第11話 惑星C66、返済

 ◆


 坂の上から冷たい風が下りてくる。


 君は急こう配の坂をのぼっていた。


 この坂は惑星C66の下層居住区スラムの名物だ。


 この坂から下りてくるのは冷たい風だけではない。


 死体も転がってくる。


 急こう配を良い事に、死体をごろんごろんと投げ捨てる不届き者が多いのだ。


 ゆえに "死体転がしの坂" などと不名誉な呼び方をしているものもいる。


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 下層居住区スラムはざっくばらんに言ってしまえばあらゆる弱者が集う居住区である。


 貧乏人、病人、犯罪者…


 貧乏人は経済的弱者


 病人は健康的弱者


 犯罪者は社会的弱者


 ちなみに最後の犯罪者は社会的弱者というのは異なる意見もあるのだが、惑星C66の法秩序下に於いては重犯罪者の人権というものは認められておらず、社会秩序を乱す重犯罪者はあらゆる "有効利用" をされる。


 故に社会的弱者という表現は必ずしも間違っていない。


 ◆


 坂の半ばの襤褸小屋が君の目的地である。君はちょっとした目的の為に外出をしていた。ドエムが勝手に注文したドーグの数々が届くのは翌日であり、少し時間が出来たので…という事だ。


「よう、チェルシー!いるかい?いるよな!?」


 君はろくすっぽノックする事もなく、勝手にドアを開けて手をあげて元気よく挨拶した。


 室内は静かで、薄暗い。


 君は足にごん、と何かが当たる感触を覚える。


 見れば酒瓶であった。


 ラベルはない。


 まともな酒ではなく、まあ要するに…酒のような何かである。


 床は歪んでいて所々に穴が開いており、歩くたびにギイギイと軋む。壁は色あせたポスターやら、かすれた塗料で覆われていた。


 店内の奥にはバーカウンターが鎮座しているが、それはカウンターというよりは木の台であった。椅子もテーブルも不揃いで、どれもが長い使用による摩耗の跡が見て取れる。


 君の問いかけに応えはなかった。


 しかし君が薄暗い店内の入口でじっと待っていると、店の奥からずる、ずる、と何かを引きずる様な音が聞こえて来る。


 ずる、ずる、べちゃ、べちゃ。


 べちゃ、ずる。


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「やあチェルシー!久々じゃないか、今日の色艶も素晴らしいね。オイルを変えたのかい?」


『ヴヴ……ケージ。イキテイマシタ、カ。ナニヲシニキタノデスカ…』


 溺死寸前の者の、ゴボゴボというような声が聞こえてくる。


 君の視線の先にいるのは人間ではなかった。


 チェルシーは惑星U9630出身の軟体生物で、その外見は透明で3、4mはあろうかという巨大なゼリーといった所だ。彼女は自分を雌と定めている。


 彼らには雌雄がないが、彼らのほとんどは自身の性別を自身で定めるのだ。寿命は300年程で、チェルシーは95才…人間でいうなら30代前半くらいだ。


「何をしに来たんだって酷いじゃないか!金を返しに来たのさ、アンタには随分と世話になっているからな。それとも何かい、俺が借りた金を返さない男とでも思ってるのかい?」


 君は心外そうな様子で言う。


 これは君の数少ない美点なのだが、君は借りた金をしっかり返すタチなのだ。


『ヴ……ヨク、イイマス。コズルイ、サギシ…ノ、クセニ…』


 チェルシーはどこから出しているのか、呆れたようなゴボついた声を出す。


「詐欺っていっても観光客からちょっと恵んでもらってるだけじゃないか!それにちゃんと案内はしているよ。中層居住区はバカ広いからな。それとも何かい、保険詐欺かい?あれだって相手に納得してもらっての事さ。もしくはアレか?結婚詐欺の濡れ衣かい?あれだって確かに逮捕はされたけど、相手は被害届をちゃんと取り下げてくれたじゃないか。ちゃんと話し合って分かりあえた証拠だよ。そもそも女の子からビタ一文借りてないんだ、俺は。むしろ奨学金だって出してやったんだぞ。なのに結婚してくれないならこれまでの時間を返せと言われても困るんだよな…」


