四章 悪童式魔法戦必勝法①

 実践魔術の授業の教室で、ルイスは教壇に立ち、手にした短杖を軽く掲げた。

 教壇の横に立つ実践魔術担当の老教授、マクレガンが静かに告げる。


「火球、威力五、最大数指定なし、座標固定」


 マクレガンの指示は、威力を落とした小さな火球を、できるだけ多く周囲に作り出せ、というものだ。

 ルイスは意識を集中し、詠唱を始める。

 詠唱は魔術の設計図だ。威力、形、個数、展開位置、飛距離など、細かなことをこれで決定し、それに沿った形で魔力を編むことで、魔術は完成する。


(位置座標固定、属性変換、分割、成形……)


 詠唱によって魔術式を展開、この時、無駄な部分を削ぎ落とした詠唱をする。

 ルイスの詠唱に、教室の生徒達がざわついた。


「おい、これって……」

「短縮詠唱か?」

「嘘だろ、今月入学したばかりの奴が……」


 通常の詠唱を一部省略した短縮詠唱は、難易度の高い技術だ。魔術式に関する深い知識と理解力が求められる。


(……その程度で驚いてんじゃねぇよ)


 ルイスは不敵に笑い、術を発動した。

 火球を作り出すこの訓練、まだ未熟な者は火球を一つ、少しこなれた者なら二つ、三つの火球を作るところだ。

 今のところ、クラスで最も優れていたのは、火球を一〇作ったアドルフ・ファロンという少年である。

 だが、ルイスは杖を一振りし、己の周囲に一五の火球を展開した。

 そして、その一五の火球を維持したまま、もう一度短縮詠唱を繰り返し、追加で一五の火球を作り出す。

 一般的に、魔術師が同時に維持できる魔術は二つまでと言われている……が、二つ同時維持は決して簡単なことではない。

 短縮詠唱も、同時維持も、入学して一ヶ月かそこらの人間にできることではなかった。

 クラスメイト達の顔に浮かぶ表情は、驚愕、畏怖、嫉妬――それらを無視し、ルイスは窓際の席に座るロザリーを見た。


(どうだ!)


 ルイスは得意気に鼻を鳴らす。

 ロザリーは何故か口をパクパクさせ、手を動かしていた。何かを伝えようとしているらしい。

 すごいわ! 素敵! ――でないことは確かだ。彼女の顔は焦っている。


(……なに可愛いことやってんだ、あいつ?)


 ルイスは右目を細めて、彼女の唇の動きを読んだ。


(……『上』?)


 火球を維持したまま、首を上に向ける。

 頭上には大人二人が両手で輪を作ったぐらいの、大きな水球が浮いていた。マクレガン得意の水の魔術だ。

 マクレガンが「えい」と杖を一振りすると、水球は勢いよく降り注いでルイスが起こした火球を鎮火する。


「ぶばぁっ!?」


 上を見上げたせいで、顔面で水球を受け止めることになったルイスは、そのまま勢いに押されて床に尻餅をついた。


「チミね。そういう大技は外でやってちょうだい。火事になったら大変でしょ」

「『最大数指定なし』って言ったろうがよ!」


 ずぶ濡れになったルイスが、唾を飛ばして怒鳴ると、マクレガンはのんびりした口調で言う。


「この教室なら、その半分で充分。状況に応じた魔術を使うのも、魔術師の実力の内よ」


 ちょうどそのタイミングで、授業の終わりを告げる鐘が鳴ったので、マクレガンは教本と杖を手に、廊下に向かう。


「あ、そうそう。ミラー君は、今日使った短縮詠唱についてレポート書いて提出してね」

「なんで俺だけ!?」


 誰よりも上手に魔術を使ってみせたのに、ずぶ濡れになるわ、課題が増えるわ、散々である。

 ギャンギャンと怒鳴るルイスに、マクレガンは「レポート楽しみにしてるね」と言って、教室を出て行った。



 マクレガンの水球でずぶ濡れになったルイスは、床掃除を終えた後、一度外に出て制服の水気を絞り、じっとりと湿った制服で教室に向かった。寮に戻って着替えるのが面倒くさかったのだ。

 北部では濡れた服のままでいるなんて自殺行為もいいところだが、こちらは暖かいから死ぬ心配もない。


(まぁ、このままでも、そのうち乾くだろ。多分)


