レイチェル・アンダーソン②

「さあ、値段をつけるその前に……彼女に掛けられた『悪魔の呪い』について説明いたしましょう! まずはこちらをご覧あれ!」



 そう言って父はレイの着ている薄衣を剥ぎ取る。露になった身体を、3月初頭の冷気と下卑た視線が襲う。それに耐えられず身震いしてしまうレイの身体。



(寒いし、気持ち悪い……! なんだよこれ、どうなってるんだ!? これもレイの記憶なのか……?)



 観客は目の前で行われる非人道的なショーに歓声を上げる。あの日俺が見てしまったのと同じように、下着から見える胸には青紫色のアザが広がっている。



「これはかの大悪魔アクバルによる呪いの刻印! 彼女は18の誕生日を迎えると悪魔に魂を奪われる代わり、類い稀なる美貌と万能の才を与えられているのです! さあさあ、こんな珍しい玩具おもちゃ、どのようにして楽しまれますかな?」



 その男の顔は、父と呼ぶにはあまりにおぞましかった。大衆の面前で娘の裸体を晒すだけでは飽き足らず、玩具として売り渡そうという発想。興奮のあまり血走った眼。



 会場は「10万だ!」「15万出す!」などという大声が飛び交っている。よく見ると、声の主はパーティ会場で挨拶してきた貴族たちだった。



「よーし、リンコッド地方一帯の権利と20万でどうだ!」



 そう言って声高に手を挙げたのは、さっき『母親にそっくりの美人だ』などと挨拶したばかりのナントカ侯だった。ニタニタと気持ちの悪い笑いを浮かべた様子は先ほどの会話からは想像もつかない醜さだ。



 周りのどよめきからして相当な対価を支払っているようだった。結果、奴が落札してしまったらしい。



「では、私が手塩にかけて育てた娘は、ライオット殿にお譲りすることにいたしましょう! ここで一つご注意を。この呪い、初めて触れた者に『伝染』いたします。オススメとしましては、こちらで更に別の奴隷をご購入いただいて呪いを移してしまうのが……」



 醜い面の太った男が、もう1人の醜い男に何やら話している。しかしその内容はほとんど頭に入ってこなかった。俺の心はこの身体の持ち主であるレイの心とリンクして、全く別のことを考えていたからだ。



(『この館を使うのは、妹の成人のとき……』そう言っていた。何とかしてここを抜け出してエレノアを助けないと!)



「ヒヒヒ……ではではレイチェルお嬢様、少し遠いですが私の屋敷にお招きしましょうかねえ」



 ライオットが黒の手袋をはめて近づいてくる。歪に持ち上がった口角からは今にもよだれが垂れそうだ。



「お待ちください! この手枷を外してはいただけませんこと? 先ほどからずっと痛くて……外してくださればわたくし……何でもいたしますわ」


「グフ、。いいですなあ、この瞬間を楽しみに今まで育ててきたのですから。よし、では皆さんにも見ていただきましょう。この娘が私にひれ伏すところを!」



 そう言うとライオットは腰から取り出した装飾だらけの短刀を掲げると、レイの両手を縛る縄を切り裂いた。レイは両肩を回してその感覚を確かめる。……なんのために?



 瞬間、俺の視界は上下が逆転した。右脚は背中の方へ大きな弧を描き、かかとでライオットの顎を砕いていた。



 呆然とする場内。その隙をついて人々の間を駆け抜けホール出口に走る。タイツが滑って走りにくいので、途中で細めの男性を膝で制圧し靴と、ついでに上着を奪った。



「何やってる! 追え! 傷をつけるな!」



 数秒後、ヘンリーの怒声が後ろから聞こえてくる頃にはもう、レイは石造りの冷たい地下を出て、絢爛豪華な迎賓館に戻っていた。



(誰もいない……パーティはとっくに終わっていたということか。だとしたらエレノアは家に戻っているはず!)



