闇姫からお礼を言われた
「悪いのはその女だ! 私を誘惑して陥れたんだ!」
何が自分は悪くないだよ、この期に及んで何を言ってるんだ?
呆れている間にもおっさんの言い訳は続く。
「人の人生を破滅させる悪女め、絶対に許さないからな!」
「いやバカ言うなよ。10:0で痴漢したアンタのせいだろ」
「痴漢されたくないなら、初めからそんな格好をしなければ良いだろう! なんのコスプレが知らないが、少しはTPOを弁えたらどうなんだ!?」
「はぁ……」
あまりに身勝手な言い掛かりだ。
痴漢したヤツにTPOを説かれたくねぇわ。
聞くだけ損した。
もう呆れ果てて辟易しながら
「……っ」
「ぁ」
小さくか細い声が漏れた。
鴉庭さんはいつも無愛想で素っ気なくて、気怠げな目に加えてマスクを着けたままだから何を考えているのか分からない。
クラスで孤立していても気にしない孤高の在り方。
そんな彼女がおっさんの恥知らずな暴言に、確かな狼狽を見せていた。
どうしてなのか逡巡して、すぐに分かった。
──痴漢されたくないなら、初めからそんな格好しなければ良いだろう!
クラスメイトでしかない俺が、地雷系以外の服を着た鴉庭さんを見たのは体育くらいだ。
女子でさえもそうなのだからよっぽどだろう。
そこまでくればクラスの誰もが、彼女にとって地雷系は自分が一番好きな服装なのだと察している。
異質であっても似合っているのは間違いなく、鴉庭さんが着こなしている証拠だ。
それをこのおっさんは貶し、挙げ句にコスプレと同一視した。
知見が無いのなら多少はそう捉えてもおかしくない。
けれどコイツは明らかに我が身可愛さから侮蔑の意を込めて否定している。
『巽、それ外して。そのまま隣を歩かれるのとか無理だから』
……最悪だ。
また中学の時の記憶が過った。
ただ当時好きだったストラップを付けていただけで、存在そのものを否定するようなあの言い草を思い出してしまった。
ふざけんな。
それがどれだけ大事なのか考えもしないヤツなんかに、言われっぱなしでいられるか。
腹の底から湧き出てくる激情のまま、俺は拘束されたおっさんに近付いて、その醜悪極まりない顔を見下ろす。
「あの子が好きで着てる服を穢そうとしたお前が正論ぶっても意味ねぇよ。そもそも悪いのは全部、性欲を抑えようともしなかった自分自身だろ。人のせいにしてる暇があるなら、少しはこれからのことでも考えとけよ」
「なっ!? 何を偉そうに! 子供のくせに生意気な──」
「その子供に手を出そうとしたのはどこの誰だ?」
「ぐぐっ……」
言い負かされたおっさんが歯をギリギリに食い縛るだけだった。
もう何も話すことはないので
とはいっても彼女にどう声を掛けたモノか分からない。
ムカついた勢いで色々と言ったけど、落ち着いた今になって無性に恥ずかしくなって来た。
何を分かった気になってるんだって引かれてそう……。
とりあえず駅に着くまで黙っておこう。
そう決めてひたすら目線を正面に留め続けた。
そんなことをしてるせいで俺は全く気付かなかったんだ。
「…………」
鴉庭さんが無言で俺を見つめていることに。
========
次の駅でおっさんは警察に連れて行かれた。
最後まで俺達を憎々しげに睨んでいたけど、どうせ会社もクビになるだろうしもう会わないだろう。
被害者である鴉庭さんはもちろん、痴漢を止めた俺も証人として警察官にその場で事情聴取を受けさせられた。
聴取といっても警官のお兄さんには『やるじゃないか』と褒められたくらいだが。
鴉庭さんの聴取は同じ女性警官が務めている。
まぁ痴漢被害だしそうするのが妥当だよな。
警官さん曰く、いずれおっさんから慰謝料が支払われるだろうとのこと。
そうして解放された頃にはすっかり月が昇っていた。
駅を出た俺はグッと腕を伸ばす。
「はぁ~……やっと終わったな」
「……」
「それにしても鴉庭さんも同じ駅から学校に行ってたとは思わなかったよ。一ヶ月の間、よく鉢合わせなかったよなぁ」
「……」
違うよ、独り言じゃないよ。
後ろに鴉庭さんが付いて来てるから。
一応話題を振ってるつもりなんだけど、鴉庭さんは無言のまま立ち尽くしている。
せめて相槌くらい返して欲しいかなぁ。
でも痴漢に遭ったばっかだし、気分が優れないのかもしれない。
だからはいさよなら、なんて言えるはずも無く俺も所在なく立つしか無いわけで。
どうしたモノかと頭を抱えそうになっていると……。
「ね。聞きたいことあるんだけど、良い?」
「え? お、俺?」
「アンタ以外にいないでしょ? それで質問して良い?」
「あ、あぁ」
まさか鴉庭さんから話し掛けられると思わず、困惑を露わにしつつも頷く。
聞きたいことってなんだろう?