 楽観視しながら教室に足を踏み入れると、教室の生徒達の視線がルイスに集中した。

 それでいて、ルイスに話しかける者は誰もいない。

 ミネルヴァに正式入学してから一ヶ月。ルイスはクラスメイト達から、完全に腫れ物に触るような扱いをされていた。

 平民出身の特待生。食堂で暴れた野蛮人。関わらないのが一番――というのが、クラスメイト達の認識らしい。

 ルイスとしては、最初からそう思われるよう振る舞っているので、特に気にしていない。舐められるより、ずっとマシだ。

 ……そう思っていたのだが、机と机の間を歩くルイスの前に、ヒョイと足を投げ出した男子生徒がいた。

 負けん気の強そうな顔をした、黒髪の少年――このクラスで、ルイスの次に魔術の上手いアドルフ・ファロンだ。いつも前髪を真ん中分けにして額を出しているので、ルイスは雪原みたいな額だな、と密かに思っている。北部では、白くて広いものをしばしば雪原に喩えるのだ。

 アドルフは、ルイスを転ばせるつもりだったのだろう。避けるのは造作ないが、ルイスはあえてその足に引っかかり、よろめいてみせた。

 アドルフが笑みを深くして言う。


「悪いな、足が滑った」


 ルイスはよろめきつつ、左手で横のテーブルに手をつき、そのままヒラリと飛び上がった。

 そして、力一杯アドルフの足を踏みつけるように着地する。


「ぎゃぁっ!?」


 悲鳴をあげるアドルフに、ルイスは肉食獣もかくやという獰猛さで笑いかけた。


「悪ぃな、足が滑った」


 アドルフは目尻に涙を浮かべてルイスを睨んでいたが、ルイスはどこ吹く風という顔で自分の席に戻る。


(面倒なのが出てきたな)


 入寮初日に暴れておいたおかげで、大抵の生徒は近づかなくなったが、今日の授業で実力を見せつけたことで、ルイスを僻む者が出てきたらしい。

 アドルフは貴族の出身で、成績も優秀。特に実践魔術では学年一位の成績で、クラスでも大きな顔をしていた。

 今日の授業でアドルフが作った火球は一〇。ルイスは三〇で、しかも短縮詠唱と二つの魔術の同時維持。アドルフのプライドを傷つけるには、充分だったのだろう。


(こういう時は、半端に実力ある奴の方が、面倒なんだよな)


 あー面倒くせぇ、とぼやきつつ、自席で次の授業の準備をしていると、手元に影ができた。目の前に誰かが佇んでいる。

 顔を上げると、焦茶の髪の少女――ロザリーが、ジトリとした目でルイスを睨んでいた。


「どうして、着替えていないの?」

「あ? 別にいいだろ。凍死するほど寒くもねぇし。そのうち乾くって」

「駄目よ。風邪をひいたらどうするの」


 厳しい口調で言われ、ルイスは少し拗ねた。

 誰より上手に魔術を使ってみせたのに、ずぶ濡れになるし、レポートの課題は増えるし、ロザリーに叱られるし、まったく面白くない。


「へいへい、脱ぎゃいいんだろ、脱ぎゃあ」


 ケープとベストを脱いで、椅子の背にひっかけ、ついでにシャツも脱ぐ。

 ルイスの体は圧倒的に脂肪が足りず、その癖、筋肉だけはしっかりあるものだから、圧縮した筋肉に皮を貼りつけたような筋っぽい体をしている。

 少女めいた顔に似合わぬ体に、女子生徒は目を逸らし、痛い目を見た男子生徒は「うわっ」と声を漏らし、足を踏まれたアドルフは「うげっ」と呻いた。

 そんな中、ロザリーだけが眉を吊り上げ、ピシャリと言い放つ。


「着替えるなら、寮で着替えなさい」

「今から寮で着替えてたら、次の授業に間に合わねぇじゃねーか」

「いいから着替えてきなさい。次の授業の先生には、きちんと私から話しておくから」


 一歩も引かぬ様子のロザリーに、ルイスは渋々立ち上がる。

 ルイスは素行不良の生徒だが、授業をサボったり、遅刻をしたりはしない。授業を受けられないのが勿体無いからだ。


(仕方ねぇ、近道するか)


 ルイスは濡れた制服を手に取ると、廊下ではなく窓に近づく。

 二階にあるこの教室は、壁づたいに移動すると、講堂に繋がる渡り廊下の屋根に下りられるのだ。

 ルイスは窓枠に足をかけて、ヒラリと外に飛び出した。

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