第30話 惑星U101⑩

 ◆


 惑星K42全域に広がる黒カビはどこからどう見てもカビなのだが、実際はカビとは全く非なる存在だ。


 その実態は惑星開拓事業団の前身が散布したナノマシンである。君の様なアースタイプ……というか、生物全般を食い荒らし、血肉を動力源とする物騒な生体兵器だ。


 本来はゴミ処理用に開発されたそれは、幾度かの魔改造を経て生体兵器として活用されるようになった。


 惑星K42も本来はキラー惑星などではなく、自然豊かな植民惑星だったのだが、地球との関係が険悪化して遂には武力衝突、果ては新型生体兵器の実験場扱いされて現在に至る。


 ところで君は袖から噴き出した "それ" に見覚えがあった。


 ──こ、こりゃあ、あの時の……


 そう、君は惑星K42でこの黒カビを見た覚えがある。見ただけじゃなく、実際に捕食されかかったりもしたのだが君のボディはこの手の攻撃には非常に強い。


 君のボディ自体は非常に高性能なのだ。ただ一つ、自我が消失して人形めいた状態になってしまうという副作用さえなければ、多くの富裕層が君に対して行われた施術を受けただろう。


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 黒カビが君に迫りくる水の塊を覆い始めた。


 "侵食" である。


 黒い水の塊に見えるそれは、まるで生きているかのように他の塊へと襲いかかる。


 透き通った水の塊一つ一つが黒く染まっていく様子は、まるで伝染病が爆発的に拡散していく様子を思わせた。


 君の脚にまとわりつく水の塊も黒い霧の様な、粒子の様な何かに触れるとたちまち侵食され、脚からぽろりと剥がれ落ちる。


「ど、ドエム?なんだこれ?どうしたらいい?」


 君は腕の中に抱え込むドエムに尋ねるが、そのドエムも沈黙したままだ。壊れたのかと不安に駆られた君がバンバンと掌で叩くと、ドエムが抗議するようにピガピガと音を発した。


 しかし君が求めていた答えをドエムは返してはくれない。君の聴覚が捉えた言は、君の期待を裏切るものだった。


 曰く、『状況不明』


 ◆


 周辺の水の塊が全て黒い塊へと変じるのに、そう長い時間はかからなかった。君を襲う謎の水塊はもう見当たらない。しかし君は少しも安心できなかった。なぜならば水の塊の代わりに、黒い塊が周囲にゴロゴロと転がり、それらがまるで生きている様に蠢いていたからだ。


 黒カビそのものに君は不安を抱く事はない。


 なぜならばそれらはすでに惑星K42の調査で自身に影響なしという結果が出ているからだ。


 しかし水の塊は違った。


 鉄の塊を蹴り飛ばしても凹んだりしない君の脚を、あろうことか削り取ったのである。


 ──アレが俺に襲い掛かってきたら


 君はじり、じり、と後退する。勿論腕にはドエムを抱えたまま。


 しかし君が離した距離の分、黒い塊も距離を詰めてくる。


「逃がす気はないってことか」


 そう呟くと、君の目の色が変わった。


 君の胸中に闘志がわいてきたのだ。


 ──ドエムをあんなやつらの餌にするわけにはいかねえよなあ


 そんな思いが基本的にはビビリである君にファイティングポーズを取らせる。


 ──とびかかってくるか?それともさっきみたいに足元から?


 しかしそんな君の思いとは裏腹に、黒い塊群は奇妙な挙動を見せた。


 そこら中にちらばっていたそれが一か所へ集まり出したのだ。


「が、合体かよ!」


 呻くような君の言葉に応える様に、一つ、また一つ黒い塊は重なりあい、潰れ、合一していく。


 そして──…


 ◆


「女……?」


 茫とした呟きが森へ散り、溶けていく。


 黒い塊が一塊となり、その形状を変じて女性らしき姿を取る。


 端的に言って、良い体をした女であった。


 形の良い胸、でかい尻、くびれた腰。


 君の好みはそんな所だが、眼前のカビの集合体は見事に君の好みを満たしている。


 その姿がカビヅラしたナノマシンの集合体であることを除けば、だが。


 君の声にはいささか精彩が欠けていた。


 外惑星で奇妙な気象現象や、奇妙な生物と出くわす事自体には君は驚いたりはしない。


 奇妙な場所で奇妙なモノ──…君の認知外のモノに出くわすのは当然だと言う割り切りがあるからだ。


 しかし、君好みの形の良いパイオツ持ちの女となると話が変わってくる。それは君の認知内のモノであり、君が知っているモノだ。


 奇妙な場所で君が知るモノに出くわす、これはおかしいことだと君は考えている。


 君は言語化こそ出来ないものの、"奇妙な事" と "おかしい事" が似て非なるものだという考えを持っていた。


 そんな君の価値観からして、この女は "おかしかった"。


 女はゆっくり君へ近づいていく。


 ドエムが警告音を発するが、君は動かない。


 恐怖ゆえに動かないのか、不安ゆえに動かないのか。


 そのどれでもなかった。


 君の目は爛々と輝いている。


 好奇心の危うい光が君の瞳に揺蕩っている。


 君は "これ" は一体なんなのかと、正体は一体何なのだと、それを確かめたいと心から思っている。


 好奇心猫を殺すというが、君の好奇心は君自身を殺めてしまうかもしれない。それほどに危ういものだった。


 だが君が死ぬのは少なくとも今ではなかった。


 ◆


 黒い女の影は君へ近づき、やがてその顔を君のそれへと寄せていく。


 そして唇と唇が触れ合った瞬間、女の影は掻き消えた。

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