三章 気になるあの娘と初土産④

 試験が終わると、ミネルヴァの学生達は長期休暇に入る。

 初夏の長期休暇は、社交界シーズンに配慮したものだが、社交界とは無縁の平民でも、実家に顔を出すために帰省するのが一般的らしい。

 帰省しないのは、研究に忙しい研究生や、実家と折り合いの悪い者ぐらいだ。ルイスのように帰る家がない人間は稀だろう。

 ルイスのルームメイトのオーエンも、図書館で勉強していたロザリーも、長期休みが始まると、それぞれ帰省していった。

 その間も、ルイスの生活はなんら変わらない。

 昼と夜は食堂で働き、それ以外の時間はひたすら勉強。

 そうして、新年度が始まる一週間前、ルイスは四箱分あった課題を全て終えて、職員室に向かった。


「どうだ、ジジイ」


 箱を積み上げ、得意気に胸を張るルイスに、〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードは煙管を咥えて頷く。


「おう、ご苦労さん」


 それだけだった。


(他にあんだろ、もっとこう……もっとこう……!)


 断じて褒めてほしかったわけではない。

 締切までまだ余裕があるのに! こんなに早く終わらせるなんて! ……と、驚いてほしかったのだ。

 ラザフォードは咥えた煙管を上下させながら、ルイスが提出した課題をパラパラと捲って目を通す。


「お前、案外、字ぃ綺麗だよな」

「姐さん達の代筆したりしたからな」

「だから、女みたいな字なのか」

「殺すぞジジイ!」


 次に課題を提出する時は、わざと汚く書いてやろう。そう心に誓うルイスに、ラザフォードは引き出しから何かを取り出して、「ほらよ」と差し出す。

 それは、見習い魔術師が使う短杖だった。肘から指先ぐらいまでの長さで、魔術式が刻まれている。

 短杖を受け取ったルイスは、それをまじまじと眺めた。

 魔術師の杖は、魔術式を刻み、魔力付与した道具――いわゆる魔導具に分類される。

 魔導具は超高級品だ。物によっては王都に家が建つとも言われている。


(これは、見習い用の杖か? それでも、大銀貨四枚は堅いな)


 いざという時、短杖がいくらで売れるかを真剣に考えるルイスに、ラザフォードは重々しい口調で告げる。


「ルイス・ミラー。お前の、ミネルヴァへの正式入学をここに認める。立派な魔術師になるべく、真面目に学業に励むように」

「……おう」

「あぁ? なんだ、その生返事は?」


 実を言うと、課題を片付けてラザフォードを見返すのを目標にしていたので、ミネルヴァに正式入学することは、あまり重要視していなかったのだ。

 課題が終わり、無事に入学が決まった。それなら、次は何を目標にしようか。

 立派な魔術師になるべく、などと言われても、ルイスにはいまいちピンとこない。

 将来の夢とか、目標とか、自分はどうなりたいとか、そういうものを今まで考えてこなかったルイスは、手元の短杖を見下ろして、ボンヤリ考える。


(立派な魔術師って、どんなだよ)


 ルイスは自分が覚えた魔術を除くと、目の前の老人が使う、紫煙の魔術ぐらいしか知らないのだ。



 ラザフォードから受け取った短杖を手に、ルイスはブラブラと図書館を目指して歩いていた。

 夏の終わりの日差しはまだ暑く、ルイスは木陰を選んで歩く。北部と違う暑さには、まだ慣れないが、それでも寒いよりはいい。

 来る日も来る日も雪かきをして、夜は凍死に怯えながら、安酒を舐めるように飲んで寝た。常に死の恐怖と隣り合わせの夜に比べたら、なんだってマシだ。

 木々の隙間から覗く陽の光を暗い目で見上げていると、背後で涼やかな声がした。


「ルイス」


 こちらに歩み寄ってくるのは、きちんと制服を着込み、焦茶の髪をまとめた少女――ロザリーだ。


「ロザリー! 戻ってたのかよ!」

「えぇ、今朝、こっちに着いたところ」


 ルイスは日陰を抜け出し、ロザリーのもとに駆け寄る。

 ロザリーは愛想が良いわけではない。ともすれば、素っ気なくて冷たいと思われがちな少女だが、今は久しぶりの再会を喜ぶように、小さく微笑んでいた。


「貴方に会えて良かった。帰省のお土産があるの」


 お土産。その言葉に、ルイスの胸が弾む。

 ルイスは生まれてこの方、一度もお土産らしいお土産を貰ったことがないのだ。


(俺に! お土産! 俺に!)


 口の端をムズムズさせるルイスに、ロザリーは肩にかけていた布のバッグを、そのまま丸ごとルイスに差し出す。

 バッグには薄い冊子がギッシリと詰まっていた。


「私が過去に使ってた問題集。実家から持ってきたの」

「………………」

「勉強の役に立つかと思って」

「……おぅ、ありがとよ」


 とりあえず、当面の新しい目標ができた。

 次の試験で、学年上位の成績を取り、ロザリーにすごいと言わせるのだ。

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