二章 学生寮ジャム狩り事件③
〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードは、半眼で呻いた。
「泣きながら職員室に駆け込んできた、テレンス・アバネシー曰く。『ルイス・ミラーに殺害予告をされた。恐ろしすぎて、同室ではいられない』」
職員室の自席に座るラザフォードの前で、ルイスは正座を強要されていた。
そんなラザフォードとルイスを、他の教師達は遠巻きにして見守っている。
ラザフォードは、入寮から僅か三〇分で問題を起こしたルイスに問いかけた。
「……ルームメイトに、何を言って脅したんだ、おめーは?」
「脅してねぇよ。楽しく帝国語のお勉強をしてただけだ」
「ほぅ、帝国語」
ラザフォードは手の中で煙管をクルリと回して、ルイスを睨む。
「……で、何言った?」
「『てめぇの臓物引きずり出して、鍋で煮込むぞ豚野郎』」
「立派な殺害予告だ、アホたれ!」
ラザフォードの手のひらが、容赦なくルイスの頭を引っ叩いた。だが、その程度で怯むルイスではない。
ルイスは正座の姿勢で踏ん反り返り、太々しく鼻を鳴らす。
「はんっ! その程度でピーピー泣き喚く奴が、どうかしてんだよ!」
「世の中のガキが、みんなお前基準だと思うんじゃねぇよ!」
ガラの悪い二人の罵詈雑言の応酬に、職員室の他の教師陣の顔が強張っていく。
見かねたのか、一人の老教師がラザフォードに声をかけた。
「……チミ達、職員室の治安悪くするのやめてね?」
「こんなの教育的指導の内だろ、マクレガン」
「じゃあ、ちゃんと指導してあげなさいよ」
マクレガンと呼ばれた小柄な老教師は、長い髭を指先で弄りながら、ラザフォードとルイスを交互に見る。フカフカの眉毛に半分埋もれた目は、どこか呆れているように見えた。
ラザフォードは舌打ちをし、短い白髪をガリガリとかくと、ルイスを睨みつける。
「お前には、別室を手配した。ルームメイトのオーエン・ライトは、お前より一つ年下だ。ビビらすなよ」
「俺は物置部屋でも屋根裏部屋でも構わないんだぜ? 中央なら、凍死する心配もなさそうだ」
テレンスのような奴と同室になるぐらいなら、物置部屋の方がずっと気楽で良い。
斜に構えるルイスに、ラザフォードは有無を言わさぬ口調で告げる。
「駄目だ。お前には、ルームメイトのいる部屋に入ってもらう」
もし、貴族の息子であるテレンス・アバネシーを物置部屋に放り込んだら、親は怒り心頭でミネルヴァに乗り込んでくるだろう。だが、ルイスには苦情を言う親などいないのだ。
ルイスは正座をやめてあぐらをかき、膝に頬杖をついてラザフォードを見上げた。
「俺みたいな野良犬なんざ、雑に隔離しときゃ良いだろ。文句を言う親もねぇ」
「駄目だ」
ラザフォードはキッパリ言うと、これで話は終わりだとばかりに、ルイスに部屋の鍵を投げつけた。
「おい、クソガキ。入学するまでに、友人作っとけよ」
「あ? いらねーよ、そんなの」
「いいや」
クルリと回った煙管の先端が、教鞭のようにルイスの眉間をピタリと指し示す。
ラザフォードはボサボサ眉毛の下で、鋭い目を細めた。
「でないと、お前は必ず行き詰まるぜ」
* * *
ラザフォードから受け取った鍵は、男子寮三階の部屋のものらしい。ルイスは、再び課題の箱を三つ積み上げ、ノッシノッシと廊下を歩いた。
(なーにが、友人作っとけだ。教師ヅラしても、似合ってねぇんだよ、ボサ眉ジジイ)
やがて目的の部屋に辿り着いたルイスは箱を抱えたまま、ノック代わりに足で扉をガンガン蹴る。返事はすぐに聞こえた。
「はい」
静かな返事と同時に、扉が内側から開いた。ただ、大量の荷物を抱えているルイスには、前が見えない。扉が開いたことが分かるだけだ。
とりあえずルイスは、扉を開けてくれたルームメイトに名乗っておくことにした。
「今日から、この部屋を使うルイス・ミラーだ」
「……オーエン・ライト」
ボソリと呟くオーエンは、扉を手で押さえてくれた。
ルイスは室内に入り、床に荷物を下ろすと、オーエンをちらりと見る。