 さっと建物出口へ向かうと、異常を察知した警備兵が2人ほどで封鎖しているのが見えた。すぐに方向を転換、手近な窓を開けると運良く馬屋の側だった。雨が降っていたが迷いなく飛び出す。



 手頃な馬を一頭拝借して、アンダーソンの屋敷へと戻る。ついでに馬を繋いでいた縄をいくつか解いておいた。この雨ならば追っ手はそう簡単に追いつけはしないだろう。



◇ ◇ ◇ ◇



「お姉様! どうされたんですの、その格好! それに……隣国の領主様のもとへ嫁がれたのではなかったんですの?」



 なんとか家にたどり着いたびしょ濡れのレイを迎えてくれたのは、妹のエレノアだった。



(そうか……レイがいなくなってもいいように、そういう筋書きになってたってわけか。あのクソ親父、なかなかやるな)



 続いて現れたのは兄、ダニスだった。兄は目を見開いて、



「レイ……なぜお前がここに。いや、そうか。何だか分からないが寒かったろう、とにかく家にお入り」



 と笑顔で呼んだ。



(何とか戻れたな。あとは親父の追っ手が来る前に、何とかして妹を逃がしてやれば……)



 しかしレイの身体は微動だにせず、兄を見つめ続けている。そして、



「こんな夜中ですのに、どうして剣を持っていらっしゃいますの? ……何か、戦わなければならない心当たりでもありまして?」



 と冷たい一言を放つ。2人の間に流れる微妙な沈黙。それを破ったのは、全身全霊を込めたレイの叫びだった。



「逃げて、エレノア!」



 しかし同時にダニスの放った横薙ぎの一閃が廊下の壁を軽々と粉砕、レイの叫びはかき消されてしまった。玄関から続く細い廊下は粉塵に包まれる。



 舞い散る埃の中に一瞬キラリと光る物が見えたと思ったら、レイの身体は軽やかに身をかわす。大きな衝撃音、ついさっきまで立っていた床に大穴が空いている。



(なんて馬鹿力だよ……これ本当に殺されるぞ!? まさか、レイはここで命を落として俺たちの世界に……? だったら逃げないと!)



 しかしレイの身体は俺の考えとは真逆の方へと飛び出した。粉塵の隙を縫ってダニスの横をすり抜けエレノアの元へと駆け寄る。



「逃げなさい! この家にいてはいけない!」



 混乱するエレノアの肩を揺すり檄を飛ばす。彼女の手を引き玄関とは逆方向に走り、突き当たりの窓を開けると、



「辛くても、1人で生きていくのです。馬には乗れますわね? 今なら雨で足跡を追うのは難しいはずですわ。さあ、行って!」



 エレノアを窓の外に押し出したのと、レイが引き倒されたのはほぼ同時だった。頬のすぐ横に大剣が突き立てられ、雨と土で汚れた縦ロールがばっさりと切り落とされる。



「父上から『傷つけないように』と言われているのでな。これ以上、動かんでもらえると助かるのだが」



 ダニスは無表情のまま冷たく宣言し、腰にぶら下げたロープに触れた。



(武装にロープまで用意してるなんて……兄貴もグルかよ、なんなんだコイツら! もう誰が味方か分からないぞ……)



 しかしレイの身体は驚異的なバネで身を起こし、屋敷を更に奥へと進んでいく。後ろから、



「無駄だぞ、今この屋敷にいるのはこちらの手勢のみだ! 助けはない!」



 という恐ろしい現実を伝える言葉が放たれる。それでもレイは止まらない。



 たどり着いたのは地下の倉庫だった。薄暗い照明をひとつ壁から取り外し、馬の飼料に向かって迷いなく投げる。割れたオイルランプの火は瞬く間に牧草へ燃え移り、辺りは煙に包まれた。



「レイチェル、貴様まさか火を!? クソッ、俺はこんなところで死ぬわけにはいかんぞ!」



 ダニスは上ってくる煙を見て、一目散に退却していった。そして地下への扉が閉められる音が響いた。



(閉じ込められた……どうすればいいんだ!? どうすればレイは助かる!?)



 レイの身体はまだ動く。隣の倉庫から暖炉用の小枝や薪を持ってきて燃える牧草の中へと放り込む。そのうちに火は勢いを増して、外の雨にも負けないような大きな炎となった。



「お母様、レイチェルはもうすぐそちらに行きます。どうか、どうかエレノアを……守ってあげてください」



 赤い光と煙に包まれた動けなくなったレイの身体は、そのまま力なく目を閉じてしまった。同時に俺の視界も闇に閉ざされる。



(レイ、起きるんだレイ! ここで倒れたら妹はどうなる!)



「レイ、起きてくれ、レイ!」


「起きてますわ、ユウ。貴方こそ大丈夫ですの? 急に倒れ込んで……心配しましたわ」



 目を開けると、高い空に花火が大きく咲いている。息を吸い込むと不快な煙でなく湿気た土の夏草の匂いがした。




⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 レイの過去を見てきたことで、より彼女のことを理解したユウ。2人の仲は深まるが、まだ問題は残っている。そう、両親が帰ってきてしまうのだ。



 次回!『彼女ができたこと、親にいちいち言えない』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る