二章 学生寮ジャム狩り事件⑥
改まった態度のルイスに名を呼ばれ、オーエンは密かにガッカリしていた。
(……あぁ、こいつも、僕に課題を手伝えと言うんだな)
オーエンの父親は役所勤めの平民だ。息子の夢を叶えるために、高い学費を払ってミネルヴァに通わせてくれている。
そんな父の期待に応えるべく、そして自分の夢を叶えるべく猛勉強をし、優等生になったオーエンは、貴族出身の同級生にとって都合の良い駒だった。
課題を代わりにやってくれよ、と押しつけられた時、嫌だと言うべきだったのだ。だけど、身分の違いをちらつかされ、結局不満を呑み込み引き受けてしまった。
そうして一度引き受けたが最後、彼らはことあるごとにオーエンに課題を押しつけた。
(本当は、僕だって暴れて、嫌だって言いたかったんだ)
同級生達が理不尽な理由でルイスに叩きのめされた時、オーエンは胸のすく思いだった。
あれだけ酷い目に遭ったのだ。同級生達は、今後オーエンに課題を頼もうとは思わないだろう。気は大きいくせに臆病な彼らは、物騒なルームメイトがいるオーエンに近づきたくないはずだ。
(その代わり、今度はこいつに、課題を押しつけられるのか)
暗い目をするオーエンに、ルイスは手のひらを差し出し、言った。
「お前が今まで使ってきた、教本を貸してくれ」
「……え?」
オーエンは瞬きをしてルイスと、彼の机に積み上げられた課題の山を見た。
課題のそばには、教本も積み重ねてある。あの箱には教本が入っていたはずだ。それなのに、何故オーエンの教本がいるのか。
「……課題を手伝えとは、言わないの?」
「あぁ? それじゃ、ジジイの鼻を明かせねぇだろ」
ルイスは細い眉をひそめ、下唇を突き出してぼやく。
「あのジジイ、教本と課題を、グッチャグチャに混ぜて押しつけやがった。難易度がバラバラだから、適当に上から片付けようとすると、手に負えない仕様だ。おまけに……」
ルイスは机の上の教本を一冊手に取り、オーエンにも見えるように掲げた。
教本はミネルヴァの初等科の算術の教本だ。ただ、学年の部分が黒く塗り潰されている。
教科によっては、一年の間で二、三冊の教本を使うこともあるのだが、その通し番号もご丁寧に塗り潰されていた。
あれでは、初等科何年の、何冊目の教本かが分からない。
「見ての通り、教本を難易度順に並べることができないようにしてある。攻略するには、学年や通し番号の分かる教本を持ってる奴の、協力が必須なんだよ。だから、お前が使ってた教本を貸してほしい」
オーエンはルイスの机に積み上げられた教本を見た。それなりの量だが、自分ならすぐに並べ替えられるだろう。
「……教本の並べ替え、手伝おうか?」
オーエンの提案に、ルイスは眉を持ち上げた。
「あ? いらね。だってお前、試験あんだろ」
あまりにもあっさりした返事に、オーエンは呆気にとられた。
ジャム一つで大騒ぎをし、躊躇なく他人に暴力を振るい、見るからに不良然としているくせに、課題には真面目に取り組んでいる。
(……変なやつ)
オーエンは机の引き出しを開けると、自分が過去に使った教本を取り出した。
初等科の全教科ともなると、それなりの冊数だ。オーエンはそれを、ルイスの机にドスンと載せた。
ルイスは「ありがとよ」と言って教本をパラパラと捲り、中身を確認して、自分の手元にある教本を並べ直す。それが、異様に速い。
気になったオーエンは、恐る恐る声をかけた。
「それ、ちゃんと中身確認してるの?」
ルイスは作業の手を止めず、淡々と答える。
「最初に目を通した時に覚えたからな」
「は?」
ルイスはこの部屋に来た時、ずっと箱の中身の確認と仕分け作業をしていた。その時に、教本の中身を覚えたということだろうか?
(でも、あの量だぞ。それを、数時間で……)
ルイスはまたオーエンの教本をパラパラ捲り、同じ内容の教本を探して並べ替えた。同時に、その教本の中身と対応している課題の紙を素早く抜き取り、教本の内容に沿うよう並べていく。
「普通、覚えるだろ。一字一句とまではいかねーけど、概要ぐらいは」
「内容理解できてないのに?」
「後で理解できるかもしれないから、とりあえず覚えといた」
それは普通じゃない。という言葉をオーエンは飲み込んだ。
ルイスの灰色がかった紫の目は、ひたすらに教本と課題の文字を追い続けている。
オーエンの教本で通し番号を確認し、自分の手元の教本と課題を抜き取り並べ直す――言葉にすると簡単だが、教本と課題の紙を探し出す速さが尋常じゃない。
この素行不良でジャム中毒の少年は、本当に、この大量の教本と課題の内容を把握しているのだ。
やがて三〇分とかからず、ルイスは教本と課題を習う順番通りに並べ直した。
ただ、どういうわけか数冊ほど、オーエンの知らない教本がルイスの手元に残っている。その教本を端に寄せて、ルイスは「やっぱりな」と呟いた。
「これは、入学してから使う授業の教本か」
「なんで、そんな物まで……」
「予習しとけってことだろ。いかにもあのジジイらしいぜ」
そう言って、ルイスはオーエンの教本をきちんとまとめて返した。
「ありがとよ、ジャムのおかげで捗ったぜ」
「……君ってさ」
いろんな疑問が、オーエンの中に込み上げてきた。だけど、どれも上手く形にならない。
結局オーエンは、最初に思いついた疑問をそのまま口にした。
「食堂で暴れたのは、僕を庇うため?」
ルイスは鼻で笑った。
「ちげーよ。最初にあれだけ暴れときゃ、俺にちょっかい出そうって奴はいなくなるだろ。この学校は、お貴族様が幅を利かせてるみたいだからな」
彼の言うことは、ある意味正しい。ミネルヴァはその殆どが貴族の子女か、裕福な家の人間だ。彼らの多くは貧しい家の人間に対して横柄だし、雑用を押し付けるのは当然だと思っている節がある。
だが、初日にあれだけ暴れたルイスに、雑用を頼もうとする人間はまずいないだろう。
(理に適ってはいるけど、滅茶苦茶だ……)
少なくとも、優等生でいたいオーエンには真似できない。
「……君ってさ、なんでミネルヴァに来たの?」
「マーマレードを食うため」
流石にそれは冗談だろう、と言いたいが、ルイスは実際に食堂で「ジャム狩り事件」をやらかしているのだ。あながち冗談ではないのかもしれない。
言葉に詰まるオーエンに、ルイスは肩を竦めて、ニヤリと口の端を持ち上げる。
「マーマレードは、お前のおかげで叶ったからな。次はラザフォードのジジイを、ギャフンと言わせんのが目標だ。以上」
そう言ってルイスは、オーエンの机の上で開きっぱなしになっている、試験勉強の本を指さした。
「俺に構ってないで、勉強しろよ、優等生」
「……君って、ほんと変なやつ」
ルイスはもう、オーエンの話を聞いていなかった。彼は一番難易度が低い教本を読みながら、課題に取り組んでいる。
雑談はここまでだ。自分も試験勉強に取り掛かるとしよう。
(あ、でも、その前に……)
これだけはちゃんと教えておこう、とオーエンはルイスの背中に声をかける。
「明日。朝食は七時だから」
ルイスはページを捲る手を止めて振り向き、「やっぱお前、いい奴じゃん」と笑った。
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