第16話 男の欲望

 夜、部屋に男女二人きり。

 

 何か卑猥な期待をしてしまう俺を許して欲しい。


 なにせ俺は未だ童貞で、マリーさんの事が好きなのだから。




 最近になって気付いた事。

 いや、〝認めた〟と言う方が正しいかもしれない。


 自覚はあった。

 マリーさんを目にするたびに自然と高鳴るこの鼓動。コレがもしかしたら〝恋心〟というやつなのかもしれない、と。


 生前の俺はとにかく金属加工一筋。

 父の背中を追う事だけを考えていた俺は、そもそも恋愛などには興味はなかった。

 可愛い女の子を見ても、『あ、可愛いな』と、ただ思うだけで、特にそれ以上の感情は持った事がないし、彼女が欲しいなどと思った事もない。

 もちろん居た事も無い。


 〝女〟に対して本能的な何かを感じる事など無かった。女を〝女〟として見た事がそもそも無かったのだ。


 だが、異世界この世界へ来て、マリーさんと出会い、助けられ、俺はいつの間にかマリーさんへ対して特別は感情を抱くようになっていた。


 いつから?

 多分、初めて出会った時の最初からだろう。

 今思えば、一目惚れというやつだったのかもしれない。


 マリーさんを想うと胸が高鳴り、俺の中に潜む本能的な何かが呼び起こされるような感覚を覚える。


 ――俺はマリーさんに一体何を求めている? マリーさんと、何がしたい?どうなりたい?


 これが〝男の欲望〟か。


 初めて知った。

 〝恋心〟とはこんなにもドロドロとした欲望の塊だという事を。

 そんな穢らわしい感情を、あろう事かマリーさんへ向けている自分が許せなかった。

 だから認めたくなかった。


 いや、違う。

 確かにそれも大きな理由だ。でも、もっと大きな理由があった。


 俺がマリーさんに恋心を寄せている事を自分自身認めたくない、一番の理由。

 

 それは自分自身が傷つきたくないからだ。


 『好きです!』と告白して拒絶されたらどうしよう。


 そうなった時に俺はそのショックから立ち直れる気がしない。


 というか、そもそも、マリーさんが俺を〝男〟として見てくれるわけがない。

 俺がミーアを妹のように思っているのと同じように、おそらくマリーさんも俺の事を弟のように見ているだろう。


 そんな勝算ゼロな恋心など持っているだけ自分が辛くなるだけ。

 だから、自分の本当の気持ちから目を背けるように、違うと、そう自分に言い聞かせてきた。


 だが、マリーさんへの想いは日を追うごとに増す一方だ。

 もはや、目を背け続けるのは不可能なほどにマリーさんへの気持ちは大きくなっていた。


 ――認めるしかない。俺はマリーさんに恋をしている、と。


 そうはっきりと自覚するようになっても、その想いをマリーさんへ伝えようとは思っていない。

 前述したように勝算ゼロだからだ。


 もし、告白して振られた時に今の関係でいられなくなる可能性もなきにしろあらず。

 だから、この想いは自分の中だけで留めておこうと思っている。




「どうしたですか?こんな夜遅くに」


 マリーさんを部屋へ招き入れると、昂るたかぶ、気持ちを抑え、あくまで平静を装いながら俺はそう問い掛けた。


「いきなり押し掛けたりして、ごめんね。 今日、エルと実際に接してみてどうだったかなぁ、と思って……」


 俺の顔色を窺うような上目遣いでマリーさんはそう言葉にした。


 マリーさんの願いは、とにかくエルの将来を希望あるのもにしてやりたい。

 それを叶える鍵となる俺の、エルに対しての第一印象が気になったのだろう。


「……そうですね。 とにかく、エルの負った心の傷は相当深いという事を思い知らされました。 正直、エルに心を開かさせるのはかなり大変だと思いますね……」


「そ、そんな……」


 頼みの綱であろう俺からのギブアップ宣言とも取れる言葉を受け、マリーさんはがっくりと項垂れた。


「でも、まだ諦めるつもりはありませんよ?」


「え?」


 そう。

 だからといって、そう易々と諦める程、俺の『金型を造りたい』という情熱は柔じゃない。

 エルの持つ魔法ちからはそれを叶える可能性を秘めている。だから絶対に必要だ。

 何としてでもエルを囲い込みたいと、俺はそれほどに意気込んでいる。


「そもそも、そんなすぐに仲良くなれるなんて元から思っていませんでしたし、今日はまだ初日です。 毎日通い詰めて、徐々にエルの心を開かせる。元からそういう話だったじゃありませんか」


