第6話
蓮は、さっき二口食べて止めている、おにぎりの中から、赤い梅干しが染み出ている所を見つめながら呟いた。
「ゲロかと思っていたものが、血だったんだよ、その人の。……まだ、なんか温かくって、それがこの手にべっとり」と、力んだ拍子に、持っていたおにぎりのご飯粒が崩れて、すこし足元に落ちた。
「もうビックリしちゃって、その人を膝に乗せたまま、俺は後ろに転けそうになって。その瞬間に握っていた包丁が胸から抜けた」
蓮は右手を握って、蒼斗の鼻先で、素早く上に引き上げて見せた。
「抜けた!?なんで、おまえ包丁なんか握ってんだよ」
「分かんないよ。だけど後ろに転けそうになった拍子に、とっさに何かにつかまって。気がついたら胸に刺さっていた包丁を血がべっとりとついた右手で握り絞めていた」
「ま、マジかよ」蒼斗が、大きくため息をついた。
「最悪なのは、その後で」蓮は、まだ話をやめようとしない。
「その後?」蒼斗が、まだ続きがあるのかと怪訝な顔をした。
「その瞬間に、後ろで女の人の悲鳴が聞こえた」
蓮は、蒼斗に顔を向けると、間を置かずに続けた。
「俺が、男の人を膝に乗せたまま振り返ると、うちの隣に住んでいるおばさんが、後ろに立っていて……」
そこで蓮は、首を数回振ると、最悪な顔をして言った。
「そして、そのおばさんが大声で叫んだんだ」
「なんて」
「『人殺し!狗蝋崎さんとこの息子が人を殺した!』って。そして、持っていたスーパーの袋を放り投げて、喚き散らしながら逃げて行った。その後ろの方を見ると、その声に何人かの人たちが、駐車場の中に駆け込んでくるのが見えた。もう俺は心臓がバクバク破裂しそうになって、頭もパニックになって、自転車に跨って必死に逃げた」
「へっ?逃・げ・た、……の」
「そして、しばらく真っ暗な山道を走って、我に返って気がついたら。……まずいんだよ」
「何が?」
「非常にまずいんだよ」
「だから、何が?」
「……俺は、……
蓮は、強く握りしめた右拳を、蒼斗の顔の前に掲げた。その手は、小刻みに震えて汗ばんでいる。
蒼斗は、その手を見て顔を逸らした。今でも人の血の臭いがするような気がした。
蒼斗は、買ってきたおにぎりを食べる事も忘れて、蓮の話に聞き入っていた。
さっき、おにぎりを取り出そうとして突っ込んだ左手も、まだおにぎりを握ったまま、袋の中にある。
「おまえ、包丁持ってきちゃったのか。てか、それどこにあるんだよ」
蒼斗は、座っている尻の辺りを探しながら言った。
「捨てたよ。……川に」蓮は、首を横に振った。
「なんだって、……蓮。それって証拠隠滅ってやつじゃないか。ヤバイぞ、探さないと」蒼斗は、苦い顔をして言った。
「だって、不可抗力だろ。あんな時に、そんな事を考えてられない。人殺しって、みんなに呼ばれて、気が動転しちゃって、とにかく見つからないところに包丁を捨てるしかないって。こんなものを持っているところを誰かに見られたら、また人殺しって呼ばれちゃう……」蓮の声がかなり感情的になってきた。
「分かった。……そ・れ・で」
蒼斗は、落ち着かせようと、一文字ずつを区切って言った。
蓮は、蒼斗を見て、ゆっくりと呼吸を整えてから、……おにぎりを頬張った。
「おーい!そこで、またぶち込んでくるんか~い!」
蒼斗の右手の、立てた二本指が、勢いよく二人の鼻先まで上がった。
しかし蓮には、笑わせる余裕などは全く無かった。ただ崩れかけたおにぎりが気になって頬張っただけだった。
蓮は二、三度瞬きをすると、何事も無かったかのように話を続けた。蒼斗は空振りに終わって、
「それから、しばらく走って、川の水で血のついた手を洗った。何度も何度も擦ったけど、よく落ちないんだよ、人の血って。水も冷たいし、石鹸も無いから。こんな時、婆ちゃんでもいてくれたら、服についた血の落とし方とかも、きっと知っているのに」蓮は、自分の両手を見つめた。蒼斗も横から、その手を怖々と覗き込む。
「それから、川の浅瀬に自転車を倒して、月明かりを頼りに、裸足になってハンドルについた血を洗って。そして、この神社にきて、どうしようかって……」
蓮は、一息ついてウーロン茶を飲むと、
「それで朝になったんで、おまえに電話したんだよ」と、蒼斗に顔を向けた。
蒼斗は、話を一通り聞き終わると、蓮を見た。
「それじゃあ、まるっきし凶悪な殺人犯の、行動そのものだな」
蒼斗は、やっと気がついて、袋から左手を引き抜いた。おにぎりの赤い切り取り帯を取って、左右にビニールを引き抜いた。
「ツナシーチキン。これが一番美味いんだよなぁ」
慌てて飛び出してきたので、蒼斗も何も食べてはいなかった。
一口でおにぎりの半分位までを頬張ると、一緒に買ってきた魚肉ソーセージを袋から取り出した。
「蒼斗、真面目に考えてくれよ」
蓮は、蒼斗が良くこんな話を聞いた後で、呑気におにぎりを頬張れるなと、少し腹立たしかった。
「だって、蓮が殺ったんじゃないんだろ。俺はてっきりおまえが何かしでかしたんじゃないかと思って……」
蒼斗が、ソーセージのビニールを歯で破きながら、微笑んだ。
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