第10話

―――約二ヵ月前。

六月十二日、木曜日。十七時二十分。


その日、石黒雁之助いしぐろがんのすけ(四十八歳)は、徹夜明けでトラックを運転していた。

石黒は、学生時代に柔道をやっていて、小柄だが肩幅は広くがっしりした体格で、肌の色は浅黒かった。歯が黄ばんで、前歯が一本欠けていた。


森口柚音もりぐちゆずね(十六歳)は受験に失敗し、田島商業高校に通うようになった頃から人間が変わったようにすさんでいった。

高校二年に上がると益々現実逃避に拍車が掛かり、それまでは土曜の夜だけだったシンナーの回数も増えていた。

その日も森口は、鳥居の広場でシンナーをった後に、男と別れて、自転車でフラフラしながらの帰り道だった。


真っ赤な夕日が、西の山に沈みかけていた。

石黒は、笹塚街道の一本道をウトウトとしながら走っていた。右手に竹林を見ながら、緩いカーブを曲がり、恩音トンネルの方向へ向かっていた。


森口は、鳥居の広場を左に曲がると、恩音トンネルを背にして、竹林の方向へ向かった。森口はフラフラと道の真ん中を走っていた。そして虚ろな目で、何気なく顔を上げた。―――その瞬間、いきなり大きなダンプカーが目の前に現れた。


森口は、とっさにハンドルを右に切った。ダンプカーは前から、森口の方に向けて、ハンドルを左に切った。


森口と自転車は、ダンプカーの後輪に巻き込まれると、金属が軋むようなもの凄い音が上げた。そのまま森口は、数十メートル引きずられて、田圃の中に自転車ごと飛ばされた。乗っていた自転車はよじれて、森口は即死だった。


石黒はそのまま逃走したが、恩音トンネルを抜けて国道四〇三号線に出た所で、国道を北上してきた軽乗用車の側面に追突して止まった。

追突された車は横転して炎上し、運転していた主婦は死亡。助手席に乗っていた二歳の女児も車外へ放り出されて、いまも意識不明の重体が続いていた。


石黒は、その後の調べで傷害等の前科がある事が分かった。

普段は穏やかなのだが、いちど頭に血が上ってカっとなると、自分でも制御が出来なくなるほど短気で、激しい気性の持ち主であった。


石黒は面会に着た叔父に、以下のような事を話した。

『俺が道を走っていると、竹林を抜けたところで白い着物を着た女が、右側から突然飛び出してきた。それを避けようとしてハンドルを左に切ったら、そこに走ってきた女子高生の自転車を巻き込んでしまった。

走りながらバックミラーを見ると、白い着物の女がこっちを見て微笑んでいた。俺は、それを見て怖くなって逃げた。

出来るだけこの場から遠くへ離れようと思い、その先の狭いトンネルを抜けて、国道へ向かった。

そして、国道に出る手前で、ブレーキを掛けようとした。その時、真横に何かの気配を感じて、助手席を見た。

すると、あの着物を着た女が、そこに座っていた。そして俺を見て、また微笑んだ。

俺が慌ててブレーキを踏もうとしら、その女に脚を軽く触れられた。

その瞬間、俺の身体は動かなくなった。アクセルを強く踏み込んだままで、国道に突っ込んで、横から来た車に衝突した。

俺もハンドルに額を強く打って、遠のく意識の中で横を見ると、もうあの女の姿は、そこに無かった。頼むから、あの女を探してくれ!』―――と訴えていた。

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