どんな質問が飛んで来るのか耳を傾けて待つ。
程なく
「──アンタの名前、なんだっけ?」
「……はい?」
あまりにも予想外な問いを。
一軍グループの一員だから少しは知ってくれてると思ってた自分が恥ずかしい。
動揺から微かに身体の震わせながら自分を指差す。
「俺、一ヶ月も同じクラスで、隣の席なんだけど……?」
「アタシ、あんま人の顔と名前覚えるの得意じゃないから」
「あ~……なんとなく分かるよ」
意識してないと中々一致させて覚えられないよね。
それもクラスで孤立している鴉庭さんなら尚のことだ。
俺も入学式以来、積極的に話し掛けてたワケじゃないから把握してなくても仕方が無い。
まぁ彼女から名前を尋ねたってことは、これからは覚えて貰えると前向きに捉えよう。
そう思い直して息を整えてから口を開いた。
「
「ん。よろ、翔真」
「う、うん……」
いきなり名前で呼ばれて少しばかり胸が沸き立った。
一軍の女子達は未だに苗字呼びだから、鴉庭さんの呼び方に妙な特別感を覚える。
なんだか気恥ずかしくなった俺は、気持ちを切り替えるために話題を振ることにした。
「鴉庭さん、電車のこともあるしこのまま家まで送ろうか?」
「ヘーキ。お姉ちゃんが迎えに来てくれるから」
「そっか。じゃあ今日はこのまま解散ってことで良い?」
「ん」
鴉庭さん、思いの外ちゃんと返事してくれてるな。
普段もこんな風に話していたら、孤立することなんてなかったと思う。
なんて俺が言ったところで余計なお世話でしか無いか。
「それじゃ、また明日」
「あ、待って翔真。一個だけ言い忘れてたことあった」
「ん?」
いざお別れ……といったタイミングで
今度はなんだろうかと振り返った瞬間、俺は大きく目を開くことになった。
視線の先にいた鴉庭さんは、いつも着けていた黒マスクを下ろして顔を露わにしていて……。
「──助けてくれてありがと」
「……っ!」
フワリと花開くようなたおやかな笑みを浮かべて感謝の言葉を口にした。
何も隠すモノが無い彼女の素顔は、みんなが言う『闇姫』なんて二つ名が似合わないくらいの輝きを放っている。
気怠げだったはずの紫の瞳はまっすぐに俺を見据えていて、下手な宝石よりずっと綺麗に見えた。
まさかマスクを下ろしてまでお礼を言われると思わず、俺の胸はドキドキと囃し立てて全身を熱くさせていく。
「ぇ、えっと……どう、いたしまして」
しばらく見惚れた後にハッと思考を取り戻した。
緊張してまともに目を見れなくなり、顔を逸らして後頭部を掻きながら返す。
「じ、じゃあ俺は帰るよ」
「ん。またね」
気恥ずかしさから一刻も早く逃れようと、鴉庭さんと挨拶を交わしてすぐに駆け出した。
逸る鼓動を走って誤魔化そうとしても、脳裏には彼女の笑顔が鮮明に焼き付いている。
笑うとこ初めて見たけどめちゃくちゃ可愛かった。
マスク越しでも可愛いとは思っていたけど、いざ下ろしたら芸能人なんて目じゃないくらい綺麗な顔にドキドキしてしまう。
ましてやお礼を言うためだけにだ。
意識しない方がどうかしていると思う。
……。
また、か。
痴漢が切っ掛けとはいえ、鴉庭さんと改めて話せたことにどこか浮き足立ちそうな喜びを感じる。
むしろ歓喜度合いで言えば一軍グループに入れた時以上で、いつもは憂鬱なはずの明日を待ち望む自分がいた。
それが先行きの不安だった高校生活が一変する予感だとは気付かないまま。
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次回は明日の朝に更新です。
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