第3話

―――三時間前。


「アオちゃん……アオちゃん、電話よ」

叔母の声が、階下から聞こえた。


蒼斗は、叔父の家で目を覚ました。

腹の上に軽く掛けていた薄手の毛布は、足元によじれて、本来の役目を果たしていなかった。


壁に掛けてある、四角い時計に目をやると、八時十五分。

外は快晴らしく、半分開けた窓に揺れるカーテンから、時折漏れる閃光は強烈で、すでに真夏の陽射しそのものであった。

よろけながら階段を降りて、下駄箱の上にある電話機の、黒い受話器を耳に当てた。


「はい、……もし……もし」

蒼斗は、ゆっくりとだれたような声を出した。


「……」

蓮の声のようだが、なにを言っているのか聞き取れない。

昨日の昼過ぎに蓮の家に行って、夕方にコンビニへ冷たい缶コーヒーを買いに行くと、そのままコンビニの駐車場の車止めに二人でしゃがんで話をしていた。気がつくと、夜の八時半を回っていた。

あの時蒼斗は、横浜の新しい学校のことや、クラスの女子の話をしていたような気がする。


「人が死んで……、人殺しが俺に……、俺が犯人に……」

突然、蓮のかすれた声が、受話器の中から聞こえてきた。


「え、……?蓮、なに言ってんだよ」

蓮は、慌てているのと興奮しているのとで、声が大きくなったり小さくなったりしていて、良く聞き取れない。

その上、蒼斗も起きたばかりで、脳細胞の大半は、二階の夢の中においてきたままである。蒼斗は、蚊に刺された腹の辺りを、パジャマの中に手を入れて掻いている。


「人が、……死んで、た」

蓮が言った。できるだけ落ちつこうとして、ゆっくりと話しているのが分かる。


「俺が、犯人にされいてる」

「冗談だろ?」

蒼斗も、そこまで言われて、やっと少し目が覚めた。蓮からの返事はない。


「本当か?」と、蒼斗の口調が変わった。掻いていた手がパジャマの中で止まる。


「蓮っ!」

「ホント、……だよ」と、蓮の真面目な声が返って来た。


「嘘だろ。……死んでたって、……いつ?」

「昨日だよ。……蒼斗と別れた、すぐ後」


「なんでおまえが犯人にされてんだよ?」

「……」蓮の返事がない。


「じゃあ、おまえ、あれから家に帰ってないのか?」

「うん」


「なにやってんだよ」

「電話してる」


「馬鹿、ボケてる場合じゃないだろ」

「うん」


「うん、じゃないよ。うんじゃ」

いつもの絶妙な二人の会話だが、今はボケとつっこみをしている場合ではなかった。蓮にも、いつものようなノリと元気がない。


「蒼斗ぉ~」と、蓮の消え入るような声に、

「大丈夫、大丈夫だから。詳しいことは後で聞くから」と、蒼斗が応えた。


「分かった。……

「それでいま、どこにいるんだ?」


夜間瀬神社よませじんじゃの傍のコンビニ」

「なんでそんなとこに?」と、蒼斗が首を傾げた。

蓮の家のある方角では無かった。取り乱して、蓮が闇雲に走り回ったことが分かる。


「分かった。そこの神社で待ってろよ。すぐに行くから、馬鹿なマネだけはするなよ」と、蒼斗が急いで電話を切ろうとすると、


「あっ、お金が」と、蓮が思いついたように言った。


「え?」


「お金が無いんだ」


「あ、ああ、分かった」

今度は、蒼斗の方が、かなり慌てていた。


電話を切った後で(馬鹿なマネはするなよって、おれはなにを言ってんだ)と、蒼斗は、階段を駆け昇りながら呟いた。


(あいつ、きっと昨日は寝てないんだな)―――蒼斗はそう思った。


二階に上がると、TシャツとGパンに着替えた。脱いだパジャマを部屋の端に蹴飛ばすと、持ってきた旅費をデイパックに詰め込んだ。

階段を駆け降りると、一人分の味噌汁が、食卓テーブルの上に用意してあった。

蒼斗は、それを横目で見ながら、ナイキのスニーカーをつっかけた。


「叔母さん、ちょっと友達とキャンプに行ってきます。二、三日で帰るから。急いでいるんで、夕方また電話しま~す」

叔母が、エプロンで手を拭きながら、台所から顔を出した時には、蒼斗の姿はもうなかった。


庭でバッサムが鼻を鳴らしている。構ってもらえると思った蒼斗に、肩透かしを食ったようである。バッサムは中型の雄犬で、今年の三月までは蒼斗が飼っていて、いまは叔父の家に預かってもらっていた。

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