二章 学生寮ジャム狩り事件④

 ミネルヴァの学生寮では朝食と夕食、それと休日は昼食が一階の食堂で用意されている。授業がある日の昼食は基本的に自由だが、大体皆、校舎の食堂を使うらしい。

 男子寮一階にある食堂は長机がズラリと並んでおり、生徒達が好きに座って食事をしている。

 カウンターで食事のトレイを受け取ったルイスは、そこに載せられた食事を見て、オーエンに小声で訊ねた。


「なぁ、今日って、祭りでもあんのか?」

「なんで」

「飯が豪華すぎる」


 握りこぶしより大きいパンに、野菜のスープ、肉と豆の煮込み。しかも、パンにはジャムの小皿がついているのだ。

 小皿に盛られているのは、オレンジ色のトロリとしたジャムで、中に柑橘の皮を薄切りにした物が入っていた。


「おい、これってもしかして、マーマレードか?」

「そうだけど」


 なんてこった、とルイスはトレイを持つ手を震わせた。

 故郷を出てマーマレードを食べる――その目標が、早くも達成できてしまう。

 なにはともあれ、初めてのマーマレードだ。これは味わって食べなくては、とルイスが小皿に熱視線を送っていると、前を歩くオーエンが足を止めた。

 オーエンの前には、彼と同級生らしき三人の男子生徒が立ち塞がっている。

 彼らは食事のトレイの代わりに、二つ折りにした課題の紙を持っていた。その紙をちらつかせて、オーエンに小声で話しかける。


「オーエン、いつもの。頼むよ」

「……試験近い時にそういうこと頼むの、やめてほしいんだけど」

「いいだろ、別に」

「お前ならできるだろ」

「頼むよ、優等生」


 オーエンがボソボソと文句を言っても彼らは聞く耳を持たず、課題の紙をオーエンに押しつけようとし――その肘が、ジャムに心奪われていたルイスの腕に当たった。

 ルイスの手元のトレイが大きく揺れて、ジャムの小皿が逆さまに落ちる。

 オーエンと、その同級生は気づいていない。ルイスが尻尾を踏まれた猫のように、灰紫色の目を大きく見開き硬直したことも、そのこめかみに太い青筋が浮かんだことも。

 ルイスは自分のトレイを近くのテーブルに置くと、オーエンと三人の男子生徒の間に無言で割って入る。

 ルイスにぶつかった大柄な男子生徒が、眉をひそめてルイスを見た。


「なんだよ、お前。俺らはオーエンと大事な話を……おぐっ!?」


 男子生徒の言葉が終わるより早く、ルイスはその男子生徒の顔面を片手で鷲掴みにした。


「……俺のジャムに、なにしてくれてんだ、てめぇ」

「は、え? ジャム? あいだだだだ」


 顔面を掴まれた男子生徒が悲鳴をあげる。友人らしき二人が、慌ててルイスの腕を引っぺがそうとしたので、ルイスは鷲掴みにした男子生徒の頭を振り回し、その後頭部を残る二人の顔面に叩きつけてやった。

 悲鳴とどよめきが、平和な学生食堂に広がっていく。

 ルイスはしゃがみ込み、顔面を鷲掴みにした男子生徒の後頭部を床にグリグリ擦りつけた。


「おら、詫び代わりに、てめぇのジャムを献上しろや」


 ルイスに鷲掴みにされた男子生徒も、顔面を強打された二人も、見るも無惨な顔で泣き喚いている。

 そんな中、少し離れた席で誰かが金切り声をあげた。


「あいつだ! あいつだよ! 僕のことを脅した、野蛮な新入生!」


 ルイスは首を捻って声の方を見た。ルイスを指さし、キィキィと喚いているのは、当初ルイスのルームメイトになるはずだった少年、テレンス・アバネシーだ。

 ルイスは目を眇め、唇の端を持ち上げて凶悪に笑った。


「んだよ、豚野郎。鍋で煮込まれたいのか? あぁ?」


 テレンスが甲高い悲鳴をあげて、椅子から転がり落ちる。食堂はもう大混乱だが、この手の空気に馴染みのあるルイスは、寧ろ血が沸くのを感じた。ルイスは荒事特有の空気が好きだ。

 顔面を鷲掴みにされた男子生徒は、すでに白目を剥いて意識を飛ばしている。ルイスはその少年から手を放すと、ゴキゴキと指を鳴らしながら立ち上がった。


「コトコト煮込まれたくなけりゃ、俺にジャムを献上しな、クソども」


       * * *


〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードは、縄でグルグル巻きにされた状態で床に転がるルイス・ミラーを見下ろし、真顔で言った。


「嘘だろ、お前」

「なにがだよ」


 食堂で新入生がジャム狩りをして暴れている――馬鹿みたいな報告に、嫌な予感を覚えたラザフォードが現場に駆けつけてみれば、案の定、活き活きと暴れているのは、彼が連れてきた特待生ルイス・ミラーであった。

 かくしてラザフォードは、生徒に馬乗りになって「ジャムを寄越せ」と脅すルイスを殴り飛ばし、縄でふん縛って、職員室に連行したのである。引きずりながら連行する過程で、無様な悲鳴が聞こえたが、ラザフォードはしっかり無視した。

 そして今、擦り傷と打撲痕だらけになったルイスは、縄で縛られ職員室の床に転がっている。腫れ上がった頬はラザフォードが殴り飛ばした時のもの、それ以外の細かな傷は、引きずられた際にできたものだろう。

 ラザフォードは床に転がるルイスの前にしゃがみ、その頭を煙管でポクポクと叩いた。


「入寮初日に、二回も問題起こすか、普通?」

「そうか、じゃあ三回目に期待してくれ」


 ラザフォードはルイスの頭に拳骨を落とした。ルイスはその手に噛みつこうと、縄で縛られた状態のまま身を捩って暴れる。

 それを見ていた近くの席のマクレガンが、呆れたように呟いた。


「チミ達ね、喧嘩は外でやりなさいよ」


 ラザフォードは、チィッと大きな舌打ちをすると、短く詠唱をして咥えた煙管に火を点けた。

 ゆっくりと肺に煙を吸い込みながら、ラザフォードは思案する。

 ダングローツからミネルヴァまでの道中、ラザフォードは行動を共にしながら、ルイスのことを観察していた。

 非常に物覚えが早く、頭の回転が速い少年だ。最も合理的で効率の良いやり方を考える、思考力がある。

 おまけに野生動物並に慎重で、宿ではラザフォードが先に寝つくまで、絶対に寝ようとしなかった。朝もラザフォードより早起きなのだ。

 それほど慎重なのに、どこか無謀なところがあるのは、育った環境故にだろうか。

 このクソガキは愚かにも、失うものが何もないことを強みだと思っている節がある。


(まぁ、なんにせよ、褒めて伸ばすタイプじゃねぇな。叩いた方が伸びるタイプだ)


 ならば遠慮なく、叩いて叩いて叩きまくるとしよう、と心に決め、ラザフォードは追加の課題を詰め込んだ箱を手に取った。


「元気が有り余ってるクソガキにプレゼントだ。あとお前、明日の朝まで飯抜きな」

「この程度、余裕だぜ」

「ほぅ、そうかよ」


 ラザフォードは抱えた箱を、ルイスの背中にドスンと落とす。

 ルイスは竜の咆哮のような声で喚き散らしながら、ジッタンバッタンと元気に暴れ回った。

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