閑話:紫煙の向こう

 ◆


 ビゴゴゴというドエムの言葉に君は形だけは頷く。


 ドエム曰く、惑星の重力圏内から完全に逃れるまで気を抜くなとの事だが、君としては「悪い予感」はしなかった。


 君の人生観はちょっとカジュアルなので、何というか割り切りが良い。


 なんとなくで大きな決断を下してしまう部分が君にはある。


「どうあれ帰らなきゃいけないんだし、気を抜こうが抜くまいが、上手くいくときはいくし駄目な時は駄目なんだよ。それに気を抜くなって言われても船と同期して操縦するのはドエムだぜ?俺はお前に命を預けてるんだ、頑張ってくれよな」


 君が他人事みたいにそんな事を言うと、ドエムはモノアイを赤く光らせてそういった気のゆるみがどの様な事故を招くのかを例付きで語った。


 語ったといっても、傍目からみれば金属球が不協和音をギャンギャン鳴らしているだけにしか見えないだろうが。


 君はなぜかドエムの機械語のようなモノが人の声として聴こえる。


 舌足らずの幼女がぎゃあぎゃあと喚いている姿を幻視・幻聴した君は、分かった分かったというようにドエムの冷たい肌をつるりと撫でた。


 ・

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 単独艇、"棺桶号" に乗り込んだ君はドエムに全てを任せて煙草を咥えた。


 火をつけ、偉そうに頭の後ろで手を組んだ。


 ドエムが航行の為のアレコレをソレコレしている最中、ヤニを吹かすというのはどうにも罪悪感のようなものがある。


 君は「ドエムが文句を言ってくれないかな」などと思う。


 有毒の煙が肺に吸い込まれ、速やかに無毒化され。


 フゥと白い煙を吐き出した君は、その向こうに在りし日を幻視た。


 ◆◆◆


 ヒトミとは路地裏で逢った。


 ヒトミは倒れていて、息こそしていたが服がボロボロだった。


 経年劣化のボロじゃなく、人の手で破かれていた。


 体もボロボロだ。


 破れた服の下には破れた皮膚がみえていた。


 そしてこれが肝心なんだが、何よりも心がボロボロだった。


 女の服がボロボロで体もボロボロ、目も虚ろでマインドブレイクとくれば何をされたのか位は想像がつくだろう?


「すぐに死ぬだろうな」俺はそう思った。


 人間、どこが壊れても何とかやっていけなくはねぇが、心が壊れればおしまいだ。


 俺はヒトミに近寄り、しゃがみこんで聞いた。


「死にたいなら殺してやろうか?」ってな。


 ヒトミは返事をしなかったが、ゆっくりと大きく瞬きをした。


 それをYESと受け取った俺はその辺に転がっていた硝子片と金属片を拾いあげた。


 この時俺の中にあったのは、「こいつでいいや」という思いだった。


 俺はヒトミの横に座り、手に硝子片を握らせた。


 俺の方は金属片だ。


 そして、ヒトミの手をとって硝子片を俺の首にあてさせ、俺は金属片をヒトミの首にあてた。


「俺も疲れたんだ。こういう生活に。でも一人じゃちょっとな。だからお前で良いと思った。俺は臆病だからよ」


 俺がそういうと、ヒトミは大きく目を見開いて手を自分の方へ引こうとした。


 それを見た俺は泣いた。


 バカみたいだろう?


 でも悲しかったんだ。


 こんな死にぞこないにまで見捨てられるなんて、ってな。


 疲れてる時は涙腺が脆くなるっていうから、それもあるのかもしれない。


 そしたらヒトミまで泣き出して、良く分からないが俺たちは抱き合っていた。


 そして俺たちは一緒に、いっしょに……


 ・

 ・

 ・


 君の脳裏を幾つかの思い出が過ぎった。


 ヒトミが掃除をして、君はだらしなく寝転がりながら煙草を吸っている。


 それを見たヒトミが怒りだし、君は謝り倒す。


 ──『ねえケージ!あなたは少しは手伝おうとは思わないわけ?』


 そんな思い出に君は僅かに口角を上げ、そして、ある日のことを思い出して表情を消した。


 ある日の夕方、君が日雇いの仕事から帰ってきたときの事だ。


 君達のボロ部屋は荒らされていた。


 それだけならいい。


 いや、良くはないかもしれないが取返しはつく。


 しかしその時君が見舞われた不幸というのは取り返しがつかない類のものだった。


 真っ赤に彩られた思い出だ。


 君は余り思い出したくない。


 しかし忘れたくもなかった。


 煙草を吸うと、君はその時の事をふと思い出すのだ。

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