第37話 惑星C66、昔の女②

 ◆


『ねえ、ケイジー。私あなたの部屋に行ってみたいな』


 君はケイラからそういわれた時、どの様に断ろうか悩んだ。


 ケイラを君の部屋に招きたくないわけではない。


 下層居住区スラムにケイラを連れて行く事に酷く抵抗があったのだ。


 例えば谷に一本の橋がかけられているとして、その橋の外に足を踏み出せば真っ逆さまに落ちてしまうだろう。


 下層居住区とはまさにそういった場所で、言ってしまえば "歩き方" というものがある。


「嫌だった……?」


 しかし、ケイラの愛らしい大きな瞳で見つめられてしまえば、君の精神はそれ以上抵抗できない。


「嫌じゃないけれど」と前置いた上で、君は下層居住区がどれ程危険かをちゃんと伝えるが、ケイラはそれでもと言う。


 ここだけ切り取ればそれはケイラの我儘に見えるがしかし、彼女にも彼女なりの理由があった。


 彼女には「何事もオープンにしてほしい」という思いがある。グレイタイプの外星人は相手の意識の表層を読み取るが、それが常態化している為に隠し事の類を酷く苦手とするからだ。


 ゆえにグレイタイプの大半は隠し事をするのも嫌だし、されるのも嫌だという種族的特性がある。


 ◆


 結局君はケイラの頼みを断り切れずに、下層居住区にある君のオンボロ部屋へと案内する事になった。


 ちなみに君の家は下層居住区の北端、C地区と呼ばれる区画にある。


 C地区は所謂ベッドタウンめいた区画で、多くのボロアパートメントが建っている。


 ただ案外にも建物の築年数は浅い。


 というのもどれも雑なつくりである為、余り長い期間持たないからだ。


 となるといずれは建物は全て消えてなくなってしまうのではないかという向きもあるが、そうはならない。


 住民は様々な経歴を持っており、中には建築関係の技術者もいる。そういう者があり合わせの資材で掘っ建て小屋の様なアパートメントを建てたりする為、C地区では常に建物が生まれては消えていた。


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「ねえケイジー、なんでパラソルを広げている人がいるの?」


「ビルの上から汚物を投げ落とす奴が居るからさ。この辺の下水道は余りちゃんと整備されていないから、機嫌次第ではトイレが逆流して部屋が臭くなるんだ」


 §


「ねえケイジー、あの人達は何をしているの?」


「薬の売買だよ。合法か非合法か分からないけど、俺の勘では合法な薬かな。睡眠薬とか精神安定剤とか。ほら、客の服。尻が見えているだろ?非合法の薬を買う奴は少しは金があるから、もうちょっとまともな服を着ていたりするんだ」


 §


「ケイジー……その、ここってユニークな場所よね」


「まあね、でもC地区はまだマシなんだ。ここの連中は言葉が通じて会話が出来る奴が多いけど、他の地区は言葉は通じるのに会話が出来ない奴が多い。目を合わせたら泡を吹きながら襲って来たりする。そして酷いのは、そんな地区よりもっと酷い場所があるって事なんだ。最低の下に最悪を作るっていうやり方はアースタイプらしいなと思うよ」


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 下層居住区スラムより更に酷い地区がある。


 "廃棄区" と呼ばれる地区だ。


 ここにはあらゆるモノが捨てられ、人も土壌も汚染されている。


 勿論ただ捨てられているだけではいずれ他地区へと溢れてしまうので、処理施設はある。


 しかしその処理能力が実情に追いついてないのが現状だ。


 なお、区画は防壁に囲われており、内部からの脱出は出来ない……という事になっている。



 ◆


 とあるジャンクビルの3階に君の部屋はあった。


「ここだよ、まあ狭いし散らかってるけど……」


 室内はスチールのベッド、無地のマット。打ちっぱなしのコンクリートの壁が寒々しく、お世辞にも良い部屋とは言えない。


 窓は罅が入っており、カーテンはない。


 装飾の類なんてものもない。強いて言えば、窓際に申し訳程度に置かれている小さなプランターだろうか。花はつけていない。


「あれは代用煙草のプランターさ。金がない時はあの葉を潰して擦り下ろして、鼻に詰めて空気を吸うんだ。何となく煙草を吸っている気分になる」


 それを聞いたケイラは二度、三度と瞬きをしてから言った。


「ケイジーはもう少し、ちゃんとした生活をする必要があると思うわ」


 君も同感だが……


「確かに。でもちゃんとした生活っていうのが良く分からなくてね」


「私が教えてあげる」


「すぐには覚えられないかもしれない」


「時間をかけて教えてあげる」


「時間をかけて、ね」


 その会話が将来を示唆するものであった事は、君もケイラも良く分かっていたし、その事を前向きに考えてもいた。


 しかし──……

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