プロローグ 鏡の牢獄②

「静寂の縁より現れでよ、風の精霊王シェフィールド」


 次の瞬間、竜達を閉じ込めた結界の中に嵐が起こった。

 一般的な攻撃魔術とは桁違けたちがいの威力を持つ精霊王の風は、やいばとなって結界の中を駆け巡る。それが、内向きに反射する結界の中で起こるのだ。暴風が、不可視の刃が、あらゆる方向から竜の群れを襲い、延焼しかけていた火を草ごと刈り取る。

 よろめいた火竜が他の竜にぶつかり倒れ、そこに風の刃が降り注いだ。風の刃は竜の眉間を、眼孔を――あるいは、口腔に入り込んで内部を滅茶苦茶に切り裂く。

 広い場所で吹く風よりも、閉鎖的な空間で吹く風は遥かに凶悪だ。まして、その風は勢いを失うことなく、結界の中を反射して飛び回り続けるのだ。比較的小柄な個体など、風に吹き飛ばされ、結界に叩きつけられている。


 やがて精霊王召喚の門が音もなく閉じ、嵐が収まると同時に、ルイスは〈鏡の牢獄〉を解除した。

 ちょうど結界を張っていた辺りだけ、地面がえぐれ、草が散り散りになり、そこに竜の亡骸なきがらがゴロゴロと転がっている。

 眉間を貫かれ、嵐にもみくちゃにされた竜の死骸は、不格好に積み重なっており、事情を知らぬ者が見たら、何があったのかと目を疑うところだ。


「……掃討完了です」


 呟き、ルイスは杖で肩を叩いた。

 結界に竜を閉じ込め、高火力の魔術を叩き込む――それは非常に荒っぽいが、周囲に被害を広げない、理に適った戦法であった。

 ただしこの戦い方は、結界術と攻撃魔術の両方に、高い技術がないと叶わない。

 そして、それを容易くやってのけたのは、現場よりも作戦室で指示を出している方が似合いそうな優男なのである。

 魔法兵団の団員達は、若く美しく、そして凶悪な己の上司に畏怖いふの目を向けた。


       * * *


 ベネルスト草原での竜討伐は、地竜火竜の群れという極めて難易度の高い討伐であり、同時に火災の危機や、周辺の街への被害も予想される危険な案件であった。

 本来なら、竜騎士団と魔法兵団が合同で、大規模な討伐隊を組んで挑むところだ。

 しかし、リディル王国では一週間ほど前に東部地方で竜害が続き、竜騎士団と魔法兵団の一部が遠征に出たばかり。

 圧倒的な人手不足の中、魔法兵団団長ルイス・ミラーはわずか数人の精鋭部隊で地竜と火竜を討伐し、火災も防ぎ、街を守り切ったのだ。

 人々はしきりに、〈結界の魔術師〉はなんと高潔で勇敢な人物か。彼こそ、この国の守護者だと褒め称(たた)えた。



 ……そんな、高潔で勇敢な国の守護者は今、宿舎の自室で金を数えていた。

 銀行に預けた金の記録を確認し、財布の中身をひっくり返し、そして、ふと思い出したように、鍵付き引き出しの中から、ジャムの空き瓶を取り出す。瓶の中身は大銀貨だ。それが一二枚。

 ベッドの上に胡座あぐらをかいて、今回の竜討伐の報奨金を含む全財産を数えた彼は、「っしゃぁ!」とお上品じゃない声をあげた。


「これで……これで……」


 ルイスはこぶしを握り締め、喜びを噛み締めるように呟く。


「王都に、家が買える!」


 彼はベッドサイドに置きっぱなしにしていた酒瓶を手に取り、中身をあおった。

 瓶の中身は安酒だ。ルイスはそれを美味しそうにグビグビ飲み干し、プハァと息を吐く。


「絶っ対に……七賢人になってやるからな」


 酒に濡れた口元を拭う手の下、その唇は八重歯を覗かせ、不敵に笑っていた。

 ルイスは今でこそつややかな髪を長く伸ばし、上品に振る舞っているが、元々はリディル王国北部の寒村の出身であった。

 白い白い雪が全てを埋め尽くす、何もない村ダングローツ。その片隅にある寂れた娼館が、彼が生まれ育った場所だ。


 ――これは、何もない寒村で生まれ育った少年が、魔術師の頂点である七賢人になるまでの物語である。

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