第12話

―――姉が失踪する一週間前。


その日、姉の美夜みよは、午前零時を過ぎた頃に帰ってきた。

莉央奈は布団に入って寝るところだった。

美夜と莉央奈は姉妹でアパートを借りて一緒に暮らしていた。

両親は、故郷の北海道で酪農をしている。


鍵を開けて入ってきた美夜は、相当に酔っていて、上機嫌であった。

「姉さん、遅いわね」

莉央奈が布団から首だけ出して言った。

美夜は、台所の明かりを付けると、テーブルに家の鍵をおいて、着ていたハーフコートを椅子の背に掛けた。


「今日はね、いい事があったのよ。……聞きたい?」

と、言いながら洋服を着たままで、莉央奈の布団の中に無理やり入り込んできた。

美夜は、莉央奈の眠たい事などはお構い無しに、冷たい足をすり寄せてくる。


「あったかぁーい。うふふ……でもね、教えてあげなぁ~い」

外は、相当に寒かったのか、美夜の身体は冷えきっていた。

美夜は話に乗ってきて欲しくてしょうがない様子であった。しかし莉央奈は、ただ眠いだけで……。


「何かあったの?」莉央奈が、眠そうな目を向けた。最近、美夜に彼氏が出来たようで、帰りの遅い日が増えていた。しかし美夜は、決して相手の名前を莉央奈に教えようとはしなかった。


「私ね、実は、……」美夜は、もったいぶらせて言葉を切った。


「……お母さんになりそうなの」

「えっ、子供が、……出来たの」莉央奈は驚いて顔を向けた。

美夜は、莉央奈の布団に入って、冷たい身体をすり寄せながら横で笑っている。美夜の息がお酒臭い。


「でもねぇ、結婚はできないんだ。私はね、それでも構わない……うん、全然構わないんだぁ」

美夜は、まだ嬉しそうに話している。莉央奈に付き合っている男性の事をここまで話したのは、これが始めてだった。


莉央奈は、酔った姉の嬉しそうな横顔を見ながら、

「姉さん、不倫なの?相手の男性は誰なの?」

と、言ったが、美夜はそれには答えずに、天井を見ながら言った。

「私からはね、その人に連絡ができないんだ。電話番号も、住所も知らないんだもん」


「じゃあ、姉さんは、遊ばれ……」

「うんん、そんなんじゃない。だって、信じてるもん。お互いに」

美夜は、莉央奈の言葉を遮るように言った。その言葉から、姉が妻帯者の男性とつき合っている事を察した。


「じゃあ、いつも相手が会いたい時にだけ、姉さんは呼ばれて会ってるの?」

姉が、相手の男性に取って、都合の良い、遊び相手にすぎない存在に思えた。姉とは好みの男性タイプは似ていたが、妻帯者と付き合う気にはならなかった。


「んんん……」

美夜は、含み笑いをして首を横に振った。莉央奈は、そんな美夜の楽しそうな顔を見て呆れている。


「私から連絡が取りたい時にはね」

美夜は、そこまでいうと天井に視線を向けてなにやら考えて、微笑んでいる。


「姉さんから、連絡が取りたい時はどうするの?」

莉央奈がたまらず口を挟むと、美夜は、

「……最後は、コメノ、ヤー、サ、ン、ヨ。そうするとね、彼に連絡が取れるの」

と、言葉を一字ずつ切って言うと、莉央奈の顔を見て、もう一度微笑んだ。


(コメノヤーサンヨ)―――莉央奈にはそう聞こえた。


_____________________________________

警察でも美夜の交際相手の男性を色々捜査しているが、一向に捜査線上には浮かび上がってこなかった。当初は、不倫相手と一緒の駆け落ち説の可能性もあったが、今では始めから相手の男性は存在しなかったのでは、という説まで出てきていた。

現在警察では、藍沢美夜の帰宅途中に通り魔による犯行か、何かの事故に巻き込まれた可能性が高いとみている。


しかし、あの日の嬉しそうな姉の顔を思い出すたびに、莉央奈には相手の男性が必ず存在すると思えて仕方がなかった。

そして、姉が最後に言った奇妙な言葉、『』とは、何なのか?

……たしかに姉は、それで相手と連絡が取れると言った。

莉央奈はあれ以来、姉の言った意味不明のこの言葉が、とても気になって仕方がなかった。

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