四章 悪童式魔法戦必勝法②

 職員室の自席で、〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードが小テストの採点をしていると、隣の席のマクレガンが紅茶をチビチビと飲みながら言った。


「ミラー君だけど」

「あ? 今度は何やらかした、あいつ?」

「初級の魔術が全部使えるのは聞いてたけど、同時維持と短縮詠唱は初耳よ。そういうのは、ちゃんと先に教えてくれる?」


 ラザフォードは採点の手を止めて、顔をしかめた。

 魔術師は初級、中級、上級と位が分かれており、上級の魔術師は一握りほどしかいない。

 そして、同時維持は中級相当、短縮詠唱に至っては、上級魔術師でも全員が使えるわけではない技術だ。


「俺は同時維持も短縮詠唱も、教えてねぇぞ」

「……教えてないの?」


 ラザフォードは火の点いていない煙管を手に取り、指の中でクルリと回した。考えごとをする時の癖のようなものだ。

 クルリ、クルリと更に二回ほど回したところで、ラザフォードは低く問う。


「あいつ、同時維持と短縮詠唱を使ったのか?」

「短縮詠唱で火球を一五分割。それを二つ同時維持。術式接続の流れも、火球の安定感も、持続時間も申し分なし……すぐに消火しちゃったけど」


 見習い魔術師なら、火球を発動してから三秒維持できれば良い方だ。魔術は発動よりも、維持の方が難しい。

 少なくとも、入学から一ヶ月かそこらでできることではなかった。


「ラザフォード君から、初級教本の魔術を一週間で覚えた、って聞いた時は、ちょっと信じられなかったけど……うん、あれはちょっと規格外ね」


 ミネルヴァでは入学時に必ず、得意属性診断と魔力量計測を行う。

 ルイスの得意属性は風、魔力量は一〇〇前後。今まで魔術と無縁の暮らしをしていたのなら、かなり優秀な数字だ。

 魔力量は魔術を使うほど増える傾向にあり、大体二〇歳ぐらいで成長が止まる。ルイスは今が成長期だから、更に伸びるだろう。

 マクレガンも、そう考えているらしい。


「風属性の子は戦闘向きだし、魔法戦の訓練、早めに始めた方がいいんじゃない?」

「……そうかもな」


 魔術や魔導具等、魔力による攻撃手段を用いた戦闘のことを魔法戦という。

 魔法戦は特殊な結界の中で行われ、この結界の中では肉体が保護され、受けたダメージの分だけ魔力が減少する仕組みだ。

 魔術師の中には研究者を目指す者もいるので、魔法戦の授業は選択制になっている。

 ただ、研究者志望でも実戦に強いと就職で有利になるので、魔法戦の授業を選択する者は多かった。

 ルイス・ミラーはその気質と才能からして、魔法戦向きだ。戦闘専門魔術師のエリートである、魔法兵団だって狙える。


「あっ、もしかして、ミラー君の話ですか?」


 ラザフォードとマクレガンの会話に割って入ったのは、法学担当のアリスンだ。教師の中では比較的若い、二〇代前半の朗らかな青年である。

 金髪を撫でつけたアリスンは、ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべて言った。


「彼、すごい問題児だって聞いてたから警戒してたんですけど、話と違うじゃないですかー。授業態度は真面目だし、居眠りしてる生徒に見習ってほしいくらいですよー」


 法学の授業は、まだ若い生徒にとって退屈なものであるらしく、居眠りをしたり、サボったりする生徒が多い。

 そのため、勉強熱心なルイスは、アリスンにとって好ましく感じられるようだった。


「課題の出来がすごく良くて、それを褒めたら、『法の抜け道を探すには、法の知識がいるからな』なんて、パンチの効いた冗談返してくるんですよー。いやぁ、気概がありますねっ!」

「…………」


 ラザフォードは煙管片手に閉口した。

 ルイスは何か問題を起こした時、法の抜け道を掻い潜る気満々なのだ。勉強の動機が不純である。

 アリスンがニコニコしながらルイスを褒めると、今度は三〇歳ほどの赤毛の男、魔法生物学教師レドモンドが頷いた。


「この間、竜の模型を模写する授業があったのですが、ミラー君はすごく熱心でした。特に、急所である眉間の鱗の形状や、鱗の剥がしやすい位置は、丁寧に描き込まれていた」


 狩る気満々じゃねーか、とラザフォードは思った。

 ただ、教師達は概ね、ルイスのことを評価しているらしい。

 ルイスは普段の素行こそ悪いが、学ぶことに貪欲な生徒である。

 ミネルヴァはリディル王国における魔術師養成機関の最高峰。その教師ともなれば、勉強熱心な生徒を気に入らないはずがない。

 先ほど、ルイスに注意をしたばかりのマクレガンですら、「彼のレポート、良いよね」と髭を撫でて頷いている。

 無言で煙管を回すラザフォードをよそに、アリスン、レドモンド、マクレガンの三人が盛り上がっていると、小柄な老女――結界術教師のメイジャーが、課題の束をトントンと整えながら、苦々しげに言った。


「わたくしは、彼のことを評価できません。特待生たるもの、生徒達の模範であるべきではありませんか。それなのに入寮初日に暴行事件を起こすなど、とても許容できません」


 メイジャーは紺色のドレスにローブを羽織り、丸眼鏡をかけている。ローブがなければ、いかにも女学校の堅物教師といった風情である。事実、彼女はミネルヴァの教師の中で、最も生活指導に厳しい。

 そんな彼女は、素行不良のルイスを目の敵にしていた。

 ラザフォードは正直、メイジャーのような教師がいてくれて良かったと思っている。そうでないと、ルイスのようなクソガキはどこまでもつけあがるからだ。


「この間なんて、ルイス・ミラーは窓から外に飛び出し、渡り廊下の屋根を走っていたのですよ。まったく、信じがた、い……」


 ぼやくメイジャーの目が、窓の外を凝視する。

 つられて窓の外に目を向けた教師達は見た。渡り廊下の屋根の上を半裸で元気に走る、わんぱく小僧の姿を。

 メイジャーが窓を開け、顔を真っ赤にして金切り声をあげる。


「ルイス・ミラー! そこから下りなさい! それになんですかその格好は! ふ、服を、服を着なさいっ!」

「授業に間に合わせるためなんだから、見逃せよ!」


 ルイスはそう叫び返して、渡り廊下の屋根を駆け抜けていった。

 ラザフォードは煙管の灰をトントンと落とし、ため息をつく。


(あんだけ元気が有り余ってんなら、やらせた方がいいかもなぁ……魔法戦)


 魔術を用いた模擬戦闘なんて、いかにもルイス向きの授業だ。

 だが、ラザフォードには、どうにも嫌な予感がしてならないのだ。

 あのクソガキが、魔法戦でも何かやらかす気がする、という予感が。

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