第59話 悲運の母娘

「鶖保殿! これは一体どういうことだ!」


 翡翠が秋冷と邂逅する少し前――。

 白琳たちの前に鶖保が現れ、彼は梟俊の詰問には答えず六軍兵たちを見やった。兵たちは頷き、梟俊と白琳、それからうつ伏せになったままの護衛兵を拘束した。


「なっ、何をする!」


 梟俊が抵抗しようとするも、兵たちは問答無用で彼をひざまずかせた。白琳も両腕を強引に掴まれ、梟俊同様両膝をつかされる。しかし、突如襲った眩暈と麻痺症状のせいで、拘束されようがされまいが、どちらにせよ身動きがとれないことに変わりは無かった。


「わけが分からない、とでも言いたげな表情ですね」


 鶖保の言葉に、白琳は静かな憤怒をたぎらせて開口する。


「どういうことなの。鶖保」

「先ほど貴女は何か口にしたはすです。そこに即効性の神経毒を仕込み、貴女の自由を奪って今のような制圧環境を整えたのです」

「……まさか、あのお茶に!」


 咄嗟に掩玉の方を見ると、彼女は変わらず冷酷な双眸をもって見つめ返した。

 あの時から既に彼女は裏切っていたのだ。いつもの明朗な笑みの裏に無情で酷薄な本性が隠されていたのだと思うと、どうしようもない悲しみと怒りに駆られた。


「掩玉……。あなたは一体、誰?」


 白琳の誰何すいかに、掩玉は一度鶖保に目を向ける。彼が顔を縦に振ると、掩玉は淡然と素性を明かした。


「掩玉というのは仮の名で、私の本当の名は稟玫と言います」


 その名が発せられた途端、室内にいた殆どの人間が大きく目を見開いた。


 幼少期に流行り病で夭逝したという、白琳の異母姉にあたる第一公主。

 生きていたのか。彼女はとうの昔に死んだのではなかったのか。白琳や美曜が言外にそう語るなか、梟俊だけは異なる意味で駭然としていた。


「稟玫様が、どうしてここに……」


 どうやら彼は秘匿されていた真実について何か知っているようだ。

 眩暈で朦朧とする意識を叱咤し、白琳が梟俊に詳細を問いただそうとした時、鶖保が代わりに事情を説明した。


「彼女――稟玫は私の姪である元後宮妃、婀珠の娘です。しかし、彼女は不遇にもある理由から銀桀様に見捨てられ、人知れず母もろとも宮廷を追い出されてしまいました」

「ある理由?」


 白琳の鸚鵡返しに、鶖保は頷くと共に地を這うような低声で返答する。


「ええ。稟玫が白、あるいは銀髪では無かったからという、実にくだらない理由です」


 銀桂の王族は総じて白あるいは銀の髪を持つ。だが稟玫の場合、母親の血が濃く反映されてしまったのか、髪色は似紫にせむらさきだった。


「白銀の髪ではない者は王族にあらず。そして、紛い者を産んだ女も役立たずで、今やもう用済み。先王陛下は稟玫を病死したことにして、婀珠諸共秘かに追放したのです」

「そんな、ことが……」


 実父の変わらぬ得手勝手な振る舞いとその理不尽に、白琳は絶句した。当時を知る梟俊も、箝口令が敷かれていたのか俯いて皺を濃くしていた。


「当然、婀珠は激憤しました。自分たちは何も悪いことをしていないのに、何故追放されなければならなかったのか。娘の髪が王族を象徴する色では無かっただけで、どうして公主として認められなかったのかと」


 今でも脳裏に焼き付いて離れない、婀珠の身を裂くような慨嘆。

 鶖保は瞑目し、当時の記憶を浮かび上がらせる。





『この国は血統主義のはずでしょう! 見た目なんか二の次で、王祖の血を引くことこそが何よりも尊いとされているんじゃないの⁉』




 ふざけるなっ! と、半狂乱になって調度品を壁に投げつける婀珠。

 まだ物心つかない年頃ゆえに、なぜ母親が暴怒に身をやつしているのか分からず、只々恐怖で震えることしかできない稟玫。

 生家に戻った彼女たちの変わり果てた姿に、様子を窺いに訪れた鶖保はぎりと奥歯を強く噛み締めた。


『婀珠』


 聞き慣れた声に、婀珠はもう一度投げようとしていた調度品を片手に振り返る。


『叔父様……』


 母親の怒声が収まったことで震えも止まり、稟玫は鶖保をじっと見つめた。

 鶖保は婀珠の両肩に手を添えて言う。


『すまない、婀珠。こんなことになってしまって……。今の私の力ではお前たちを助けられなかった』

『いいえ、叔父様。叔父様は何も悪くありません。悪いのは陛下――私たちを一方的に追いやった悪辣な男です。あと……』

『あと?』

『あの妓女が産んだ娘――白琳……! あの子は王族特有の白髪だった。おかしいわ!』


 どうして稟玫だけっ……!


 泣き崩れる婀珠を、鶖保は優しく抱き留める。


『泣くな。お前の言う通り、全ての元凶は銀桀様の専横にある。お前は何も間違っていないのだから、堂々としていればいい』

『でも……』


 鶖保は抱擁を解いて、婀珠に言い聞かせる。


『いいか、婀珠。お前たちの件があってから、私は決めたんだ』


 今の桂王朝を瓦解させ、私が新たな王になる、と。

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