 君はブツブツいいながら首を振り、懐から何枚かの紙幣を取り出してカウンターに置く。


 チェルシーはそれを見て…見てといっても眼があるわけではないので"見て"いるのかどうかはわからないが、とにかくそれを見て、ぶるりと体を震わせる。


『ネツガ…アリマセン。ズイブン、イジラレタノデスネ。カラダハ、ドウデス、イジョウハアリマセンカ…ヴヴヴ』


 熱?と君は首を傾げると、君の手首にどびゅるるると何かが伸びてくる。それはチェルシーの腕…というか、触手というか、体から伸ばした透明のゼリー腕である。


『タイオン、デス』


 ああ、体温ね、と君は思う。


 確かに君には体温はない。君の肌にふれれば分かるが、その感触は冷たい。


 柔らかいのだが、冷たい。


 例えていうならば、冷蔵庫に入れたゴム板に触れているような感触だ。


「随分弄られたどころか、ノーミソだって半分はアレしちゃったらしいぜ。でも余り頭よくなった気はしないんだけどな。体は殆ど弄られたけど、下半身は使えるぜ」


 と、左手で何かを上下にシコシコと動かす所作を見せた。君には品性がやや欠如しているのだ。


『ヴヴヴヴ…ハァ、ケージ、アナタハトテモ、チノウガヒクイ……』


 チェルシーはゴボゴボと呆れた様な声を出し、酒棚から一本のボトルを取り出した。雑な筆致で『C』と書いてある。


 そして薄汚いグラスを取り出すと、何を思ったかそれを体内にどぼんと沈めた。


 グラスはすぐにぽんと弾き飛ばされ、チェルシーの触腕が宙空で見事にそれをキャッチする。先程まで薄汚かったグラスはピカピカに磨かれており、チェルシーがそこに氷を入れ、酒を注いだ。


 君は「今更言う事かい?」などと言いながらグラスを受け取って、一息にそれを呑んだ。


 この酒は度数だけしか美点のないようなドブ酒だが、唯一の美点であるところの酔う速度だけは異様に早い。


 だが君は酒を飲むなり、1秒もかからずに酒精は分解されてしまった。


「これなんだよなァ~」


 君の呟きにはどこか散文的な雰囲気が滲んでいる。


 "これ" というのは、飲酒の楽しみがなくなってしまった事を指す。


 ふと思うのだ。


 楽しみを楽しみとして感じられなくなる…そんなモノがドカドカと増えてしまったら、一体自分はどうなってしまうんだろう、と。


『ヴヴヴヴ…ノウ、ニ、チョクセツ、アルコールヲ…ウチコミマスカ…』


 少しおずおずとした様子のチェルシーに、君は苦笑を浮かべて首を振った。


「おいおい、チェルシー。君とは円満に終わった筈だぜ。恋の火は消え、友情の熾火が残ったんだ。君は魅力的だし、ふらっとベッドインしたくなっちまうけどよ、気軽に始まった関係っていうのは気軽に終わっちまうんだ。君と再び何かが燃え上がるにしても、カタチってのを大事にしたいもんさ」


 チェルシーはそれを聞き、ヴ、と呟いてからお代わりの酒をドバドバと注いだ。


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 惑星U9630は軟体生物の楽園だ。


 というのも、この惑星自体が極めて巨大な軟体生物である為である。マザーと呼ばれるそれから、彼らはポコポコと泡の様に生まれてくるのだ。


 まあそれは兎も角、この星の軟体生物は他の生物とも繁殖が出来る。


 ただ、その繁殖方法はユニークで、相手の肉体に浸透するという手段を取る。


 例えば君のような一般的なアースタイプの人間との性交なら、耳や尻、鼻や目などから体内に浸透していくのだ。これには浸透と同時に分泌される物質のために痛みを伴わない。

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