転ばぬ先の姫
アルカニアと呼ばれる大陸があった。周囲を海洋に囲まれ外には大陸はないとされる。有史以降、外の世界を求め船を出す豪気な者はいたが、決してその船が返ってくることはなかった。
大陸は主に三つの種族によってその支配地域が決められていた。
西のエルフ族、東のドワーフ族、南の人族である。その人族の大地もまた多くの国があり、その中でも特に三つの王家の支配する大国が存在している。「ヴァルキア家」(House Valkia)の支配するヴァルキア帝国、「エルディリア家」(House Eldiria)の支配するエルディリア王国、「アークスフォード家」(House Arcsford)が代表を務める商業連合国だ。
大陸の北部は極寒の地――いかなる国にも属さぬ極限の地の果て――いかなる生き物も生きることが敵わず、わずかに寒さに強い生き物だけが生きることを許されていた。その中に天をも穿つほどの巨大な霊峰セレスティアルピークがあった。
いかなる生物も寄せつけないまさに死の山脈群ではあるがそれは表向きのこと。ここに龍王が住まう宮殿があることを知る者は少ない。
霊峰セレスティアルピークの中腹、強固な結界を抜けるといきなり広大な大森林に遭遇する。
そこは精霊界物質界との中間といえる世界だった。
正規のルートでは霊峰セレスティアルピークを決死の覚悟で登らなければならないが、竜王の許可を得た者であれば世界各地に設置された転移門をくぐることによって容易に訪れることができる。しかし、龍王の許可を得、転移門をくぐることのできる者などごくわずかであった。
故にこの宮殿を訪れる者など皆無と言っていい。
この宮殿に住まう者は、主である龍王とその世話を行うメイドたち。
そして――その龍王の娘。
「姫様! アメリア様!」
遠くの方からメイドたちの声が聞こえる。
その声から隠れるようにこそこそと動く影があった。
動く影は二つ。
子供くらいの大きさとそれよりも小さな四つ足の小動物の影だ。子供の頭には大きな白銀の角があった。
「いそがなきゃ! かくれなきゃ!」
磨き上げられた大理石の廊下。
てとてとと小さな足を懸命に動かして駆ける小さな女の子の姿があった。髪は白く勝気な印象を与える紅の瞳、幼いながらもどことなくその所作に気品が感じられた。
「ひめしゃま、そんなにいそいではころんでしまいます!」
「だいじょうぶだよポチ」
その隣を走る小さな白い犬。その名をポチという。そかしその実は白虎と呼ばれる霊獣だ――なのだが女の子によって霊獣はポチと命名されてしまっていた。本来の名前は別にあるのだが、真名を語ることはその者の魂を縛る事と同義、なのでその名を知る者はいない。
「姫様――っ! どちらにいらっしゃいますか!」
アメリアを探し回るメイドたちの悲痛な叫びが廊下に響く。
事の発端はアメリアが日々の勉強を「つまんない」とのたまい、部屋から逃げ出したことから始まる。
「なりませぬぞひめさしゃま!」
と騒ぎ立てるポチを尻目にアメリアは部屋を脱出し、中庭に向けて逃走劇を繰り広げているのであった。
「ろうかをはしってはいけませぬ!」
「だいじょうぶ」
息を弾ませながらアメリアは元気な声で応えた。
「ぜったいころんだりしないから!」
どてーん!
言った途端に足を滑らせて盛大に転ぶ。
「うんしょ。だいじょうぶでしゅか?」
ポチに体を支えられてアメリアはゆっくりと起き上がった。派手に転んで顔を打ち付けたせいか鼻がほんのりと赤くなっていた。
「だ、だいじょうぶ……」
涙目になりながらアメリアはすくりと立ち上がる。
その時だった。
「あっ! 姫様!」
「しまった! みつかった!」
「ポチにげるよ!」
「ひめしゃま、まってくだしゃい!」
アメリアはポチの言葉を無視して再び走り出す。
ポチはその後ろをとてとてとついていく。
メイドたちは小走りに駆けてくるが本気で逃げ出した子供の足にかなうはずはなかった。
(こんどはひめしゃまがころばないようにしかりとささえなきゃ)
ポチはアメリアの後ろをついていきながらそう心の中で呟いたのだった。
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