第3話

蒼斗は二、三度瞬きをした。

手を伸ばせば届きそうなところに、白い着物を着た女がこっちを向いて立っている。

歳は二十代後半位で、顔色は青白く、結い上げた髪の毛が少し乱れていた。


(幽霊)――蒼斗の頭の中に、咄嗟にこの二文字が浮かんだ。

驚いて悲鳴をあげそうになった。しかし、本物の人間の女性なら失礼だと思い、蒼斗は必死に耐えた。


女は何も言ってこない。目の前で、ただ俯いて立っている。

蒼斗は、後ろに向けた顔の角度はそのままで、身体の方をゆっくりと正位置になるまで振り返ると、まじまじとその女を観察した。目から飛び込んで来る情報を元に、蒼斗の脳の情報解析がフル回転で始まった。


女は、俯き加減に立って、首が異様に右斜めに傾いていた。視線は、そのまま蒼斗の足元を見るような位置で固定されている。まったく動かない。


蒼斗は、不思議に思った。どう見てもその出で立ちは奇妙で、四十度近い真夏の格好ではなかった。女は、浴衣ではなく、間違いなく留め袖のような、白い着物を着ていた。


それに、背後に近づいてきた足音もしなかった。振り向くと、突然女がそこに立っていた。


(変だ)蒼斗は、頭の中で呟いた。


(何かがおかしい)

蒼斗は、女の後ろに目をやった。女が出てきたのは恩音トンネルの方向とは逆の、車も通れない雑木林に続く、遊歩道の方角からであった。


(なんで、そんなところから現れたんだ)

蒼斗の頭の中が、またクルクルと回り出した。


「こんにちは」

考えても無理だと悟って、蒼斗は女に声をかけた。


「今日は暑いですね」と、空を見上げながら言った。

しかし、女は俯いたまま何も言わない。


(ヤバイなぁ、まじヤバイ)

蒼斗は、何か言い様の無い不安に襲われた。脳に頼んだ解析結果も出てこない。


女は無言のままで、行き去るでもなく、蒼斗の方を向いて立っていた。

蒼斗は、さっきのお地蔵様の前で感じた、不思議な気配に似たものを感じていた。

そして、今立っているこの場所も、初めてではなく、以前に来た事があるような気もしていた。


(なにかが、変だ)

さっきから、この女を見ていて、何かが頭の中で引っかかっていた。


「ここは、何処ですか?」

蒼斗は、手に持った地図を、女の前に広げて見せた。


変だと思っていても、橋の上で男女二人が向かい合って、ずっと無言で立っているのも不自然であった。

それに、真っ昼間から幽霊が出るわけもない。女には足もあるし、こんなに至近距離で、それも自然光の下で。ハリウッドの特殊メイクのプロでも、エイリアンや狼男の作品を、これほどハッキリと見せてくれるわけが無いと、蒼斗は思った。必ず登場する時は、大概ドライアイスの白い煙が必要になるものだと……。


この女の頭が、少しおかしいのかとも思った。

着ている着物は、夏に着る浴衣ではなく、お祝いの行事等に着ていくような、ちょっと豪華な留め袖であった。

結婚式の帰りかとも思ったが、厚手の着物をこの真夏に着ているのは、どう見ても違和感があった。


「あっ!」

蒼斗は、俯いた女の顔を見ていて、さっきから引っかかっていた


(そうか)――蒼斗は分かった。

さっきから、何かが変だと思っていたことは、女の汗であった。良く見てみると、この炎天下の下で、この女は汗ひとついていない。


蒼斗は立っているだけで、額から汗が垂れてくるのに、この女は厚手の着物を身につけていて、汗一つ掻いていないのである。


「え、ええっ?」と、その時、女のミイラもような右手が、蒼斗の方へ伸びてきた。

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