第一章 侯爵家へ契約婚!?④

 きょろきょろと辺りを見回す多恵のそばで大男がしゃがみこみ、ポンと多恵の肩をたたく。

「これはひじりが得意なようじゆつや。あやかしや人の本性を暴くことで捕らえるんや。この声はあれやな、店が繁盛しとるんをねたむ声やろ。それがしようとなって集まり、天火を呼んだ。天火は瘴気をみ込んだせいで店に悪意を持って火を点けたんや」

「妬み……? で、でも私も母さんもそんなこと……」

 多恵はうろたえる。人に妬まれるようなことをした覚えはなかった。母は常に客や商店街の人たち、食材を売ってくれるりたちなど周りの人たちに感謝して過ごすようにと口を酸っぱくして言っていた。

 近隣に冠婚葬祭があれば真っ先に手伝いに行っていたし、お金のない人には無料で定食を振舞うこともあった。

 それがなぜ恨まれて定食屋を燃やされることになるのか。

 多恵は、無意識に自分の着物をぎゅっと握りこんでいた。

 そんな多恵に大男はにこっと人懐っこい顔で笑う。

「あんたらが悪いんちゃうて。このあたりは人が多いからな。瘴気も集まりやすかったっちゅうだけや。でも、天火はオレらが責任もって処理するから安心してな。ほら、いま聖が捕らえたで」

 大男は、半壊した定食屋の屋根を指さす。

 いつの間にか、屋根の上をころころと転がりながら不吉なわらい声をまき散らしていた火の玉は動きを止めていた。周りに沢山の桜の花びらがあつまり、まるで花びら一枚一枚が意思を持っているかのように火の玉を押さえ込んでいた。

 聖と呼ばれた軍服の青年は火の玉に鋭い視線を向けたまま、腰に挿した軍刀を抜く。

 刀が陽を受けて鈍い光を放った。

 その刀身は、根元から半分ほどがどす黒く墨で塗りつぶしたように黒ずんでいた。多恵も刀を見るのは初めてではなかったが、その刀身を見たとき、ぞっと背筋があわ立つような恐ろしさを覚える。なぜだかわからない。でもとても不吉でまがまがしいもののように感じられたのだ。

だい。手を貸せ」

 抑揚の薄い声でこちらを見ることもなく聖が言う。

「あいよ」

 大男は大悟というらしい。彼は愛想よく返事をすると、聖の前に立った。

 大悟が両手を組んで、聖はそこに右足をかける。

「いくで!」

「ああ」

 短く声をかけあうと、聖は大悟の手を踏み台にして高く真上に跳んだ。大悟が思いっきり彼を手で押し上げたのだ。

 聖は二階建ての定食屋よりも高く跳びあがると、桜の花びらに絡まれて動けなくなっている火の玉に向けて手に持っていた軍刀を真っ直ぐ投げた。

 刀が火の玉のど真ん中、老女の顔を貫通すると、火の玉は水でもかけられたようにしゅるんと消えて花びらが舞い散る。刀はそのまま建物の向こう側に落ちたようだった。

 聖はくるんと空中で一回転すると身軽に地面へと降りてくる。

 着地するときにひざを曲げて衝撃を和らげたようだが、あんなに高いところから落ちて大丈夫かと多恵は内心ハラハラしていた。しかし、彼は怪我一つなくすくっと立ち上がり、再び定食屋の屋根を見上げた。

「落ちたな」

「ばっちりや。ちょっと刀、とってくるわ」

「ああ、たのむ」

 大悟が定食屋の裏に落ちた刀を拾うために駆けて行った。とはいえ、ここは建物が密接して立つ商店街。反対側にまわりこむにはかなりかいしないといけない。

 あっという間に小さくなっていく大悟の背中を見送っていると、聖がぽつりと言うのが聞こえた。

「火を出していた妖は始末した。これでようやく、まともに消火できるだろう」

「よかった……」

 多恵はほっと胸をでおろす。いままでどれだけ蒸気ポンプで水をかけても火の勢いは収まらなかった。空っ風が吹き付けるせいだと思っていたが、あの火の玉のせいだったのだとに落ちた。

「あ、でも蒸気ポンプが……」

 そういえば、頼みの綱の蒸気ポンプは先ほど大悟が焼け落ちてきた建物をはじくために投げ飛ばしていたことを思い出す。れきに目をやると、蒸気ポンプはどう見ても稼働しそうにないほど破損していた。