きちんと制服を着込んだ、小柄な少年だ。灰色がかった金髪は癖っ毛で、長めの前髪の下のジトリとした目が、こちらを見ている。
あまり社交的な性格ではないのだろう。ルイスと目が合うと、サッと目を逸らしながら、扉を閉めた。
(頼んでもないのに、身内自慢をしてくる馬鹿よりマシか)
そう割り切り、ルイスは室内に目を向けた。
部屋の構造は、どこも同じようなものらしい。部屋に入って扉を背に立つと、正面の壁に窓が一つ。手前の左右の壁に机が一つずつ。奥には二段ベッドがある。
ただ、左右に設置された机を見て、ルイスは眉をひそめた。どちらの机にも、本や勉強道具が広げてあるのだ。
物言いたげなルイスに気づいたのか、オーエンはそそくさと、左の机に広げていた本を片付け始めた。
「……新しい人が来るの、聞いてなかったから」
「普段から、机二つ使ってんのか?」
「片付けの時間を節約できるだろ」
見ると、二段ベッドの下段にも本が何冊か広げてあった。つまりは、片付けが苦手なのだろう。
オーエンがあらかた机を片付けたところで、ルイスは運び込んだ箱を開封した。
箱にみっちり詰め込まれているのは、大量の課題と教本。さて、どこから手をつけたものか。と腕組みをして考えていると、オーエンが右の机の前に腰掛け、ボソボソと言う。
「……なにそれ」
「課題。入学までの五ヶ月で片付けろってよ」
ルイスが適当な問題集をヒラヒラ振ってみせると、オーエンは問題集をチラリと見て、眉をひそめた。
「……君って、何年?」
「お前の一個上。秋から中等科の一年」
「……僕より年上なのに、そんな課題やってるの? その程度の勉強もできないのに、魔術師になろうなんて、馬鹿にしてるとしか思えない」
流れるように毒を吐かれ、ルイスはこめかみを引きつらせた。
それでもこの年下のルームメイトの頭を小突いたりしなかったのは、自分が初等科のチビに後れをとっているのが事実であると理解しているからだ。
(今に見てろよ、絶対見返す)
そう胸に誓い、ルイスは課題を机に積み上げる。
オーエンはそれ以上は何も言わず、プイと背を向け、机と向き合った。その小さい背中は、ルイスとの交流を静かに拒絶している。
「僕、勉強するから。邪魔しないで」
「好きにしろよ」
二人は互いに背を向け、机と向き合い、黙々と己の課題に取り組んだ。
もっとも、カリカリと羽根ペンを動かしているオーエンと違い、ルイスは箱の中身に目を通すだけで精一杯である。
二時間ほどかけて、箱の中身に一通り目を通したところで、ルイスは目頭を揉んだ。
(これを用意した奴は、相当性格が悪いな)
箱の中には、教本と課題が詰め込まれている――が、教本の内容と課題が一致していないのだ。
算術の教本の下から、何故か歴史の課題が出てくる。その歴史の課題にしても、明らかに年代の並び順がグチャグチャだ。
挙句の果てには、歴史の課題の中から全然違う教科の課題が出てくる始末。
おそらく、意図的に教本と課題を並べ替えたのだろう。
(嫌がらせか、或いは……)
とりあえず、教科ごとに課題を並べ直していると、背後から「ねぇ」と声をかけられた。
振り向くと、オーエンがじっとルイスを見ている。
「そろそろ昼食の時間だけど、食堂の場所は分かるの?」
「知らね」
オーエンは無言で椅子から立ち上がり、扉の前で立ち止まって、またルイスを見た。
「……行かないの?」
思わずふき出したルイスに、オーエンがムッとしたような顔をする。
ルイスは肩を震わせ、笑いを堪えながら言った。
「お前、いい奴じゃん」
「……なにそれ。それぐらい、普通でしょ。あと、行くなら制服着て」
あんまり揶揄うと拗ねそうだったので、ルイスは大人しく制服に着替えることにした。
立派なシャツとズボン、窮屈なタイには慣れていないから適当にぶら下げて、仕上げにケープを羽織る。
このケープ、くすねた物を隠し持つのに便利だな、とルイスは密かに思った。
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