、逆に言えば親しみやすい感じだ。


 しっかりと彼を記憶出来てることに胸を撫で下ろす。

 これなら明日から見つけられる。


 アタシが人の名前と顔を覚えるのが苦手なのは、そこまで他人に興味を持ったことがないから。

 物心着いた頃からずっとそう、一番前の幼稚園の記憶を振り返っても同じ組の子はおろか先生の顔と名前すら思い出せない。

 かといってそれを申し訳ないとかも思わないけど。

 だってどうでもいいし。


 ナンパとか告白をしてくる男子も、嫉妬やら恫喝をしてくる女子も同じだ。

 人の容姿が整ってるからって大した用も無いのに、灯りに群がる羽虫みたいに寄ってくるのが煩わしくて仕方ない。


 そんな人目から避けるためにマスクを着けてないと落ち着かなくなった。

 好きな地雷系を着ることで距離を取られるのは好都合だ。

 闇姫だかなんだか知らないけど、それで寄ってこないなら好きに呼べば良いと思う。


 その反面、興味を持ったことに対する記憶力と集中力には長けると自負している。

 地雷系も最初はお姉ちゃんから男避けとして薦められたのが切っ掛けで、今となっては自分でコーデを研究するレベルでハマっているくらい。

 勉強はあまり好きじゃないけど、私服登校が認められてる煌ノ神こうのがみ学園に受かるためにはかなり頑張った。


 そうした自分の歪さを理解しているからこそ、翔真しょうまという異性に対して興味を持ったことがどれだけの奇跡なのか猛烈に実感している。

 痴漢から助けられただけでなく、アタシの好きな地雷系を否定しなかったことでもなく、なんとなく過ったある違和感が理由だ。


 翔真は身綺麗な見た目に対してどこか自信が無さそうな態度が見え隠れしていた。

 チグハグというべきだろうか、外見と中身が合致していない時があるのだ。

 単なる性格では片付けられない擦れが無性に気になってしまう。


 ──知りたい。


 彼の好きな食べ物、趣味、軌跡、胸の内に秘めている何もかもが知りたくて堪らない。

 知って知り尽くして、その上で翔真の向ける視線の中心にアタシを据えさせたい。

 そう思ったからこそお礼を言う時にマスクを下ろした。

 翔真がアタシを思い出す時、少しでも意識して貰えるように。


 あぁ今、彼は何をして何を見て何を考えているんだろう。

 マスク下ろした時に恥ずかし過ぎて、連絡先聞くの忘れてたのがとてつもなく口惜しい。


 さっき別れたばっかりなのに、一秒でも早く翔真に会いたい気持ちが溢れ出て来る。

 また明日なんて言ったけど、こんなにも明日が待ち遠しくなるなんて思ってもみなかった。

 ドキドキと心臓はかつてない程に脈打っていて、胸の奥とお腹の奥が疼いて落ち着かない。


 翔真のことで思考が埋め尽くされていると、ケラケラと運転席からお姉ちゃんの笑い声が聞こえて来た。

 幸せ半分、切なさ半分の時間を邪魔されて少しだけムッとするけど、お姉ちゃんは面白そうにニマリと笑うだけだ。


「……見ないでよ」

「無理無理! いつも無表情のななちゃんが恋する乙女ですぅ~って顔してるもん! 超貴重なんだから目に焼き付けとかないと! 運転してなかったら写真に撮ってたんだけどなぁ~」

「身内に盗撮魔がいるとかイヤ」

「あぁんゴメンって! デリカシー無かったけど、それくらい可愛いよって意味だから!」

「ふ~ん……」


 妙にテンションの高いお姉ちゃんを余所に、アタシは指摘された感情について思案する。


 翔真のことを考えてるのが恋?

 このドキドキが?

 よく分からない。

 恋愛に興味を持ったことがなかったから。


 でももし本当なら、アタシはとても嬉しくなって来る。

 そして強く想う。

 早く翔真にもこの気持ちをアタシに向けて欲しいって。


 同時に他の誰にも見ないでって思ってしまう。

 そうならないように翔真をアタシに夢中にさせたい。


 そのためにもアタシは……。


「お姉ちゃん」

「なぁに?」

「アタシ、頑張る」

「そっか」


 何を、なんて言わずとも伝わるからお姉ちゃんと話す時は楽だ。

 いつか翔真ともそういう風になれたらいいな。


 でもいきなり告白なんかしても、きっと彼を困らせるだけだ。

 自分がされてイヤだったからそれくらい分かる。

 そもそも翔真への気持ちが本当に恋心なのか知るためにも、彼のことを深く深く知りたい。


 まずは恩返しから始めようかな?

 そしたら昼休みとか放課後も一緒に過ごしたいし、休みの日にはお出掛けもしたい。

 あぁやっぱりどうしようもなく楽しくて堪らないや。


 今まで押されてなかったスイッチを押してもらったみたいに、次から次へとやりたいこと伝えたいことが止め処なく浮かび上がって来る。

 翔真、翔真、翔真……。 


「──早く会いたいなぁ」


 そんなアタシの小さな呟きは、お姉ちゃんの耳に届くことなく静かに消えていくのだった。


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 次回はお昼に更新します。

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