二章 学生寮ジャム狩り事件①

 魔術師養成機関ミネルヴァは、リディル王国中央部ラグリスジルベの街外れ、周囲を森に囲まれた静かな環境にある、レンガ造りの立派な建物である。

 この手の学校は街の中に作った方が便利ではあるのだが、魔術師の訓練にはひらけた土地が必要だし、研究には暴発事故が付きものなので、街の外れに作られていた。

 校舎の奥には、高い柵に囲まれた三階建ての学生寮があり、生徒達の大半はここで生活している。

 春起月ウィドルの半ば頃に故郷を発ち、二週間以上かけてミネルヴァに到着したルイスは、いくつかの面接を受け、教本で覚えた魔術を披露しただけで、あっさり入寮を許可された。

 ミネルヴァを目指す道中、ラザフォードが使い魔を飛ばし、ルイスのことをミネルヴァの教師達に伝えていたらしい。だから、ラザフォードが見るからに小汚い少年を連れて帰っても、誰も驚かなかった。

 校舎一階応接室で入寮、入学に関する説明を受けたルイスは、明日からでも授業が始まるのだろうと、漠然と考えていた。

 ところが、ラザフォードは手の中で煙管をクルリと回して、しかめっ面で告げる。


「お前の入寮は今日からだが、入学すんのは、秋巡月フェーレだ」

「はぁ!?」


 ルイスは目を剥いた。今が春起月の最終日なので、入学まで、ざっと五ヶ月は空くことになる。


「来月からは試験期間。でもって、試験が終わった後は秋まで、ミネルヴァは長期休暇に入っちまうんだよ。だったらこの五ヶ月で、みっちり入学準備しとけ」


 農家の子どもが通う学校なら、収穫が忙しい秋に休みを設けるところだが、ミネルヴァに通うのは大半が貴族や裕福な家の子女だ。故に、社交界シーズンが始まる初夏から、長期休暇を設定しているらしい。

 なんにせよ、いざミネルヴァに入学、と思っていたルイスは出鼻を挫かれた気分だった。

 社交界シーズンの長期休暇なんて、平民のルイスにはただの無駄な休みにしか思えない。


「くっそ、五ヶ月も何しろってんだ……」


 ルイスが顔いっぱいに不満を表していると、ラザフォードは足下に置いた紙箱を机に載せる。

 一抱えほどもある箱の中には、教本や紙の束がギッシリと詰まっていた。


「ミネルヴァでは、魔術の実技に取り組むのは、入学して半年経ってからと決まってる」


 ルイスは唖然とした。

 入学まで五ヶ月。そこから実技の授業まで半年――つまり、ルイスは実技の授業を一年近くお預けということになる。

 そんなふざけた話があってたまるか、とルイスが怒鳴るより早く、ラザフォードが言葉を続けた。


「だが、お前は既に初級の教本にある魔術を一通り覚えちまってる。そこで学長とかけあって、特例で課題を出してもらうことにした」


 なるほど、この箱の中にぎっしり詰まった紙の束が、その課題であるらしい。

 ラザフォードは指を五本立てて、ルイスの鼻先に突きつける。


「お前が入学するまで、あと五ヶ月。その間に課題を全部終わらせたら、入学と同時に魔術の実技訓練に参加させてやる」


 ルイスとしては、明日にでも入学して、実技訓練を始めたいというのが本音だ。

 だが、不満を口にする前に、課題とやらがどんなものかと、箱の中身を適当に手に取る。

 課題は魔術に関するものから、語学、歴史、算術といった一般教養まで、実に様々だった。


「……おい、ジジイ。ミネルヴァってのは、魔術以外の教科もあるのか?」

「あぁ、うちは一般教養科目もレベル高ぇぞ。なにせ、リディル王国三大名門校の一つだからなぁ」


 パラパラとページを捲り、ルイスは顔を引きつらせた。


(ひとっっっつも、分からねぇ……!)


 物心ついた頃から娼館勤めで、学校に行ったことのないルイスには、一般教養科目に関する知識が欠けている。

 読み書きと計算ぐらいはできるが、外国語など論外だ。ルイスが知っている外国語など、帝国語の悪態だけである。金を払えとか、ぶっ殺すぞとか。

 おまけに課題には古代魔術文字だの、精霊言語だのという、今まで聞いたこともないような単語がチラホラと見える。

 険しい顔で黙り込むルイスに、ラザフォードが煙管を回してニヤリと笑った。


「それとも、初等科の一年に入学できるよう手配してやろうか? ん?」

「寝言は寝て言え、ジジイ」


 人一倍負けん気が強い少年は、教本の魔術を覚えてみせろと言われた時のように、灰紫の目をギラつかせて、勝ち気に強気に宣言した。


「この程度の課題、五ヶ月で綺麗に片付けてやんよ」

「おぅ、じゃあ、それと同じぐらいの箱があと二つあるから、職員室に取りにこいや」

「…………」


 作業量を少なく見積もらせて、後から増やす――同郷の人間かと疑いたくなる、あくどい手口である。


「ジジイ、さてはてめぇも北部出身だな?」


 ラザフォードは煙管を咥えたまま、「さてな」と呟き、肩を竦めた。

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