第6話

古びた木製の橋は、一人で歩いても揺れる。

さっき見た地図だと、この橋を渡った先は市道へと繋がっていて、渡らずに先へ進むと、木立の立ちこめる雑木林の中の遊歩道へと続いていた。


赤い欄干に尻を乗せて、蒼斗と蓮は遅い昼食を取る事にした。

橋の下に目をやると、澄んだ水が流れている。川の両わきには雑草が生い茂り、数匹の小さな黄色い蝶が野花と戯れている。


蒼斗は、デイパックの中から菓子パンを取り出すと、蓮に手渡した。

蓮は首筋を掻きながら、それを受け取った。

次に、缶コーヒーを取り出した。もう、缶は冷えてはいなかった。


「どうしたんだよ」

と蒼斗が、ぬるくなった缶コーヒーを手渡すと、蓮が首筋を掻きながら言った。


「どうしたじゃないだろ。あれだけ人を待たせておいて」

蓮が、菓子パンを袋から乱暴に取り出して、大きな口で頬張った。


「刺されたのか」

「みりゃ、分かるだろ」

蓮が、強い口調で答えた。そして、空いている左手で、また首筋をボリボリと掻き出した。


蒼斗は、菓子パンを口にくわえたままで、デイパックの中に手を突っ込んだ。

「おまえは、いつも呑気なんだから」

「呑気?」

と、蓮の言葉に、蒼斗が顔をあげたが、すぐにデイパックの中に視線を戻した。

蒼斗は、探していたものを見つけると、デイパックの中から茶褐色の小瓶を取り出して、蓮の鼻先に突きつけた。


「ほら」

「おっ!」蓮が、それを見て声を上げた。


「虫さされ、かゆみ止めのブヒ」

と言う、蒼斗の言葉よりも早く、蓮がそれをひったくるようにつかみ取った。

蓋を開けると、首筋にクルクルと塗り出した。


「くー、しみるぅー」

蓮の赤く腫れた首筋に、透明な液体が吸い込まれていく。


「気が利くだろ。来るときにコンビニで買ったんだ。おまえが、家に電話しているときに。あー、あと、他にもいろいろ買ったぞ。使い捨てカメラとか、替えのパンツとか」蒼斗が、そう言いながら、またデイパックの中に手を突っ込んだ。


蓮は口をモグモグさせながら、Tシャツをまくりり上げて、今度はお腹にブヒを擦り込んでいた。


「ふぅ、ひぃー」

お腹にも、三カ所くらい赤い斑点が見える。掻いたのか、みみず腫れの赤いラインが、お腹の上を幾重にも交差していた。


蓮は、相当にしみるのか、ハの字に垂れた薄い眉根を寄せている。

「歯ブラシも買ったか?」

「ああ」

蒼斗は軽く頷いた。蓮は、Tシャツをパタパタと仰いでいた。

「ひぃー」お腹に風が当たる。


(たまには蒼斗も、気が利くなぁ)と、蓮は蒼斗を見ながらそう思い始めていた。

蒼斗は、まだデイパックの中で捜し物をしていた。丸められた地図や新聞紙が、時折デイパックの口のあたりで、見え隠れをしている。


「あ、あった」

蒼斗は、バックの底にやっと目当てのものを見つけると、顔を上げた。しかし、まだ右手はデイパックの中にある。


「蓮、実はもっといいもんがあるんだぜ」

蒼斗が、目尻を下げて言った。蓮は、コーヒーを口に運びながら蒼斗に顔を向けた。


「ほら!」蒼斗が、銀色の筒状のものを上に翳した。

「えっ!…ぶ!それがあんなら、もっとはやく……」と、蓮がそれを見て、怒りの声を上げた。口からコーヒーの滴が飛び散って、最後まで聞き取れない。


蒼斗は、誉められると思って取り出したものが、逆に大きな声で怒鳴られて、おまけに顔中が、蓮のコーヒーの滴だらけになった。蒼斗は硬直した顔つきで、目が点になった。


いつも温厚な蓮が、こんなに怒るのだから、差し出したものが、ただものではなかったのであろう。……蒼斗は手に持った、虫避け用のスプレーを蓮に渡していいものか、もう一度デイパックの中に戻すべきかを迷っていた。


「おまえ、さっきから、何をそんなに怒ってんだよ。今日は、いつもの蓮くんじゃあないみたいだぞぉ~」

蒼斗が戯けて見せたが、蓮はまだ納まらないのか、顔をプイッと横に背けてしまった。いつもは蒼斗が短気を起こして、蓮が何事も穏便に収める役回りなのだが、それが今日は逆であった。睡眠不足と疲労に加えて、精神的なダメージが大きかった。気持ちにも、いつもの余裕が無かった。

蒼斗は、手遅れとなった虫避けスプレーをデイパックの中に戻すと、二つ目の菓子パンを頬張った。


暫くして、少し気持ちが落ち着いたのか、蓮が聞いた。

「蒼斗、なんであんなに遅かったんだ」

蒼斗は、パンを食べながらトンネルの方向を見ていた。パトカーでも通らないかとずっと見ていたが、犬一匹通らない。


「あっ、そうそう。それだよそれ」

蒼斗は、さっきあった不思議な出来事を蓮に全て話した。

蓮は首筋を掻きながら、それを黙って聞いていた。

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