 俺のこの言葉にマリーさんは、ほっと胸を撫で下ろすように柔らかな笑みを零した。


「ふふ、そうよね。そうだったわよね。 良かったわ。ユウキ君の心が折れてなくて。安心したわ」


「ところで、今、孤児院の方は大丈夫なんですか?子供達だけですよね」


「大丈夫よ。エルに任せてあるから。 最年長で面倒見の良いエルは子供達のまとめ役としてとても頼りになるの」


「なるほど」


 根はとても良い子なのだろう。

 元々貴族だった事から、俺は勝手にエルの事をわがままだったり、傲慢だったりするのだろうかと思っていたが、それは俺の偏見だったようだ。


「そういえば、エルが、黒髪のお客様に失礼な態度をとってしまったって、その事を悔いているようだったわ。 その、黒髪のお客様ってユウキ君の事でしょ?」


 勘定の際、エルの手に触れてしまった時の事だろう。

 逃げるようにその場から立ち去った事を申し訳なく思っているらしい。


 うん。 なんて良い子なんだ。


「あぁ、はい。俺ですね。 お金を手渡す際にエルの手に触れてしまって、多分それでトラウマが甦ったのでしょう。 俺の方こそもう少し気を付けるべきでした。エルが〝男〟に恐怖心を持っている事は事前に知っていたわけですから」


「そうだったのね。 エルも頭では、世の男全てが皆が皆悪い男じゃない、とは理解してるみたいなんだけど……」


 いくら頭で思っていても、反射的に拒絶してしまう。それがトラウマというやつだろう。


「仕方ないですよ。無理矢理力ずくで乱暴されれば誰だって恐いものです」


 抵抗しようにもその力が一切通じず、相手からいいように蹂躙される。

 トラウマとして心に深く刻み込まれるには充分過ぎる体験だ。

 特に、『抵抗しようにも力が通じない』という点、想像しただけで男である俺でさえ恐いと思える。

 ただ、結果的にはエルの魔力が発動したおかげで逆に変態男は返り討ちに遭ったらしいが。

 

「その、エルに乱暴しようとした男の事なんだけど……ちょっと心配な事があってね……」


「心配な事、ですか?」


 マリーさんはその〝心配〟について話してくれた。


 曰く、

 エルの身分は厳密に言えば今も奴隷。

 そしてその所有権はエルに乱暴を働こうとしたその変態男にある。


 つまり、書類上エルは今でもその変態男の所有物であるという事で、

 もし、その変態男がエルの目の前に現れ、エルの身柄を抑えようとしても、ある意味それは真っ当な事であり、それを阻止できる権限は俺たちには無い。

 エルが変態男に無理矢理連れ去れるところを指を咥えて見てるしか出来ないという事だ。


「エルの〝奴隷証明書〟がこの世に存在する限り、エルは今もその男の奴隷なのよ」


 その男は今もエルの所在を探している。全然有り得る話だ。

 そして、それがもし、見つかりでもすればその時こそ終わりだ。

 エルは今度こそ変態男に蹂躙され、飼い殺される事になるだろう。


「それじゃあ〝魔力待ち〟云々の前に、エルは身を潜めた暮らししか出来ないという事じゃないですか!」

 

 〝魔力待ち〟と〝脱走奴隷〟。

 エルの境遇はあまりに辛すぎる。


「…………」


 マリーさんは無言で表情を顰める。

 

 エルの境遇をなんとかしてやりたい。

 人々の中であっても、堂々と胸を張って生きていけれるような環境を作ってやりたい。

 エルにも人並みの幸せを感じとれるような、そんな人生を歩んで欲しい。


 マリーさんがエルに対して想う理想、それら全てが絶望的観測しかできない。

 突破口も見つからない。ゆえに無言なのだろう。

 

「……そういう事であれば、いくら短い時間とはいえ今みたいにエルを露店(アンテナショップ)に立たせるべきではないのでは……?」


 アンテナショップは孤児院の敷地内に存在する。

 ゆえに、外部の人は購入目的で自由に孤児院の敷居を跨げる環境にある。

 つまり、変態男がエルと接触してしまうリスクが少なからずあるという事だ。


「……そうなのよね。 でも、エルにはユウキ君に慣れてもらわなきゃ、ユウキ君の下で働くという計画も立たなくなる……。とにかく、もう少し様子を見ましょう。その男が今もエルに執着してるとも限らない、もしかしたらエルの事はもう諦めてるかもしれないし」


 まぁ、確かに、エルの魔力で一度は痛い目に遭っているらしいし、その事でもう懲りているかもしれない。


「そうですね。分かりました。 では計画はそのまま、様子を見ながら、という事で」


「うん。じゃ、私はそろそろ帰るわね。夜遅くにごめんね」


 いつもの感じでニコっと、こちらへ笑みを向け、帰ろうとするマリーさん。

 

 まったく、俺は込み上げる〝男心〟を抑えるのに必死だったというのに、こちらの気も知らずに能天気な事だ。


「マリーさん」


「ん?」


 扉へ向かうマリーさんが振り向く。


 俺は冗談めかした感じに、


「俺だったからいいものを、コレがもし他の男なら勘違いしてマリーさんは今頃襲われていますからね? こんな夜に一人で男の部屋なんて行かない方が身の為ですよ」


 と、そう忠告しておく。

 

 するとマリーさんは、ニコッと笑みを浮かべ、


「そうね、それは困るわね。 でもそれが、己の性の衝動に耐えられず、我慢の末に襲われるのなら、私は許しちゃうかなぁ。 だって、女として嬉しいもの。……じゃあね」


 マリーさんはその一言を最後に帰って行った。


「くそっ!まさに今の俺じゃないか!」


 まさか見透かされてたのでは?という焦りと、若干の後悔の念が入り混じった、そんな叫びが家の中で響いたのだった。


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