「ああ、まぁ、そこはうちで何とかしておく。すぐに他の消防組のポンプも届くだろう」

 聖も鉄くずのようになった蒸気ポンプに目をやって少し罰が悪そうに言うと、

「さて、そろそろいいな」

 パチンと指を鳴らした。途端に、ざわざわとしたけんそうが戻ってくる。

 いままでどこにも姿が見えなくなっていた野次馬たち、走り回る消防組の人たちが目の前に突然現れたように思えて、多恵はぎょっと身をすくめる。

「結界だ。妖を始末するのを見られると面倒だからな。消えていたわけじゃない。お互いに見えなくしていただけだ。本当は部外者は結界には入れないんだが……」

 聖が言いよどむ声は、履物屋の男の「あ! どこいってたんだ!」という声でかき消された。

 多恵と聖から少し離れたところに、履物屋や近隣の店の店主たちが集まっていた。

 彼らは多恵の姿をみつけるやいなや、すぐに駆け付けて再び多恵を取り囲んだ。

 それと同時に再びせいも次々に飛んでくる。

「どこ逃げてんだい!」

「逃げたって、どこまでも追いかけて賠償させてやるからな!」

「すぐ女衒ぜげんを呼んでやる」

 責め立てる声。怒りの目。いまにも握ったこぶしで殴られそうな勢いだ。

 多恵は泥だらけの地面に土下座した。

「もうしわけありません。もうしわけありません。必ず、賠償しますから。必ず」

 震えながら、そう繰り返すしかなかった。

 履物屋の男が多恵の腕をつかんで無理やり立たせようとしたとき、それまで静観していた聖が手で制する。軍服姿の相手に手を出されて、履物屋の男はそれだけでひるんだ。

「な、なんですか、軍人さん」

 うろたえながらも尋ねる男に、聖は確認するように聞き返す。

「お前たちは補償がほしいんだな」

「あ、あたりまえじゃないですか。店を立て直す金と当座の生活費がなけりゃ、首くくるしかねぇんだ」

 聖は腕を組んで、何かを考えるそぶりを見せた。多恵も、どうしたんだろうと顔を上げると、彼と目があった。なぜか彼がじっとこちらを見てくるので目が離せないでいたら、聖の口からとんでもない話が飛び出した。

「ふむ。それなら、うちで全額を補償しよう」

「……へ?」

 言われた意味が理解できなかったのか、履物屋の男はぽかんと口を開けた。

「だから、今回の火事で燃えた全ての店舗の再建築費と家財道具、当座の生活費の面倒をみると言っているんだ」

 なんでもないことのように言ってのける聖に、履物屋の男はいまいち話が吞み込めず、半信半疑で聞き返した。

「え、あ、あの、あなた様がですか? それとも、どこかのしかるべき役所に働きかけてくれるんでさ?」

 それに対して聖は、

「いや、うちで全額みる。私はたかみや家当主、鷹乃宮聖だ。うちの家名にかけて全額補償しよう」

 きっぱり断言した。

「う、噓じゃないよな。いや、軍人さん。あんたを信用しないわけじゃないんだが、あまりに調子がいい話で信じきれなくてよ。なんか証明するもんとかないのかい」

 履物屋の言葉に、聖は胸元から煙草入れのような革製の小袋を取り出す。中を開けると煙草ではなく、小さな紙の束が入っていた。たしか、『名刺』とかいうものだ。彼はそこから一枚の名刺を取り出して、裏に万年筆で何やら書きつけると男に渡した。名刺には立派な家紋が印刷されていた。

「これをうちの屋敷にもってくるがいい。家のものに話をつけておく。被害明細を出せばそれに見合う金銭を面倒見てやろう」

 履物屋と他の店主たちは名刺を見つめて、裏をひっくり返したり家紋を眺めたりした。そして、数分遅れてようやく聖の申し出を理解した店主たちは、わあぁあああ! と歓声をあげる。多恵は何が起こっているのか分からず、歓喜にわく店主たちと聖を交互に見るしかできないでいた。

 聖は、そんな多恵にすっと視線を戻すとよくとおる声で告げる。

「そのかわり、一つ条件がある。そこの娘、お前は私の屋敷にくるんだ」

 喜び合っていた店主たちがピタリと黙って、いっせいに多恵を見る。

 その目には「まさか、断らないよな?」という無言の圧力が感じられた。逆らえば、今度こそ何をされるかわからない。

 頰をひきつらせたまま、多恵はこくこくとうなずいた。

 それを見て、店主たちは再び盛大に喜びあった。もう多恵のことなど興味もないようだ。

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