四章 悪童式魔法戦必勝法③

 実践魔術の授業で短縮詠唱を披露し、ずぶ濡れになった日の午後、授業を終えたルイスが一度寮の自室に戻ると、ルームメイトのオーエンが、何やら見覚えのない器具を広げていた。

 ガラスのポットに、円錐形の布袋、それと口の細いケトルなど――何か実験でもするのだろうかと見ていると、オーエンが作業の手を止めて、ルイスに目を向ける。


「おかえり」

「おう、なんだそれ? 実験器具か?」

「違うよ。コーヒーの道具。母さんが豆を送ってくれたから、久しぶりに淹れようと思って」

「コーヒー? ……あぁ、あの黒いやつ」


 コーヒーを知らないわけではないが、今まで飲む機会がなかったルイスにとって、コーヒーとは黒い豆のスープである。


(飲むと、すげー頭が冴えるらしいが)


 ルイスがオーエンの手元にある道具を物珍しげに見ていると、オーエンはいつもより幾らか弾んだ声で言う。


「僕は紅茶より、コーヒーの方が好きなんだ。紅茶は、お客さんが来た時しか淹れないかも」

「……へぇ」


 リディル王国では、圧倒的にコーヒーより紅茶の方が普及している。

 ただ、ルイスが飲んだことのある紅茶は、安い茶葉を煮出した物で、苦いわ渋いわで、あまり美味しい物ではなかった。ジャムを投入して、初めて飲める代物だが、コーヒーはどうなのだろう?

 ルイスは椅子に反対向きに座り、背もたれに頬杖をついて、オーエンの作業を眺めた。

 オーエンはミルで挽いた黒い豆を、円錐の布袋に移し、ガラスポットにセットしている。

 口の細いケトルには、既に水を入れているらしい。オーエンはケトルを三脚の上に載せ、詠唱をして火を起こした。

 強すぎず、弱すぎず、安定した威力の火だ。小さな火だが、同じ火力を維持するというのは、実は地味に難しい。


「お前、魔術上手いな」

「将来は、魔法兵団を目指してるからね」


 ルイスは俄かに目を見張った。

 魔術を用いた戦闘に特化した魔法兵団は、魔術師の中でも選ばれた精鋭しか入団できないエリート集団である。

 戦闘を得意とするなら魔法兵団、研究職なら王立魔法研究所が、平民出身の魔術師にとって憧れの的であるらしい。


「俺、なんとなくお前は、学者か研究者になりたいのかと思ってたぜ」

「……昔、旅行先で竜害に遭ってさ。そこで、七賢人の〈砲弾の魔術師〉に助けられたんだ」


 七賢人は、リディル王国における魔術師の頂点。操る魔術は奇跡に等しく、魔術師達にとって憧れの存在だ。

 更に七賢人には、魔法伯という特別な爵位が与えられ、貴族議会ですら干渉できない国王の相談役とも言われている。


「竜は、眉間を狙わないと倒せないって言うでしょ? でも、〈砲弾の魔術師〉の多重強化魔術は、そんなのお構いなしに、竜を吹き飛ばすんだ。本当に、すごかった」


 オーエンはケトルを沸かす火を維持したまま、ポツリ、ポツリと語り出す。

 いつもの彼らしい、素っ気ない口調だが、その奥に、静かに噛み締めるような熱意を感じた。


「だから、竜とも戦えるすごい魔術師になりたいんだ。流石に七賢人は無理だから、魔法兵団を目指そうって思って……うちは貴族でも魔術師の家系でもないけど……父さんも、母さんも、応援してくれてる」


 魔法兵団になる夢を応援し、こうしてコーヒー豆を送ってくれる家族に、オーエンは深く感謝しているのだろう。

 ミネルヴァの学費は決して安いものではないことを、ルイスは知っている。


(本気ですごい魔術師になりたがってる奴らにとって、俺は目障りなんだろうな)


 ルイスには己の才能に対する自覚と、相応の努力に対する自負がある。

 自分には才能がある。それを磨く努力をしている。だから、周りに文句を言われる筋合いはない。

 それでもルイスは、自分に明確な将来の夢がないことにおいて、オーエンに対し引け目を感じていた。


(だって、今まで、そんなの考えたことねぇし)


 マーマレードを食べる、ラザフォードの鼻を明かす、試験で良い成績をとってロザリーを驚かせる――どれも目先の目標だ。将来の夢とは違う。

 ルイスがぼんやりしている間に、オーエンは火を消し、ケトルを持ち上げた。

 そうして、布袋にセットした豆にケトルの湯をそっと注ぐ。砕いた豆は湯を吸って膨れ上がり、細かな泡を立てた。

 布袋の下にセットされたガラスポットに、ポタポタと黒い液体が溜まっていく。


「へぇ、コーヒーって、そうやって作んのか」

「作るじゃなくて、淹れるだよ」

「だって、豆のスープだろ」

「コーヒーだって」


 オーエンは布袋を外し、ガラスポットに溜まったコーヒーをカップに注ぐ。そして、「はい」とカップをルイスに差し出した。

 ルイスは目を丸くし、真っ黒な液体で満たされたカップをまじまじと眺める。


「……いいのかよ?」

「いいよ、お裾分け」


 オーエンには以前、マーマレードも貰っているのだ。その上、コーヒーまで貰うのは、なんともバツが悪い気がする。

 ルイスが迷っていると、オーエンはいつもの素っ気ない口調で言った。


「一ヶ月遅れの入学祝いだと思っとけば」

「じゃあ祝われてやるよ」


 ルイスは椅子に逆向きに座ったまま腕を伸ばし、コーヒーのカップを受け取った。

 まずは、カップに顔を近づけて、フンフンと匂いを嗅ぐ。食欲をそそる良い匂い、とは少し違うが、嫌な匂いではなかった。

 熱いカップにフゥフゥと息を吹きかけ、ルイスはコーヒーを一口飲んだ。仰け反った。


「ぐぉっ!? なんっっっだ、これっ!? 冥府の闇を煮詰めたのかってぐらい苦いぞ!?」

「そんなに濃く淹れたつもりはないけど」


 そう言ってオーエンは、自分の分のカップを傾け、美味しそうにコーヒーを飲む。

 いつもどことなくムスッとした顔をしているオーエンだが、今は珍しく頬を緩めていた。その事実に驚きつつ、ルイスはもう一口コーヒーを飲む。やっぱり苦い。

 ルイスは机の引き出しから、以前オーエンに貰ったマーマレードの瓶を取り出し、匙で掬ってコーヒーに入れた。

 そうして三口目を飲み、顔をクシャクシャにして絶望する。


「駄目だ、ジャムが負ける……なんて飲み物だよ……」

「ルイスって、割と味覚が子どもだよね」

「うっせぇ」


 貴重なジャムを入れたコーヒーだ。残すわけにはいかない。

 ルイスは鼻の頭に皺を寄せながら、残りのコーヒーに口をつける。その顔がよほど面白かったのか、オーエンは珍しく肩を震わせて笑った。

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